招かれざる客
給料をもらえるようになってから、一カ月。
パン屋は、見違えるほど変わっていた。
朝から客が並ぶ。
昼前には売り切れる日も珍しくない。
「また来ちゃった」
「昨日のやつ、美味しかったから」
そんな声が、当たり前のように聞こえる。
「すごいね……ほんとに人気店だよ」
リナが嬉しそうに笑う。
祖父も口には出さないが、明らかに機嫌がいい。
「……まあ、悪くねえな」
それだけで十分だった。
(順調だな)
そう思っていた。
——その日までは。
カラン、と扉の音が鳴る。
「いらっしゃいませー!」
リナが元気よく声を出す。
入ってきたのは——一人の少女だった。
年はリナと同じくらいか、少し上。
整った顔立ち。
だが、その目にはどこか冷たさがある。
服装も、どこか一般客とは違う。
(……なんだ?)
違和感。
その正体に気づいたのは——次の瞬間だった。
少女が、まっすぐこちらを見て言った。
「見つけた」
背筋が、ぞくりとする。
「あなた——借金、踏み倒してますよね?」
店内の空気が、一瞬で凍った。
「……は?」
リナがきょとんとする。
祖父の視線が鋭くなる。
「なんの話だ」
低い声。
だが少女は気にしない。
「逃げた債務者の回収。それが私の仕事です」
淡々とした口調。
その言葉で、すべて理解した。
(……来やがったか)
借金取り。
しかも——こんな少女が。
「外で話そうか」
俺は短く言った。
店の外に出る。
扉が閉まる音が、やけに重い。
「で、いくらだっけ」
分かっていても、聞く。
「1000万ルピー」
借金取りの少女は即答した。
「延滞も含めて、正確にはもう少し増えてますけど」
さらっと言うな。
「……待ってくれ」
俺は言う。
「今、返済できる状況じゃない」
「知ってます」
即答。
「だから逃げたんですよね?」
ぐうの音も出ない。
「でも、無理だ」
少女は続ける。
「今日中に払ってください」
「無茶言うな」
「無茶じゃありません。契約ですから」
淡々としている。
感情がない。
完全に“仕事”としてやっている目だ。
(まずいな……)
このままだと、店にも迷惑がかかる。
最悪、ここを追い出される。
「……せめて、期限を延ばしてくれ」
頭を下げる。
「必ず返す」
少女は、少しだけ考えるように目を細めた。
その時だった。
「……いい匂い」
ふと、少女が呟いた。
店の中から漂ってくる、焼きたてのパンの香り。
少女の視線が、扉の方へ向く。
「……食べますか?」
思わず言っていた。
少女は一瞬だけこちらを見る。
そして——
「……一つだけ」
数分後。
少女は無言でパンをかじっていた。
外のベンチに座り、静かに。
一口。
二口。
三口。
その動きが、ぴたりと止まる。
「……美味しい」
ぽつりと呟いた。
ほんの少しだけ、表情が緩む。
(……いけるか?)
俺は息を整える。
「どうだ」
「?」
「条件を変えないか」
少女の目が、再びこちらを向く。
「借金は、ちゃんと返す」
「……当然です」
「その代わり——」
一瞬、間を置く。
「毎日、このパンを渡す」
少女が、わずかに眉を動かす。
「……ただで?」
「ああ」
言い切る。
「好きなだけとは言わない。だが毎日食える」
沈黙。
少女は残りのパンを見つめる。
そして——
小さく息をついた。
「……分かりました」
顔を上げる。
「期限、延ばします」
「ほんとか?」
「その代わり」
指を一本立てる。
「毎日です。忘れたら——」
視線が鋭くなる。
「その時点で回収に入ります」
「……了解」
交渉成立。
少女は立ち上がる。
「明日も来ます」
それだけ言って、歩き出す。
その背中を見送りながら——
「……なんとか、なったか」
大きく息を吐いた。
だが同時に。
(毎日パン無料って……地味にキツいな)
新たな問題も、確実に増えていた。




