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エピローグ 1

 日常とは、不安定なバランスボールの上に板を敷いて乗っているみたいな感覚で、ちょっとした出来事──ほんの些細な出来事によって、いとも容易く崩れてしまう。



 それをみんな、気づかないようにしながら生きてる。俺だってそうだった。



 血の滲むような努力をして手に入れた、安心安定の生活。

 一生続くと思っていた一人だけの生活に、あいつは突然飛び込んできた。それも結構エグい角度で。


 変化球というよりは、デッドボールだった。



 最初は正直言って、嫌いだった。

 そりゃそうだろう。当初俺の中での景の認識は、俺と身体が入れ替わったことを良いことに逃げようとしやがった、父親と飼い犬を惨殺した凶悪犯だったんだから。


 一緒の部屋にいるのもすぐに限界が来るだろうと、そう思ってた。でも、一緒に暮らしていくにつれて、それは勘違いだってことが分かった。



 景は美味い飯が作れて、たまにおっちょこちょいで、漫画を読んだらすぐに感動して涙を流す。

 そんな何処にでもいる、いや、普通の中学生よりずっと純粋な──ただの子供だった。


 一緒にいるにつれて、あいつの抱えてるどす黒いものが、俺がずっと押し殺して見ないフリしてたものと一緒だって、それに気付いてからは、俺の景を見る目も、完全に変わっていた。



 景の抱えている闇を、これからの人生を、なんとかしてやりたいと思った。

 俺が支えてやれば、きっとこいつはやり直せる。


『景には俺が傍にいてやらないと』なんて、そんな事すら思い始めた。

 そんなのは傲慢な勘違いだったというのに。



 景はきっと、俺がいなくても生きていける。その強さがあると、別れ際に見せたあいつの気丈な眩しい笑顔に、嫌というほど思い知らされた。


 大丈夫だ。俺達は再会を約束した。だから、大丈夫だ。

 そう自分を無理矢理納得させて、俺はあいつを見送った。



 扉が閉まった瞬間、俺はなんとなく理解した。

 約束はしたけど、きっとあいつはもう、ここには帰ってこないんだろうと。


 俺と景の人生は、扉が隔てたあの瞬間、別々の方向に進みだした。



 結局縋っていたのは、傍にいて欲しかったのは──俺の方だったんだ。




「……てな感じだったんすよね」


「そうか、辛かったな」



 夕日に染まる河川敷の草むらを、穏やかな暖気を含んだ風が優しく撫でる。

 俺の隣に座っている奏汰さんは、川の向こうで夕日がビル群に沈んでいくのを眺めていた。



 景が家を出てからすぐ、着信音が鳴り響いた。意気消沈のままスマホを見ると、知らない番号だった。

 そうだ。今日は『あの日』からちょうど一ヶ月。


 俺はすぐに勘付き、電話に出て「奏汰さん」と言うと、「ほんとに出た」と、電話口で奏汰さんは少し驚いたような声で返した。


 それから約三ヶ月、季節はもう春。俺達は今──大阪のとある河川敷にいた。



「おーい奏汰! 瑛太っ! そろそろ肉が焼けるぞ~!」


「テツさん! 今日は冷えたビールで乾杯と行こうやっ!」


「さすがカンさん気が利くなぁ~! 俺も今日は奮発してほら、茜霧島~」


「ネジ! お前そんな隠し玉持ってたのか!?」


「へっへ~ん! 今日はテツさんが奏汰と再会できた、めでたい日だからなぁ~」


「カン、ネジ、お前ら……本当にありがとうなっ……」


「泣くなってテツさん。ほらっ、二人ともさっさと来ないと、こっちは始めちまうぞ~!」



 バーベキューの準備に勤しんでいるテツさん達が、手を降って俺達を呼ぶ。それに手を振り返し、話を続けた。



「いや、辛いのは俺じゃなくて、景の方だったと思います。なんせ一人で外の世界に出たんだから……もしかしたら、心無い言葉を誰かに言われたりして、傷ついたりしてんじゃねえかなって、たまに考えちゃって」



 景が家を出ていってから、俺は極力ニュースを見ないようにしていた。だけど景が家を出て数日後、会社でも「未成年の逃亡していた殺人犯が捕まった」という話で持ちきりだったくらいだ。世間の認知度はかなりのものだろう。


 景が今どうしてるか、知ろうと思えば、きっとググればすぐに出てくるだろう。

 かなり気になるけど、真実を知る勇気が今の俺には、無かった。



「で、お前はこれからどうするんだ?」


「どうって。俺にはもう、あいつが帰ってくる可能性を掛けて、その時を気長に待つことくらいしか……連絡先だって住所だって、何も交換せずに出て行っちまったし」



 ふと、奏汰さんが静かに立ち上がった。凛とした立ち姿だ。前髪が風に揺れ、切れ長の瞳が遠くを見つめる。

 まるで映画のワンシーンみたいに様になるなと、俺は見上げながら思った。



「人はいつだって、大切なことに気づくのが遅すぎる。そして後悔するんだ。『もっと早くああしれてば』って……でも、逆を言えばさ。いつ気付いたって『遅すぎる』ということは決して無いんだ。それをお前は……俺に教えてくれただろ?」



 奏汰さんが優しい視線をテツさんに送る。

 奏汰さんの手には、俺が一ヶ月前に渡した綺麗なままの黒いキャップが、大切そうに抱えられていた。



「気付いた時が動くべき時だって、俺は思うけどな。どれだけ熱い想いだって、時が経たば、いつかは過去になってしまうんだから」


「……俺、まだ自信がなくて。でも、覚悟は決まってるんです。進むべき道はもう決まってて、歩きだすのに躊躇って立ち止まってるというか……本当にこのまま進んでいいのか? 色んな人に、色々言われるんじゃないかって……俺にとっての道はもう、その一本しか無いのに」



 景も俺の家を出ていく時、こんな気持ちだったんだろうか。

 あいつは勇気を持って一歩踏み出した。でも、俺は──。



「つべこべ言わずやれよ」



 力強く、そして凛とした言葉だった。

 思わず顔を上げる。意思の強い黒黒とした瞳が、俺の目を真っ直ぐに捉えていた。



「いいじゃんか。無責任って言われても。非常識って言われても。そうしたいからそうする。それでいいんだよ。周りなんか関係ない。後のことなんて、動いてから考えたらいい。今動かなかったらお前、一生後悔するぞ。もし色々手を尽くして駄目だったらそん時は──仕方ないから、俺が慰めてやるよ」



 ニッ、と奏汰さんが歯を見せて爽やかに笑う。

 その瞬間、自分の中にあった些細な突っ掛かりがぽろりと取れて、何かが動き出したような──そんな気がした。



 ずっと腰を落ち着けていた草むらから、すくと立ち上がる。立ち上がってみれば、簡単なものだった。



「すいません、俺。ちょっと用事思い出しました」


「そっか。じゃあ行って来い」



 奏汰さんが俺に拳を差し出してきた。

 俺も笑顔で拳を差し出し、こつんとぶつけて背を向け、歩き出す。



 俺の決断は、他の誰かから見たら幼稚で、滑稽で、この上なく愚かに見えるだろう。

でも、俺は──。



 歩きながらも、迷いは未だにぐるぐると渦巻いていた。

 でも、それでいいんだ。迷いながらでもいい。たまには立ち止まったっていい。


 今の俺には、上手くいかなかったら受け止めてくれる人がいる。だから、大丈夫だ。



 俺は自分の決めた道に向かって歩き続ける。そう決めたんだ。

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