俺とあいつの共同生活 16
「え、」
驚き固まる俺とは対照的に、景は穏やかな笑みを浮かべたままだ。
これから起こる全てに対する覚悟が決まっているみたいに、その黒く丸い瞳は、緩く弧を描く口元は、身じろぎもしない。
「な、なあ、今日は別に……いいんじゃねえか?」
「え?」
「だってさ、ほら、今日さみーし、明日も仕事だし」
「瑛太さん」
「あ、そうだ。明日の朝に作戦会議しよう。だから今日はもう──」
「あかんっ!」
景が慌てたように声を上げる。
このまま有耶無耶に出来ると思ったのに、まさか拒否されるとは思っていなかった。景だってここに居たいはずだと、そう思い込んでいたから。
景の目を見ることが出来ず、俺は俯いたまま黙り込んだ。
「瑛太さん」
「…………」
返事せずにいると、景が俺の前にしゃがみ込んできた。
さすがに顔を上げる。目が合うと、景は柔らかく目を細めた。
「約束したやないですか。この生活は、身体が元に戻るまでって」
「……したよ。でも、でもお前、ほんとにそれでいいのか? 今まで俺達、1ヶ月も上手くやってこれたじゃねえか。外に出たら、この扉を出たら、お前は法に裁かれて、『正真正銘の犯罪者』になっちまうんだぞ? お前に優しくしてれる奴なんて、誰一人として居ないかもしれない。だったら俺と、ここに居たほうが良いだろ……なあ、そう思わないか?」
なけなしの説得をしてみるが、景は穏やかな表情を崩さず、静かに首を横に振った。
「それでもええんです。辛いかもしれへんけど、苦しいかもしれへんけど、死んだ方がマシやと思う日もあるかもしれへんけど。それでもいい。絶対乗り越えてみせます……達成したい目標が出来たから」
「……目標?」
「はい。今まで僕は、お父さんの言葉が絶対やと思って生きてきた。僕は犬以下の畜生で、このままずっと死ぬまでお父さんに虐げられながら生きて、そんで死んでいくんやって……実はお父さんから逃げようとしたこと、あるんです。でも、出来へんかった。逃げた先でも、きっとこんな出来損ないの僕は、みんなに嫌われて、誰も好きになってくれる人なんかおらへん。逃げたって結局一緒やって、そう思い込んでたから。だから僕はずっと、人との間に壁を作って生きてきた。だって僕は普通じゃない、みんなと違うから。好きな人とか、ほんまの友達とか。そういうみんなが当たり前におるような存在なんて、絶対、一生出来へんって思ってた……でも、そうじゃなかった。僕は駄目駄目やけど、一生許されへんような悪いことをしてしまったけど。そんな僕でも受け入れてくれる人が、好きになってくれる人がおるって、それが分かったから……だから僕はもう、この先何があっても大丈夫。ちゃんと真っ当に、生きていけます」
景の言葉は、まるで幼い子どもに語りかけるみたいにやわらかくて、穏やかな海のように優しい。
今まで見せたこと無いような晴れやかな笑顔には、一切の迷いが見当たらなかった。
待てよ。なんだよ急に。なんで急にそんな、これからのこと、全部受け入れちゃってんだよ? 俺がついていけてねえっつーの。
だってお前まだ、参考書途中までしかやってねえじゃねえか。
せっかく飲み込み早いんだから、どうせなら中3までの勉強終わってからにしようぜ?
晩飯だってさ。明日は俺、景の好きなもん作ってやろうと思ってたんだぞ? 俺の作った目玉焼きの乗ったでっかいハンバーグ、好きだって言ってたじゃねえか。
なあ、食わなくていいのか? 絶対後悔すんぞ?
なあ、景。頼むから……俺を置いていかないでくれよ。
溢れてくるのは、口にするのも憚られるような情けない本音ばかりだ。次から次に、「いい加減にしろ」と言いたくなる。
景はもう決めたんだ。
辛くても、怖くても、ここを出ていくって。俺から離れて──外の世界で生きていくって。
そんな覚悟が決まってる奴に、だっせえことなんて言えるかよ。
握りしめていた拳を緩め、ふーと長く息を吐き出す。
苦しいけど、寂しいけど、これは、分かってたことだ。決まってたことだ。
だったら快く送り出してやらなくて、どうすんだよ。
「そうか。ま、あんま無理しすぎず頑張れよ。お前は根詰めると、誰かがストップかけるまでやり続ける所があるから……でも、な、それは長所でもあると、俺は思うよ。何かに夢中になれる人間は強いんだ。例えどれだけ辛いことがあったって、何かに打ち込んでる間は、忘れられるからな」
「はい。僕、少年院行っても、どんだけ人に酷い事言われても、勉強頑張ります。僕の中には、瑛太さんのくれた言葉があるから」
「……俺の言葉?」
「はい。瑛太さんがくれた言葉。僕の中にちゃんと根を張ってるんです。僕はそれを大切に育てて、大きな木にしたいです」
「はは、詩人みたいなこと言いやがって」
「……あの、瑛太さん」
「なに?」
「またいつか、僕がちゃんとした真っ当な人間になったら……会いに来てもええですか?」
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