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俺とあいつの共同生活 13


「瑛太さんっ! これ見てくださいっ」



 風呂を上がるや否や、景が参考書を手にして俺に駆け寄ってきた。なんだよ。風呂上がりだってのに。


 訝しげに参考書を受け取って目を通し、思わず目を剥く。今日始めたばかりの参考書が、既に半分近くまで進んでいた。



「お前……もうここまでやったのか?」


「へへ~頑張りました」



 得意げな笑みで景はえへんと胸を張る。

 確かに晩飯を食ってる時以外、ずっとテキストの続きをやってんなと思ってたけど……昼間の俺の鼓舞がそれだけ効いたんだろうか。



「瑛太さん。僕すごいですか? 頑張ってますか?」


「ちょっと待て。まずは答え合わせしてからだ。手が早くても、間違いだらけだったら意味ねえからな」


「はいっ」



 丸付けをしてみて驚愕する。まさかの全問正解だった。

 信じられない顔で景を見る。まるで尻尾を振ってる大型犬みたいにワクワクしながら俺を見下ろしていた。



「瑛太さん。どうでした? どうでした?」


「おま、これ……答え丸写しした?」


「違いますよ! そんなん勉強の意味ないやんっ! そんなズル絶対せえへんっ! 参考書見ながら自分で考えてやってたんや!」


「あ、ああそうか……わりぃ」



 珍しく目くじらを立てた景の剣幕に押されながら謝罪する。


 いや、だってありえねえだろ。就業時間に俺が分からないとこ見てやったのはあるけど、それでもたった一日で70ページも進めるなんて……昼間に俺が鼓舞したのがそんなに効いたのだろうか。



「まっ、結構頑張った方なんじゃね? 俺ほどではねえけどさ」


「やったぁ。瑛太さんに褒められた~!」



 無邪気に喜ぶ景を見ていて思う。

 こいつ、ほんとに犬みたいな奴だな。つーか、もし弟がいたらこんな感じなんだろうな。



「瑛太さんっ僕今めっちゃやる気なんです! 今日は徹夜で──」


「駄目だ。夜はちゃんと寝ろ。俺の身体を労れ」


「は~い」



 にこにこと機嫌の良い笑顔を見ていると、釣られてこっちまで気分が明るくなってくる。


 まあ、勉強やる気になったのは良いことだ。これからもこのやる気を維持させるために、明日はお菓子パーティーでもしてやるか。



 それから一週間、景のやる気は本物だったようだ。

 俺が声を掛けなければ寝食を忘れるほどの打ち込みようで、明日には中学二年の学習範囲を終えようというペースだ。


 俺はといえば、表には出さないようにしているが、内心かなり驚いているし、喜ばしく思っていた。


 俺に全てを打ち明けたからだろうか、笑顔が多くなり口数も随分増えた。俺もそれに軽口を返したり茶化したりしながら、つられてよく笑うようになった。



 大丈夫だ。この調子なら景は、自分の人生を上手く立て直せる。きっと元の身体に戻る頃には──。


 でも。待てよ。元の身体に戻った後で景がどんな人生を送るかなんて、俺には知る手立てが無い。


 だってこの生活は一時的なものだ。ずっと続くわけじゃない。


 身体が元に戻ってしまえば俺達は──ただの赤の他人だ。



「瑛太さん。顔色悪いですよ。どうしたんですか?」



 参考書に視線を落としていた景が、様子を窺うように声を掛けてきた。

 それに「なんでもない」と返しながら、俺は考える。


 この生活は元の身体に戻るまでの期間限定だ。その先のことは考えたって無駄。


 俺に出来ることは、身体が元に戻るまでの間、景に勉強を教えてやることだけだ。俺達の関係はそれで終わり。


 その後に、景がどんな人生を歩むかなんて、俺には関係ないし、関わることのできないことだ。




「瑛太さん、瑛太さん」



 就寝時間になって布団に入ると、景が囁くように俺に呼びかけてきた。背を向けたまま返事をする。



「なんだよ」


「僕、最近勉強頑張ってましたよね?」


「まあ、そうだな」


「だからその、欲しいな~って」


「は? なにがだよ?」


「だから、えーと……」


「なんだよ。勿体ぶらずさっさと言えって」


「……び」


「は?」


「ごほうびが欲しい、です」


「ご褒美? 明日の晩飯のリクエストか?」


「ちゃいます。だから……」



 ごそごそと背後で景が動く気配がして、背中をとんとんと叩かれた。振り向くと、景が照れたような顔で俺に手を差し出してきた。



「て」


「は?」


「手ぇ、繋いでください」



 真っ赤な顔で手を差し伸べてくる景を、俺は呆れ顔で見下ろす。



「嫌だ」


「えっ! なんでぇ!?」


「なんでって……野郎同士で手繋ぐのもなぁって」


「え~! こないだはしてくれたやないですかっ」


「あれはまぁ、ノリで?」


「そんなぁ~」



 背後でする景の情けない声に笑いを堪える。


 別に景と手を繋ぐこと自体には抵抗はない。からかってやったらどんな反応するか気になっただけだ。



「瑛太さんが手を握ってくれると、安心して寝れるんです。最近色々あったから、今日はぐっすり寝たくて……」


「はいはい」


「えいたさん~」


「ほら」


「?」


「手、勝手に握ってろよ」


「……えへへ、ありがとうございます」



 布団から出した手が、まるで宝物にでもそうするみたいに、温かくて大きな手に包まれる。

 いや、もうちょい普通の握り方しろよ。



「やっぱ瑛太さんの手、冷たいなぁ~」


「うるせ」


「これからもずっと、こうやって僕が、瑛太さんの手をずっとあっためてあげられたら、ええのになぁ」


「……余計なお世話だっての」


「僕は、瑛太さんの役に立てへんかな?」



 言ってる意味が分からない。解る必要もない。答えないでいると、景はぽそりぽそり続けた。



「僕がこんなん言うの、生意気かもしれへんけど……瑛太さん見てると、たまに心配になる時がある。僕のために、ううん。色んな事で、ずっと無理してるんちゃうかなって……僕がこれからもっと勉強して、罪を償って、いつかいっぱいお給料貰える仕事に就いたら、瑛太さんに楽させてあげられるかなって」


「どんだけここに居座る気なんだよ。つーかどんな自信だっつの……俺は別に、無理なんかしてねえ。景がここに来るまでは、一人で気楽にやってきたんだ。今の状態がイレギュラーなんだよ。それにな。お前は元の身体に戻ったら、他人の面倒見てる余裕なんか一切無くなるぞ。人の心配するより自分の心配しとけよ」


「……そうやんな。ごめんなさい」



 寂しそうな声に少し胸が痛む。だがここで余計な期待を抱かせるのも、抱くのも駄目なんだ。景にとっても、俺にとっても。


 たまに勘違いしそうになるのは確かだ。このまま一生景と上手くやっていけるかも、なんて。


 でも、それは幻想だ。

 元の身体に戻ってお互いが外の世界に出たら、元の生活に戻れば、俺達は自分のことで精一杯になって、今みたいな良好な関係は築けない。



 景が悪いんじゃない。これは俺自身の問題だ。


 世間の目が介入すれば、俺は景と──殺人犯と一緒にいるなんて状況、耐えられないだろう。

 サモみたいに割り切った考え方が出来るほど、俺は強くない。そんな器はない。


 そんなの、自分が一番、嫌と言うほど分かっている。


 他人の目が介在しないから、世間から切り離されているから継続できる人間関係。



「おやすみなさい、瑛太さん」


「……おやすみ」



 この挨拶も、一体あと何回交わせるのだろうか。


 もし景がここを出たとして、世間の非難の声に耐えきれず、また破滅的な行動をしたとしたら、自分自身を傷つけるようなことをしたら……駄目だ。考えすぎだ。

 それを考えてやるのは、この先の景の生活を支える誰かであって、俺ではない。


 景にだって面倒見てくれる親戚の一人や二人はいるはずだ。俺が気負う必要なんか、何処にもないんだ。



 助けていいのは、自分の手が届く範囲まで。



 もし身の丈を超えて誰かを救おうとすれば、自分も相手も不幸になる。いつだったか母さんが言っていた言葉だ。


 今の俺に必要なのは、そのうち訪れる景との別れと、その後にこの部屋を支配する沈黙に備えることだ。



 すうすうと景の吐息が聞こえてくる。こっそり振り返って顔を覗くと、景は安心しきった顔で睫毛を伏せ、穏やかな寝息を立てていた。

 もう寝たのかよ。のび太並の寝付きの良さだな。


 ま、俺ん家にいる間ぐらいは呑気に過ごしてろよ。一体いつまでになるのか分からないけど……そん時までは、よろしくな。



 心の中で景にそう声を掛け、結局繋いだ手はそのまま、俺の意識は安堵の中に落ちていった。




 ピピピピ。ピピピピ。



 スマホのアラームがけたたましく朝を教える。かなり熟睡していたはずなのに、妙に身体が重い。

 重いというか、気怠いというか。なんとも言い難い違和感があった。


 つーかなんか、天井がいつもより遠く感じる。なんだ? 隣を見ると、立てかけてあるテーブルがある。



 何故か俺は、景が寝ているはずの布団で寝ていた。


 なんで俺、景の布団で寝てんだ。ベッドから落ちたのか? じゃあ景は、一体どこに。



 起き上がって気付いた。昨日着ていた寝間着と違う服を着てる。

 つーかやっぱり、身体にすげえ違和感が。なんか、全体的にデカいというか……まさか。


 恐る恐るベッドの方を見る。誰かが寝てるっぽい膨らみがあった。


 これはまさか、もしかして──。



「ん、んん……」



 ベッドの主がごそりと寝返りを打って見えたその顔を見て、疑惑は確信へと変わった。


 サラサラと流れる黒髪。パーツの整った小さい顔。


 昨日まで鏡越しに何度も見ていた──『俺』だったはずの顔。



 そいつが、目を擦りながら起き上がった。そしてぼんやりした目でこちらを見て、幽霊でも見たように目を剥く。


 お互いを震える指で指しあったまま俺達は、同時に口を開いた。



「俺達……」


「ぼ、ぼくたち……」



「「入れ替わってるっ!?」」




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