俺とあいつの共同生活 12
その後、朝から何も食べていない状態だった俺達は、食欲のまま色々な店の色々な料理をスマホアプリで注文し、テレビのバラエティ番組を見てながら全て食べ尽くし、そのまま眠りについた。
異変が起こったのは、すっかり深い眠りについた頃だった。
「なさい……ごめんなさい」
ぼそぼそと囁くような声が聞こえて目を覚ます。
寝返りを打って景の方を見た。目を閉じたまま辛そうに表情を歪ませていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……っ」
「景?」
返事がない。どうやら寝言のようだ。悪夢を見ているのかもしれない。様子を窺っていると、景は突然叫びだした。
「たい……痛い、痛い痛い、いたいぃっ!」
頭を守るように両腕でかばい、足をバタつかせて叫ぶ。すぐに飛び起き、目を閉じたままの景の肩を揺すった。
「おい景! 目ぇ覚ませッ!」
「いやだ! いやだぁぁっ! あああああぁっ!」
景は目を閉じたまま起き上がった。夢遊病というやつだろうか。
本棚をなぎ倒し、テーブルに頭を打ち付け、錯乱状態で部屋をぐちゃぐちゃに荒らしていく。
「勝手に食べてごめんなさい! 次からは絶対しませんっ! 我慢するから……我慢するからぁぁっ!」
「景! 落ち着け! ……落ち着けってっ!」
泣き喚き暴れる景を止めようとしがみつく、が、体格差がありすぎて押さえきれない。
クソッ! 身体が入れ替わってさえいなければ──。
「おかあさん! おかあさん帰ってきてよぉっ! うわああぁっ!」
ひとしきり部屋を荒らした後、景はその場にうずくまって泣き叫ぶ。
その悲痛な叫びが、怯えきった姿が、親父に殴られていた頃の俺の姿と、ダブって見えた。
景の背をそっと抱きしめ、努めて優しく、語りかけるように囁く。
「大丈夫。もう大丈夫だから。もう誰も景に痛いことしないよ。だから……安心していいんだよ」
「大丈夫、大丈夫」と囁きながら、頭を優しく撫で続ける。
すると景はぴくりと身を震わせて泣き止み、次第に身体から力が抜け、すうすうと寝息が聞こえてきた。
昔親父に殴られた後、母さんがよくしてくれた慰め方だ。
景の母親は小さい頃に出ていったと言ってた。俺と違って、景には慰めてくれる誰かなんていなかった。
もし母親が傍にいてくれたなら、景は父親を殺すなんて経験、しなくて済んだんじゃないだろうか。
景は確かに人を殺した。それは言い逃れの出来ない大罪だ。
でも、こいつの心はきっと、とっくの昔に殺されてしまってたんだ。
今の景に必要なのは、薄っぺらい慰めの言葉でも、罪に対する罰でもない。
信頼できる大人や友達なんじゃないだろうか。
終わってしまったことは変えられない。
でも、景のこれからの人生を変えてやるくらいは、俺にだって出来るんじゃないか?
「瑛太さん。おはようございます」
翌朝、昨日暴飲暴食をしたせいか、少しむくんだ顔の景が朝の挨拶をしてきた。
「おはよう……お前さ。昨日の夜こと、覚えてるか?」
「夜? 晩御飯のことですか?」
演技じゃない。本当に覚えていないようだ。
景を布団に寝かせてから荒れ放題だった部屋は綺麗に片付けたし、気付かれないだろう。
「なんでもない。なあ、腹減った。朝飯食いたいんだけど」
「え、僕が作って……ええんですか?」
「新しい参考書届いたから、飯食ったらやるぞ」
「あ……はい」
あれだけやる気だったのに、気乗りしないような返事だ。でも、景がいくら嫌がろうが俺は景に勉強させるつもりだ。
これが俺が景にしてやれる──唯一のことだから。
景の作った朝食を食べて、俺は仕事を始め、景も参考書を開いた。
合間合間で質問されては解き方を教えてやっていると、順調に進んでいるようだった。
正直、まだ一昨日のことを完全に受け入れられたわけじゃない。顔を見ての会話は、まだぎこちなくなってしまうだろう。
今だって、お互い参考書に視線を落しているからコミュニケーションが成立しているようなもんだ。
もうすぐ昼休みに差し掛かろうとしていた時、景がぽつりと呟いた。
「瑛太さん」
「ん?」
「怒らんで聞いてくださいね?」
「なんだよ。改まって」
「僕って元の身体に戻ったら……刑務所行くんですよね?」
驚いて一瞬キーボードを叩く手が止まる。景の口から初めて未来の話が出た瞬間だった。
「刑法第41条には『14歳に満たない者の行為は、罰しない』ってのがあるけど……お前はギリ14超えっちゃってるから、まずは少年鑑別所に入って、処分が決まれば少年院に入ることになるだろうな」
「すごい。瑛太さんなんでも知ってるんですね?」
「……まあな」
俺も14の時に「景と同じことを考えてたからだ」とは、さすがに言えなかった。
「僕、瑛太さんのおかげで、勉強そこまで嫌いやないって分かったんやけど……どうせ逮捕されるんやったら。勉強なんかして、なんか意味あるんかなって。ちょっと思ってもうて」
意外だ。今まで元に戻った後のことは濁してばっかりだったのに。これはいい傾向なのかもしれない。
「少年院を出た後も人生は続くからな。そのうち自分で食っていかなきゃいけなくなるし、そうなったら学歴があるに越したことは無いだろ? 勉強しておいて損はねえと思う」
「でも、僕みたいな犯罪者、どこも雇ってくれへんと思う。ニュースにもなってもうてたし……だから僕、元の身体に戻った後、警察行かず、その辺の川に身を投げて死んだろうって思ってたんです。この先の人生どうなるんやろって考えたら、めちゃくちゃ怖くて……」
それは、景の本音からの不安の吐露だった。まだ何か言いたそうだ。俺は景の次の言葉を待つことにした。
「瑛太さん、家庭環境悪かったって言ってましたよね? もし良かったら、教えてほしいです」
「ああ。俺が小3の時に親父がリストラされて、それからずっと無職のアル中でさ。母さんと一緒になってよく殴られてたんだ。中3の時に蒸発して、それから音沙汰ないけど」
「……そうなんや」
ホッとしたように小さくため息を吐き、景は言葉を続けた。
「僕のお母さん。僕が七歳の誕生日におらんくなったんです。その日お母さんが、『二人で遊園地行こう』って誘ってくれて。当時お父さんとお母さんよお喧嘩しとったから、僕、めっちゃ嬉しかった。遊園地でお母さん、ずっとニコニコして、僕もめっちゃ楽しくて。夕方なって、最後にメリーゴーランド乗ったんです。馬に跨ってくるくる回りながら、僕はお母さんにずっと手を振って、でも、何周目かに見たらお母さん、おらんくなってて、代わりにお父さんが立っとった。それからお母さん……一回も家に、帰ってこんかったっ……」
ぽた、ぽたと、景の目から溢れ出た感情が参考書に落ちる。
俺はそれをじっと見つめながら、ただ静かに景の言葉を待った。
「僕、泣きながらお父さんに何回も聞いた。『お母さんいつになったら帰ってくるん?』『なんでお母さん、出ていったん?』って。お父さんはただじっと黙って、拳を握りしめたまま悲しそうな顔するだけやった。それから少ししてからや。お父さん、僕のこと殴るようになった。今までそんな事、一回も無かったのに……僕のせいなんかな? お父さん、お母さんと別れたんがショックやったのに、僕が攻めるみたいに言うたから……僕がもっと頑張って、お父さんとお母さんの仲を取り持ってたら……こんな事にはならんかったんかなって……っ」
「一事が万事、自分事だと捉えてると身が持たねえぞ。特にお前の場合はな」
「でも……でも僕がぁっ……っ」
「終わったことを嘆いたって、過去には戻れない。お前の罪だって消えないんだ。居なくなったやつの事なんて考えてる場合じゃねえだろ。今は自分の事だけ考えろ。お前の家庭環境は、情状酌量の余地が充分に考慮されるはずだ。きっとお前が思ってるより、世間はお前に同情してくれる。だからこれからどうするか。どうなりたいか。それだけ考えろ」
これがいわゆる「ストックホルム症候群」ってやつなのだろうか。分からないけれど、こいつを放っておけない気持ちがどんどん膨らんでいく。
どうせ身体が元に戻るまでは俺はここから出られない。だから俺は、自分の感情に、感覚に従うことにした。
「これは俺の経験則でしかないけど、『不安の原因の大半は知識と経験の不足』から来てる。つまりお前は、まだ識らないこと、分からないことだらけなんだよ。そして今まで考えることを放棄してきた。自分自身の劣悪な環境を『自分が悪いせいだ』と根拠もなく結論付けて、妄信的にその結論を信じてきた……でもな、違うんだ。お前が悪いわけじゃない。ただ単に『足りない』だけなんだよ。知識と経験は、この格差社会を生き抜くために与えられた、誰もが手にすることの出来る最強の武器だ。お前は飲み込みが早いしまだ若い。今から頑張っていれば、いくらでも取り返しがつくさ。どんどん勉強して、いろんな事に挑戦して自分を武装しろ。一人で生きていけるだけの力を手に入れて、この先の人生を立て直せ」
自分の環境に対して、なんで。どうしてなんて、過去の俺もずっと悩んで苦しんで、何千回と考え続けてきた。
これは景に言っているつもりで、過去の自分に対する言葉でもあった。
景の嗚咽が止み、顔を上げ、涙の滲む目がまっすぐ俺を捉える。
「ほんまですか? 勉強したらほんまに僕は……強くなれますか? 幸せになれますか?」
「なるよ。俺がその証拠だ。ま、お前の努力次第にはなるけどな」
景が目元を袖で拭う。泣き腫らした目に光が宿ったのが、はっきりと分かった。
「僕、勉強頑張ってみる。僕も瑛太さんみたいなかっこいい大人になりたいから、やる」
「ま、この家にいる間は俺がお前のサポートをしてやるよ。その代わり、これからも美味い飯作れよ?」
「はいっ!」
景はやる気に満ちた表情で姿勢を正してシャーペンを握り、参考書の続きをはじめた。
それを見届けてから、俺もPCに視線を移す。口元が自然と綻ぶ。
母さんはずっと働きづめで当然晩飯の用意なんかする余裕がなかったし、俺は俺で、家にいる間はほぼ勉強に時間を割いていたから、夕食はインスタントで済ませる事が多かった。
誰かの手料理を毎日食べるなんて、誰かが台所に立って自分の為に料理を作っているのを眺めるなんて、一体いつ振りだろうか。それすら思い出せなく程なのだ。
景には絶対口が避けても言わないけど、俺も景の存在に感謝している部分が、確かにある。
願わくば、この環境がずっと続けばいいのになんて、そんなあり得ないことを、俺は考え始めていた。
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