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俺とあいつの共同生活 9

 翌朝、俺達はいつものように「おはよう」の挨拶を交わし、朝ご飯を食べた。


 ニュース番組を見ながら談笑なんかを挟みつつ、「今日は参考書もやりきっちまったから、漫画でも読んで過ごすか」「へへ、やったぁ」なんて。


『昨日の約束』なんか無かったみたいに、俺も景も、何の変哲もない、いつも通りだった。


 もしかして、今日はこのまま何事もなく終わるんじゃないか?


 そうぼんやりと考えながら、二人でそれぞれ好きな漫画を読み耽っていた夕暮れ時、切り出したのは景からだった。



「瑛太さん」


「ん~?」


「そろそろ晩御飯、用意しますね」



 ゆったりとした。ズシンと重たい声だった。



「……俺も手伝う」


「え?」



 漫画に視線を落としたまま言うと、景が驚いた声を上げた。



「ええですよ。今日は僕が──」


「別にいいだろ。そういう気分なんだよ」



 読みかけの漫画をテーブルに置いて立ち上がる。

 キッチンに歩いていくと、景も戸惑いながら後を追ってきた。



 トントンと人参を角切りにしている俺の横で、景は豚肉をフライパンで炒めていた。今日のメニューはカレーだ。


 景と一緒に暮らすようになってから、俺の料理スキルはかなりレベルアップした。

 といっても初期値が1で、今が30って感じだから、日常的に自炊する人と比べたら、大したことは無いのだろうが。



「肉炒まったし、隣でじゃがいも剥きますね」


「ん、」



 景の手元を見る。するするとじゃがいもの皮を包丁で器用に剥いていた。

 あれは俺には到底出来そうにないな。


 景はずっと料理を作ってきたのだらう。たった一人で。自分に暴力を振るってくるクソみたいな父親の為に。



「……どうしたんですか? 瑛太さん」



 じっと見ていたせいだろう。景がこちらを不思議そうに見た。



「え、あ、いやー……なんでも」


「……そうですか」



 景はずっと浮かない顔だ。

 この後のことを考えているのだろう。こいつはかなりネガティブな奴だから。きっと『本当のこと』を話せば、俺が幻滅するとでも思ってる。

 父親を殺したって事実を受け入れてしまっている時点で、この後どんな情報が出てきたって、すべて今更なのに。


 歪で奇妙だけど、俺の中に確かに芽生え始めた、景に対する友情や親愛に似た感情。


 何を聞いたって、きっとそれが変わることは無いはずだ。



「なあ、景」


「なんですか?」


「この後もし何聞いたって、俺はさ──」


「俺は、なんですか?」


「……あー、やっぱ、なんでもない」



 酷く小っ恥ずかしいことを自分が口にしようとした事に気付いて恥ずかしくなり、俺は結局、続きを口にするのをやめた。



 カレーが完成し、米も炊けた。

 付け合せのサラダを用意し、よし食べるかとなったところで、景が奇妙な事を言い出した。



「僕の分は、床に置いて下さい」


「は? なんでだよ」


「お皿、床に置いてください」


「……これでいいのか?」



 あまりに奇妙な指示に首を傾げながら、言われた通りカレーの入った皿を床に置く。


 すると景はその前に背筋を正して正座し、三つ指を揃え、深く腰を折る。

 景の額が、フローリングの冷たい床にびたりとくっついた。



「お、おい景っ何やってんだよ!」


「いつも……ました」


「は?」


「僕はご飯を食べる時いつも、お父さんが『食っていいぞ』って言うまで、こうしてました。瑛太さんはそのまま、立ったまま僕を見下ろしててください」


「なんだよ、それ……!」


「ほんまのこと知りたいんですよね? それやったらやって見せた方が早いでしょ。言う通りにしてください」



 景の酷く冷めた言葉に、カレーに対して土下座するという、異様を通り越してもはやシュールな光景を、俺はただ呆然と見下ろすしかなかった。


 景は額をフローリングに押し付けたまま、言葉を続ける。



「お父様。僕みたいな愚図で低能な、犬畜生以下の存在価値しか無い人間に、いつもご飯を恵んでくださって、本当にありがとうございます。僕はいつだって、お父様に感謝してます。本当です」



 一切の感情を排除した機械的な声が、静かな部屋に響く。


 嫌な汗が全身から吹き出て、鼓動が早くなる。握りしめた掌に汗が滲み始めた。


 なんだ。何なんだよこれ。確かに最初の頃、景は俺が許可するまで飯を食わなかったけど。


 まさか、父親と暮らしている間中、毎日こんなことを──。



「瑛太さん。僕の頭を踏んでください」


「……は?」


「頭を踏みつけて『そうや。お前はあそこにいる犬以下の、畜生や。お前は一生俺に滅私奉公せなあかんのや』って、言ってください」


「……無理だ。そんな事、できない」


「じゃあええわ。『食っていいぞ』って言ってください」



 あまりにも想定していた『食事』とかけ離れた光景とやり取りに、膝が震えてくる。


 気持ち悪い。倫理観の終わってるこいつの父親も、そしてそれに慣れきって順応している景も。



「く、食って……いいぞ」



 震える声で俺がそう告げると、景はゆっくりと顔を上げ、そして四つん這いになり、そのままの体勢で、顔をカレー皿に沈めた。


 景がカレーを食べている。

 ガツガツ。ぐちゃぐちゃと。

 もちろんスプーンも、ましてや手も使っていない。


 まるで犬がそうするみたいに、顔をカレー皿に突っ込んで、口だけで。



「あ……あ、」



 あまりに異様な光景に思わず声が漏れるのと同時に、今までの事が頭を過ぎる。


 この部屋で一緒に過ごしてきた穏やかな時間、無邪気な笑顔、勉強頑張ってた横顔。


 その全てが今、目の前の壮絶な姿を前に、ガラガラと音を立てて崩れていく。


 気付けばカレー皿の中は空になっていた。景が顔を上げ、口元を袖で拭う。

 真っ白なTシャツの袖に、べったりとカレーがついた。


 そして景は再び姿勢を正し、三つ指揃え、深く深く腰を折って額をフローリングに押し付ける。



「……ありがとうございます。美味しくいただかせていただきました」



 絞り出すような声でそう言って、景は頭を上げる。

 その顔には、拭き残したカレーとともに、死相にも似た諦念が、べったりと張り付いていた。



「これが僕の、『いつもの食事』です。僕は犬以下の存在やから、お箸もスプーンも使うことも許されへんかった。三分以内に食べれへんかったら、全部吐くまで、お腹蹴られるんです。それが嫌で、はよ食べようと思って、そしたら……いつの間にかこの食べ方になってました」



『やっぱりちゃんとお箸使って食べるのって、ええですね』


 確か景は、最初の頃にそんな事を言っていた。でも、まさかこんな理由だったなんて──。


 唖然としたまま見下ろす俺を余所に、生気のない虚ろな濁った瞳を伏せたまま、景は薄ら笑いを浮かべて続ける。



「お父さんに食事の度にいっつも言われてた。『お前は犬以下の畜生や』って。僕もずっとそう思ってたんやけど……あの日なんか……なんか急に、ぷつんって切れて。気がついたら包丁握ってた。油断してたお父さんの背中を刺して、力ずくで押し倒して、それから刺しまくった。お父さん、すっかり怯えて泣いてて、『なんや、あんなに僕に偉そうにしてた癖に、殴ったら痛がるし、刺されたら血が出るんやな』って……めっちゃ嬉しかったなぁ。それに、楽しかった。僕が今まで受けた傷も、痛みも、コイツに全部返したろう。思い知らせたろうと思って。何回も、何十回も、動かんくなってもずーっと……」


「っう゛……!」



 あの日の光景と匂いが鮮明にフラッシュバックし、口元を押さえる。


 駄目だ。今は吐いてる場合じゃない。何か。何かこいつに言ってやらないと。


 逆流してきた胃の内容物をなんとか飲み込み、震える喉から声を絞り出す。



「でも、でもさ……犬は……シロは、お前がやったんじゃないんだろ? ……なあ、そうだよな?」



 俯いたままの景の肩が、ぴくりと震える。

 そして力なく微笑んで、首を横に振った。



「僕がやったんです。僕がこの手で……シロを滅多刺しにした」


「っ……なんでだよ。父親はまだ分かる。でもお前、言ってたじゃねえか。シロは可愛がってたって……何の罪もないのに、なんでっ!」


「好きやったけど、可愛かったけど、大切やったけど。それと同じくらい、憎かった。シロは、僕よりずっとお父さんに大事にされてたから。僕みたいに殴られたり、煙草押し付けられたり、一晩中怒鳴られたりされなかった。いつだって可愛がられて、笑顔を向けられて、愛されて、だから……血塗れの僕に心配して擦り寄ってくるシロが憎くて、憎たらしくて──」


「やめろ景っ! それ以上言うな!」



 叫んでも景の言葉は止まらない。

 血色を完全に失った青ざめた唇から、まるで刺さったナイフを引き抜いて漏れ出した血液のように、次々と言葉が溢れ出す。



「あんなに可愛がってたのに、好きやったのに、『死んだらええ』と思った。僕は、可愛くて大好きだったシロのことも、お父さんと同じように刺し殺した。キャンキャン悲鳴あげるシロを押さえつけて、力任せに包丁を振り下ろして……罪悪感なんか、微塵も感じへんかった。全部終わった時、心がすっと軽くなった。『やった。これで僕は自由になれる。幸せに生きていける』って。嬉しくて、嬉しくて、涙が止まらんくて。はよ逃げな、ここからから出えへんとって、洗面所行って、手についた血を洗い流して──」


「黙れってッ!!」


「……あはは。瑛太さんに全部バレてもうた……僕は、こういう人間なんです。瑛太さんは僕の事、なんか勘違いしとってくれたみたいやけど……ううん。ちゃうわ。僕が瑛太さんに『勘違いしてもらえるよう』に、演技しとったんや……僕は、ほんまの僕は──」



 そこまで言ってから、景はようやく俺を見上げ、ハッとする。


 そして酷く傷ついたように表情を崩し、消え入るように呟いた。



「瑛太さん。泣かせてもうて、ごめんなさい」



 その言葉で俺は、ようやく自分が泣いていることに気づいた。

 握りしめた拳には爪が食い込み、ぶるぶると震えていた。


 こいつの壮絶な環境に対しての同情の涙などでは、決して無かった。


 失望だ。どこまでも深く、決して拭い去ることの出来ない失望。



 俺はどこかで景を美化していたんだろう。


 こいつは虐待を受けていただけの善人で、父親を殺したのだって、命の危機を感じたとか、何かを守る為だとか、そういう高尚な理由があったからだと、どこかでそう信じていた。


 いや、信じたかったんだ。

 だってこいつは、俺に境遇が似ていたから。俺に対しては、ずっと優しかったから。


 今にして思い返せば、おかしかった。


 あんな惨状を招いたはずの包丁を、あいつは毎日平然と握り、肉を切り、魚を切り、料理をしていたのだから。普通の神経ならそんな事、出来るわけがない。



 やっぱりこいつは──ただの殺人鬼だ。


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