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俺とあいつの共同生活 6

「まあ呼び方なんてなんでも良いけどさ、それより約束守れよ? 食ったからには、土下座と正座一切禁止だからな」


「はい! 瑛太さんっ!」


「声がでけーよ……もうちょい控えめに」


「はい、瑛太さんっ」


「ゴホン。じゃあ景、俺はゆっくりしてるから、皿洗い頼んだぞ」


「はいっ」



 妙に良い返事が返ってくる。

 なんだろう、これ。『舎弟が出来たような気分』といったらいいんだろうか。まあ、悪くはない。





「おやすみなさい瑛太さん」


「ん、おやすみ」



 就寝の挨拶を返すと、背後で景が布団を被る音がした。

 ……そういや、最近冷えるな。暖房つけてるとはいえ、景は座布団を枕に、カーペットの上に夏用の掛け布団だけだ。寒くないのだろうか?


 ちらりと振り返ってみる。俺の心配とは裏腹に、景はすっかり寝息を立てていた。


 ローテーブルを端に寄せれば、もう一枚布団をひくことは可能だ。

 昼間は畳んで端に寄せていればいいし……明日にでもネットで買うか。



 翌日、パソコンでカチャカチャやっている俺の後ろで、景はベッドに座って漫画を読んでいた。


 電話する時は、あらかじめ喋る内容をパソコンにメモしてそれを読ませ、問い合わせがきたときはスピーカーモードにし、俺が電話口で聞こえない程度の小声で伝えた事をそのまま復唱する、という手法で誤魔化している。


 テレビでの景に関する報道もすっかり見なくなった。

 景が父親を殺した殺人犯だってことすら忘れてしまいそうな、穏やかな日々。


 順調そのものだが……なんか、重要なこと忘れてるような。



「景、そういやお前さ、勉強しなくていいの?」


「え? 勉強、ですか?」


「確か中2だっけか。そんくらいってサボると一番ヤバい時期だろ。参考書いるなら買ってこいよ」


「いやあ、勉強は~……別にええんとちゃうかな?」


「はぁ? 何言ってんだ。元に戻った時困るだろ」


「だって僕、元に戻っても学校行かんと少年院入るやろうし、その後やって……」


「その後は、何だよ?」


「…………」



 景は言葉を濁し、黙ってしまった。だが今までの呑気な表情と一変し、その伏せられた瞳は暗い。

 そう、暗く深く、一度入ればもう二度と抜け出すことのできない夜の海のように。途端に嫌な予感がした。



「駄目だっ!」



 思わずそう叫ぶと、景はびくりとし、目を丸くして俺を見た。



「瑛太さん、どうしたんですか?」


「あ……悪い。とにかく、今から参考書買ってこい。分からない所は俺が見てやるから」



 財布を渡すと、景は複雑そうな顔でそれを受け取り、渋々といった感じで出ていった。

 その後、買ってきた参考書を景にやらせたのだが……。



「お前さ。これ、マジか」


「……はい」


「あ、関西人特有のウケ狙いってやつか? 全然笑えねえけど」


「…………」



 ついさっき『正座禁止』と言ったばかりだったが、景はきっちりとした正座で項垂れており、俺もそれを注意する余裕もない。


 景が買ってきた中学二年の数学と国語の参考書。冒頭にあったテストをやらせた。つまりほぼ中一のおさらいだ。


 その結果が──まさかの0点。しかもどちらもだ。



「中1の勉強は大丈夫だったのか?」


「……たぶん」


「因数分解、分かる?」


「たしか、科学とかで使うやつ……でしたっけ?」


「……はぁ~」



 思わず頭を抱えると、景が申し訳無さそうにしゅんとする。



「まずは中一のドリルからやった方が良さそうだな……後で良さそうなの調べて買っとく」


「え? 瑛太さんが買いに行くんですか?」


「ちげーよ、ネットで買うんだ。まずはお前がどの程度の学力かをちゃんと把握しねえとな……覚悟しろよ、景」


「え……ええ?」


「分かったな?」



 俺が凄むと、景は気圧されたように頷いた。





 翌日、敷布団と毛布と枕。そして『世界一やさしい中一国語』と『世界一やさしい中一数学』が家に届いた。


 今日は土曜で仕事も休み。つまり付きっきりでスパルタに教えてやれるってことだ。

 机の上にある参考書に視線を落とし冷や汗をかいている景を、仁王立ちで見下ろす。



「景、覚悟はいいか? オレはできてる」


「う……」


「返事は?」


「……はい」



 景が観念したようにシャーペンを握り、俺がその正面に険しい顔付きで座る。

 そして俺達の、先の見えない渡航が始まった。



「よしっ、少し休憩するか」


「はぁ~疲れたあ~……」



 ぐったりと倒れ込んでいる景を眺めながら茶を啜る。

 開始して二時間、最初はどうなることかと思ったが、景は思っていたより飲み込みが早く、理解力もあった。


 この調子なら、中一のおさらいを終えるのはそう時間が掛からないかもしれない。



「瑛太さん、勉強教えるの上手ですね?」


「あー、大学の時家庭教師のバイトしてたからさ」


「そうなんやっ、すごいなぁ……」



 キラキラと尊敬のまなざしが俺を見上げる。まあ、悪い気はしない。



「ほら、ちょっとお菓子食って糖分摂取したら続きだぞ」


「はいっ!」



 なんだろう。この充実感は。正直に言ってしまえば、最近の生活はめちゃくちゃ楽しい。

 まあ、状況はぶっ飛んでるが。


 でも今までこんな充足を感じることはなかった。人の為に何かするのって、結構良いのかもな。


 テツさん、ハナさん、奏汰さん。家にたどり着くまでの道中で出会った人達はみんな、誰かの為に何かをする事の出来る人たちだった。


 あの人達もこの充足が心地よくて、そうしてたのだろうか。


 ……あれ? そういえば俺、奏汰さんと一ヶ月後に連絡して落ち合うって約束してたな。あの日から今で一週間。


 後三週間で元の身体に戻ることなんて、出来るのか?



 順調に勉強は進み、気付けば夕方になっていた。さすがに俺の方の集中力も切れてきた。今日はここまでだな。



「そろそろ今日は終わるか。お疲れ」


「はい! ありがとうございました。御飯作りますねっ」


「うん。頼む」



 肩をコキコキ鳴らそうとして、全く凝ってないことに気づく。さすが中学生、この程度の座学じゃびくともしねえのな。


 始める前の憂鬱そうな表情は何処へやら、景は上機嫌に鼻歌なんて歌いながら夕食の準備をしている。

 勉強自体が嫌いというわけではなさそうだ。ということは、やっぱり家庭環境のせいか。


 風呂に入るたびに嫌でも見ることになる、景の身体に残る痛ましい傷跡。

 目の前で上機嫌に鼻歌を歌っているこいつとのギャップが妙に心にズシンと来る。


 こういうの、あまり聞かないほうがいいんだろうけど。でも、



「なあ、景」


「なんですか?」


「お前さ。身体の傷、誰にやられたの?」


「お父さんですよ」



 即答だった。

 まあ、こいつは父親を刺殺したのだから、そうだろうとは察しがついていた。

 面食らっている俺をよそに、景はにこりとしながら続ける。



「僕の小さい時にお母さんが出ていって、それからずっと『しつけ』されてました。殴ったり蹴られたり、包丁で切られたり、煙草押し付けられたり。病院にも行かせてもらえへんくて、痛くて寝れんくて、泣きながら夜が明けるの待ったこともありました」


「……そっか」



 そう呟きながら、景のまっすぐな視線から逃れる為に参考書で顔を隠す。

 きっと今の俺は、苦虫を噛み潰したような顔をしているんだろう。自分から聞いといてそんな表情を見せるのは、最低だ。



「逃げようとか、思わなかった?」


「うーん。何処に逃げたらええんか分からんかったし、何処に行ってもお父さんが僕を見つけて、連れ戻すんじゃないかって考えてもうて……でももう『終わったこと』やし、あんまり気にしてへんですよ?」



 景はけろりとした声色でそう話す。だけど、平気なはずが無いんだ。

 同じような経験──それも景より数段マシな環境にいた俺ですら、地獄の日々だと感じていたのだから。


 たった一人で耐えていた景は、もっとずっと。



「どうしたんですか瑛太さん? 僕のやったとこ、間違ってるとこありました?」


「いや……大あくびこいてただけ」



 なんとか表情を取り繕い、顔を覆っていた参考書を机に置く。


 景の口から語られた断片的な真実。日常的に土下座と正座を強要されていたという、身体に染み付いていた事実。


 同じような境遇だったからこそ理解できてしまう、景の家庭環境の壮絶さと苦痛、恐怖。


 チクショウ。俺は何を浮かれてたんだ。

 こんな、勉強を教える程度のことで、一体景の何を救ってやれるってんだ。



 俺は景に一体、何が出来るっていうんだろう。


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