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俺とあいつの共同生活 5


 ばっと勢い良く景を振り返る。


 呑気にベッドに寝そべって漫画に夢中になっている景──もとい『俺の身体』の襟ぐりを引っ張り、目を丸くしてこちらを見る顔にジェスチャーで、『電話! 変われ!』と必死で合図する。


 景もさすがに察してすぐにスマホを受け取った。

 スピーカーモードを押し、俺も側で聞き耳を立てる。



「あ、あ~もしもしっ!」


『あれ? いつもの声に戻ったな。なんかあった?』


「あのーそれはっ、えーとお……」



 景が目を泳がせながらこっちを見る。風邪、風邪と口パクしてやった。



「あ、あのっ実はいまっ、ちょっと風邪引いてて……ゴホッゴホッ!」


『ああ、そういえば体調崩してるって言ってたね~。大丈夫? 今進行中のプロジェクトの事で質問あったんだけど。急いでないから、無理そうなら午後休取っていいよ?』


「午後休、ですか」



 こちらをちらりと見る景に、こくこくと頷きを返す。



「そ、そうですね! すみませんけどっそうします!」


『了解。ゆっくり休んでね。明日も無理そうなら、また連絡して~』


「はいっありがとうございます……はい、はい、失礼します」


 景が電話を切ったのを見て、ほっと胸を撫で下ろす。


 ……よかった。なんとか誤魔化せた。盲点だったつーか気が緩んでいたっつーか。リモートなら電話掛かってくるなんて、よくよく考えれば当たり前の事だよな。


 しばらく仕事をリモートにするにしても、電話が掛かってきたら対応しなきゃいけねえよな。もしかしたらウェブ会議あるかもしんねえし。



「景、ちょっと作戦会議するぞ」


「え? は、はいっ!」




「よし、今から作戦会議を始めるぞ」


「はい! よろしくお願いしますっ!」


「……お前、なんでちょっと楽しそうなんだよ?」


「作戦会議なんて初めてやから、ちょっとワクワクしてっ」



 ローテーブルを挟んで向かいあっている景は鼻息荒く、目をキラキラさせて俺を見ていた。

 しかもわざわざ緑茶と茶菓子まできっちり用意してあるし……。



「はぁ~……とりあえず、まずはその関西弁をなんとかしねえとな。さっきは誤魔化せたけど、その内ぜってー突っ込まれる」


「え? 敬語で喋ってたら、そんな出てへんと思うんですけど……」


「いやいや出てるわっ! それに言葉の端々が関西訛りになってんだよ!」


「え!? そうなんですか!?」



 どうやら自覚が無かったようだ。まあ、ずっと地元で過ごしてる中学生なら、周りが関西弁なんだから当たり前か。



「とりあえず、今からよく使うビジネス用語を標準語で叩き込んでやる。俺が言った通りに復唱しろよ?」


「は、はい!」


「いつもお世話になってます」


「ええと……いつもお世話になってます」


「イントネーションつけ過ぎだ。全部平坦にしてもう一回」


「い、いつもお世話に、なってます……」


「そうそうその調子。次行くぞ。『お疲れ様です。このファイル、確認して頂いてもいいですか?』」


「お、お疲れ様です。このファイル……確認してもらってもええですか?」


「めちゃくちゃ関西弁じゃねーか! 俺の言う通りに言えよっ!」


「ご……ごめんなさいっ!」



 景があわあわした後に土下座する。

 またこれだ。いくらなんでも大袈裟すぎる謝罪に、ため息が出た。



「前から思ってたけど、お前さ。謝るたびに土下座すんのと座るとき常に正座なの止めろよ。めっちゃ気になるんだけど」


「……すいません。いつもの癖で」


「いつもの癖?」


「お父さんにこうするように、ずっと言われてたから」



 俯き加減でぼそりと呟いた景の瞳は、夜の海のように暗く、一切の光が見当たらない程沈んでいた。

 思わずぎょっとすると、景は我に返ったようにハッとし、慌てて言葉を紡いだ。



「すみません。変なこと言うてっ」


「いや、別に変なことじゃ……」


「あ……」


「……とりあえず、今は標準語の練習しようぜ」


「はい。続き、お願いします」



 身体の傷、父親に強要されていた土下座と正座。


 もしかして景の家庭環境は、俺が想像しているものよりもずっと酷いものだったんじゃないかと、その時そう思った。




 それから数時間、標準語の特訓を続けて、景の関西訛りはようやく鳴りを潜めてきた。

 よし。これで会社から電話が掛かってきても対応できそうだ。



「はぁ~……ちょっと疲れました」


「おつかれ。今日はメシ俺が作るよ。なんかリクエストあるか?」


「え!? そんな、ええですよ。僕がっ──」


「ただし、条件がある」



 ビシッと目の前に人差し指を立てると、景は目を丸くして黙る。

 両足をぴっちりとつけ、背筋を伸ばして俺を見上げる景に、俺は言った。



「しばらく正座と土下座禁止。やったら罰金だからな」


「え、ええっ!?」


「で、なんかリクエストは?」


「そんなん、急に言われても……」



 しどろもどろしている景の腹が、ぐううと盛大に鳴る。景は恥ずかしそうに腹を押さえ、ぽそりと呟いた。



「……ばーぐ」


「は?」


「ハンバーグ。目玉焼き乗ったでっかいやつ……お腹いっぱい食べてみたいです」


「そんなんでいいのか?」



 景はちらりと俺を見上げた後、恥ずかしそうにこくんと頷いた。



「昔レストランのCMテレビで見て、ずっと憧れてて」


「……よし、分かった。じゃあこのリストにあるもん買ってきて」



 スマホでレシピを検索し、そこに書いてあった材料をメモして景に渡す。景はそれを困惑の表情で受け取った。



「ほんまにええんですか? 僕のためにわざわざ……」


「しつけえな。作るって言ってんだろーが。いいからさっさと買い物行って来いって」


「……はい」



 未だ戸惑いの表情の景は、俺から財布を受け取り買い物へ出掛けた。


 その背中を見送ってから、冷静に考える。なんで俺、柄にもないことしようとしてんだ?


 他人にメシを作るなんて、母親にすらしたことがない。こないだ景に昼飯作ってやったのが初めてだ。普段ロクに自炊もしないってのに。


 つーか、これ以上景と親しくなるのはマズい気がする。

 もしあいつの境遇に同情心が湧いてしまったら、元に戻った後の事を考えると、絶対憂鬱な気分になるに決まってる……でも、今は。



「はぁ……こんなはずじゃなかっただけどな」




「わぁ~……」



 景が目の前の巨大なハンバーグ(目玉焼き乗せ)に目をキラキラさせている。

 ちゃんと100均で卵を丸く焼ける型を用意したから、目玉焼きも手本のように綺麗な形だ。付け合せのサラダ(これは買ってきたやつを盛っただけ)と、味噌汁も用意しておいた。


 景みたいに栄養バランスを考えた美味い飯なんて作れない。今の俺には、これが精一杯だ。



「冷める前に食えよ。ついでに言っとくと、まだあるからな」


「ほんまに……ほんまに僕が食べてええんですか?」


「あーもう、いいから黙って食えって」


「じゃあ、いただきますっ!」


「ちょい待て。その前に、足」


「え? ……あ、」



 俺が指摘すると、景は足を見てハッとし、慌てて足を崩し、ぎこちなくあぐらに変えた。



「これでええですか?」


「うん。オッケー」


「じゃあ改めて……いただきます!」



 景は満面の笑みで手を合わせ、食べ始める。俺の姿で、子供みたいに顔をほころばせ、大口を開けてもぐもぐと。

 それはもう、この世で一番美味いものを食べるみたいに。


 以前の俺なら、普段の自分とのギャップにしかめっ面になっていたものだが、今は、なんだろう。

 なんとなく、悪い気はしなかった。



「はぁ~……ごちそうさまでした」


「はいはい、お粗末さん」



 景は至福の表情で腹をさすり、しきりに「幸せやぁ」とこぼしていた。

 それを見ながら俺も残りのハンバーグをつまむ。


 我ながら美味いと思うのは、俺の料理スキルが思っていたより高いからなのか、それとも、景が俺の顔色を伺うこともせずに夢中で飯を食ったことに達成感を得たからなのか。

 まあこの際どっちでもいい。とりあえずよくやった、俺。



「ほんまにありがとうございました。こんな事してもらったん、初めてや。今度は僕が、瑛太さんの好きなもん作りますね!」


「……?」


「? どうしたんですか、瑛太さん」


「いや、なんか、急に下の名前で呼ばれたから」


「あ、」



 景はハッとしたように口元を押さえ、そして真剣な顔を作って、俺をじっと見つめる。



「あの、吉田さん」


「何だよ」


「これから吉田さんのこと……『瑛太さん』って呼んでもええですか?」


「はぁ。別に勝手に呼べよ」


「やった!」



 景は心底嬉しそうにガッツポーズし、二人分の食器を持って立ち上がる。



「食器洗いは任せてくださいねっ、瑛太さん!」


「はいはい」


「洗い終わったら緑茶淹れますねっ、瑛太さん!」


「あ~もう、一々名前を付け加えるな! 二人しかいねえんだから分かるわっ!」


「はは、瑛太さんがツッコんだ。瑛太さんも僕とおんなじ、立派な関西人ですね!」


「お前なぁ……」



 なんだ? 景の雰囲気が急に変わった。

 引っ込み思案で陰気な感じが、綺麗さっぱり無くなったような。


 果たしてこれは、いい傾向なのか?

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