俺とあいつの共同生活 4
翌朝。
景の作った朝食とコーヒーをお供にして、在宅で作業するための環境設定をノートPCに施した後、さっそく仕事を始めた。
カタカタとキーボードを叩く音と、俺がコーヒーを啜る音だけが室内に響く。静かだ。……不自然なほどに。
「……おい」
「はいっ」
PCに目を向けたまま、俺の前に座りチラチラとこちらを見ている景に、声を掛ける。
景は朝食を用意してから、何をするでもなく、ずっと俺の真正面に正座し、そわそわしているのだ。
気になる。気になりすぎる……こんな状況で仕事に集中しろって方が無理な話だろう。
「好きなことしてろよ。ずっと見られてると気になって仕事できねーって」
「あっすいません……何したら良いか、分からんくて」
あ~そうだ……こいつはそういう奴だったな。仕方なく壁際にある本棚を指差す。
「ほら、あそこにある漫画。好きに読んどけ。ベッド使っていいから」
「わあ……はい。わかりましたっ」
景は途端に目をキラキラさせ、立ち上がる。
そして散々本棚を吟味した後、数冊手にとってベッドに座り、読み始めた。
ふう……これでやっと仕事に集中できる。
パラパラと漫画を捲る音と、キーボードを叩く音だけが数時間続く。
ちらりと画面の左下を見ると、時刻はもうすぐ十二時だった。
「なあ景、そろそろ昼飯用意してくれるか?」
「…………」
「?」
返事が無くて振り返ると、景はベッドの上で正座したまま、真剣な表情で漫画を読んでいた。
なんだ、そんな難しい話読んでんのか? 気になって表紙を見る。それは子供向けのギャグ漫画だった。
再び景の顔を見る。やはり見たこと無いほど真剣な表情だ。
この漫画に、そんな顔して読む箇所あったか? 内容を思い返してみたが、全く検討がつかない。
しかしこんなに没頭している所に水を差すのも悪いし……仕方ない。今日は俺が作るか。
「景、昼飯出来たぞ。おーい」
「えっ? あっすみません! なんですか!?」
顔を覗き込むと、景はやっと気づいたようにびくりと顔を上げる。
「昼飯作ったから、食おうぜ」
そしてテーブルの上にある昼飯を見て、心底驚いた顔になった。
「これ、吉田さんが……? すいません。僕、漫画読むのに夢中になっててっ!」
「いいって、ほら、準備してやるから座っとけ」
「え? ……はい」
景は所在なげに座り込む。俺も二人分の配膳をして座った。
俺が「いただきます」と手を合わせると、景もぎこちなく手を合わせて「いただきます」と言い、そして箸を持つ。
そしてここに来て初めて、景が俺からの許可を待たずに食べ始めた。うん。これは進歩だな。
それを見届けて、俺も食べ始める。
表面が少し……いや、かなり焦げてしまった、形も歪な卵焼きを口に放り込む。砂糖を入れすぎてしまったようで、かなり甘ったるかった。
仕方がない。普段はコンビニやスーパーで買った弁当で済ませていて、自炊なんて滅多にしないから、料理なんて久々にしたのだ。
しかめっ面で咀嚼していると、景も少し焦げた卵焼きを箸で一口大に丁寧に切り分け、口へ運ぶ。
そして噛みしめるようにもぐもぐと咀嚼し、ぱっと表情を明るくした。
「わ……美味しいです。吉田さん、料理上手なんですね?」
「そういうお世辞はいいって、どう考えてもお前の作ったやつの方が美味いだろ」
「美味しいですよ。吉田さんの卵焼き、甘いやつなんや」
「まあ、母さんが作るのがそうだったから」
顔色を窺うようにチラリと見る。景は少し寂しそうな表情をしていた。
「人の作ってくれたご飯って、美味しいですよね」
ぽつりとさみしげに呟いて、景は続けた。
「いつも家では僕がご飯作ってるんですけど。近所の優しいおばちゃんが、たまにおすそ分けしに来てくれるんです。それがいっつも美味しくて……カレーが特に、めちゃくちゃ美味しかったなぁ」
そういえばこいつと身体が入れ替わった時、おばちゃんがタッパーでカレーを持ってきてたな。
あの時確か「お父さんと食べて」と言っていた。やっぱりこいつ、母親がいないのか?
「そういや随分熱心に読んでたけど、あの漫画、そんな気に入ったのか?」
「あ、はい。僕、漫画ってあんまり読んだこと無かったから、面白くて」
「へえ……家に無かったとか?」
「はい。お父さんが、そういうの許してくれんくて」
漫画すら許されないって、相当厳しい父親だったんだな。
まあ、虐待してる時点でマトモな親じゃないのは確かだが。
「僕、おもろい人になりたいんです。それで参考にしようって、頑張って読んでました」
「……なんじゃそりゃ」
「学校では、おもろい人の周りに人がいっぱいおって、羨ましいな~って思ってたから」
「ああ、お前、友達いねえの?」
確信しながらそう問うと、景はぎくりとして固まった。どうやら図星だったようだ
「別に気にすることじゃねーだろ。俺も学校では殆どぼっちみたいなもんだったし」
「え、そうなんですか?」
意外そうな表情の景に、俺は頷きを返した。
「俺も家がけっこう大変でさ。その状況から抜け出したくて、小中高とずっと勉強してたんだ。その場しのぎの友達しか作らず、部活も入らず、青春そっちのけでな。その努力の甲斐あって、今がサイコーなんだけどさ」
「へえ……そうなんやぁ」
その瞬間、景の俺を見る目が変わったような気がした。
今までは柔和ながらもどこか警戒心というか、壁を残しているような雰囲気があったけど、それが取っ払われたような。
「吉田さんは……なんで僕に、こんな優しくしてくれるんですか?」
「は?」
優しく? そんな風に接した覚えはない。
どちらかというと、身体が入れ替わって迷惑被ったという事を免罪符に、三食飯を作らせて家事も全部任せっきりにして、便利に使ってるだけなんだけど。
「だって、僕のせいでいっぱい迷惑掛けてるのに、こんな風に色々してもらって。昨日なんか、吉田さんが食べるはずやったプリンまでくれたし。どうやって返したらええんかってずっと考えてるけど……分からんくて」
「いや、そんくらいの事……」
『アタシに返さんでええんよ。瑛太くんが大人になった時、同じように困ってる子に返してあげたら、それでええねん』
ついこの間、俺が言ってもらった言葉を思い出した。ハナさんの優しい笑顔。強くて優しい──輝く笑顔を。
そうだ。俺もあの時こいつと同じ気持ちだったんだ。だったら言うことは決まってる。
「……俺は別に、お前に優しくしたつもりは無いけど。でもまあ、そういうのはさ。別に俺に返す必要、無いんじゃない?」
「え?」
「例えばほら……ずっと先の未来で、お前と同じように悩んでる奴に、返すとかさ?」
途中で耐えきれず、俯いてしまった。
駄目だ。自分で言っててめちゃくちゃ恥ずかしい。ハナさんみたいに上手くは到底言えなかった。
あまり人と関わらずに生きてきた代償、経験値不足のせいだろう。
景はきっと「、急に何言ってんだコイツ?」と思っていることだろう。様子を窺うように顔を上げる。
予想とは裏腹に、キラキラした目で俺を見ていた。
「すごい……すごいですね吉田さん! 僕、感動しましたっ!」
「え、あ、そう? ……フン。だろ?」
完全にハナさんの受け売りだが、どうやら景の心には響いたようだ。
中学生ってこんなチョロかったっけ……いや、こいつが純粋過ぎるだけか。
適当に言った言葉とはいえ、ここまで尊敬の眼差しで見られると、さすがに気分が良くなってくる。
「すごいなぁ……僕も吉田さんみたいな大人に、なりたかったなぁ」
「今から目指せばいいじゃねえか? この俺みたいな大人をな」
「……駄目ですよ。僕は」
「え?」
「ごちそうさまです。食器洗いは僕がやるんで、置いといて下さい」
「お、おう……」
「吉田さんが食べ終わるまで、漫画の続き読んでますね」と、景はベッドに戻っていった。
その笑顔が寂しそうに見えたのは──気のせいだろうか?
昼飯を食べて、少し食休みしてからまた仕事を再開する。
リモートでの仕事はあまり経験が無いからどうなることかと思ったが、質問はチャットやメールでやり取りできるし、今のところかなり順調だ。
なんだよ。身体が入れ替わってても、けっこう普通に出来るな。この分ならしばらく仕事は休まずにいけそうだ。
気付けばあっという間に定時の5分前だ。
よし、今日は無事に業務終了だ。んー、と伸びをしていると携帯が鳴る。
画面を見ると俺の直属の上司、田崎さんからだった。
「はい、吉田です」
『……え、吉田くん?』
「はい」
『本当に?』
「当たり前じゃないっすか。何をそんな疑ってるんですか?」
『いや、なんか、声がいつもと違う気がするんだけど……』
「え? ……ハッ!」
電話口からは田崎さんの酷く困惑した声。その原因にようやく気づき、血の気がさあと引いていく。
やばい! 身体入れ替わってんの、完全に忘れてた──!?




