俺とあいつの共同生活 3
「なあ、この調子だと元に戻るのに時間かかりそうだし、暫く共同生活する事になるだろ? お互いについての情報を共有しておこうぜ」
食休み中にそう言うと、景は「そうか。そうですよね」と了承した。
「俺は吉田瑛太、社会人二年目の二十四歳、見ての通り独身の一人暮らし。職場は、まあお前も昨日行ったから知ってるだろうけど、誰でも知ってる一流企業だ。職場でもそこそこ評価されてるし、人間関係も良好。将来安泰、順風満帆って感じだな。家族は母さんだけで、仲は普通……とまあ、こんなところだな」
これから一緒に暮らしていくにしては、景に関しての情報が少なすぎる。父親を殺したことも、身体の痣のことも、色々と気になる要素があるし、これは相手を探る為でもあった。
さあ、こっちはそれなりに情報を与えたぞ。お前も応えろよ。
「僕は、早見景です。大阪に住んでる中学二年生で、十四歳です……不束者ですが、よろしくお願いします」
「……え、自己紹介それだけ?」
「はい」
「いやほら、家族構成とか部活とかさ、もっと他に何か無いのかよ?」
「……一緒に生活するだけなら、その情報は要らんかな、と思って」
景の顔から柔和な表情が消え、逃げるように目を伏せる。声色も冷めきっていた。
壁を感じる。ちょっとやそっとでは超えられなさそうな、大きな壁を。
どうやら自分に関する情報は、相当言いたくないみたいだ。あまり踏み込みすぎると、余計に意固地になって、何も話さなくなりそうだ。
「よし、分かった。じゃあこれだけは答えろよ。俺にとっても必要だし、かなり重要な情報だからな……景、お前は本当に──父親を殺したのか?」
景の膝に乗っている拳がぴくりと動く。しかし顔を上げようとしない。
返答を待っていると、しばらく間があって、景が顔を上げ、にこりと微笑んだ。
「殺しましたよ、お父さんのこと。僕がこの手で、包丁で何度も何度も刺して……殺しました」
そう言って、両の手のひらを見せてくる。
笑っているが、細められた目は苦しげに歪んでいて、口元も無理矢理釣り上げたようでかなりチグハグで、疲れたような、全てを諦めたような笑顔。
その笑顔に見覚えがあった俺は、胸が締め付けられるように痛んだし、こいつが事実を言っているという事も理解できた。
景の身体にあった痣と、煙草を押し付けられた跡。見た瞬間から、まあそうだろうとは思っていた。
でも……ああ、そうか。やっぱりこいつも、父親に──。
「そうか、分かった」
「あっ、あの、安心して下さいね? 僕は吉田さんに危害を加えるような事、絶対しませんからっ。それだけは、神様に誓って約束します」
「はいはい。どうせ『今の俺』じゃ、お前相手に力では敵わないしな」
「怖くなっちゃいましたか? 僕のこと」
「別に。でもまあ、お互いこれ以上踏み込まないほうが良いってことは、よく分かった」
「……ごめんなさい」
「謝んなよ。鬱陶しい」
自分から聞いたはずなのに、どうしてこんなにも腹立たしいんだろう。
俺だって、ガキの頃から親父にしこたま怒鳴られて、殴ったり蹴られたりしてきたし、母さんが暴力振るわれてる所も数え切れないくらい見てきた。
正直『こいつと同じような事』を考えた事だって、何度もある。
でも毎回、最後の最後で踏みとどまって自分なりに努力を重ねてきたから、今の安定した生活を手に入れたんだ。
父親を殺した景の気持ちは理解できる。だが思考と実行は全くの別物だ。
俺が超えなかった一線の外側に、こいつはいる。
俺と景は──似ているようで全く違う。
「風呂入ってくる。食器は後で俺が洗うから、置いといて」
「大丈夫ですよ。僕が洗います」
「置いとけって言ってんだろ!」
まずい。怒鳴るようになってしまった。
我に返って振り返ると、景は頭を抱えるようにして、その場にしゃがみこんでいた。
「ごめんなさいっ……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ……!」
ガタガタと身を震わせ謝罪の言葉を繰り返すその姿が、過去の自分と重なる。
親父に殴られ、怒鳴られ、何も出来ずに泣いていた──ガキの頃の自分と。
怯えている景に声すら掛けず、俺はその場から逃げるように風呂場へと向かった。
始まりは突然だった。
いつも笑顔のお父さんが、その日はすごく怒った顔をして、お酒をたくさん飲んで、大きな声でお母さんに怒鳴っていた。
カン! カン!
怒鳴り声と一緒に、テーブルにお酒の缶を叩きつける嫌な音がリビングに響く。
僕はどうしたらいいのか分からず、ただ二人の様子を、突っ立ったままじっと見ていた。
お父さんの声がどんどん大きくなっていって、ついにお母さんの胸ぐらを掴んだ。
それを見た僕は駆け出す。お母さんを守らなきゃって、そう思ったから。
胸ぐらを掴んでいる太い腕にしがみついて、僕は叫ぶ。
「止めてよお父さんっ! やめてっ!」
「煩い!」
お父さんが怒鳴った瞬間、頬に衝撃を感じて、僕の身体が吹き飛ぶ。
ドタンと音を立てて、僕はフローリングに転がった。
熱さと痛みで頬がジンジンしている。どうやら僕は、お父さんに頬をぶたれたらしかった。
痛みでヒリつく頬を撫で、フローリングに突っ伏しながら、お母さんの泣き叫ぶ声を聞く。
お父さんに殴られたのは、それが初めてだった。
休みの日はいつも僕と遊んでくれた。僕が戦隊ごっこをしても、決してやり返してこなかった。
そのお父さんが、僕を殴ったんだ。
その事実に気付いて、僕は呆然とする。
ただ、殴られた頬が熱くて、それと同じくらい目頭が熱くなって、その後涙がずっと止まらなかった。
それだけは、大人になった今でも──鮮明に覚えてる。
風呂に入ってようやく冷静になった俺は、意を決して脱衣所のドアを開く。
正座しながら姿勢を正し、じっと下を見ていた景の身体が、分かりやすいくらいびくりとした。
タオルで髪を拭きながらその横を通り過ぎ、台所へ向かう。
コップに水道水を一杯入れて飲み干し、冷蔵庫を開ける。昨日景に買ってきてもらったプリンがあった。
……よし、これでいいか。
プリンを持ってローテーブルに戻り、景の前にトンと置く。
すると景は驚いたように顔を上げ、俺を見た。まっすぐな視線に少し気まずくなり、目を逸らす。
「さっきは悪かった」
とりあえずそう一言だけ告げて、逃げるように台所に行って皿洗いを始める。
……これ、ちゃんと謝ったことになるよな? 大丈夫だよな? 職場以外で人に謝るってことをあまりしたことが無いから、これが正解なのかよく分からない。
「吉田さん」
声に振り返ると、景がプリンを手に戸惑った顔で立っていた。
「なんだよ」
「あの、これ……どうしたらええんですか?」
「は? 食ったらいいだろ」
「え、僕が食べてええんですか?」
「はあ? 当たり前だろ。一々くだらねえ事聞いてんじゃねえよ」と言ってやりたくなったが、そこはぐっと堪える。
代わりにため息を一つ吐いて、箸立てにあったスプーンを取り出し、景に差し出す。
「ほら」
「あ……ありがとうございます」
スプーンを手に、景は大人しくテーブルに戻っていった。カチャカチャと食器を洗いながら盗み見ると、景は正座したまま、もくもくとプリンを食べていた。
さっきまでの怯えた雰囲気は消えている。よく分からんが、これで一応和解したってことにはなったよな?
「明日仕事だし、俺はそろそろ寝るわ」
「じゃあ僕も寝ます」
「ん、」
リモコンで電気を消し、ベッドに入る。景もカーペットに寝転び、布団を被った。
「あの、吉田さん」
「ん?」
「さっきは変なとこ見せちゃってごめんなさい。プリン美味しかったです。おやすみなさい」
「はいはいおやすみ」
「あの、やっぱもう一個ええですか?」
「……今度は何だよ」
「えっと、いつも僕に優しくしてくれて、ありがとうございます。僕、身体が入れ替わったんが吉田さんで良かったなって、そう思ってます」
「……あっそ。こっちはいい迷惑だっつの」
「そ、そうですよね……ごめんなさい。今度こそ、おやすみなさい」
寝付けず数分ゴロゴロしているうちに、景の寝息が聞こえてきた。
すー、すーと、規則正しく穏やかな寝息だ。
羨ましいくらいの入眠速度だ。
よっぽど疲れているのか、それとも安心しているからなのか。どっちなんだろう。
風呂に入る時に改めて景の全身を見たが、痣や火傷の跡は服で隠れる場所ばかりに集中していた。
十中八九、あの跡は父親がやったものだろう。
随分古い傷も、新しい傷もあった。こいつは一体どのくらいの間、父親に暴力をふるわれていたんだろう。
景が暴力を受けている間、母親は一体何をしていたんだ。そもそも母親はいるのだろうか?
俺はどうして、こいつの事をこんなに気にしてるんだろう。
同じような境遇の奴に初めて出会ったから? こいつが俺の出来なかった事を『成し遂げた』から?
今まで自分を虐げてきた人間を、自らの手でぐちゃぐちゃにする感覚は、どんなだった?
お前。元の身体に戻ったら、どうやって生きていくんだ?
ガシガシと頭を掻いて布団を頭で被る。
やるせなさを感じる。情が湧いたのかもしれない。良くない傾向だ。
あんなに美味い飯が作れるのに、天真爛漫で気弱な奴なのに。景は父親を殺したんだ。それ相応の罰が待ってる。
どこに居たとしても、あいつには『殺人犯』というレッテルが──一生ついて回るんだ。
「はぁ……やなこと考えさせやがって」
逮捕されるのも殺人犯のレッテル貼られるのも自業自得だろ。あいつが自分でやったことなんだから。
身体が元に戻れば俺には関係無いんだ。だから……さっさと元に戻れよ、はやく。




