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俺とあいつの共同生活 1

 が、いつまで経っても痛みはやって来なかった。状況確認のため、恐る恐る目を開ける。


 すると『俺の身体』──景は、三つ指を揃えて蹲るようにフローリングに頭を伏せていた。


 まるでお手本のような完璧なフォーム。これは……土下座だよな?



「すみません」


「え?」


「本当に……申し訳ありませんでしたっ!」



 額をフローリングに押し付け、景が叫ぶ。


 え、なんだこの状況……こいつ、俺の事殺そうとしてたんじゃ?



「え、なに……なんで?」


「あのっほんとに僕……身体が入れ替わったせいで、吉田さんにいっぱい迷惑かけてっ……なんてお詫びしたらええんか。分からんくてっ……」



 フローリングに頭を擦りつけたまま、景は謝罪の言葉を紡ぐ。その姿を見て俺は、さっきまで怯えていたのが嘘みたいに、すっかり冷静になってしまっていた。


 なんだこいつ……俺、こんな奴相手にビクついてたってのか? 

 それを認識した瞬間、怒りがふつふつと湧いてきた。



「いや、顔上げろよ」


「だって!」


「勘違いすんな。『俺』の身体でみっともない真似止めろっつってんだよ」


「っあ……!」



 ようやく理解したようだ。景が慌てて顔を上げる。

 俺は立ち上がって腕を組み、「ごめんなさい」「ごめんなさい」と目の前でみっともないくらいあたふたする『俺の身体』──もとい景を、眉間にシワを寄せて睨み下ろした。



「なあ。お前さ……俺がお前のせいでどんだけ苦労したか、分かってる? 今だって、証拠隠滅の為にお前に殺されるんじゃないかって、気が気じゃなかったんだけど?」


「そ、そんなっ……僕が吉田さんにそんな事するわけないですよ!」


「んなのこっちからしたら分かんねーんだよ!」



 だんとフローリングを踏みしめて威嚇すると、景はびくりと身を震わせ、途端に涙目になる。そこでようやく我に返った。


 まずい。今は深夜だ。あんまり騒ぐと隣に不審に思われる。

 すっかり怯えきってしまっている景を宥めるように、トーンを落として声を掛ける。



「とにかく、リビング行って話するぞ」


「あっ……はい」



「……どうぞ」



 俺が座椅子にどかりと座り込むと、景がお茶をコップに注いでテーブルに置く。

 そして身体を縮こませて正座し、顔色を窺うようにじっと見てきた。


 俺はそれを横目で睨み、冷えたお茶を一気に飲み干し、わざと乱雑にコップを置く。



「で、どうすんだよ」


「え?」


「元の身体に戻るための方法、当然何か考えてるんだよな?」


「えっ、そんな、急に言われても……」


「言ってただろうが。身体が入れ替わったのはお前が『誰か助けて』って願ったせいだって。じゃあこの状況、お前が何とかしろよ」


「な、なんとか、ですか……」



 景は俯いて考え込み出す。うんうんと唸ってはいるが、きっと解決策など何も考えていなかったのだろう。

 思わずため息が口をついて出た。



「はぁ……今日はもういい。俺は今めちゃくちゃ疲れてるから、風呂入って寝る。ベッド使うのは……当然俺だからな?」


「あっはい。それは勿論ですっ! 僕は床で寝ます」



 本当なら外で寝ろと言いたい所だが……なんせ俺の身体だし、あんまり雑に扱うと、後々元に戻った時に支障がありそうだ。


 ふん、と鼻を鳴らして脱衣所へ向かう。

 数日ぶりの風呂だ。本当なら湯を張ってゆっくり浸かりたい所だけど……疲労感が半端ないからシャワーで身体を綺麗にしてさっさと寝よう。



 ふと洗面台の鏡に映る自分の顔を見る。ぱっちりした大きな瞳、サラサラの黒髪、小さな唇。改めて見ると、中性的でかなり整った顔だ。

 足も速かったし長時間走り続ける体力もあった。



 運動もできて見た目も良くて、それなのに……どうしてこいつは、親なんか殺したんだ?



 汗と汚れだらけのパーカーを脱いで再び鏡に視線を移した瞬間、ぎょっとして目を剥く。



「なんだよ、これ」



 紫、青、緑。何の話をしているかといえば、痣だ。

 上半身の至る所に、色とりどりの痣がある。腕には根性焼きの跡らしきものすら点在していた。



 これは何だ? 一体……誰にやられたんだ?



 シャワーを浴び、洗濯機の上に設置している棚に手を伸ばし、衣類を取る。

 下着は伸縮性があるからなんとかなるとして、Tシャツはブカブカで袖を折らなくちゃならないし、ズボンも裾がだいぶ余る。


 ウエストのゴム紐を調整すればギリ着れたが……もしこの身体でいる期間が長引きそうなら、こいつの身体に合わせた服を買わないと、不便だな。




 脱衣所を出ると、景は相変わらず正座したままで、俺が出てくるなりピッと姿勢を正した。




「お前も入れば?」



「あ、僕は、もう入りましたから」



「……あっそ」




 正座したままの景をスルーし、キッチンで水道水を一杯飲み、電気を消して布団に潜り込む。

 痣のことは黙っておいた。今は聞くタイミングじゃないだろう。つーか、こいつが誰に何されてようが、俺には関係ないことだし。




「いつまで正座してるつもりなんだよ。お前もさっさと寝ろ」




 背中越しに声を掛けると、「あ、はい」と返事があって、景がカーペットに寝そべる気配がした。




「夏用の掛け布団、そこのクローゼットにあるから使いたかったら使え」



「あ……ありがとうございます」




 別にこいつの為じゃない。俺の身体の為だ。風邪なんて引いたらたまったもんじゃないからだ。


 ガラガラとクローゼットが開く音がし、しばらくすると景が再び寝そべる気配。




「あの、吉田さん……おやすみなさい」




 遠慮がちな声に返事をしないまま、目を閉じる。

 ああ、やっぱり家のベッドが一番落ち着く。柔らかいマットレスに身体が沈み込んでいくような感覚とともに、一瞬にして意識が落ちた。




 次に目が覚めた時には、すっかり朝になっていた。頭がかなりすっきりしていて、身体も軽い。

 今までの人生で一番熟睡出来たかもしれない。



 ふと、いい匂いが鼻をくすぐる。味噌汁の香りだ。あと卵焼きの匂いもする……やべえ、腹減った。


 起き上がると、景が台所に立っていた。俺に気づいたのか、くるりと振り返る。




「あ、吉田さん。おはようございます」



「なんか作ってんの?」



「はい。朝ごはん、食べるかと思って」



「……はぁ」




 のそりと布団を抜け出し、歯磨きと洗顔をしに洗面所へ向かう。

 いつも使っている歯ブラシに歯磨き粉を出し、口に入れそうになったが、(すんで)のところで我に返り、新しい歯ブラシを出して事なきを得た。


 戻るとテーブルに朝食の用意がされていた。



 わかめと葱の入ったシンプルな味噌汁と、綺麗に巻かれただし巻き卵、そして炊きたて艶のある白米が、半円を描くように形を整えて器に盛られていた。




「これ。お前が作ったの?」



「はい。冷蔵庫にあったもの使っただけやから、大したものじゃないんですけど……」




 ま、男子中学生の作ったもんだし、見掛け倒しだろう。

 座椅子に腰掛けた瞬間、ぐうと腹が盛大に鳴ったが、ごほんと咳払いして誤魔化した。



 俺はまだこいつを信用した訳じゃない。毒が入っている可能性だってあるのだ。




「……いただきます」




 恐る恐る味噌汁に口をつけ、少し口に含む。めちゃくちゃ美味かった。

 いつも飲んでるインスタントの味噌汁や、飲食店の付け合せで出てくるやつとはまるで別物だ。奥深い味わいで、濃すぎず薄すぎず、起きぬけの身体に優しく染み渡る。



 味噌汁が誘い水になり、食欲が急速に湧いてくる。

 一口大に切ってある卵焼きを箸で取り、食べる。ふんわりした卵焼きだ。噛んだ瞬間じゅわりと出汁が溢れ出し、上品な味が口の中に広がる。

 一度上司に連れて行ってもらった料亭で食べたものと遜色ない、いや、それよりも美味いと思った。




「なあ」



「はい?」



「これ、全部食べていい?」



「え、はい。吉田さんの為に作ったんで」



「……あっそ」




 俺は自炊はしない主義だ。作るのも皿洗いも面倒だし、コンビニに行けばなんだってあるから。だから手料理を食べる機会なんてそうそう無い。

 そのせいだろうか……やばい。美味い。美味すぎる。


 俺は一度も箸を置くこと無く、テーブルにあった料理を、一つ残らず、米粒一つ残さず全て平らげた。ついでに言うと、ご飯のおかわりも頼んだ。




「ふー……食った食った」



「お茶入れましょうか?」



「あ~頼むわ」




 座椅子にもたれて腹をさすっていると、景が食器を下げ、緑茶の準備を始める。

 あ~美味かった。やっぱ手料理って最高だな。




「お昼は何食べたいですか?」



「ん~そうだな。ピーマンの肉詰めとか食いたいかも」



「分かりました。後で買い物行ってきますね~」




 のほほんとした空気に流され、テレビをつける。何か忘れている気がするな。何かとても大事なことを。



「おまたせしました」と景が湯呑を二つ持ってきた。

 それを受け取り、二人で緑茶をすする。身体が温まり、ほっとした。




「緑茶飲んでるとさ、せんべい食べたくなるよな」



「あ、後で買ってきますよ」



「ん、頼む」




 そんな話をしながらぼんやりテレビに目を向ける。ちょうど朝のニュース番組がやっていた。

 殺人事件? 朝から物騒だな。




『二日前に大阪で起きた殺人事件の犯人の少年はまだ捕まっておらず、未だ逃走中の模様で、警察は──』




「って……俺達こんな呑気なことしてる場合じゃねえだろ!」



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