逃亡生活 14
沈黙が続き、気が付けばバイクはいつの間にか高速を走っていた。東京まであと少しだ。
ごくんと、緊張で乾いた喉に唾を流し込む。
今から俺は、ものすごく無責任なことを言う。
実現できるかどうか不確定であり、ほぼ確定だとは思うが、ひょっとしたら勘違いの可能性すらある。
でもそれは、俺にとって成し遂げたい事であり、成し遂げなくてはいけない事でもあるのだ。
頑張れ。勇気を出せ──俺。
「あ、あの」
「ん?」
「もし……もしもですよ? もし『お父さんに会える機会』があるとしたら……奏汰さんは、どうしたいっすか?」
本来ならもっとはっきり聞くつもりだったのだが、変にビビってしまって、結局しどろもどろな聞き方になってしまった。
返答がないまま、沈黙が風と共に流れては過ぎていく。
……まずい。聞き方を間違えたか? 初対面だってのに、いくらなんでも踏み込みすぎただろうか?
「それ、本当に例え話?」
「え?」
「お前さ。俺の親父のこと、何か知ってるだろ」
奏汰さんの判然とした口ぶりに、思わずぎくりとする。
何故だ。なぜバレた? さっき俺の身体が入れ替わった経緯は話したが、テツさんの事を事細かに話した覚えは──。
「言っただろ。俺は人が嘘ついてたら、すぐ分かるって」
「……はは、」
さすがにもう、言い逃れは出来ないだろう。
「東京に着いたら、伝えたいことがあるんです。あと渡したい物……いや、奏汰さんに渡さなくちゃいけない物があって……とりあえず、東京着いたらで」
「……分かった」
その後無言のまま三十分程バイクは走り、無事自宅の最寄駅まで到着した。
駅には当然人の気配は全く無い。ホーム内の電気も消え、改札も閉まっている。
駅のターミナルにバイクを止め、俺達は一度バイクから降りた。
俺がヘルメットを脱ぐと、奏汰さんも脱いだ。風が静かに流れ、俺達は必然のように見つめ合う。
改めて見た奏汰さんの顔は──やはりテツさんの面影を、はっきりと映し出していた。
『息子も──奏汰だって、自分を見捨てた俺を恨んでるに違いねぇ』
寂しげに呟いていたテツさんの言葉が脳裏を過ぎる。あの時の俺は、その言葉を否定してあげられなかった。
だって、事実がどうかを確認する術がなかったから……でも、今は。
「帽子、出してもらっていいっすか」
「ああ……ほら」
手渡された黒いキャップに視線を落とす。かなり年季が入ってるはずなのに、とても綺麗な状態だ。
それはつまり、それだけ大切に扱われていたという事だろう。
テツさんから託されたこの帽子を、俺は今から──本来の持ち主に。
「? なに?」
黒いキャップを差し出すと、奏汰さんは怪訝な顔で俺を見た。
「これ、見覚えありませんか?」
「見覚え? ……子供の頃、こんな帽子被ってたような記憶は、微かにあるけど」
「これ、貴方の物なんです。奏汰さんのお父さんから借りました」
「……え、」
今まで一切変化の無かった奏汰さんの表情が、心底驚いたものに変わる。
「だからこれ。奏汰さんに『貸しときます』。今度自分で、お父さんに返してください」
「……人に借りたものを、俺に貸すのかよ。つーか居場所も知らないのにどうやって」
「お父さんの居場所は俺が知ってます。だから──俺が元の体に戻ったその時には、一緒に返しに行きましょう」
そこまで言うと、奏汰さんは躊躇いがちながら、ようやく帽子を受け取った。そして手にした帽子をじっと見つめ、くすりと小さく笑う。
「親父、俺のこと忘れてなかったんだ」
「はい……父親ってのは、そういうもんみたいっす」
そうは言ったが、俺の親父はどうなんだろうか? 今でも俺の事、忘れずにいてくれたりするのか。
……いや、あんな最低な奴だったんだ。きっと今もどこかで呑んだくれてるんだろう。
奏汰さんにスマホを借りて、電話帳に『吉田瑛太』を登録してから渡した。
「一ヶ月後、この番号に電話掛けて下さい。それまでには全部、片を付けときます……必ず」
「……分かった。待ってる」
「はい。色々と、ありがとうございました」
感謝を込めて深々と頭を下げ、顔を上げる。すると奏汰さんは、拳を差し出してきた。
「頑張れよ。瑛太」
「はい」
こつんと、遠慮がちにその拳に自分のものをぶつける。そしてお互いくすりと笑った後、奏汰さんはバイクに跨った。
「じゃあ一ヶ月後連絡する。そん時は今日の分の礼、十倍返しで頼むな」
「う、俺あんま金無いんすけど……でも、頑張ります」
「冗談だって。ほら俺、関西人だからさ」
そう言って彼は歯を見せて笑う。その笑顔はテレビの俳優に見劣りしないほど爽やかで、心から清々しい笑顔だった。
奏汰さんがヘルメットを被り、背中越しに手を小さく振る。それに手を振り返すと、バイクは鮮やかな排気音を発して去っていった。
赤いテールランプが見えなくなるまで見送った後、俺は覚悟を決めて歩き出す。
帰るんだ。俺の家に。そして──絶対元の身体に戻ってやる。
慣れ親しんだ道を歩き、自宅アパートを目指す。
交番の位置も把握しているのでそこは避け、あっという間に自宅の前に到着した。
カーテン越しに明かりがついているのが見えた。いる。確実に。『俺の身体』が──そこに。
扉の前に立ち、高鳴る胸をおさえ、ドアを3回ノックする。
少しして鍵の開く音がし、部屋の主が顔を出した。
もう何千回と鏡越しに見てきた、長年のコンプレックスである三白眼。美容師に任せっきりの茶色い癖毛。インドアのせいであまり日に焼けてない、生っ白い肌。
扉から姿を現したのは──間違いなく俺だった。
俺の姿を見て、『俺』が驚愕を顔に貼り付けたまま固まる。きっと俺も、とんでもなく驚いた顔をしていることだろう。
「「あ……」」
声が重なり、鏡を見ているような奇妙な感覚に、お互い顔を見つめた合ったまま固まる。
「よ、吉田さん……ですよね?」
「お、おう。お前は『けい』……だよな?」
「は、はい……早見景、です」
名前の確認をしあって、また沈黙が流れる。
「……とりあえず、中入ります?」
「あ、ああ。うん……そうだな」
お互いぎこちないまま玄関に入り、俺は二日振りに──我が家に足を踏み入れた。
リビングは明かりをつけているようだが、廊下は薄暗い。
視界の悪い中、景の後を追って、リビングへと続く狭い廊下を歩く。
「ここまで来るの、大変だったでしょ?」
「うん……まあ」
「とにかく、吉田さんが無事にここまで来てくれて──本当によかった」
ふいに景が振り返り、俺を見下ろす。途端に得も言われぬ威圧感を感じた。
こないだ受けた健康診断では、確か俺の身長は176cmだった。こいつは中学生で小柄だし、多く見積もっても160cmってところだ。
この威圧感は、身長差のせいだろうか?
景は無表情のまま俺を見下ろしている。その表情からは、何を考えているのか全く読み取れなかった。
「な、なんだよ」
動揺して声が震える。返事はなかった。
そこで俺は、ようやく思い出す。
こいつは自分の父親と犬を惨殺した──凶悪な殺人犯だったということを。
俺、馬鹿なのか? 何のんきに家に入っちゃってんだよ。よく考えたらおかしいだろ。
だって、こいつには元の自分に戻るメリットなんて一切無い。俺からの連絡なんて無視して、『吉田瑛太』としての人生を生きていけばいいはずだ。
ましてや家に招き入れるなんて──それ相応の目的があるとしか考えられないのに。
こいつは証拠隠滅を図るために、今から俺をここで──。
景がゆっくりと歩み寄る。
逃げないと。なのに、こいつが起こした殺人のその結果──ショッキングな光景が脳裏に蘇り、足が竦んでしまって動けなかった。
逃げろ。早く──はやく。
「や、やめっ……っ!」
後ずさろうとして、ドタンと間抜けに尻もちをつく。
薄暗い廊下のフローリングの上でガタガタ震えながら見上げることしかできない俺を、景は冷たく見下ろしたまま、こちらにゆっくりと歩いてくる。
冷酷で冷徹な眼差しが、獲物を捉えたかのように俺を昏く映していた。
駄目だ。やられる──殺される!
景が手を振り上げた瞬間、俺は襲い来るであろう痛みに備え──ぎゅっと目を閉じた。




