逃亡生活 11
「なんだァ? てめえ」
不良の一人がバイクの男に詰め寄る。男がヘルメットを外し、バイクから降りて立ち上がった。
不良が息を呑むのが分かった。
その男は体の線こそ細いが、不良を軽々と見下ろしてしまうくらいの、かなりの長身だったのだ。
男が静かに不良を見下ろす。不良は負けじと凄んだ。
「なんだよ……喧嘩売ってんのか!? あァッ!?」
「静かにしろよ。今何時だと思ってる。近所迷惑だろ」
「んだとてめえ! ……っ!」
不良が殴りかかろうとしたその手を、男は平然とした表情でがしりと掴み、そのままぎりぎりと捻りあげる。不良の顔に苦痛の色が浮かんだ。
「いでっ……いでででっ! 離せコラッ! 離せって!」
「静かにしろ」
「わ、分かった……わかったっつーの! だから、離せっ」
ようやく手が離れ、不良がその場に崩れ落ち、腕を押さえて蹲る。
他の不良達もただならぬ様子を見て、表情を固くしていた。
「おい……どうする?」
「怯むなっ! 俺達三人で掛かればあんな奴……おい、アレ出せ!」
「お、おうっ!」
不良の一人がポケットから何かを取り出し、ジャキンと広げて男に向けて構える。
街頭を受けてキラリと光るそれは──折りたたみ式のナイフだった。
「おらああああっ!」
雄叫びと共に不良が男へと駆け出していく。他の二人も別方向から、向かっていった。
男は驚く様子も見せず、間近に迫ったナイフを不良の手ごと蹴り上げる。
不良の手からナイフが離れ、宙を舞い、地面へと落ちた。
「なっ……ぐふっ!?」
怯む不良の腹に間髪入れず左ストレートを打ち込むと、ナイフを持っていた不良は腹を押さえて倒れ込んだ。
「てっ……てめぇ!」
「おらあああ!」
両端から同時に来た不良のパンチを左右の手でいなし、腕を掴んで引く。
殴りかかった勢いそのまま、不良はお互いの顔面をガツンと正面からぶつけ合い、その場にずるずると倒れ込んだ。
「す……すげぇ」
思わず感嘆の声が漏れる。3対1だっていうのに、たった数秒で完全に決着が着いてしまった。
「イッテェッ! ……やべえぞコイツ。おい、逃げんぞ!」
「ひっ……ヒィッ!」
不良達がへっぴり腰で立ち上がり、悲鳴を上げながら逃げていく。男はそれを眺めるようにしていたが、追うことはしなかった。
唖然としている俺の所に、男が歩いてくる。目の前に立ち止まると、ふいに手が伸びてきた。
一瞬びくりとしたが、どうやら手を差し伸べてくれただけのようだ。
「立てる?」
「……ありがとう、ございます」
差し出された大きな手を取り、立ち上がってようやく男の顔を見る。長めの黒髪で隠れた顔は、かなり整っていた。顔つきからして、多分二十歳くらいだ。
そして何故だろう。初めて会うはずなのに、どこかで見たことあるような。既視感のある目をしていた。
「あんた、中学生くらいだよな。なんでこんな時間にうろついてんの」
「俺は……東京目指して、歩いてて」
「東京? なんでこんな時間に。始発が動くまで待てばいいだろ」
「それは……っ」
続きを言おうとした時、目眩がして立ちくらむ。体勢を立て直そうとしたけど、力が入らなかった。
倒れそうになった俺の肩を男の人が支える。
「大丈夫?」
「はい、すいません……でも俺、急いでるから」
「東京、バイクで連れてってやろうか?」
「え、」
驚いて見上げると、男の人は静かな瞳で俺を見下ろしていた。
「いいんですか?」
「母さんに言われてるんだよ。『困ってる人がいたら、助けてやれ』って。それに、今日は少し走りたい気分だし」
東京から横浜まで約30キロ。自分の足で歩くなんて、到底不可能だ。もうなりふり構ってられない。頼れるものには全力で頼るしかないだろう──でも。
「本当にいいんですか? 俺、指名手配されてますよ。殺人の容疑で」
ハナさんの笑顔が頭に浮かぶ。ハナさんは俺が殺人犯として追われていることを知らずに、俺もその事実を敢えて告げずに車に乗り込んだ。
本来ならあの時、俺は言うべきだったんだ。「俺は指名手配されて追われている」と。
これ以上善意の人を、騙し討ちみたいに利用するのは、絶対駄目だ。
決して冗談では無いことを分からせる為に、出来るだけ険しい顔を作って、男の人の目を見つめる。
すると男の人は、顔色一つ変えずに言った。
「そうなんだ。だから、何?」
「……は?」
あまりに予想していなかった返答に、一瞬思考が停止する。
男の人はそんな俺を見て、不思議そうに首を傾げた。
「なに?」
「いや、俺……けっこう衝撃的な事言ったつもりなんですけど」
「まあ、驚いてはいるよ。でもそれと俺があんたをバイクに乗せることと、なんか関係ある?」
「え、だってほらっ、法律であるじゃないですかっ! 殺人犯に協力したら駄目って、なんか……共謀みたいなやつ!」
「だってあんた、まだ『容疑』の状態で、確定してないんだろ? だったらただの一般人と同じだ。それに……あんたが本当に殺人犯なら、わざわざそんな事俺に言わず、利用していたと思うんだけど」
「いや……そうだけど」
この人、普通の人と感覚が違う。どこか浮世離れしているというか。……何なんだ、この人。
「得体の知れない奴乗せるのなんて……怖くないんすか」
「別に。いざとなれば、どうとでも出来るし」
確かにそうだ。この人はさっき不良達を数秒で伸していた。俺一人相手にするなんて、造作もないことなんだろう。
「で、どうする。乗るの、乗らないの?」
切れ長の目が、俺に判断を迫ってくる。
この人の事よく分からない。信用していいのかどうかすらも、判断がつかないほどに。
でも、満身創痍でこれ以上歩けそうにない上に、バイクならヘルメットを被るし、人目につく心配も皆無だ。それに一番の懸念だった、『俺が殺人容疑で追われている』という理由も告げて受け入れられてしまった──だったら。
「……よろしくお願いします」
出発の準備をしているのだろう。男の人が路肩に停めているバイクの、サイドバックをごそごそやっている。
俺もスラックスのポケットをごそごそやり、その背中に声を掛けた。
「あの」
「ん?」
「これ、少ないんすけど」
男の人が振り返り、俺の掌に視線を落とす。そこにあるのは俺の全財産、六百円とちょっと。
さすがにタダで乗せてもらうのは気が引ける。高速代の足しくらいにはなるだろうと思った。
「いいよ別に」
「お願いします。俺の為だと思って……受け取ってください」
東京に着いたとして、もし元の身体に戻れなかったらという考えはある。俺にこのお金を託してくれた、テツさん達の顔も頭に浮かんだ。
だけど受け取って欲しい。これ以上、誰かに何かして貰いっぱなしは嫌だ。
「……じゃあ、遠慮なく」
男の人は小銭を受け取ると、「ちょっと待ってて」と言ってどこかに行ってしまった。数分後帰ってくると、その手にはコンビニ袋がぶら下げられていた。
「助かった。ちょうど腹減ってたからさ……食おうぜ」
そう言って男の人は歩道の縁石に座り、俺にほかほかの肉まんとお茶のペットボトルを渡してきた。
まさか俺の分も買ってきてくれてるとは……面食らいつつも感謝を述べ、男の人の横に並んで腰かけ、渡された肉まんにかぶりつく。
味わうように噛みしめると、ほかほかの皮とジューシーな具の旨味が、すっかり乾いてしまった口内に唾液を溢れされ、喉を通り、胃の中を温かく満たす。
ぐいとペットボトルの緑茶を流し込むと、身体中に水分が行き渡る感覚がした。
「なんでこんな時間に東京目指してるのって、聞かない方がいい?」
思わずペットボトルを握る手が止まる。隣を見ると、男の人はこちらに目を向けず、肉まんをもぐもぐと頬張っていた。
そうだよな。そりゃ気になるよな。つーか俺なら、殺人容疑で追われてる理由とか、全部聞いてからじゃないとバイクに乗せる気になんてならないだろう。
この人なら何を言っても「ああ、そうだったんだ」で全部済ませてくれそうな、そんな気がする。
俺は肉まんを頬張りつつ、今まであった出来事を要約して話した。
男の人は全て聞いても顔色一つ変えず、俺の予想通り、「ああ、そうだったんだ」とだけ返事をした。
「なるほど。つまりあんたの『本体』が東京にいて、元の身体に戻るために向かってると」
「はい、そうですね」
「戻るための方法、なんか思いついてんの?」
「いや、何も。なんせ俺、今の状況にまだ混乱してて」
「……小説とか漫画だったら、同時に階段から転げ落ちたら元に戻ったりするよな」
「はは……そんくらい簡単だといいんすけど」
公衆電話で俺の携帯に掛けた時、『俺の本体』は電話口に出た。だが、『俺の本体』がまだ俺の住んでいたアパートにいるかどうかすら、確定してないのだ。
でもこちら側には一切相手の情報が無いのだから、そこに望みを託すしかない。
「でもさ。相手がどこにいるかすら分からないのに動くのは、効率が悪いと思う」
「……そうっすよね」
「だから、今からもう一回掛けてみよう」
「え?」
「電話しようぜ、俺の携帯使ってさ」




