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逃亡生活 10

 夜の横浜駅は、人でごった返していた。


 頭上にある時計を見上げる、時刻は午後八時を過ぎた所だった。

 帰宅ラッシュだ。これなら人混みに紛れて電車に乗ることが出来るだろう。


 ポケットに入れていた千円を取り出す。


 テツさん達に貰った千円。これを使って電車に乗れば、俺が住んでる街の最寄り駅まで難なくたどり着けるはずだ。多分。……大丈夫だよな?



 ポケットに手を突っ込んでスマホを取り出そうとする。もちろん手は空を掴んだ。


 クソッ、路線も料金も調べられないから何も分かんねえ。スマホが無いとこんなに不便だなんて……そもそも普段ICカードに頼りっきりだから、切符の買い方すら危うい。


 顔を見られたらまずいから、駅員に聞くわけにもいかないし。



 帽子を深々と被り、人混みに紛れながら広大な駅の中を歩く。

 駅構内は東京の主要駅に負けず劣らずの広大さで、路線がいくつもある。まるでダンジョンのようだ。


 複雑な駅構内を歩き回り、東京に通っている路線をようやく見つけた。切符売り場へ行き、上にある路線図を見ながら最寄り駅までの料金を調べる。


 そしてついに、テツさん達から貰った大切な千円を──券売機に投入した。



 帽子のつばから改札前を盗み見る。警察が張っているような様子は無かった。


 大丈夫だ。事件が起こったのは大阪で、ここは神奈川なのだから。


 だけど顔が出てないとはいえ、テレビで指名手配されているんだ。服装で気付かれるかもしれない。念には念を入れておかねえと。


 出来るだけ人が多いタイミングを狙って改札へと行き、素早く切符を通す。

 無事通過できた。心の中で渾身のガッツポーズをする。


 よし! 後は東京行きの電車に乗るだけだ!


 東京行きのホームへの階段を見つけ、登ろうとしたその時。



「ちょっと、キミ」



 背後からはっきりした男の声がして、ぴたりと足を止める。誰に言ってる? 俺か? いや、きっと別の誰かだ──。


 周囲を見回す。しかし、この階段を登ろうとしているのは俺だけだった。ドクンと心臓が跳ねる。


 何で声を掛けられた? つーか、一体『誰』に声を掛けられたんだ? もしかして──警察?。


 ジリジリと、ひりつくような視線を背中に感じるような気がする。

 いや、きっと気のせいだ。もしかしたら通路にいる、俺じゃない誰かに言ってるのかもしれない。なあ、そうだろ? ……そうであってくれ!


 願いを込めながら、再び階段へと一歩踏み出す。



「ちょっと! 君だよ! 帽子被ってる男の子!」



 少し張り上げたような声に、ついに俺の足は完全に止まる。

 冷たい汗が掌に滲み、心臓はバクバクと心拍数を上げていく。


 その声は、その口から出た特徴は──確実に俺に向けてのものだったから。



 ホームから電車が到着するアナウンスが響く。


 このまま階段を走り抜け、電車に飛び乗るか。観念して振り返るか。悩んでいる時間は無い。

 足音が背後に一歩、また一歩と近づいてきているのだ。


 もしホームで警察が張っていたら、挟み撃ちにされるかもしれない。改札には警察の姿は無かった事は、先程しっかりと確認した。


 だったらもう──。



 ばっと勢い良く振り返り、そのまま背後に立っている男へと体当たりする。男がバランスを崩し、尻餅をついた。


 よし、今だ!


 男が立ち上がる前に走り去ろうとし、横目でその姿をようやく確認する。

 その人は作業着を着た、気の良さそうな顔つきのおじさんで、どう見ても警察官じゃなかった。



「いってて……」


「あ……ご、ごめんなさいっ!」



 腰を擦っているおじさんに慌てて手を貸す。おじさんが立ち上がったのと同時に、深く頭を下げた。



「すみませんっ! 俺、急いでてっ!」


「ああ、いいよ。それよりこれ……落としてたよ」


「え?」



 顔を上げると、おじさんが俺に切符を差し出していた。慌ててズボンのポケットを探る。確かに無かった。


 なんだ……ただの親切な人か。内心ほっとしながら、「ありがとうございます」と告げて切符を受け取ろうとした。その時──。



「おい、どうしたんだ?」


「何かトラブルかな」



 ふと聞こえた声に、はっとして周囲を見回す。皆一様に足を止め、怪訝な目で俺を見ていた。



「ねぇ、さっきあの子、おじさんを突き飛ばしてなかった?」


「駅員呼んだほうがいいか」



 周囲がざわつき、視線が集まる。身体中の血の気が引いて、心臓がバクバクと早鐘を打つ。


 やばい。見られてる。どうしよう。出来るだけ目立たないように、気をつけなくちゃいけないってのに。


 もし、駅員なんて呼ばれでもしたら──。



「あっ! ちょっとキミ!」



 パニックになった俺は、気付けば駆け出していた。やばい。逃げろ、とにかく逃げろ!


 周囲が驚いた顔で俺を見る。

 それすら逃走中の殺人犯である俺を、皆して捕まえようとしているように見えた。



 改札が閉まる前に全力疾走でぶち抜いて飛び出した。

 背後でピンポーンいう音と共に、「ちょっと待て!」と駅員らしき人の声がしたけど、止まってなんかいられない。



 早く、早くここを離れないと!


 広大な駅構内を飛び出し、ネオン輝く街を走り続ける。

 どれだけ走っただろう。気付けば人気のない高架下にたどり着いていた。


 電車がごうごうと走る音が頭上から響く。

 流れる汗を拭って壁に背を預け、息を切らしながらずるずると座り込んだ。



 ああ、やっちまった。別に逃げることなんて無かったのに。ただ周囲に見られているという感覚だけで駄目だった。

 捕まるんじゃないかと怖くて、あの場にいることが出来なかったのだ。


 素直におじさんから切符を受け取って、何食わぬ顔でホームに上って電車に乗っていれば、今頃──。



「くそ……クソっ!」



 押し寄せる後悔を拳に乗せ、コンクリートの壁を殴りつける。

 自分の拳が痛むばかりで、一向に気分は晴れなかった。


 ズボンのポケットを探る。手元に残ったのは、六百円とちょっと。これだけあれば、東京までは行けるだろう。


 でもさっき騒ぎを起こしたし、もう駅には戻れない。人の目を気にしながら電車に乗ろうとする気力も、もう無い。



「……歩くか」



 もう夜も更けたし人気も少ない。もういっその事、この高架を辿って東京まで行くか? 東京方面はどっちだ?

 ……まあいい。とりあえず、行くか。


 既に足は棒のようだが、なんとか立ち上がり、高架を辿りながらとぼとぼと歩き始める。



 数時間は歩いただろうか。歩いている人の姿は無くなり、電車も終電が終わってしまったようだ。静かな夜の道を、ただひたすらに歩く。


 飲まず食わずに加え、この数日の心的疲労が重なって、フラフラしてきた。視界も霞んでくる。



「……っあ!」



 小石につまずき、受け身も取れぬまま盛大に転ぶ。擦りむいた掌には、砂利と一緒に血が滲んでいた。


 ああ、何もかも上手くいかない。どうしてこんな事になったんだ。俺の日頃の行いが、悪かったとでも言うのだろうか。

 天罰みたいなさ……疲れた。もういっその事、自首して楽になった方がいいんじゃないか?


 そんな考えが頭を支配しそうになったが、すぐに首を横に振る。



 駄目だ。俺はここまで、テツさん達やハナさんに助けてもらった。皆のくれた優しさを、想いを裏切るわけにはいかない。こんな所で、諦めてたまるか。


 朦朧とする意識の中、最後の力を振り絞って立ち上がろうとした、その瞬間だった。



「おい」



 頭上から声が降ってくる。見上げると、派手な髪色にジャージとサンダルといった、絵に描いたような不良数人が、俺を囲むように立って見下ろしていた。


 ぼやけていた意識が急速に冴え、身体がこわばる。



「なんだガキじゃねえか。こんな時間にな~にうろついてんだ?」


「え、あ、その……」



 おどおどしている俺を見下ろし、ギャハハと深夜なのに手を叩いて馬鹿笑いしている。


 見た目からして高校生くらい。本来の俺より歳下のヤンキー達だ。

 でも今の俺はただの中学生。力で敵うはずがない。

 ……いや、元の体の俺も鍛えてなかったから、どうなってたか分からないけど。


 さっきみたいに走って逃げるか? ……無理だ。囲まれてるし、もうそんな体力残ってない。不良の一人が俺の胸ぐらを掴み、無理矢理立ち上がらせる。



「ぐっ……」


「お前さぁ、金持ってる? おにーちゃん達ちょ~っとお金に困ってるんだよねぇ」



 ポケットに入っている六百円の事がすぐに頭に浮かんだが、これはテツさん達に託された大切なお金だ。絶対渡さない。渡したくない。



「すいません。今日はお金……持ってません」


「……ふ~ん」



 突き飛ばすように胸ぐらを掴んでいた手が離れる。よろけながら不良を見上げる。眉間にシワを寄せ、疑いの目で俺を睨んでいた。



「お前、嘘ついてないよな?」


「はい。ついてません」


「へー……じゃあさ、一旦ジャンプしてみろよ」



 ぎくりとしながらも、ああ、これ。漫画で見たことあるやつだと、どこかぼんやりと思った。


 俺の反応で察したのだろう。不良達の表情が険しくなる。



「おい! いいからジャンプしろよ! 早くしろ!」



 そう凄まれ、仕方なくその場でぴょんぴょんと跳ねる。ジャラジャラと、ポケットの小銭が虚しくも、その存在感を不良達に知らせた。



「おい持ってんじゃねえか……ポケットのモン全部出せ!」


「い……嫌だっ!」


「てめえいい加減にしろッ!」



 胸ぐらを掴まれて強烈なパンチを右頬に食らい、その場に倒れ込んだ。それを皮切りに、周囲の不良達も俺を蹴り始めた。


 頭を守るように両手で庇い、蹲る。


 ……痛え。めちゃくちゃ痛い。でも絶対このお金は渡せない。さっき自業自得で無駄にしてしまったんだ。

 これ以上は、無駄にはしない! 気が済むまで俺を蹴ればいい!



「ねえ、何やってんの?」


「あ?」



 暴力の最中、突然聞こえた低く落ち着いた声に、俺も不良達も声のした方を見る。



 背の高い青年が、バイクに跨りながら、静かにこちらを見ていた。

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