バナム大司教
祈りを終えた俺は長い息を吐いていた。ヒナが自力で制約をクリアすると聞いたけれど、やはり彼女が心配になっている。
「祈りは届いたかい?」
不意に俺は背後から声をかけられていた。
背中越しの声。得も言われぬ感情に襲われている。なぜなら、知らない声ではない。その優しい声を俺は前世において、何度も聞いていたのだから。
「バナム司教!?」
振り返る俺が見たものは、やはり想像した通りの人であった。前世の俺が最も世話になった人。女性関係で問題を起こしたときも、彼が仲裁してくれたのだ。
「おや? 私は大司教だよ? 司教だったのは君が生まれて間もない頃だろうね」
まあ、そりゃそうか。俺が転生してから十六年。世界が同じであるはずもなく、バナム司教は大司教に昇進しているらしい。
「申し訳ございません」
「いやいや、構わないよ。何やら熱心に祈っていたね?」
俺は女神の二人と話し込んでいたのだ。傍目に見ると祈り続けていると思えたことだろう。
「ええまあ……」
かといって俺には返答できる内容がない。
流石にディーテ様やシルアンナと会っていたなんて、神託であっても不可能だ。祈っていた事にした方がややこしくないと思う。
「しかし、君を見ていると思い出すな。もう十六年になるのか……」
ここで意外な話が続く。十六年前といえば俺が転生した時期と重なっていた。
「ディーテ教デカルネ支部デカルネ大聖堂には優秀な司祭がいたんだよ。君によく似た澄んだ目をしていたな……」
俺は今更ながらに後日談というべき話を聞かされている。自分の死後については何も知らない。大司教が語る全てはあの瞬間よりあとのことだろう。
「大いなるディーテ様に愛されし青年だった。信仰心は厚く、弱者に対する姿勢も正義そのもの。神聖魔法はいうに及ばす、内面も立派な司祭だった……」
面と向かって褒められるのはむず痒い。いつも怒られていた記憶が彷彿と蘇っている。
「まあ、度が過ぎたエロ小僧だったがな……」
ここで一度に落とされてしまう。まあしかし、前世の俺は女性を取っ替え引っ替えしていたのだ。教会まで怒鳴り込みに来ることもあったのだから、俺は苦笑いを返すしかない。
「その彼はどこに行ったのでしょうか?」
俺は知りたく思う。アリスに心臓を一突きされたあとのこと。意識が途切れたあとの世界を聞いてみたくなった。
「惜しい若者を亡くした。彼はここで殺されたんだ。ちょうど君が立っているその場所で……」
それは俺も知っている。祈りを終えたあと、アリスが聖堂にやってきたのだから。
「聖職者らしからぬ最後だったが、あの子らしいとも言えるな。付き合っていた女性に彼は刺し殺されたんだよ」
心なし大司教の声は沈んで聞こえている。十六年が過ぎた今も、彼は俺の死を受け入れたくないのかもしれない。
「その現場に私はいた――――」
ここで俺の知らない話が飛び出す。
アリスは俺を刺殺したあと、逃亡したのかと考えていたけれど、どうやら第一発見者が時を移さず現れたらしい。
「惨たらしい現場だった。クリエスからは滝のように血が噴き出していたんだ。私は即座にハイヒールを唱えたけれど、彼の死に抗うことはできなかった……」
溜め息と共に告げられていた。最後の現場に居合わせた大司教は俺にハイヒールを唱えてくれたという。治療に関するお布施でいうのなら、ハイヒールは銀貨五十枚もする高額治療であったというのに。
「エクストラヒールさえ私が使えたなら。クリエスは死なずに済んだのだ……」
悔恨の言葉が続く。しかしながら、エクストラヒールは伝説級の神聖魔法である。ただの大司教でしかない彼が習得できるはずもなかった。
「そのクリエスさんも大司教の治療が嬉しかったと思いますよ?」
俺は口を挟まずにいられない。アリスに刺されたことは完全に自己責任なんだ。居合わせただけの大司教に後悔させるなんて最低だと思う。
「そうだといいね……。君はクリエスにとても似ている。だからかな、こんな事を君に話すなんて私はどうかしているよ……」
言って大司教は笑い飛ばした。初めて会う少年にする話ではないと。
さりとて彼の責任ではない。現状は想像もできない現実だ。大司教が語った相手こそが、俺自身であるだなんて。
「クリエスさんを刺した人はどうなったのですか?」
「ああ、彼女は逃げることなく、呆然と突っ立っていたね。私が割り込んだ事で感情的になっていたと気付いたのかもしれない」
どうやらアリスは抵抗することなく拘束されたようだ。彼女は刃物を持っていたのだし、年老いた司教一人くらいなら幾らでも逃げ延びることができたはず。
「それで彼女は何を語っていましたか?」
ここからが俺にとっての本番である。アリスが一体何を口にしたのか。脱獄してまで、やり遂げたい願い。拘束後の話はその回答へ続いている可能性があった。
「ああ、あの子は殺人については後悔していた。憎むべきことを誤っていたと……」
アリスは感情のままに俺を刺したことを悔やんでいたらしい。彼女をフッたのは間違いなく俺であったはずが、どうしてかアリスは怒りの矛先が間違っていると気付いたという。
大司教は少しばかり躊躇いながらも、アリスの台詞を口にした。
「ディーテ教は許さない――――と」
俺は愕然としている。なぜかアリスはディーテ教団に不信感を抱いたようだ。
まあしかし、分からない話でもない。俺は貧乳であることを理由にしてアリスと別れていたのだから。
「俺のせいだ……。俺がペチャパイは駄目だとか言ったから……」
思わず声が漏れてしまう。敬虔なディーテ信者であった俺は、同じ信徒であったアリスの心変わりに責任を感じている。
「んん? 君のせいって、そんなことはないよ。もうかれこれ十六年が経とうとしている昔話なのだからね」
宥めるような大司教に俺は首を振った。
今ならアリスの動機が分かる。彼女が脱獄した理由はディーテ教団に対する反旗なのだと。
「大司教様、確かクリエス司祭を刺した女性は脱獄したのですよね?」
「よく知っているんだね? まあ残念だが、彼女は罪を重ねてしまったようだ」
嘆息するバナム大司教。罪を償う期間は一生涯であったけれど、アリスがそれを全うすることを彼は望んでいたらしい。
「彼女は恐らく地平の楽園という邪教に入信するでしょう。ディーテ様のような身体つきを恨むあまりに……」
俺は唇を噛んだ。既にアリスの脱走は地平の楽園への入信目的であるとしか思えない。創設者であるタイラーは無乳好きであったと聞かされているのだから。
「むぅ、君は若いのに色々と知っているんだね? ディーテ教団でもその予想はされているんだ。どうにもきな臭い話だね……」
「俺は地平の楽園と戦うつもりです。個々の嗜好については理解しますけど、押し付けたり対立するのは間違っている。俺自身はシルアンナ教の信徒ですが、ディーテ教団を悪く思ってはいません」
大司教は首を振った。
まあ気持ちはよく分かる。熱心にディーテ像へと祈っていた若者が異教徒だったなんてな。
「君はシルアンナ教徒なのに、あれほど熱心に祈っていたのか?」
「シルアンナ様もディーテ様も世界を見守る女神様に違いありません。アストラル世界を良い方向へと導く女神様を俺は尊敬しております」
分かってもらえるかは不明だ。異なる者への理解。宗教はそれを否定するだけだからな。
「君は大した男だ。世界は信仰によって区別されている。善悪の思考は信仰によって区分されていると言ってもいい。だが、君は印象で判断することなく、理解した上で区別している……」
大司教は俺を評価してくれた。俺が生まれ変わりだと知らない彼は、柔軟な思考を持つ少年にしか見えなかったのだろう。
「俺は司祭殺害犯の女性と会って話をします。彼女がきちんと罪を償うように。元ディーテ信徒であれば説得できるはずです」
予想外だったのか大司教は難しい顔をする。少年である俺がその事件を知るはずもないし、執着する必要もない。加えて俺はシルアンナ教徒だと自ら告白したのだから。
「別に君が無理をする必要はないのだぞ? 年寄りの昔話だよ。忘れてくれ……」
「いいえ、忘れません。俺は俺が信じるままに戦うつもりです。間違いを正すこと。理由があったとして彼女は明らかに間違っている。だからこそ、俺は彼女と話がしたい。来世において彼女の魂が穢れないように」
罪を償うことは魂の浄化である。
真実とは少しばかり異なっていたけれど、それはアストラル世界で信じられている話なのだ。浄化されない魂は来世において魔物になってしまうのだと。
「なるほど、それは確かに。是非とも浄化してやって欲しいが、脱獄までした女性なんだ。説得は簡単ではないぞ?」
「分かっています。俺は彼女に会って説得するだけ。それに俺は最後の覚悟もできている。もし仮に彼女を説得できなかったとして……」
俺は告げていた。自身が考える全てを。最悪の結末まで。
「そのときには彼女を斬ります――――」
再び大司教は顔を振った。真っ直ぐに見つめる俺の視線を避けた彼は長い息を吐いている。
「本当に君は似ているな。その目だけでなく内に秘めたる強い意志。加えて君は相当な猛者であるようだね? 光と闇の聖職者とか珍しい」
俺は目を丸くしていた。しかし、直ぐに気が付く。そういえば大司教は簡易的な鑑定スキルを持っていたのだと。
「鑑定スキルですか?」
「属性以外は大まかにしか分からんがね。その若さでその強さ。ひたむきな努力の賜だろう。しかし、君はどうやら呪われているようだね?」
どうやら気付かれてしまった。かといって呪いとの言葉はどれを指すのか疑問だ。貧乳の怨念なのか、或いは物理的に取り憑いた悪霊のことであるのか。はたまた魂が先天的に持っている女難のことかもしれない。
「これは悪霊の類いか……」
大司教が続けた。悪霊の二人は教会の入り口で待っているはずなのに、彼は取り憑いたものが悪霊だと理解したらしい。
「チチクリは使い魔契約だし、バレなかったのか……」
「んん? 悪霊に思い当たる節でもあるのか?」
独り言を聞かれて苦笑いを浮かべる。悪霊二体に加えて悪魔を使役しているなんて、神聖な教会に出入りする聖職者として穢れすぎなのだ。
「実はかなり上位の悪霊二体に取り憑かれています。どうにかして祓いたいのですけど、何か方法をご存じではありませんか?」
「自ら祓うというのか? まあ私には無理そうだ。魂の格が違いすぎて何も分からんからな……」
世界を震撼させた二人が大司教に祓えるはずもなく、アストラル世界に祓える人間はいないと既にシルアンナから聞かされている。
「私では祓えないが、方法を記した書物ならある。少し待っていなさい……」
思わぬところで手がかりが見つかっていた。確実かどうかは不明なのだが、大司教自身は悪霊を祓えると考えているようだ。
しばらくして聖堂にバナム大司教が戻ってきた。その手には古めかしい書物。悪霊祓いの方法が記されたものに違いない。
「これはボイナー教皇が残された神聖魔法に関する書物だ。第七代教皇である彼は類い希なる力を持っており、あらゆる神聖魔法に精通しておったらしい。これは写本であるけれど、内容は正確だ。君の助けとなるだろう」
書物を手渡してもらい、俺は早速とページを開こうとする。
「まあ宿にでも泊まってゆっくりと読みなさい。それは私が記した写本でね。勇敢であり正義感溢れる君にプレゼントしよう」
「ええ!? 本当ですか!?」
「もちろん。かつていた弟子に似た君が困難に直面しているのなら、私は手を差し伸べるだけ。罪滅ぼしになるはずもないが、もらってやってくれ……」
思わず泣き出しそうになってしまう。生前は弟子だなんて言われた記憶がない。だが、転生した今になって、大司教は弟子であったと明らかにしている。
「ありがとうございます。俺はこの先に世界を救いたい。地平の楽園だけでなく、世界を苦しめる魔王や邪竜といった存在をも叩き斬ってきます」
「それは大きく出たな? シルアンナ教徒でなければ、勧誘したいくらいだ。まあでも、君ならば世を救う力があると思う。さっさと悪霊を祓い、今の言葉を実現させて欲しい」
恐らく大司教は信じていないはずだ。俺が世界を救うだなんてことは……。しかしながら、期待されているのは事実だと思う。彼には俺の素養が分かっているのだから。
「一つ忠告しておこうか……」
別れの時であることを俺は知らされている。大司教となった彼には旅人と話し込んでいるような時間などないのだと。
どのような忠告であろうと紳士に受け止めるつもり。俺は彼の話を心して聞かねばならない。
さりとて、大司教の忠告はこれからの戦闘や試練についてではない。十六年前に後悔したという彼は、まだ若い俺を諭していた。
女遊びはするんじゃないぞ?――――と。
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