6-第七世界ネツァク
『ごめんね、ドルチェ』
ドルチェを抱き止めた蜜柑は、涙を堪えるような悲痛な表情をしながら、ゆっくりと地上に降りていく。
ここはセフィロトの第七世界ネツァク。
だが、現在はこの世界を作ったクリフォトにより、彼の世界に成り果ててしまっていた。
周囲の見た目こそあまり変わりのない木製だが、ドルチェを足止めしようとする意思により枝が伸びてくる。
周囲に漂っている香りも、本来の森の中のような爽やかな香りなどではなく、甘ったるい意識がぼんやりとするものだ。
ここにいる限り、ドルチェが安全に休めることはない。
そのため、蜜柑は地上に降り立ってすぐに手を地面につけると、触れた面から世界の奪取を試みていく。
「蜜柑、さっきのてきはどっかいったみたいだぞ」
『そうなん、だ……!!』
「……今、いそがしい?」
『クリフォトと世界の取り合いをしてるからね……!!』
この世界を千里眼で見ていたタルトは、ドルチェを抱えたまま微動だにしなくなった蜜柑を見て首を傾げる。
一見すると、床に手をついているだけなのだが、世界の取り合いをしているというのは相当疲れるらしい。
周囲では争うように枝がぶつかり合っている中、蜜柑は口から血を流しながら必死の形相で主導権を奪い合っていた。
「んじゃあ、俺はさっさとユスティー様の元へ行くぜ!!
お前らは勝手に……いや、ガーベラのどこでも行けよ。
あいつならドルチェも治せんだろ。それとも、お前もできるか? 出力は落ちるらしいが」
そんな彼女を見ても、徹底してユスティーを優先するジエンの態度は変わらない。
切り札であるドルチェのけがを気遣いながらも、速く彼女がいる世界に向かおうとウズウズしていた。
とはいえ、次の行動を考える指針になるような意見だ。
そちらに目を向ける余裕もない蜜柑だが、息も絶え絶えに言葉を返す。
『傷を、塞ぐなら、すぐ……!!』
「ま、取り敢えず俺は行くぜ!! また後でな!!」
『行くなら、この木を切って!!』
「おう。仕方ねぇから、切りながら行ってやる」
気にせずユスティーの元へと向かい始めたジエンは、頼まれた通りに木を切りなら第四世界に入っていく。
残された2人は、襲い来る樹木に対抗しながら世界の取り合いを続けていた。
蜜柑の攻撃手段は樹木、タルトの武器はドルチェと同じく銃。周囲には砕けた木片が山のように積み上がる。
その末に、セフィロトの樹木はなんとかクリフォトの樹木を抑え込んだ。
ツァーカブとして妙に甘い香りを漂わせていたこの世界は、晴れやかな勝利のネツァクへと戻っていく。
『んんん……はぁっ!! はぁ、はぁ……』
「おつかれ、蜜柑。ドルチェ、治る?」
積み上がっていた木片は消え、世界は綺麗に再編される。
意識がぼんやりとする甘い香りはすぐさま消え、世界に満ちるのは勝利の熱だ。
空はないのに、天井は太陽があるかの如く輝くように光っており、壁や床にも赤いカーペットだったりが敷かれていく。
それぞれの世界との出入り口に至っては、絢爛豪華な凱旋門になる始末だった。
クリフォトとの世界争奪戦に勝利した蜜柑は、近くに現れた綺羅びやかなベッドにドルチェを寝かせながら、気遣わしげな言葉に答えている。
『私だと、足を再生させるのは無理だよ。
ガーベラも別に、回復に特化してはいないから……』
「あ、足が落ちてる。くっつく?」
『んー……それなら何とか? ガーベラならいけそう』
「じゃあ、拾ってくる。次は第九世界」
千里眼によってドルチェの足を見つけたタルトは、その近くに落ちている日傘と一緒に回収するため離れていく。
いくら切り札とはいえ、この状態の彼女をシャイターンにぶつけられはしない。
全快とはいかずとも、できる限りの治療はしなくては勝つどころか戦うことすら厳しいだろう。
次に向かうべきは、眷属の中で最も回復能力の高いガーベラがいる第九世界――基礎のイェセドだ。
姿を消したアイシャを警戒しながらも、彼女達は目的地に視線を向ける。それと同時に、千里眼はまだ見ていない残りの世界の確認も始めた。
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クリフォトが創り出した生命の樹において。
最も上に位置するのが、第一世界――王冠のケテルである。
その構造自体は、蜜柑が何とか奪い取った第十世界――王国のマルクトとそう変わらない。違うのは、次の世界が下にあるのか上にあるのかというだけだ。
つまり、蜜柑を単独でつれてこられなかった時点で動き出したクリフォトが不在の第一世界の隣には、3つの世界がある。
そのうちの1つが、真っ先に彼が向かった世界。
左下に位置する第三世界――理解のビナーだ。
だが、もちろんこの世界も他の世界と同じで、既に創生者であるクリフォトによって書き換えられていた。
本来であれば見通しが良く清々しいはずのこの世界は、今は不規則に揺れ動く。
火山になったかと思えば、次の瞬間には海底に。
森林の中かと思えば、次の瞬間には大空の中に。
常に移り変わるこの世界は、セフィロトの第三世界――理解のビナーから変わり、クリフォトの世界――アィーアツブス。
その言葉が意味するのは、不安定。
中央で対峙しているのは、地味なワンピースを着ている歌姫――カルラと、最後にクリフォトの眷属となった明らかに動転している様子の女性――ライラだった。
「ふへへ、ふへへへへ……熱い、寒い、清らか、息苦しい。
あ……泣きたくなってきた。ふへへ、へへへ……」
「心が落ち着かない。声や能力も、自然とブレちゃう。
あたしの歌が、揺らいでる……!!」
剣を振るうだけならともかく、綺麗な歌声を維持するというのは案外大変だ。
ライラによって不安定な環境、心の状態に置かれてしまったカルラは、さらに訪れた邪悪の樹を見て体を震わせていた。
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クリフォトは左下にある第三世界へと向かった。
その対極にあり、おらく優先順位が低いと見なされた世界が、右下に位置する第二世界――知恵のコクマーだ。
蜜柑が奪い取れなかった以上、ここもクリフォトの支配下に置かれており、景色を一変させていた。
どこを見ても空気が固形となって存在し、それを無視して右を見れば空気を彩る光の固形、左を見れば潤いを与える水分の固形が世界を構築する。
目に見えないものなどない。
本来は無形だったり概念だけのものであっても、この世界ではたしかに存在できてしまう。
ここはセフィロトの第二世界――知恵のコクマーから変わってクリフォトの世界――キムラヌート。
その言葉が意味するのは、物質主義。
中央で対峙しているのは、くたびれたコートを羽織っている疲れた表情をした壮齢の男性――グプトと、動きやすそうな旅装束を着ている明るい表情の女性――リデーレだ。
「スハァー……なんつう情報量だ。頭が痛くなってくる。
はぁ、本当に。頭痛が痛い案件だ。風が風で、光が光。
お前はこのすべてを取引したいのか?」
「そうね。私が取引したいのはあなたが隠す情報よ。
私以外が見せられないこの景色の代価に、あなたは隠している武器や位置情報を開示しなければならない」
「スハァー……実に一方的。悪辣なやり口だな」
「商人ですから」
すべてが物質化された世界で、情報の隠蔽により唯一不透明な存在となったグプトは、リデーレに取引を持ちかけられる。
見た以上、何も支払わずにはいられない。
世界からのクレームが来る前に、代価は商人に払われることだろう。
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神話などに記される生命の樹には、10個の世界がある。
それはもちろん、第一世界であるケテルから、第十世界であるマルクトまでの10個だ。
しかし、元より隠されている世界というものもあった。
それは、他のセフィラとは異なる次元に存在し、深淵にあるとされるもの。
本来は空洞であるはずの第一世界の真下にある、第十一世界――知識のダアトだ。
とはいえ、別次元に隠されているはずのものであれ、事実としてクリフォトが創り出したものであれば、上書きの影響は逃れられない。
この世界はまるで時間が進んでいないかのように緩み、視界すらも気が抜けたような曲線として歪めていく。
思考が鈍化したかのように、世界は不変だった。
ここはセフィロトの第十一世界――知識のダアトから変わってクリフォトの世界――エーイーリー。
その言葉が意味するのは、愚鈍。
時そのものが緩んでいるかのような場所で対峙しているのは、2人の男。上裸に派手な装飾品を輝かせている粗暴な男――エンと、グラデーションのついた髪に目に痛い配色の道化服を着たピエロ――ベルゼビュートだ。
「なーっはっはっは!! テメェにこの俺様が殺せるかァ!?
何か気持ち悪ぃ世界に連れてこられたが、そんなことでこの俺様が怯むとは思わねぇことだぜ!! きっちりぶっ殺す!!」
「別にワタシは君ぅ殺す気ねえちゃ?
少なくとぅむ、くぬままクリフォト様んかいちちょーんびきが見極みてぃからやあらんとぅやー」
「あぁん!? 何いってんだ!? 俺様に分かる言葉を使え!!
同世代の古い神秘同士のはずなのに、理解できねぇ!!」
「あはは、俺はまだ君を殺さないってことさ」
「なーっはっはっは!! じゃあ勝手に死ね!!」
のらりくらりと躱すベルゼビュートに対して、凶暴なエンは死の気配が滲み出ている錫杖を振り回す。
岩が裂け、瘴気が吹き出し、それでよピエロは涼しい表情で現状維持に徹していた。




