(5)告げられた真実
見る間に迫る城壁。
風切り音を掻き消す耳障りな擦過音。その発生源でもあるロープに絡ませた武器を握りしめつつ、レジン卿はこれまで以上に必死で頭を回転させていた。
状況は最悪。
ロダン達が押す戦弩弓は既に城壁の縁まで到達しており、落とされるのは時間の問題となっている。少人数で予想以上のペースを叩き出す要因は、誰かが“筋力強化系の魔術”を使ったからに違いない。
それは連中の中に『魔術師』がいることを示しており、同時に戦闘になった場合における“多対一”の不利な状況が、より揺るぎないものになったことを告げていた。
(もはや、間に合わせることに意味が無い――)
進む先が“死地”ならば、当然、レジン卿は即座に離脱方針へと切り替える。
(そこ――!)
運良く進行方向下側に一本の木立を見つけるや、躊躇することなくレジン卿は手を離した。
二度と味わいたくない落下感。
景色を千切り飛ばす感覚は同じでも、風術の解放感とは真逆の恐怖による狭窄感がレジン卿の心臓を締め上げる。
「くっ――」
一気に迫り来る枝葉の壁に、レジン卿は咄嗟に身を丸めて背を向けるようにバランスをとった。万一の、枝先が喉や眼窩に刺さるような致命傷を避ける狙いだ。
空中で身を捻る猫のごとき超絶的な運動神経を発揮し、レジン卿は背中からたっぷりと生い茂る樹冠に猛然と突っ込んだ。
ガサバキ、バキキキ――ッ
深緑の凶器に全身を切りつけられ、あるいはぶつかり、天と地面が回転して、苦鳴すら洩らせず何かに激突する。
「ゴハッ――」
肺から空気を押し出させられ、それを最後にレジン卿は意識を手放すのだった。
*****
誰かが呼んでいる。
ドルゴイ男爵の息女フィレ―ヌの声にしては大人びており、ベルベドール子爵の次女ケイトリンにしては色気がなさすぎる。
『……お願いだから、何か話して――っ』
「飛び降りるのは……これで最後にします」
耳元で感極まったイリアが何か叫んでいるが、なぜか遠い出来事のように耳に入らず、レジン卿はとにかく身体を起こそうともがいた。
そう。
固い何かに頬を付けて、横倒しになっているのだと感じたが、手は宙を掻いて、代わりに全身を走る痛みに呻く。
どこだ――?
頭はぼんやりとしたままだが、視界の方が先にはっきりしてきて、鬱蒼たる枝葉に囲まれていることにレジン卿は気がついた。
どうやら、大振りの枝に器用にも寝そべる感じで引っかかっていたようだ。
『レジン卿。今、人をやるからじっとしてて』
「いえ、思ったより自分は頑丈のようです。初めて……よっと……親に感謝しましたよ」
枝の上でバランスを取りながら、そろそろと上半身を起こす。そのまま跨いだ両足も使ってバランスを確保しながら、後ろに下がっていき、樹木の幹に近づく。
『……何をしてるの? 本当に身体は大丈夫なのね?』
「ええ、ご心配なく。……むしろ、ロダン達を取り逃がしてしまったことが」
言葉を途切らせるレジン卿にさすがのイリアも黙り込む。
あの時、下した戦術的判断を間違ったとは思っていない。だが、逃がした結果は“夜道で唯一の光源を失う”に等しいものだ。
月明かりや星の瞬きさえも見えない夜空で。
しかも、暗天を覆う重苦しい雲はいつ晴れるかもしれない状況だというのに。
「ロダン達はどうしました?」
今さら聞いても仕方ないが、それでも事の顛末はどうしても気に掛かる。太い枝を使って少しづつ下へ降りながらレジン卿はイリアに説明を求める。
『戦弩弓を城壁から落とした後で、そのまま城壁外へ消えていったわ』
おそらくロープを垂らして直接脱出したのだろう。ここから城門まで距離があることを考えると、今から迂回したところで、城下に消えた連中の後を追うのは無理な話だ。
まんまと『盗賊王』に逃げられたわけだ。
「せっかくゲンノスケ殿を奪い返しても、肝心の魔導書がなければ『勇者』には成り得ない……それでも希望はあるのでしょうか」
重要な工程の破綻を嘆いて、弱気な台詞を洩らさせたのは、瞳に灯る消え入りそうな意志の光。
それでもなお、樹木から降り立ったレジン卿は数歩だけ歩んで高い城壁の黒影を見つめる。
先ほどまで夜空を走っていた黒線は地を這う大蛇へとなり果て、城壁足下の暗がりに吸い込まれ、ここからでは見えぬ大破した戦弩弓に繋がっているのだろう。
これではロープを伝って直接追う手段もとれない。
最後の詰めまで誤らず、きっちり仕事をしてのける。
さすがは『盗賊王』といったところか。
一縷の望みまで絶たれて、レジン卿の唇が大きく歪む。
「……残った『六聖剣』をかき集め、ゲンノスケ殿を立派な勇士に育て上げ……瓦礫の山を築いたとして、どう戦えば……?」
『それがレジン卿……』
途方に暮れる迷子の幼子を思わすレジン卿の呟きに、イリアの言葉がさらなる追い打ちをかける。
『勇者様がいないの』
「――――え?」
『単に別の場所に移っただけならいいのだけど、勇者様の姿が見えないのよ』
途端に、ぐらりと景色が横倒しになり、レジン卿がその場でたたらを踏む。
何を云っている――?
もう驚愕を受け止める余力は心のどこにも存在しない。
何が何だか訳が分からぬとイリアが語るも、動転しているのはレジン卿も同様だ。
「もう――何だと云うのです?!」
『私だって分からない。ただ、あなたの治療を頼もうと宿坊に行ってみたの。治癒の『執行者』が戻っていないかと思って』
残念ながら願う人物は戻っておらず、それどころか『宿坊』はもぬけのからであったという。
「僧侶もいなかったのですか?」
『誰も。気味が悪くて……だって、自分で仲間が来るまで看病すると云ってたのに、他に移る――』
「待ってください!」
突如、大声で話しを遮られてイリアの声がぶつりと断ち切られる。向こう側で驚きに強張るイリアの相貌がありありと思い浮かべられるほどに、血走った目のレジン卿は狂気さえ孕んで見えた。
「今、“自分で”と云いましたね? 誰のことを云っているのです?!」
『え……勿論、彼よ。あの僧侶』
「僧侶が――」
レジン卿の脳内で、これまでの経緯が怒濤の勢いで巻き戻されていき、即座に僧侶と交わした会話を蘇らせる。
『……後は捕まえるだけだと……私は見守るために残れと頼まれ……』
確かにあの時、僧侶は“頼まれた”と告げていた。イリアに頼まれたのだと。どうして嘘をつく――本当のことを告げても、不審感を抱くほどではない――つまりは、やましい思惑があるためだ。そうして思い返せば、他にも不審な点はあった。
外でばったり出会ったときの驚きよう。
やけにおどおどしていた受け答え。
「私が立ち去ろうとしたとき、ずいぶんと安堵していた様子だったが……そういうわけか」
ひとり合点がいくレジン卿に置き去りにされたイリアが尋ねてくる。
『また一人で納得してないで、私にも教えてくれない?』
「すみませんが説明は合流した時に」
時間を惜しむレジン卿にイリアも逸る気持ちを無理矢理呑み込んでくれたのだろう。
『期待していいのね?』
「あまりに小さな光ですが……希望はありますっ」
それで十分――そう言い切れるだけの気概の炎がレジン卿に再び強く灯っていた。
*****
小高い丘の頂きにその男はひとり佇んでいた。
夜も深まり、さすがに肌寒くなった風もその男にとっては昂ぶる気持ちを抑えるのにちょうどよい冷たさであった。
成し遂げた――。
大仕事の後に、必ず訪れる達成感と熱を持つ強い矜持――毛嫌いしていた『盗賊王』の諱も、今では自ら名乗りを上げるほどに己の血肉となっていた。
先ほどから何回目かの顎をしごく。
髭のない剃り跡の違和感にどうしても馴染めずに気づけば無意識にさすっているのだ。
月明かりにきれいな陰影を象る城を見据えつつ、その男――『盗賊王』ロダンは、仕事の仕上げとでもいうべきあるものを待っていた。
正確には、ついでの土産に過ぎなかったが。
「――ようやくか」
城壁の外側は低い断崖となっており、その足下には林が広がっている。その切れ目から黒いふたつの影が生まれ、丘を上り始めたのをロダンはしっかりと見極めていた。
『陰技』の基本――『夜目』の効果だ。完全闇中においては無効だが、わずかでも光源があるならば、光を増幅して一定度の視認を可能にする。
最低でも物の輪郭を、光量によっては陰影までを把握でき、普段の生活行動どころか戦闘行為まで支障なくカバーする。
よたよたとした調子で近づいてくる影を見つめていたロダンの口元がわずかに歪んだ。
「ちっ――これだから素人さんは」
軽く天を仰いでため息をつく。その原因は、ふたつの影を追って現れた新たな一組を目にしたためだ。
先の影はすでに中腹を過ぎたあたりで、もう追いつかれることはないだろうが、肩で息しているのは明らかで、頂上に辿り着く頃には後ろとの差はほとんどなくなっているはずだ。
苦笑いを浮かべながらロダンは軽く手を挙げた。
気づいたふたつのうちひとつの影が、力なく手を振り返してきて、ロダンの苦笑をますます深める。
「むしろ、ご褒美をあげるべきかもな」
見つめる先は後方の追っ手。
きっちり撒いたはずなのに、まさか、こちらに現れるとはロダンさえも予想できなかったからだ。
(土産などと、欲張りすぎたか……)
いつもと違い、己のためではない大仕事に、柄にもなくさらなる完璧を期したのが――計画外の成果を欲した慢心が、生んだ結果だとロダンは結論づけた。
やがて、ふたつの影が辿り着く。
「た、大変……お待たせ……しまし、た」
息も絶え絶えの僧侶にロダンは一瞥もくれることなく、もう一人に笑顔を向ける。
「お疲れさん、勇者殿――いや『洗礼』を受けてないからゲンノスケ殿というべきかな。逃げずに来てくれてよかった」
「……本当なのですか? あなたが“勇者の仲間”だというのは」
それが逃げなかった理由なのだろう。
縋るような眼差しに、ロダンの笑みが一瞬固まる。
「……やりずらいな。ちょっとおかしな気分になっちまったぜ」
夜であり浅黒い肌でもあるので分かりにくいが、うっすらと頬が赤らんでいるのは本人も気づいていない。
「ごほっ、ごほっ……んん。その質問の答えはイエスだ」
「では、あの方達は本当に……勇者の敵?」
疑るような視線にロダンははっきりと頷く。
「信じたくないのは分かる。あちらは一国のお偉いさん達であり、俺は一介の悪党にすぎん」
その言葉でゲンノスケの眼に宿る警戒心が強まる。それには委細構わず「だが」とロダンは話を続ける。
「善悪なんてものは、その立ち位置によって基準が変わる」
「そんなこと――」
「日銭を稼ぐので精一杯の店主がいるとする」
ゲンノスケの言葉を遮ってロダンが唐突に小話を始める。
「その店主にとって、一個でも大事な商品を盗む奴は許すことのできない悪党だ。だが、飢えで力尽きようとする我が子のために盗んだ母親にとっては、その行為は善行だ」
「それは違う」
ゲンノスケははっきりと否定する。
「理由に関係なく“盗み”は“悪”と決まってる。それに、そもそも子供が追い込まれる前に、母親は働くべきだったんだ」
「それができない状況だから、子供が追い込まれてるんだろ?」
「詭弁だ」
「難しい言葉を知ってるな……まあ、お前さんのいた世界がどうだか知らんが、ここはそういう世界さ。
生まれた家が貴族なら一生食うには困らんが、泥水に捨てられてたのを拾われたような奴の人生は、盗んで殺して壊して犯して……抜け出す前に生きなきゃならねえ……抜け出したいのに押し戻される。どうにもならんことが、この世界にはあるんだよ」
強烈な自嘲を孕んだ歪な笑みを浮かべて、ロダンが吐き捨てる。喉元までこみ上げた濁った感情を吐き出すように。
それはロダンが初めて見せる負の感情。
「それとも、運命だと思って諦めて死ぬのが善だというのか? それじゃ“生きてちゃダメ”、“生きる価値がない”と云ってるようなものだぜ」
「そんなことは……」
「お前さんは、まだ“若い”ということだな」
それを馬鹿にされたと思ったのか。
「ボクの……何を知ってると?」
腹の底から絞り出すような低い声。こちらも初めて見せる荒々しい感情に、強烈な色気が霞んで、男子の素顔を垣間見せる。
「ボクにだって、分かるよ。……どうにもならない辛さが」
「そうか? ならなぜ、自分のだけを認めて他を認めない? 苦しみや痛みに優劣を付けるのか? 自分のは辛いけど他人のは大したことではないと――何とでもなると――それが“若い”というのさ」
痛烈な言葉にゲンノスケが押し黙る。
震える握り拳を見つめるロダンが、「無理に理解する必要は無い」と素っ気なく云う。
「俺が悪党なのは事実だ。だが悪党でも、仲間のために働きたいと思うことがある」
「仲間……勇者の、ため?」
「お前じゃないぜ。あいつは……不器用な奴でな。この身勝手な世の中では生きるに窮するほどに。だから、国に喧嘩をふっかける羽目になる」
一体誰のことを云っているのか。
いや、該当する者は一人しかいない。
だが、不器用? そんな一言で終わらせられる相手とは思えないが、ロダンの顔には、いつの間にか穏やかさが戻っている。
「まあ一国を相手にするんだ、一人くらい助ける奴がいてもいいだろ? とはいえ、争う理由が理由だ……」
そうして、ゲンノスケを見つめる眼差しが和らいだような気がするが定かではない。
「強制的に呼び出され、しかもこんな戦いに巻き込まれるお前さんが、何か憐れになってな。お前さんを元の世界に戻してやることは俺にはできねえが、せめて、どこかで静かに暮らす手助けくらいはしてやれるぜ」
それで助けようとするとは、自称悪党とは思えぬそれこそ善行だが、何が真実かはゲンノスケに分かるはずもない。
「どうやら本気で云ってるようですね」
その時、ふいに背後から声がして、ゲンノスケと僧侶が振り向き、ロダンだけが驚きも示さずに目線だけを向ける。
「邪魔なら殺せばいいだけですからね。戦いの場から遠ざけるために連れ去ろうとした――あなたが生きているのが、ロダンの話しが真実であることの何よりの証拠です」
ふう、と一息つく金髪の貴族はレジン卿。ウェーブのかかった髪を軽く手梳きで掻き上げ、隣の女性を気遣わしげに見やる。
「おかしなことを云わないで、レジン卿。相手は逆転の三従士――『魔人』の仲間よ」
敵意を漲らせるイリアにレジン卿は主張を変えることなく肩をすくめるだけだ。
「確かに彼女は公国民をその手にかけている――その上、『王の銀水晶』を奪ったことによる被害が甚大であることも踏まえれば、いかなる理由があったとしても、もはや情状酌量の余地なく極刑は免れないでしょう」
その事実がすべてであるとレジン卿が告げる。それへ侮蔑まじりに唾を吐いたのは『逆転の三従士』であるロダンだ。
「そんな風に、いまだに自己を正当化しているからあいつは決意したんだよ――そして俺たちもな」
ロダンのそれは紛れもない“宣戦布告”。
受けたとばかりに、イリアが気丈にも一歩前へと踏み出し、懐から肘ほどの長さしかない一本の短杖を取り出し構える。
『風巫女の短杖』――。
『深緑の聖人』の棲む森にあるというトリネコの樹木を主材とし、冠頭に緑水石を配することで風の精霊に呼びかける力を飛躍的に向上させた『魔術工芸品』のひとつ。
武器としての能力がないため、必然的に安全の確保が使用の前提条件となるが、その分、顕現される術の成果はすべてが三割増しに増幅されることになる。
奥の手と云うべき逸品を取り出したのは、それだけイリアの本気度を表していた。
「待って! じゃあ、この方の仲間って……」
これだけは知りたいと、慌てたようにゲンノスケが尋ねれば「別に隠す事じゃないからな」ロダンが答えてくれた。
「今や『魔人』と呼ばれし『元勇者』――ネリシアのことさ」




