(6)逃走劇の終幕
『魔人』と呼ばれし『元勇者』――
どんな転落劇があったのか、俄には信じがたい話しも自分の置かれた境遇を顧みれば、ゲンノスケに嘘だと否定できるはずもなかった。
突然、異世界に呼び出され、死地へ旅立てと懇願されたかと思えば、すぐに何者かの手によって拉致されたのだ。しかも『盗賊王』だなどと恐ろしい諱で呼ばれる誘拐犯は、実は『勇者』の仲間であるのだという――。
そんな奇天烈な展開があるならば、勇者が“国落とし”に走ることもあるのかもしれない。それ以前に、誘拐犯側の言い分を鵜呑みにするのか、という正論を忘れてはならないが。
無論、『勇者』にさせられた自分を助けてくれるのだとゲンノスケが素直に信じたわけではない。むしろここまでの道中、ずっと、胸に黒い染みのように広がる猜疑心を懸命に無視し続けてきたのだ。
助けてやる――詐欺の常套句としか思えぬ言葉に一縷の望みを託して。それを愚かと人は云うだろう。
だが、命を捧げろと身勝手に云う連中と『勇者』の仲間だと告げる盗賊の何を信じ、どう天秤に掛けろというのか。
知っている人が誰もおらぬ状況で。
法律も生活様式も何もかも不明な状況で。
見知らぬ世界に投げ出され、裸の赤ん坊同然に無防備なゲンノスケに、いかなる英断が下せるというのか。
助けてくれるなら縋るしかない――それが例え悪党であったとしても。
だが単なる悪党や政敵というレベルでなく、R.P.Gの知識を当てはめて推測するなら、『魔人』とは――常人では対処できぬ強大な力を持つ“世界の敵”といった類のものではなかったか? しかも――
「『勇者』が『魔人』……?」
何の冗談かという思いが顔に出てしまったのかもしれない。
「“元”な。以前は確かに『勇者』であったし、今は『魔人』と呼ばれているのも事実だ。云ったろう? 善悪の基準は立場によって変わると」
「勝手なことを云わないで。ネリシアが『王の銀水晶』を奪い、公国を混乱に陥れたのは紛れもない事実よっ」
黙ってられぬとばかりにイリアが弾劾するのをロダンは唇を歪めて応じる。
「そうとも。だが、公国のために『虐殺鬼』を倒したのもあいつだよ」
痛烈な皮肉にイリアの頬がひくつく。だが、それが単なる勘違いであり、ロダンに別の意図があったことを続く言葉で思い知らされる。
「――そして、腹違いの妹を『虐殺鬼』として討伐させたのはお前達だ。さらに、あいつを『勇者』に仕立て上げるため、第三公女の妹を儀式の生け贄にしたのも、な」
凶悪な凍結魔術が炸裂したように、イリアとレジン卿の二人が一瞬で凍り付いた。
二人を包む空気さえ霜付き、下草に覆われた丘一面が美しい氷像画を描き出したかのような感覚。
音さえ凍り付いた静寂の中で、ゲンノスケだけが耳にした言葉の意味を理解できず、両者のやりとりを唖然と眺めているだけだ。
「俺は“あいつが悪くない”なんて一言も云ってないぜ?」
ロダンの言葉だけが、氷原のごとく冷えきった二人の胸内に足跡を残す。
「ただ、あいつを追い込んだのがお前達――ヴァルディア家を筆頭にした公国そのものだと云っているんだ」
そこに含まれるのは怒りであり、侮蔑であり、そして哀しみでもあった。彼もまた、『勇者』の従士として、公国のために戦った過去があるからかもしれない。
栄光に浴し、それに相応しい働きを為し、盗賊でありながら、人々の平穏を守る一翼を担える喜びと誇りを感じていたことがあったのだ。
それを、輝かしき道を歩んでいるところで、背後から斬り捨てられたに等しい。
いや、仲間が滅多刺しにあうのを間近で見せられたと云うべきか。そうして、暗い水底に打ち捨てられた手負いの魂の下へ、彼自ら墜ちていくのを誰が蔑めよう。
そして、汚れ穢れに塗れた彼は、今や『盗賊王』となってこの場に立っていた。
『魔人』に堕ちた仲間のために。
恐らくは、金剛石のごとき堅い決意と絶えることのない仲間への熱き情炎を胸に燃やして。
丘の頂きに佇む孤高の影は、危険と隣り合わせの『探索者』であっても気圧される威圧感をその身から静かに発していた。
「……『虐殺鬼』が……義妹?」
あまりに低い呟きに、はじめは誰も反応しなかった。
ゲンノスケや僧侶は視線を逸らしてロダンの放つ威圧感に堪え忍び、レジン卿はいつもあった余裕を拭い視線に力を込めることで敵愾心の保持に集中していたからだ。
残る一人こそが呟きの主。続く力ない声に含まれた感情が、今度こそ皆の注意をひく。
「まさか……私の……?」
血の気を失ったイリアの様相は死人のそれに近かった。その身からうっすらと魂さえ離れがかっているように存在感を喪失させ、塵となって崩れるのではと思わされる。
彼女の受けた衝撃が、ロダンに真実を告げられたからではなく、知らぬ事実を告げられたからだと全員が気づく。
「狸だな……あの婆さん」
すべてを娘に伝えぬのは、国主の責務か愛情か、あるいは政治に付き物の欺瞞なのかは分からない。ただそれでも、ロダンの目にイリアを憐れむ色はない。彼女もヴァルディア家の女。公国の“陰”について何も知らぬはずがないからだ。
「……まあ、そういうわけだ。俺たちは公国を倒す――当然、血を流すことになる以上、正義ヅラするつもりはねえ。けど、このまま公国を存続させても血が流れることに変わりはないと思うがな。それもドス黒い血が」
ちらと向けられた視線は、イリア個人というよりは“ヴァルディア家”に対してのものであったか。すぐに視線を外したロダンがゲンノスケを見据える。
突き放し、試すように。それでいて、右掌を差しのべ自分の意志をきっちり示す。
「それで、どうするよ? 俺と一緒にくるか、それとも残るのか」
あらためて、ゲンノスケに選択を迫るロダン。
「お前だって公国の被害者だ。わざわざ足を突っ込む必要はねえ」
「それは違います」
はっきりと否定したのはレジン卿。まるで何かに挑むように、普段は優しげな目元を鋭く吊り上げ気味にして。
「あなたと行けば、彼が“元の世界”に戻ることは永遠に叶わなくなってしまいます。だからこの場に残り、私たちと供に戦って、『儀式』の要でもある奪われた魔導書を取り戻す必要があるのです――これはゲンノスケ殿が公国と結ぶべき取引です」
ロダンの頬がぴくりと動いたのは、ゲンノスケの気持ちが揺らいだことを感じたためか。そして余計なことをと苛立ちが発露した故でもある。
「物は言い様だな。結局は、うまいこと取り込んで、戦力にしたいだけだろうが」
「その通り。私たちにはゲンノスケ殿の力が必要です。少しでも勝率を上げ、ネリシアを倒さねば、多くの住民が苦しむことになるのですから……だからこそ、取引になるのです」
むしろ清々しいほどに言い切るレジン卿に、ロダンが鼻白む。隠さずストレートに公国側の利を説くことで、“対等の取引”ができるとゲンノスケに訴えているからだ。
元の世界に戻る――ゲンノスケにとって、これ以上の望むべき光明はないと知って。
「戻れるの?」
その問いこそが、もはや取引成立の証。ロダンが人知れず嘆息をつく中、自信を深めたレジン卿が切れ味鋭い口調で交渉を仕上げにかかる。
「率直に云えば、あくまで可能性の話しです。ただ、あなたが『儀式』によって招かれた以上、還るのもまた『儀式』以外の方法はないというのが道理。残念なのは、『送還儀式』の研究がどうなるかは誰にも分からないということ。それでも可能性を“無”から“有”にすることが、あなたの希望を叶えるための“最初の一歩”であることは間違いないでしょう?
必然、『儀式』に必要な“魔導書”があなたにとっての命綱になるわけです。この件については、私と第四公女であるイリア殿が責任を持って大公陛下と交渉します。――いかがです?」
一息に捲し立てるレジン卿。
内容はあまりに不確かなものであったが、ゲンノスケに拒絶することなどできようはずがない。この世界で平穏に暮らすことよりも、帰還の可能性に賭ける方がより魅力的な話しである以上は。
出来レースのような交渉は当然のようにレジン卿に軍配が上がる。それでもロダンが確認をとったのは、ゲンノスケに発言させることで“本人が選択する”事実を何よりも重んじているからであったろう。
「いいんだな?」
「……せっかく助けようとしてくれたのに、すみません」
ゲンノスケが目を伏せたままではあるものの、答えをはっきりと口にする。
「謝るな。そういうことで謝ると、何でも他人のせいにするようになる」
ちょっとした訓示をまるで餞別のように言い放ち、ロダンは「やれやれ」と独りごちる。
「やっぱり欲張ったのが拙かったか」
「わ、私は一緒に行きますよ?!」
後頭部をガシガシと掻くロダンに、これまで事の成り行きを呆然と見守っていた僧侶が、置いて行かれてはたまらんと声高に訴える。
「ああ、お前さんか……悪いが使えない素人はいらねーわ」
「え?」
「お前ドジを踏んだろ? 想定外なんだよ、こいつらがこんなに早く追いついてくるのは」
ロダンに指摘されても僧侶には難癖をつけられたとしか思えぬらしい。
「冗談じゃないっ。私は云われたとおりに、頃合いをみて……」
「いえ、確かにあなたのおかげで助かりました」
頭から冷水をかけるような事を告げるレジン卿に僧侶が目を剥く。
「な、何を……」
「あなたの言動です。後ろめたい行為に荷担するが故に、精神の安定を欠いたあなたの言動はすべてにおいてちぐはぐでした。そして極めつけは脱出路」
その指摘に僧侶は怪訝に眉をひそめる。誰も知らぬはずの外への脱出路を使う策は、あの状況ではもっとも効果的な手法であったはずだ。その自負をレジン卿にダメ出しされる。
「正直、ロダンが火事などで起こした騒ぎに乗じれば、通用門から脱出する方法があったと思います。そうすれば私たちは後を追えなかったでしょう。
けれど、確認してみれば通用門は誰も通っていなかった。ならどこへ消えたのか? 僧侶であるあなたなら、旧寺院の文献を入手することは可能です。
答えは“外”へ繋がる長い『隠し通路』――ルートがひとつで迷うことなく、距離もあるので急げば追いつける可能性がある――結果はご覧の通り」
優雅に手を広げてレジン卿の眼は笑っていない。
月明かりの下でそこまで認識できたのはロダンだけではあったが。
「もう一度感謝しますよ。あなたが盗賊でなくてよかった」
唇を噛みしめ、わなわなと身を震わす僧侶が俯いてしまう。何があって公国を裏切るような真似をしたのかは分からぬが、素人の付け焼き刃ではこんなものなのだろう。
今やロダンにまで見放される始末だ。
ひとつの小さな問題を解決したところで、レジン卿は気持ちを切り替えるように前へ出た。
「ゲンノスケ殿、今は下がっていてください」
地下聖堂であっさりロダンに捕まったところをみるに、今のゲンノスケに戦力としての期待が持てぬと判断したが故だ。それに『盗賊王』が相手であっても三対一の必要を感じてもいない。
レジン卿の歩みに合わせて、一度は構えを解いていたイリアも再び身構えた。もはや憂いはないという態度の二人。
「互いに尽くすべき言葉は尽くしました。そろそろこの逃走劇を幕としませんか?」
「『真贋師』か――鑑定屋が俺に挑むのか」
「あら。淑女を蔑ろにするとはひどい殿方ね」
イリアの厳しい指摘にロダンはへらりと笑う。
「ヴァルディア家の女は守備範囲の外でね」
「へえ、そうなの?」
意味深な目付きをどう捉えたか、ロダンが笑いを消してへの字口になる。わずかな苛立ちすら帯びた声で右手を背に回す。
「面倒なのは確かだ」
背中から取り出したのはひどくシンプルな造りの黒き小弓。
見た目は肘までの長さしかない細長の鉄板を弦で撓らせただけの簡素な造りで、すべてが漆黒に塗られて月明かりすら吸い込む姿は深夜の情景に溶け込み、視認するのは非常に困難だ。その上、弦にあてがう矢も黒塗りの細い心棒と徹底しており、矢羽もなく近距離戦に割り切っているのが異様に映る。
どうみても、通常の支援武器の感覚から外れた設計思想の下で産み出されており、気づいたレジン卿も異質な武器に当惑しているようだ。
「俺専用の特注品さ――あんたもそうなんだろ?」
レジン卿が素手で構えるのへ何に気づいたか、視線を袖口に向けるロダンが興味深げに眼を細める。
「互いに戦士でもないのに、“真っ向勝負”なんて笑えるな」
「月明かりだけが頼りの、戦士が一人もいない戦いです。十分に変則的でしょう」
そうレジン卿が返せば、
「それもそうか。なら、遠慮無く術を使うといい。元とはいえ、『三従士』の俺を相手に戦うんだ。あまりにレベル差があり過ぎると、弱い者虐めになっちまう」
「いらぬ心配というものです――これでも『候補者』なのでね。不足があるとは思えません」
自信に裏打ちされた返しが戦いの合図。
上位種の魔物を相手に敏捷さで優位に立てるロダンの身体能力が、二人に先んじて先制の矢を放つ。
気づいたときには、いつの間にか構えた弓から、弦の震える短い音が鳴り終わっていた。
キンッ
美しい金属音を響かせて虚空へ矢が消える。
掲げた腕を顔前に翳すレジン卿が頬を引き攣らせているのは、あまりの速さに二度目の奇蹟はないと理解したが故だ。
「ほう。確かに資格はあるようだ」
「あなたも、さすがは『元勇者』の従士」
戦闘職でない盗賊といえど、勇者と共に歩めるロダンのレベルにもなれば、生半な戦闘職上位の二、三人くらい容易く葬り去れる。
対するレジン卿はギリギリの反応――言葉とは裏腹に、首筋に汗を滴らせるのが何よりの証拠。下級貴族のお気楽三男坊としては出来過ぎの能力でも、やはり、そこまでが限界というところ。
受けた矢の衝撃は想像以上に重く、レジン卿の汗を簡単に引かせてはくれない。
(高レベルの盗賊が扱う弓ともなれば、それなりに強度の高い張力にもなり、見合うだけの筋力も当然する――重いわけだ)
実際、皮鎧から剥き出しになっているロダンの上腕二頭筋は逞しくレジン卿の三割増しは太い。
冷静にみて、例え相手が様子見であったとしてもそれに付き合うべきではなかった。
距離を置く不利を悟り、レジン卿が前に向かって駆けだした。その後方、既に瞬間瞑想に入っていたイリアは、突き出した左手をゆるやかに回しながら、何らかの術の発動を試みている。
「黙ってやらせるかよ――」
目敏いロダンが術の行使を阻止すべく、突っ込んでくるレジン卿を平然と無視してイリアへ矢を放った。
間一髪で発動した『風巫女の矢反らし』がイリアの正面で大気の渦を生み出し、眉間を狙った黒矢の射線をねじ曲げた。
「ちっ。防御が先とは手堅いな」
舌打ちするロダンにあと数歩と迫ったレジン卿がやにわに空手を振り下ろし、「何を?」と不審がれば、袖口から飛び出した何かに度肝を抜かされる。
「ぅおわ――っ」
咄嗟に身体を仰向けに、地面に倒したのはさすがの反射神経だったが、ロダンは無様に背中から落ちることになる。
目の前の宙を走りすぎたモノは、高いステータスからくる動体視力ではっきりと認識できた。
「はは……何だよ、その武器は」
勇者一行として各地を旅してきたロダンだが、初めて目にする武器に盗賊として稀少品に眼がない蒐集心をくすぐられる。
興奮している間にも、一度は飛びすぎた武器が瞬時にレジン卿の手元に戻り、今や一本の金剛棒へと姿を変えていた。
「自在に伸び縮みする棒か。――面白い」
「『自在金剛』――伝説の武具をヒントに造ったオリジナルの固有武器です。名前は伝説発祥の国の言葉を用いて名付けてみました」
「博学だな。『候補者』に教養を求めるのは最近のトレンドか?」
「むしろ遅いくらいだと思いますが。もっと早く気づくべきです……“知力”も立派な戦闘能力のひとつであると」
鋼と思しき六角の金剛棒は長さが1.4メートル。それを肩幅あたりのところを両手で掴み、心持ち肘を弛めた感じで胸前に構える。
術士の杖術とも違う異質な構えをとりながら、レジン卿が会話の最中もにじり寄って何気なく距離を詰めてしまう。
「いいだろう。見させてもらおうか」
云うなりロダンが再び小弓を構えれば、そこにレジン卿から疾った“何か”が襲い掛かり、ぶつかるすんでで、小弓を振り上げ躱す。
そのまま背中に小弓を収めて、ロダンは逆に間合いを詰めに出る。
その名のとおり自在に伸び縮みするならば、戻す前に懐に入れば、一方的な先制チャンスを得られる。俊敏を活かしてわずか二歩でレジン卿の間近に迫り、ロダンは腰裏から短刀を抜きはなって脇腹を狙う。
それが易々と金剛棒に防がれる。
戻りが早い――単純な機巧というよりは魔力由来の動力か?!
「いいね――俺が勝ったらそれをもらうぜ」
「勝てたら、ね」
『自在金剛は六つに分かれた“上質な鉄”製の棒に強靱な陸鯨の髭を通して繋げているが、その分裂等の操作は魔力を通して自在に操れる。
ここまでの動きを見るに、レジン卿の魔力操作は魔術師並あるいはそれ以上に滑らか、かつ、反応速度に優れ、棒術の技倆も相まって驚嘆に値する。
「ぅらあっ」
ロダンが咆哮し、右腕が唸りを上げて瞬時に三方から短刀の斬撃を繰り出す。回転力の高い短刀で、その上、攻撃速度に高い補正がかかる特殊武器が、尋常ならざる攻撃を可能とした。
ガギギ――ッ
音もなく牙を剥く短刀に、瞬時に両腕を八の字に走らせ、金剛棒の両端で迎撃する。まるで剣の二刀流がごとき技で防ぎきり、即座の反撃も流れの中で実行された。
「くっ――」
思わぬ反撃にロダンが押され、一度は追撃の手をゆるめてしまう。
ロダンの怯みに乗じて金剛棒の回転速度が上がる。
「――くはっ」
たまらず一歩下がったロダンに、手元でぐいと延びる感じで金剛棒が追撃をかける。
ロダンは真っ向から受けずに、短刀を斜めに翳して打撃の力をいなす。金剛棒が横に流れ、相対していた力の反発を使って、ロダンはそのまま短刀で攻撃に転じた。
短刀術基本の反力交差法。
次に何を仕掛けてくるか分からない――二人の攻防は風車のごとく目まぐるしく移り変わる。
「ぐっ……」
レジン卿が呻き、一撃の威力で押されたように後ろに下がる。
まともに入ったかに見えた攻撃に、ロダンの舌打ちが失敗と告げていた。レジン卿が下がったのは自ら身を退いたためであり、それが深手になるのを辛うじて防いでいた。
「おっと」
ふいにロダンが身を屈め、頭上を何かが走り抜けると同時に、右側面の空間でパキンと乾いた音が鳴り響く。
見えざる力と力の拮抗。
「『抵抗』……いえ魔術を防御した?」
離れたところでイリアの驚きの声が上がる。不可視の風刃を回避した動きにも驚いたろうが、威力軽減が一般的な防御手法の中にあって、まさか完全防御を見せられるとは思ってもいなかったに違いない。
その上、術士でもないのに魔術を完全に防ぐ方法は、バカ高い『魔術工芸品』を使うしかないという事実がイリアの驚愕に拍車を掛ける。それは、上級の『探索者』であっても容易に発見し所持できるものではなく、購入するにしてもオーションに出品される奇蹟を祈るしかないからだ。
国中の宝を二割は占める――そう嫉妬と羨望も含めて噂される『盗賊王』だからこそ、というべき逸品であった。
左手で胸を押さえるレジン卿が短刀の間合いから離脱する。追い詰められてもいるし、逆にいえば、金剛棒の一方的な支配地域にロダンが立たされたことも表していた。これも彼が言うところの“知力”を活かした戦いか?
「洒落臭いっ」
ロダンが胸の皮鎧に縫い付けられたナイフ収納帯から二本を引き抜き、よろめくレジン卿へ追撃をかける。
かろうじてレジン卿が金剛棒で弾くうちに、ロダンが持ち前の俊敏さで再び間合いを詰めて迫った。
「悪いが本気でいくぜ」
手に持つ短刀が淡く銀色に輝くのをレジン卿ならば気づいて警戒してはいたであろう。
力んだか、やや大振りとなった短刀の振り下ろしにレジン卿は金剛棒で打ち払いにいく。ふたつの鋼がぶつかりあった途端、力の余波のようなものがレジン卿に向けて迸り、その動きを止めた。
その一瞬、困惑に縁取られたレジン卿の瞳を間近にいたロダンだけは視認する。
なぜ自分がダメージを――?!
当然の疑念だが、戦いの最中にいらぬ雑念は命取りな“判断の硬直”を生む。まして相手は戦闘巧者のロダンともなれば。
すかさず蹴りでレジン卿の足をなぎ払い、一瞬でその身を横倒しにさせた。
レジン卿からすれば、気づけば天地がぐるりと転がり、大地に背を預けていたことになる。状況が掴めぬ彼の惚けた顔に、どこか自慢げなロダンの声が降ってくる。
「これは『風鳴りの短刀』と云ってな。所有者の攻撃速度を上昇させる効果だけでなく、魔力を込めれば、打ち鳴らすことを条件に“疾風の刃”を放つことができる特殊効果を持つ。――あいつにもらったんだ」
語りながら、起き上がろうとするレジン卿の胸に片足を叩き込んで地面に抑え付ける。肺から空気を押し出され、苦しさに動きが鈍ったレジン卿を見下ろしながら、ロダンは冷ややかに宣言した。
「悪いが、公国を倒すと決めた以上、お前らを殺すのに躊躇いはねえぞ?」
「……なら、さっさと……」
気丈に挑発しかけたレジン卿の声を強い風が千切り飛ばす。下草がざわめき、荒れる風の強さにロダンが向けた視線の先は当然のごとく『風術士』イリアの姿。
「俺に精霊術は効かないぞ?」
「そうとは限らないわよ」
「何?!」
ロダンを中心に渦を巻き始めた風の流れが強まり、わずかだがロダンの身体がバランスを崩す。平衡感覚など誰よりも卓越しているはずの盗賊が、一瞬たりとて失うなど、あってはならぬ珍事にロダン当人が信じられぬと目を剥く。
「くそっ……何で……?」
踏ん張りきれずにロダンの身体が軽く浮き上がり、すかさずレジン卿が身体を横に転がし逃れる。
攻撃系の術の場合、威力を出すために精霊力あるいは魔力が恣意的に強められ、塊となっている。それを薄膜のように受け止め、あるいは弾いて防ぐのが完全防御の仕組みとなる。ならば、逆にその力が薄れていれば引っかかることなく薄膜を素通りするのが道理というもの。
イリアが為したのは、今回の一件で皮肉にも上達した風のコントロール能力を活かし、ロダンの周りにだけ局地的な旋風を起こしたに過ぎなかった。無論、ロダンを弾き飛ばすほどの威力を込めれば、うまくいくことはなかったが。
「ちいっ」
浮いた時間は数秒にも満たない。その場へすぐに着地したものの、たたらを踏むロダンへ、隙ありとレジン卿が金剛棒を振り回して短棒を飛ばす。
それはほとんど偶然にしかすぎなかった。それでも渾身の力を振るって遠心力を効かせればこそ、分裂し飛んだ金剛の短棒は見事にロダンの顎を打ち抜いて、何があったか理解できぬまま彼の意識を奪い去った。
ドサリ、と糸が切れた操り人形のようにロダンの身体があっけなく頽れる。
「勝った……のか?」
やった当人であるレジン卿が、信じられぬ出来事に眼を瞬かせ、すぐに疑心の眼で草むらに埋もれた盗賊の身体を睨む。近寄った途端、むくりと起き上がって無防備な自分の腹に短刀を突き込んできてもおかしくないからだ。
逆に意識を取り戻してしまうかもしれないのに、しばらく様子見を続けたくらいだ。
「……いい加減、確かめてみれば?」
焦れたイリアの声に「そうですね」と気のない返事でレジン卿が賛同する。だが一向に動く素振りを見せない。
躊躇いを窺わせる背にイリアのせっつくような視線が何度も刺さる。
「いいわ、私が――」
「いえ。確認します」
見かねたイリアが歩き出そうとしたところで、ようやく腹を決めたのか、レジン卿が手で制しつつ、泥沼のなかを進むように重たい足取りで進み始めた。片手で胸を押さえながら、緩慢な動きで伏した盗賊の影に近づいていく。
「ああ……」
やがて、慎重にロダンの身体を検めていたレジン卿が、喉奥につかえていた不安の塊を吐き出すように喘いだ。
「……勝ちましたよ。信じられない」
本当にロダンが気を失っていると確信して、イリアに顔を向けたレジン卿が口元を歪めて首を振る。いつもの自信満々な姿はそこになく、恐らくは、彼が推測していたであろう“悪い未来を迎える”との恐怖を“公国を救わねばという気概”だけでねじ伏せて、我武者羅に戦っていたに違いない。
勝てるか勝てないかではなく、“勝つんだ”というそれだけの気持ちで。
内心、懸命に己を奮い立たせて。
だからこそ、張り詰めていた気持ちの糸が緩み、こみ上げる感情が笑いとなって零れだしていた。
「はは。本当に……勝てたんだ」
乾いた笑いが、丘の上にかすかに流れる。
思わぬ形で戦いが終わっても、当人達にとっては命がけの戦闘だったのだ。どんな勝利であろうとも嬉しくないはずがない。
しかも、あれほどの強敵相手に勝利を収めたとなれば、なおさら。
イリアがその肩に手を触れるまで、膝をついたレジン卿の笑いが途切れることはなかった。




