(3)3つの選択肢
「いいの、レジン卿」
「何がです?」
通路に設置された『魔導具』による照明は足下をほんのりと照らす程度であり、ほぼ暗がりといっていい中を二人は慎重に歩いていた。
待ち伏せの可能性が限りなく低いと頭では分かっていても、初めて歩くところであり、その上逃げ場のない狭き通路とあっては、どうしても歩みは遅くなってしまう。
特に通路の高さが問題で、子供用に造られたとしか思えぬ低さは、レジン卿より背が低いイリアであっても多少頭を屈めないと歩けぬほどなのだ。
「『風精の囁き』を使えば、暗闇であっても迷わず、盗賊が潜んでいても事前に察知することができる……無論、限度はあるけれど。私が前に出て先導した方がよいのでは?」
「それには及びません」
振り返ることなく、だが丁寧にレジン卿がイリアの申し出を断る。その理由を察したらしいイリアがわずかに顔を曇らせたのを知る由もない。
「母上の――大公陛下の仰ったことは……」
「無論、臣下である以上は無視できません。ですがそれ以前に、貴女の前に立つのが私というものです」
しごく当然のように言い切られてイリアが言葉を詰まらせる。恐らくは呆れ半分、感嘆も半分。相手が女性である限り、70を越える老女でも5歳の幼女でも変わらぬ慈愛を込めて同じ台詞を紡ぐのが彼である――『女性溺愛主義』を公言していたのを、あらためて実感したに違いない。
「ところで、貴女は『隠し通路』の存在をご存じでしたか?」
沈黙を良しとしなかったのか、レジン卿が話題を変えた。
「いいえ。けれど、何となく分かる気がする」
「どういうことです?」
思わずレジン卿の足が止められるのへ、「簡単な想像よ」そう答えるイリアの声には笑みが含まれていた。
「この城は、元々が岩窟族の寺院があったところに築城されたと史学で習ったの。それを踏まえると、先の『地下聖堂』もそうだけど、部屋などの空間は当時とほぼ同じ用途で継続して利用し、逆に通路などは人目から隠し“秘密の抜け道”として活用することにしたのではないかしら」
「……なるほど、それなら分かります」
何かに合点がいったらしいレジン卿の声。
「“公家の秘事”と云いながら、なぜ『宿坊』に通じる仕組みになっているのかと不思議に思っていたのです」
秘密は数が少ないほどバレる可能性は低くなる。そう考えれば、乱りに『隠し通路』を張り巡らすべきではなく、最重要人物の寝室などに限定して構築するのが常道だ。それを僧侶が寝泊まりする『宿坊』と連繋させている意味が分からないというのは、当然の疑問であったろう。現に、僧侶に扮して潜入していた『盗賊王』に発見され、悪用されるという最悪の事態を招いてしまっているのだから。
ただ、設置の経緯を知ってしまえば、「あるものは有効に使おう」的な軽い着想が発端なので、その事に憤るのは“お門違い”ともいえる。
実際、小さな疑問が解消されたレジン卿はすでに任務のことに考えが向いていたようだ。
「『旧寺院』の全体像が分かれば、盗賊の逃走経路を予測できるかもしれません」
ダメ元で口にしたであろうレジン卿の淡い期待はやはり叶えられることはなかった。「残念だけど」というイリアの申し訳なさげな声が背中に当たって消える。
「気になさらず。どうせ時間差はそれほどないはずですし、何よりヤツにはゲンノスケ殿を背負うハンデが付いている。必ず追いつけます」
イリアに気遣いながらも、しかし、レジン卿の表情は冴えない。幸いイリアに気づかれることはなかったが、表情が沈んで見えるのは、決して暗がりのせいばかりではなかった。
(あの時、盗賊は「三手先を読む」と云っていた……そして煙幕が「一手目だ」とも)
ならばあと二つ、某かの手段を準備しているのだとしたら、本当に逃げおおせてしまうのかもしれない。
先ほど盗賊の考えを読んだつもりで、聖堂の出口を封じた策が見事に空振りした時から、レジン卿の胸中には言い知れぬ不安が芽生えている。
抜け目ない盗賊相手に、読み合いで後れをとれば、その分だけ手が届かなくなっていく。それだけに、怪我などが目に見える“単純な戦闘”と違い、戦況そのものが見えにくい戦いはミスを挽回するのが難しい。
追跡者《自分たち》と逃走者とはどれだけ差が開いているのか?
自分達が優勢か劣勢なのかも分からぬ状況で策を講じて戦い、しかも絶体に勝たねばならない――それだけに追跡側で実質の主導権を握るレジン卿には、自身が思う以上に相当のプレッシャーがかかっていた。
「……だいぶ目が慣れてきた。念のため、歩みを早めましょう」
わずかでも差を縮めるべく、レジン卿がイリアを促す。それが焦りからくるものだと自覚していても、レジン卿に抑えることはできなかった。
*****
「ここで行き止まり……なら、開閉装置が近くにあるはず」
それほどの距離を歩くこともなく、二人は通路の終着点に辿り着いた。手分けして、手近の壁に設置されていた『魔術紋』を捜し出し、イリアの魔力で扉の仕掛けを作動させる。
扉が開けば光が漏れる――追跡途上でそれを見なかったということは、ロダンがそれだけ先行していることになる。レジン卿が思っている以上に追跡が出遅れていたということだ。
「ル・グァン像? どうやら『宿坊』の奥に出たようね」
城暮らしの長いイリアにはすぐにどこであるかの見当がついたらしい。
彼女の話によれば、ここは僧侶達が朝夕に祈りを捧げる小さな『御堂』だろうということだ。彼女自身、立ち入ったのは初めてであるが、『宿坊』の奥にあるという話しは耳にしていたようだ。
ここにも『魔導具』の照明が設置されているものの、部屋の四隅までは届かず、蹲る動物のように暗がりが蟠っていた。無論、そこに盗賊が潜んでいないことは一目で判断できる。
「急ぎましょう。通路でだいぶ時間をとられた」
さすがにレジン卿の焦りをイリアも気づいたらしい。異論も挟まず出口となっている石段へと向かう。
「いや、ちょっと待って」
自身で急かしておきながら、ふいにレジン卿の制止が掛かってイリアが振り返れば、彼は部屋隅の翳りに目を眇めて何かを見出そうとしていた。
「レジン卿……?」
イリアの呼びかけに応じず、レジン卿はすぐさま部屋隅へと足を運ぶ。そこで床から拾い上げたものは、脱ぎ捨てられたローブだった。
「まさかロダンの?」
「恐らく。部屋の隅にローブを“置いた”、“忘れた”は不自然ですし、かといって『御堂』に物を捨てる行為は僧侶らしくありません」
「つまり、“僧侶でないロダンが捨てた”と考えるのが自然ということね」
意図を汲み取るイリアの言葉に「しかも発見が遅れやすい部屋隅の暗がりを狙って」とレジン卿が付け加える。
「残念ながら『真贋師』を欺くことはできませんでしたが」
『真贋師』や『盗賊』には共通する基本技能のひとつに、何かの違和感を察知する常時発動型の『気づき』がある。
残念ながら具体的な形で認識できるものではなく、また、常に100%察知できるわけではないが、この手の技能特性として、熟練するほどに察知確率が高くなり、かつ違和感の位置も正確になっていく。
あくまで初級レベルであり、些細な成果であるものの、例えベテランであっても起こり得る“見落とし”を技能で防げると捉えれば、地味に役立つ技能であるのは確かだろう。
事実、今回も違和感に気づいたレジン卿によって、賊の遺留品を発見することができたのだから。
「ちょっとした手間を惜しまず、物陰に隠すべきでしたね」と得意げに語っているレジン卿とは裏腹に、イリアには消えぬ疑問があるようだ。
「しかし、扮装を解いたのはなぜかしら。僧侶のままの方が、『宿坊』を出入りするにも怪しまれずにすむのに」
「いえ。“潜入”で顔見知りとなっているので、服装くらいは何とでも誤魔化せるはず。むしろ、これからの逃走を考えれば、我々に知られている“僧侶姿”の印象から外れた方が、捕捉される可能性が低くなります」
「なるほど。でもその考えでいけば、私たちは“貴重な手がかり”をひとつ失ったことになるわね」
結局は“喜べない事実”を知っただけ――そう顔を曇らすイリアに「良いこともありますよ」とレジン卿は励ます。
「我々がこうして、“ロダンが扮装を解いた事”を知ったのは何よりも暁光です。ヤツにすれば、この事実を我々が知るのはもう少し後のこと――少なくとも、“城からの脱出”に支障が出ないタイミングを想定しているはず」
「ならば、これはアドバンテージとして活かすべき?」
「そういうことです」
呑み込みの早いイリアにレジン卿は満足げに頷く。
「ただそれも、これ以上の時間的損失を出さなければの話しです。とにかく先を急ぎましょう」
拾ったローブを手近の椅子に掛けるやレジン卿は再び先頭に立った。ここでも時間を費やしたが、それ以上のものを得た――その瞳に自信を漲らせる彼の足取りは、先よりも心なしか力強さがある。
地上へ向かう石段を昇りながらレジン卿が尋ねる。
「『宿坊』から最寄りとなる城外への出口は『西の通用門』ですか?」
「そうよ」
ここスロイゼン城は防備の関係上、大きな出口は城門しかなく、他は利便性の問題で造られた狭い通用門がふたつだけあった。『西の通用門』はそのひとつになる。
「ギリギリか……?」
「先ほど放った“伝者”のことね?」
レジン卿の気掛かりをイリアもすぐに察したようだ。
狭苦しく手間の掛かる『隠し通路』よりシンプルに通れる正規ルートの方が早いのは分かっているが、皆を落ち着かせ伝者を放つのに、それなりの時間を要している。さらに『盗賊王』と呼ばれたロダンの身体能力を考えれば、先に脱出されてもおかしくないギリギリのタイミングだった。
「間に合ったとしても、門番がロダンにうまく言いくるめられてしまえば元も子もありません」
「でも陛下の下知よ――門番が許可するような“都合の良い理由”があるとは思えないけど」
「それこそが、ヤツの“次なる手”だとしたら?」
レジン卿の反論にイリアが沈黙する。
人々がロダンを『盗賊王』として怖れるのは、その強力な『異能』ばかりでなく、賢しまな知能も有するためだ。
これまでも、絶対の自信を持つ強固な警備をかいくぐられ、名だたる家宝を盗まれた貴族や商人は少なくない。特殊な能力に頼り切った力押しのみでなく、策略も操る硬軟織り交ぜた戦い振りにしてやられるのだ。
とりわけ古代文明の秘宝を巡って相争い、見事『六聖剣』の一人を出し抜いた『イリアモスの聖剣』の一件は、あろうことか歌劇にもなって公国を越え大陸中を席巻した経緯がある。
その私財は豪商クラス数人分――そんな知力・財力を兼ね備えた盗賊王を相手に、文官として計略に身を浸す者ならばともかく、一介の門番に太刀打ちできると考える方に無理があるとイリアも気づいたのだろう。
「この先は?」
「僧侶達の生活空間ね。寝室や休憩所、台所に食堂といった風に。確か……まっすぐ通路を進めば、『宿坊』の外に出られたはず」
「申し訳ないが、『宿坊』を出たら全力で走ります」
先行することを伝えるレジン卿にイリアは当然と承諾する。
身体能力の低い彼女の場合、詠唱時間をとられても、得意の風術で速度を上げた方が結果的に早く辿り着く。逆にレジン卿の場合は、術に頼って悪戯に時間を浪費するよりも全力で駆けた方が間違いなく早い。
ならばパーティ行動に拘らず、二手に別れるのが得策――即席パーティでありながら、説明されずとも、イリアはレジン卿の意図を正確に受け止めていた。
石段が終わり、廊下に出る。当然、ロダンの姿は見えない。
廊下を挟んで向かい合った扉が手前と奥で二組あり、それぞれイリアが説明してくれた寝室などの部屋だと察する。
今は“新情報”を門番に伝え、“封じ込め”を完全な形にするのが先決だ。脇目も振らずレジン卿が足早に歩き出す。
二人が手前側の一組目へ辿り着いた時、ふいに正面突き当たりの扉が開いて、反射的に立ち止まった。
まったく予期せぬ状況に二人の視線がそこに釘付けになる。
ローブを被った人影に――。
「どなた――?」
先に発したのはローブ姿の僧侶。レジン卿達の姿を目にしてびくりと身体を震わせたのも一瞬、すぐに詰問調で問いかけてくる。声に明らかな警戒心を滲ませるのは当然のことだろう。
「――失礼。私はディバルディ・レジン。こちらは知っていようが、宮廷魔術師のイリア殿」
我に返ったレジン卿が手短に挨拶すると、僧侶は慌てて頭を垂れたものの、さすがに不審感ばかりは拭えないようだ。
「無論、貴方のことも存じておりますレジン卿。ですが……なぜお二人が、ここに?」
「申し訳ないが、火急の用にて後ほど説明する。それよりも、誰でもいい――合わなかったか? 正確にはゲンノスケ殿を抱きかかえているので“二人”と云うべきかもしれないけど」
「誰でも……?」
「そこには拘らないでくれ。とにかく今、誰かを見かけなかったか? 恐らく『西の通用門』の方に向かっていると思われるのだが」
戸口に立つ僧侶には頭上から月明かりが注がれており、その者が淡く光って見える。『儀式』を始めた時間と体感的な経過時間を考慮すれば、夜もだいぶ深いはずだ。
静まり返った城内ならば、乱りに人が出歩くはずもなく、だからこそ、僧侶が出会った人は少なく、そして確実に覚えていると踏んでいた。
「例え警備の者でも――人を見かけたなら、すべて教えて欲しい」
「はぁ……?」
わけがわからぬと首を傾げながらも僧侶は記憶を探ってくれる。
「……つい先ほど、城館入口へ向かう警備二人とすれ違ったところです。後は……今し方、地下聖堂の方へ向かう者を見かけましたが」
「通用門へは?」
「誰も見かけておりません」
明言する僧侶にレジン卿が目を細める。それほどロダンが先行しているのか、あるいは……。
「警備二人と云ったね? 二人とも歩いていたのか?」
「え? ええ」
「では“聖堂へ向かった者”についてだが、こちらは一人?」
「いえ、方向がそうだというだけで、本当に聖堂へ行ったかは分かりません……ええ、そうです、一人でした」
「何かを背負ってるか、あるいは荷車か何か引いてることは?」
立て続けに奇妙な質問をされて、すっかり困惑した様子の僧侶にはお構いなしに、レジン卿は語気強く詰め寄る。
「そ、そうですね……手ぶらだったと思います。ただ、何ぶん遠目で見てるだけで……夜ですし」
自身なさげな僧侶の弁明を、すでにレジン卿は聞いていなかった。聞き出した情報をヒントにロダンの行方を必死に推測していたからだ。
警備の二人については、数だけなら合っている。だが、それがロダン達だというのなら、この状況で出口へ真っ先に向かわず、その上、気絶したはずのゲンノスケが一緒に歩いていることになる。
「おかしい……それはない」
ならばもう一方となれば、もっとあり得ない。
わざわざ追っ手が放たれたはずの地下聖堂の方へ戻ることになり、何よりも一人というのがあり得ない。目撃された時間も先行しているロダンとすり合わずさすがに違和感があった。
「となれば、嬉しくない答えになるね」
ロダンはとっくに先行し、『西の通用門』に向かっている――いや、こうして余計な聴き取りをしているうちに辿り着いていても不思議ではない。
「こうなることを予想して、餌を撒いたのか?」
証拠となるローブを発見しただけに、注意深く追跡する必要があると思ったのは確かだ。それこそが、ロダンの仕掛けた“誘導”だとしたら……?
「この“惑わし”こそがヤツの二手目か?」
苦虫を噛んだような表情をつくるレジン卿に呪文の詠唱が聞こえ、身体に微風が纏わり付いた。
「イリア殿……?」
「『風精の通り道』よ……私は無理でも、貴方なら、急げばまだ間に合うかもしれない」
『風精の通り道』――。
対象者の進行方向に沿い、前方の気圧を下げ、後方の気圧を高める対流を産み出せば、“引っ張られる力”と“押し出される力”の両輪で対象者を早く進ませることができる――機転を利かせて速度を速める風術を付与してくれたイリアに、俯き加減でいたレジン卿が笑顔を見せる。
「ありがとう。いい相棒を持ちました」
思わぬ台詞に今度はイリアが微笑を洩らす。
「気分がいいからもうひとつ……貴方の注意深さは無駄ではないわ。この戦いは、始めから貴方にしかできない頭脳戦――“読み合い”なのだから」
イリアの声を背にレジン卿が外に出ると、夜の訪れをはっきりと実感することができた。
高い尖塔の傍らに明るい三日月が鎮座しているのが見え、その灯火だけでは足りぬと、周囲に点々と篝火が焚かれているのに気づく。
軽く手を広げ、地下とは違う冷たい空気を胸いっぱいに吸って、レジン卿は肺に溜まったよどんだ空気を入れ換えた。
「念のため、手を打っておきましょう。イリア殿、こちらの御仁にも協力いただき、すれ違ったという警備の者を調べてもらえませんか?」
「勇者様が賊に協力をすると?」
眉をひそめるイリアにレジン卿は頭を振った。
「あの様子では、本当にこの世界のことを何も知らないらしい。“無知なる者”を騙すほど、簡単なことはないのです」
「彼の『盗賊王』ならなおさらね」
得心したイリアが大きく頷く。そして――
「では、頼みましたよ」
口を開き掛けたイリアの下を、背にしたまま気づかぬレジン卿が文字通り風を巻いて走り去る。
見る間に建物の影に姿を消した相棒を「まあ、いいか」という感じでイリアは諦めて見送るしかなかった。
「――そのどちらでもなかった場合は、どうすればいいのかしら」
イリアの杞憂(?)はすでに相棒の耳に届くことはない。
「考えたら切りが無いわね」そう独白して解決するのも当然の流れであり、彼女が責められるべきでないことは誰もが認めるはずだ。
そう。
打てるだけの手を打つ――これが剣を交えず、魔力をぶつけ合うことのない戦いであることを、本当の意味で、まだ誰も理解していなかったのだから。
この後、己の甘さにレジン卿は気づくことになる。




