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(1)『勇者召喚の儀』

 冷たい石畳の上に『神意文字』と幾何学模様を組み合わせて描かれた円形の魔術紋――いわゆる魔法陣の中心に、“人影”が形作られた時、その場にいる全員が息を呑んだ。

 それは彼らの知る儀式に、“人体生成・・・・”などという途方もない力などあるはずもなかったからだ。


「グリアム司教……?」

「……貴方の方が、お詳しいはずです」


 誰よりも紋様に近い位置で、大判で分厚い書物を掲げた司教が「不明」の意を伝える。実際、今の怪現象が起きるまでは、前回を思い出しても(・・・・・・・・・)踏んだ儀式の流れに(・・・・・・)違いは見出せない。


「何が違う……?」


 途方に暮れ小さく呟く司教の視線は、汚れ傷ついている手にした古書に注がれている。確かに読めな(・・・)くなった(・・・・)箇所はあるが、記憶にある文言を違えていないと断言できる。

 ひとり司教が胸中で煩悶するうち、魔力の証である銀色の微光を放っていた紋様が薄れて消え、代わりにそれ自身が微光を纏うように暗がりの中でもくっきりと人影の実像が露わになる。


 人だ――それも一糸まとわぬ成人手前と思しき男子の姿(・・・・)


 陶磁を思わす滑らかな肌に撫で肩の華奢な身体はほんのりと丸みを帯びて女性にょしょうかと見紛う。それを助長させる細いおとがいに愛らしい顔立ちは精巧な人形のようですらあった。

 その場に十名以上の立会人がいながら、誰一人声すら上げられないのは、今や彼らの想像を超える怪事が起きたからではあったのだが、忽然こつぜんと現れた“美しき者”に純粋に目を奪われたということが何よりも大きい。


 ふいに、その者が閉じていた瞼を開く。


 大きな黒瞳に意志の光が芽生え、次いで全裸の自分に気づいて短い悲鳴を上げた。


「きゃっ」

「「「……」」」


 まるで少女を思わす愛らしい悲鳴に、先ほど以上の沈黙が辺りを包む。幾人かが「ぉぉ」と劣情の呻きを上げたのは異例中の異例だ。

 だが確かに、「自分が勝手に勘違いしていたのでは?」と不審を抱かずにはいられず、あらためて食い入るような視線が、周囲からその者に投げかけられる。

 両腕で自分を抱きしめるように抱え、その場にしゃがみ込んだ姿勢は、丸みを帯びたお尻が強調されて、自然と、特に男達の視線を集める――いや、可愛らしくとも相手は男の子だ。

 平たく云えば“野郎のケツ”に情欲を覚える――

 おかしな空気(・・・・・・)が漂うのを振り払うべく、あちこちで咳払いや居住まいを正す衣擦れの音が響いた。


淑女レディ。これをお使いください」


 男達が寝ぼけた“理性”を叱咤する中、あっさりと耽美の誘惑に負けたのか、優しい言葉を投げかける者がいた。


「レジン卿……」


 それは誰の声であったか。

 いさめたわけでもなければ、無論、褒めたわけでもない。ただ、自ら“女性溺愛主義フェミニスト”――それが本来の意味に即しているか否かは別にして――と称する彼の子爵であれば「さもあらん」と呆れ混じりにその名を口にしてしまっただけだ。

 だが、全員が同じツッコミを胸中でしたはずだ。


 そいつは女ではないぞ(・・・・・・)――と。


 その者が顔を上げた。

 すぐ傍で目の当たりにしたレジン卿のみならず、周囲にいる老若男女を問わず、全員が再び息を呑む。


 異性の垣根を溶かされて――。


 不安に揺れる黒瞳は軽く潤み、動揺の最中、掛けられた暖かい声に思わずすがりつくように顔を上げた――それ故に、心持ち弛んだ愛らしい唇が、しっとりしているような細い肩の震えが、その場にいる者の下腹を女にとってはただ甘く、男にとっては不道徳な刺激で熱くする。

 堪えきれず呻き声を洩らしたのはその場にいる全員か。

 ある者は魅入られ、ある者は赤面して顔を逸らす中、レジン卿だけは片膝をついて同じ目線となり、あらためて己のマントを差し出した。ある意味、彼をこそ真の勇者と云うべきであろう。


「――どうぞ」

「あの……」


 恥じらいつつ躊躇う姿に、さらにレジン卿は笑顔を深め、思わず細腕に守られた胸の谷間を――無論、そこに期待する丘陵・・はおろか、幾ばくかの起伏・・さえあるはずもないのだが――目にした途端、当然のように彼の笑顔が固まった。

 流れるように、不躾にも相手の股間へ視線を滑らす。思わずぐいっと前のめりになって覗き込んだのは、当然欲望に突き動かされたためではない。


「――――あった(・・・)


 何度聞き返しても、例え“心の耳(?)”で聞いたとしても、皆に届く言葉の意味は決して変わることはなかったろう。

 たっぷりと時間を要した後、ぽつりと洩らされたその言葉は、皆には「あってしまった(・・・・・・・)」と嘆くレジン卿の深い落胆を表す言葉にしか聞こえなかった。


「…………」


 結末は誰もが分かっていただけに、居たたまれない空気が場に広がる。

 その者は全裸であったのだから、当然、レジン卿も始めからきちんと(・・・・)目にしていたはずだ。ただ、愛らしさや妙な色香に、脳が理解することを拒んだ“男心”を同性であれば理解できなくもなかったが。


「……ありがとう」


 鈴鳴る声も下手な貴族の子女より可愛らしいのが、レジン卿の傷口を無残に広げる。それでも女性と勘違いさせる声に思わず反応してしまったか、がっくりと肩を落とし項垂れていたレジン卿は、自慢の金髪を掻き上げながら、乾いた笑みを浮かべた。


「気にしなくていいよ。それに……申し訳ないけど、その格好のままでは陛下に対して失礼だ」


 レジン卿が顔を向けた方へその者の視線が釣られる。そこでようやく暗がりに目が慣れてきたのだろう。

 ゆっくりと周囲にも視線を巡らし始め、次第に不安と困惑が愛らしい顔に広がっていく。

 ここが『地下聖堂』であることに――厳密なところまではともかく――認識したようだ。自分が好奇の視線にさらされていることも。

 羞恥でさらに身を縮こませる姿に、恐らくはこの場でただ一人、僅かの情欲や恥じらいも含めぬ声が掛けられる。


「教えていただけぬか――其方そなたが何者か」


 その者が声の主を捜して、正面奥へ視線を向けた。

 すぐ正面には、色使いやデザインも質素だが、見事な生地で作られた法衣を纏う初老の男性が。その背後――数歩離れた位置に、貴金属としての価値や芸術性のみならず、明らかな魔力を帯びる豪奢なサークレットを頭上に戴く老女が側近と共に佇んでいた。

 『サン・ヴァルディア公国』の頂点に座す者――シルヴィア・サン・ヴァルディア大公であることは、その者には分からぬ知識であったろうが。


「さあ、陛下に答えて差し上げて」

「え、あ……」


 レジン卿に促されて、その者は拳を握りしめる。


「ぼ、ボクの名は網代あじろ……玄之助げんのすけです」

「アジロ……?」

「ゲンノスケ……」


 聞き慣れぬ名前に周囲でざわめきが起こる。


「どこの国だ?」

「無数にある西方諸国のどこかでは……」

「極東にそのようなネーミングをする国がなかったか?」

「いや、違ったはずだ」


 カンッと小気味よい音が地下に響き渡り、湧き上がったざわめきを一息に打ち消した。それが議事などの進行を促す際に、大公が打ち鳴らす錫杖で突いた音だと全員が即座に気づいている。


「ゲンノスケ殿と呼ばさせて頂く。残念ながら、其方が教えてくれた“名”の語感を我らは耳にした覚えがない。ゲンノスケ殿が何処から参ったのか、教えて頂けぬかな?」

「“何処から”……ええっと……そうですね」


 その者――ゲンノスケは、動揺しながらも頭を働かせて、懸命に大公の質問に答えようとする。


「『日本』です。分かりますか? 『ジャパン』とか『ハポン』……『ヤポン』? ああ、なんて云えば……」

「分からぬ。……どうじゃ?」


 大公が側近へ首を巡らすが、誰もが首を横に振るばかり。


「大公陛下。私が思うに此度の『儀式』は……」


 別の方にて一歩前に出た者が、歯切れ悪くも何を注進したいかは誰にも明白であった。


「怪事ではあれど、どう見てもその者……普通の(・・・)人間にしか見えませぬが」

「何を言われるジルアード卿!」


 最もな意見を口にした貴族に、他方から異論を発する者がいた。


「卿にはあの者が放つ“妖異なる魔力”が感じられぬのか。見よ。あの女性にょしょうに劣らぬ匂い立つような肢体、ヒラリスが如き可憐な唇に黒曜石を思わす潤んだ瞳……あれほどの“魔性”を帯びた者が、普通であるはずがなかろうがっ」

「“魔性”違いだろう……お主が言っているのは」「何だと?!」


 侮蔑混じる反論に目くじらを立てる貴族。だが、意外にも“特殊な持論”に合意する者が他にも現れ、おかげで話しの流れが徐々にズレていく。

 やがて、無益な議論に辟易したジルアード卿が大きな嘆息を洩らしながら妥協を見せた。


「まあ確かに……あのような男か女かもはっきりせん者なれば、“魔性”と云っても――」

「見ろ。やはり私の見立て通り……どうされた?」


 勝ち誇った顔の貴族が、突然黙り込んだジルアード卿を不審げに見やる。それに応じず己の思考に没頭するジルアード卿。


「男女の区別がない……これでは、まるで『ル・グァン』様ではないか」


 何気に呟かれた言葉が、水面に広がる波紋のごとくその場にいる者に動揺となって伝わる。


 『統一神ル・グァン』――森羅万象、あまねくすべてのものの頂点に位置する神は、唯一至高の存在であるだけに、“両性具有”であると信じられていた。

 性交することなく万物を産み出した“すべての母”であり“すべての父”でもあるル・グァンは、“穢れなく完全無欠”だからこそ“死”や“腐敗”にその身を侵されることはなく、故に“永遠不変の存在”なのだと伝えられている。

 こうした伝承から、神殿において“女性が顕著な男子”や“男性が顕著な女子”などは、他者にとって“どちらでもある存在”と解され、統一神に近き“崇高な存在”として受け入れられていた。――ただ実社会においては、暗黙の中で貶められているのが実状であり、実に皮肉な話ではあったのだが。


 こうした背景があるからこそ、女性が顕著(・・・・・)なゲンノスケに皆が大いに動揺し混乱するのも無理はない。


「まさか、統一神様の眷属か……?」

「そんな馬鹿な。いくら何でも“召喚の儀”にそのような力は……」


 顔をしかめる者に「現実を直視せよ」とばかりに、やけに真剣な声で心情を吐露する者がいる。


「だが、男の私でもあの者は……」

「だから、それはお前の()だろ!」

「そうだ。先のレジン卿の様子を思い出せ……間違いなく付いてるぞ(・・・・・)

「そうではなくっ」


 頭痛を堪えるように額に手を当て、別の貴族が流れの修正を試みる。


「先ほどのジルアード卿が仰りたいのは――」

「眷属だと云うのだろ?」

「堂々巡りではないか……」


 混乱を極め、論点さえズレてもはや収集がつかなくなっていく中、真っ当な推論を重ねる者もいた。


「いやいや、冷静になれ。『素体』が偶然、男であったというだけかもしれん」

「それがどうした?」

「考えれば分かることよ。そもそも、統一神様の“神性”は『素体』の性別とは別物の話しだ。恐らく、仮にあの者が女であったならば、男性が(・・・)顕著(・・)に表れていたかもしれぬ」

「つまり、あの者は本当に……?」


 カンッ、カンッと再び錫杖が打ち鳴らされ、もはや祭りのような騒ぎとなっていたものがぴたりと収まる。


「なるほど……『ニホン』か。記憶にはないが、私が読んだ『伝書』には、この世界とは別にある『高次元の世界(ハイアル・プレーン)』の存在が示唆されていた。ゲンノスケ殿が居たという『ニホン』もそのひとつやもしれぬ」

「『伝書』とは……『至高の存在(ハイ・エルフ)』が書いたという……」


 側近が公家にのみ読書が許された“幻の逸品”を耳にして、羨望を多分に含めた好奇の目を大公へと向ける。無論、今関心を向けるべき事はそれではない。


「『儀式』の肝要は“神界と人界を繋ぐこと”――そうであったな?」


 ふいに、大公の問いが自分に向けられてると気づいて、慌てて司教が「仰るとおり」と勢いよく首を振る。


「ならば、何かの異変で『高次元の世界(ハイアル・プレーン)』と繋がってしまっても――ゲンノスケ殿がおられた『ニホン』と繋がってしまっても不思議はあるまい」

「は――」

「さらには『ニホン』において、ル・グァン様に近しき属性を備えるゲンノスケ殿が、召喚の力に共感し、この世界へ招かれることになったのは、むしろ『神意』というべきものではないのか?」

「!!」


 大公が説くその理に誰もが息を呑む。

 単なる強弁、あるいは屁理屈と切って捨てるには、ゲンノスケという人間の存在自体が、あまりに理解不能な事象であった。それと同時に、“公国の存亡”がかかったこの事態に、“最後の切り札”と云うべき『勇者召喚の儀』を失敗することなど決してあってはならないことでもあった。

 置かれた状況を読めぬ愚鈍な者は、さすがにこの場にいるはずもなく、そうなれば大公の機転で産み出された話の流れを、いかに立ち回って“皆の総意”にまで持っていくかが問われることになる。


「まさに……」


 大公の次に重責を負うべき司教が、まさに雷光の如き『天啓』を受けたように、声をかすらせその身を感動で打ち振るわせ始めた。すかさず、


「まさに、大公の仰るとおり!」


 遅れてなるものかと金切り声で賛意を示す貴族が現れれば、その後は怒濤のごとく賛同者が続いた。


「これぞル・グァン様のお導きよ」

「ゲンノスケ殿は、来るべくして来られたのだっ」


 司教の声を皮切りに、誰もが口々に大公の意見に頷き、賛同し始める。

 鼻腔や頬がひくつき、目の奥が冷ややかであったとしても、手を叩き、互いに頷き合わねば公国に未来がないことは誰もが承知していた。

 ここで否定しても、『儀式』を二度もできない(・・・・・・・)ことを考えれば(・・・・・・・)、その行為は百害あって一利無し。公国と共に歴史という名の大海に沈んでしまうだけだ。

 だからこそ。

 どのような形であれ、“成果”が出ている以上、初めから進むほかに道はないのだ。


「よかろう――」


 滑稽さを通り越し、狂騒としか見えぬ大唱和シュプレヒコールを冷ややかな目で眺めていたシルヴィア大公が、頃合をみて、決意を秘めた声を地下聖堂に重々しく響かせる。


「今や、二百年に続く公国の歴史においても比類無い危機の最中……今までにない(・・・・・・)“奇蹟”が起きたのは、これもル・グァン様の導きであることは疑いの余地なく、我らはただ受け入れるのみ」

「では――」


 側近の問いに大公は鷹揚に頷く。


「本日よりゲンノスケ殿を『勇者』と認定し、“魔人討伐”に出陣していただく」


 あらためて、地下聖堂を揺るがしたどよめきは、これまでの不安や困惑に非ず、身内から湧き上がる歓喜と安堵によって起こされた。


「え? あの、どういう……」


 ただ一人、善意で受けたマントに身をくるむゲンノスケだけが、話の展開にまったくついて行けないまま、完全に置いてきぼりにされてしまう。


「ふぅ……仕方ないね。よろしく頼むよ、ゲンノスケ殿」


 苦笑いを浮かべるレジン卿が片目を瞑って手を差し伸べてくるも、ゲンノスケの困惑は深まるばかりだ。


「あの……教えてください。これは一体、どういう……」

「聞いての通りだよ。貴方は栄誉ある『勇者』として、我が国――サン・ヴァルディア公国の大公シルヴィア様に認められたのさ。まあ私としても、貴方がどんな『天恵タレント』を与えられているのか、非常に興味があるのだけどね(・・・・・・・・・・)

「!」


 びくりとゲンノスケが身を退いた。最後の台詞を囁いた時のレジン卿の瞳に、異様な妄執の光が灯り、その笑みが酷薄に切り替わったからだ。

 悪意とは違う。

 だが、本能的に忌避する眼光にゲンノスケの身体が微かに震える。


「はは……そんなに引かなくても(・・・・・・)。爺にまた窘められちゃうよ」


 先ほどとは別に見える苦笑いを深めて、レジン卿が肩をすくめた。


「こちらへお越しください、ゲンノスケ殿」


 二人の会話が途切れたのを見計らい、法衣を着た初老が声を掛けてくる。

 先ほど手にしていた古めかしい大判の書物を閉じて、別の僧衣を着た男を手招き、書物と腕輪を交換する。

 離れた位置からでも、微光を纏う銀の腕輪から何かの“力”が放射されているのが何故か感じられる。凝った造形もそうであるが“ただならぬ代(・・・・・・)”であることは間違いないようだ。


「さあ、『勇者の洗礼』を受けて」

「いや、そう云われても……」


 レジン卿が促すも、いまだに状況が掴めない事もさることながら、マントで辛うじて裸身を隠しているだけのゲンノスケは羞恥が先に立つ。

 もじもじするその姿で何に躊躇っているかレジン卿も察したらしい。


「大丈夫。貴方の裸身は、皆にとっても一種の『祝福』になる」

「えぇ……」


 決め台詞のように云われても、呆れるだけで愚図り続けるゲンノスケの背をレジン卿が優しくもしっかりと押しやり、強引に司教の下へ歩ませる。

 おっかなびっくりの足取りに司教は両腕を広げてゲンノスケを招き、労るような気遣いを示した。


「さぞ、突然のことで驚かれたことでしょう。ですが、この国は『魔人』の手によって窮地に立たされており、どうしても『勇者』の力が必要なのです」

「はぁ……」

「無論、こうなる前に我々も『魔人』と相対しましたが、残念ながら多くの血を無為に流しただけでした……」

「そんなに強いんじゃ……」

「仰るとおり。もはや『勇者』である貴方でしか、あの者に対峙できる存在はおりません」

「え? いや、そうでは……」


 思い切り勘違いされたゲンノスケが慌てて訂正しようとするが、司教は聞く耳を持ってくれない。


「『魔人』は国の至宝である『王の銀水晶』を奪っていきました。何卒、憎き彼の者の“力”を削ぎ落とし、この場に引きずり出していただきたい。さすれば、この公国にも再び安寧がもたらされるでしょう」


 司教の懇願に合わせて、周囲の者達も頭を垂れて願う。

 時に政争に明け暮れ、時に社交場での享楽に溺れる厚顔無恥な一面を持つ貴族達であったが、然るべき教養を持ち、難事の塊である政務をこなす優秀な面もあり、当然、そもそもの為すべき事は誰もがブレることなく承知している。

 だからこそ、ここぞという時に、全員で息を合わせて断れぬ空気を作り出したのはさすがだが、突然、訳の分からぬ場所に喚び出され(・・・・・)命を賭けさせられるとあっては、ゲンノスケでなくとも尻込みするのは当然だ。 


「何卒――」


 ゲンノスケの困惑と不安……すべてを承知した上で、それでも愚直に司教達は頭を下げ続ける。国の命運が掛かっている以上、こちらも「退く」という選択肢がないのは当然だ。


「『魔人』? 『勇者』? このボクが……」


 あまりに実感のない単語がゲンノスケの舌の上で転がる。

 友人のいないゲンノスケにとって、その代わりとなったのはネットの世界であり、そこで出会ったR.R.Gロール・プレイング・ゲームはある意味“親友”と言えた。

 特に主人公である勇者を怪物との戦いを繰り返しながら育て、やがて雄々しく成長した勇者で最終目標である魔王討伐を果たす典型的なスタイルのゲームは、ゲンノスケを魅了したものだ。

 だからこそ、今のシチュエーションに戸惑いはあっても、反面、興奮を覚えるところもある。決定的なパニックに陥らないのも、ある意味、ゲームを通して既に疑似体験をしているからなのかもしれない。

 ただそれでも、妄想で冒険するのと実際に体験するのとでは、あまりに次元の違う話しではあったのだが。


 命賭けで、それも『魔人』と――?


 切実な気持ちは皆の態度から伝わってくる。これが夢ではなくて現実だというのなら、実際に多くの人々が苦しみを受け、命を散らすのだろう。いや今もそうなのか。

 まるで想像もつかないが、本当に自分が惨劇を防げるのなら、このまま見過ごせば、それは見捨てたことに……間接的な殺人者(?)にでもなるのか?


(分かるわけない、そんなの!!)


 仮に自分が小説の主人公であるならば、簡単に請け負っているのだろうが。少なくとも、主人公として、これを断るのは男ではない(・・・・・)


「……なら、引き受けるのが男ってもの(・・・・・)……?」


 ふいに、当てもなく彷徨っていたゲンノスケの視線が正面に定められる。


(“それが男”っていうのなら――)


 霧の中、途方に暮れていた者が、ふとした切っ掛けで目指すべき“道”を見出したように、顔を曇らせていた不安の陰が拭い去られていた。

 引き結んだ唇は決意の表れ。

 そうして意を決し口を開きかけたところで――


「――っ」


 ふいに現れた僧衣の男に抱きすくめられ、ゲンノスケは言葉を失った。ひとり葛藤に苦しんでいたために、僧衣の不審な動きにまったく気づけなかったのだ。


「じっとしてろ……悪いようにはしない」


 見た目三十代と思っていたよりも年経た中年の声に軽い驚きを覚える。無論、驚いたのは他の皆も同じであり、特に司教は弟子とも言える僧衣の突然の蛮行に呆気にとられていた。


「お前、どういうつもりだ……?」


 誰もが戸惑いを浮かべる中、落ち着いた声で問いかけたのはシルヴィア大公。老女とも思えぬ張りのある声が、不穏な動きを見せる僧衣の男を射抜くように放たれる。


「見ての通りだよ。俺は“盗み”が仕事だからな」

「?」

「ピンときてないか。悲しいねえ……なら思い出してもらおうか、『ロダン』の名を」


 今度こそ全員が――優しく羽交い締めにされたゲンノスケを除いて――驚愕に口を開け、目を見開く。


「ロダンだと……?!」

「『盗賊王』ロダンか……あの僧侶が?」


 喚き散らす貴族達に澄まし顔を脱ぎ捨てたロダンが僧侶に似つかわしくない男臭い笑みを浮かべる。


「トレードマークの髭を剃ったから、気づかないのも無理はねえな」

「は? あれは単なる“無精髭”であろう。盗賊風情が何をお洒落を気取っている」

「ち……社交場だけが交流の場ではないぜ。権力闘争にしか興味がないから、巷の流行に疎いんだよ、お貴族様は」

  

 舌打ち混じりに皮肉を返し、ロダンは素早くゲンノスケの背後に回る。皆に見えるように、頤を上向かせ片手で艶めかしい細首を鷲掴みにした。


「ぅぐ……」

「ゲンノスケ殿!!」


 案じる叫びに「ぁあ……っ」と切なささえ籠もるおかしな悲鳴(・・・・・・)も混じったがそれどころではない。


「もう野暮なお前らに構ってられん。さあさあ、下手な動きはよせよ。この姉ちゃん――おっと――カワイ子ちゃんの首を折られたくなかったらな」

「くっ……」

「ああ、勇者様!」

「この盗人めっ。『魔人』の配下となって国を荒らしただけでなく、我らの希望である勇者様まで狙うとは……悪党もここに極まれり、だ!」

「好きに云うがいい。目的さえ叶えば、俺には痛くも痒くもないわ」


 ゲンノスケを捕らえながら、ロダンがじりじりと下がり始める。そのまま地下聖堂を出れば、あとは地上へと導く階段まで、廊下をまっすぐ抜ければいいだけだ。


「正体を明かしたのは失敗ではないのか? ゲンノスケ殿を連れて逃げおおせられると本気で思っているのか」


 落ち着いたシルヴィア大公の問いかけに、「思っちゃいないさ」そう口にするロダンは余裕を崩さない。


「ならば諦めるか……?」

「冗談だろ。俺は狙った獲物は逃さない――『盗賊王』と呼んだのはお前達だ」


 云うなり当て身をゲンノスケに打ち込み気絶させる。


「貴様っ」


 皆が色めき立つのを無視して、ぐったりしたゲンノスケを左腕で支えながら、ロダンが右手を高く掲げる――大振りの袖が自然と肩まで落ちて、剥き出しになった右手にいつの間にか何かの袋が握られていた。


「“三手先”を読むのが俺の必勝法でな――まずは一手」


 ぐるんと腕を振り回した勢いで、ロダンは袋を天井に向かって投げ上げた。

 思わず目で追えば、袋状のそれがはだけて(・・・・)中から幾つもの黒い玉が投げ出される。


「何だ……?」

「おい、気をつけろっ」


 それらが頭上に落ちてくるのを泡食って避けていると、石畳に黒い玉が落ちた瞬間、破裂音が響いてもうもうたる白煙が立ちこもり始める。


「うぅ、これは一体」

「くっ……煙幕だと……?」


 咳き込み、呻き声があちこちで上がって場が騒然となる。


「さあ、これで条件は一緒になった。実に楽しみだよ、『逆転の三従士』であり『盗賊王』ロダンの力を大公陛下の御前で示せるなんてな――では始めようか、貴族諸君」


 それはこの人数差を覆せるという意味か。

 自信に満ちたロダンの声が響き渡り、地下聖堂の混乱はますます深まっていく。

 『勇者召喚の儀』に始まり、まさかの『魔人』配下のロダン襲来によって、公国の“切り札”さえ為す術なく封じられてしまうのか。

 公国の未来を暗示するように、やがて白煙が地下聖堂の空間を覆い隠していった――。 

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