女王蜂と聖核のかけら
「あ! 女王個体である『ブラッディ・クイーン・ビー』よ! この個体も討伐すると『聖核のかけら』を落とすわ!」
エミリアの声に、驚きと高揚が混じる。
「みんな聞いて。今回はリク君のトドメで倒しましょ! レア素材を落とすから。お願い!」
エミリアは三人に了解を取る。モニカは無言でうなずき、ジャスミンも小さく首を縦に振った。リクも震えながらではあるが頷く。
(ついに、俺がトドメを刺すのか。野生のレア魔物にトドメを――)
恐怖はもちろん色濃くあった。だがそれ以上に、先ほど逃げかけた自分への呵責がリクの背中を押していた。今度こそ逃げない――そう心に決める。
「プロヴォーク!」
モニカが先陣を切る。女王蜂の注意がモニカへと向けられ、長大な針がモニカの盾を激しく打つ。ガン、ガンという金属じみた衝撃音が森に木霊した。盾で防御しているとはいえ、モニカはじりじりとダメージを受けていた。
そして女王蜂は、通常のブラッディ・ビーとは違う攻撃も持っていた。羽根を高速で震わせると小さなつむじ風が生まれ、それが刃のようにリクたち後衛にも襲いかかる。体に張った魔法コーティングによる魔力の膜が衝撃をある程度は吸収するものの、リクのHPも徐々に削られていくのを感じる。
「ソイルランス!」
エミリアの土の槍が女王蜂を貫く。しかしその巨体は容易にはひるまない。さらにソイルランスを一発、二発――。だが女王蜂の攻撃も苛烈を極める。
「ヒール!」
リクはモニカへ、ジャスミンはエミリアへと回復を飛ばす。四人の連携が少しずつ噛み合い、女王蜂の巨体を削っていく。
やがてエミリアのソイルランスが十発を超えた頃、女王蜂の動きが目に見えて鈍り始めた。羽音が乱れ飛行がふらつき出す。
「リク君、今よ!」
エミリアが叫ぶ。
リクの心臓が大きく跳ねた。今こそ、その瞬間が来たのだ。
(怖い。怖いけど――)
リクは短剣を握り直し、女王蜂めがけて駆け出した。モニカが盾を僅かにずらし、リクのために進路を開ける。巨大な蜂がふらふらと低く飛んでいる。鋭い針がまだ動いているが、その動きは緩慢だ。リクは歯を食いしばり、短剣を真っ直ぐに――女王蜂の胴体へと突き入れた。
聖属性を帯びた刃が、深々と突き刺さる。瞬間、淡い白い光が炸裂し、女王蜂は大きな断末魔の羽音を残して消滅した。
地面に、ぽとりと小さな結晶体が落ちる。純白に輝く胡桃ほどの大きさの美しいかけら――『聖核のかけら』だった。
「やった……!」
エミリアが歓声を上げる。ジャスミンも手を合わせて笑顔を見せ、モニカは無言ながら一度だけ深くうなずいた。
リクは荒い息を繰り返しながら、その場に立ち尽くしていた。短剣の切っ先にはまだ、かすかに白い光の残滓が灯っている。手は震えたままだ。だがそれはもう、恐怖だけの震えではなかった。
(俺が、レア魔物にトドメを刺したんだ――。野生の魔物に俺がトドメを――)
エミリアが歩み寄り、地面に落ちた『聖核のかけら』をそっと拾い上げる。そしてリクへと差し出した。
「リク君、これが儀式に使えるレア素材よ。あなたが倒したの。誇っていいんだから」
リクはエミリアと目を合わせ、無言でそれを受け取った。純白の結晶体はひんやりと冷たく、しかし不思議な温かみも感じさせる。手のひらの上で、それはかすかに脈打つように光っていた。
そこでハッと思い出したことがあって、リクは尋ねる。
「それどころじゃなくて忘れてたんだけど……エミリア。二人で書庫へ行ったときに、エミリアが言ってた女王蜂っぽい魔物ってまさか……」
「うん、まさにさっきのブラッディ・クイーン・ビーのことよ。そこまで激レアではないから、いつか出くわすと思ってたの。それがまさか今日だとは、ついさっきまで全く予想してなかったけど」
リクは絶句した。
(嘉兵衛さんも同じように女王蜂と戦ったんだ――。女王蜂を討って結晶を持ち帰り、儀式を成功させたんだ――。300年の時を経て、今俺が同じことをしようとしてるんだ――!)
放心した様子のリクに向け、慈しむような視線を送りながら、エミリアが全員に向かって宣言するように言う。
「目的だった『ヌミタリア・ホワイト・バタフライ』じゃないけど、お目当ての『聖核のかけら』は得られたわ。今日はこれで充分。ここで引き返すことにしましょう」
誰も異論を唱えず、四人は森を後にすることにした。
*
夕暮れの街道を戻る馬車の中、リクは窓の外を流れゆく景色をぼんやりと眺めていた。茜色に染まる空、遠くに連なる山々、そして広がる草原――。今日一日の出来事が、頭の中で何度も再生されては消えていく。
こっそりと、リクは小さくため息をついた。疲労と緊張と、そしてささやかな達成感が、胸の中で複雑に絡み合っている。
「リク君」
エミリアが優しい声で呼びかけてきた。
「初めてなのに、本当にうまく立ち回れていたよ。今日は野生の魔物との闘いを経験するだけで充分だと思ってたのに、レア素材をしっかりゲットできるだなんて、さすが聖授師ね」
リクはエミリアへと顔を向けた。彼女の碧眼が、夕暮れの光を受けてきらきらと輝いている。その笑顔には心からの労いが込められているように感じられた。
(本心では逃げ出したいくらい怖かったし、実際少し逃げ出しかけていた場面もあったよなぁ――。でも、「自分だけ安全な場所にいたい」「ぬくぬくと過ごしたい」みたいなことをエミリア達に向かって言うのは、何だか違う気がする――)
リクは少し考えてから正直に答えた。
「正直すごく怖かったよ。それに……あの時、少し逃げてしまってごめん」
「でも最終的には、逃げずに戦ってくれたでしょ」
エミリアがすかさずフォローしてくれる。
「正直怖かったけど……まあ、思ったより何とかなった……かな……」
リクはそう言ってからもう少し考えて、言葉を継いだ。
「……次も、これくらいなら頑張れる……かも」
エミリアはその言葉を聞いて、深く静かに微笑んだ。
「私も一緒に頑張りたいな」
その微笑みと言葉が、リクの胸の奥にじんわりと染み込んでいく。隣の席ではジャスミンが小さく頷きながら微笑み、モニカもいつもより少しだけ柔らかな目つきで前方を見つめているようにリクには思えた。
馬車は夕闇の迫る街道を、規則正しい蹄鉄の音を響かせながら、教主国へと向かって進んでいく。リクはポケットの中の『聖核のかけら』にそっと指を触れた。ひんやりとした感触が、今日の戦いの現実を確かに伝えてくる。
(次も頑張れるかも――か。俺、こんなこと言う日が来るとは思わなかったな――)
窓の外には、最初の星が一つ、茜色の空に白く輝き始めていた。
*
馬車が森の外れにある討伐隊用の小屋に到着した頃には、あたりはすでに宵闇に包まれていた。木々の合間から覗く空は藍色から群青へと移り変わり、無数の星が瞬き始めている。夜行性の魔物はこの付近にはほとんど出没しないため、討伐隊の安全な宿泊地として昔から使われている場所だった。
小屋の中は思ったより広く、木製のテーブルと簡素なベッドがいくつか並んでいる。壁には古びたランタンが吊るされ、柔らかな灯りが室内を照らしていた。ジャスミンとモニカは早々に隣室へと引き揚げ、今この場にはリクとエミリアの二人だけが残されている。
「リク君、ちょっとこっちに座ってくれる?」
エミリアが木製のテーブルを挟んで向かい側の椅子を示した。いつもの快活な口調だが、その声には普段よりもわずかに緊張の色が混じっているようにリクには感じられた。言われるままに腰を下ろしたリクを見て、エミリアもまたゆっくりと席に着く。
「これから儀式を行おうと思うの」
エミリアの言葉に、リクの心臓が小さく跳ねた。ついにこの時が来たのか。
「緊張してる?」
「そりゃあ……まあ」
リクが正直に答えると、エミリアはそっと笑みを浮かべた。そしてテーブルの中央に、あの純白に輝く結晶体――『聖核のかけら』を置く。ランタンの灯りを反射して、結晶体が淡くきらめいた。
「今日取ってきたこの聖遺物、早速出番よ」
エミリアがそう言ってから、少しだけ居住まいを正す。
「大事なことは前もってリク君に伝えておかないと。儀式を始めると、おしゃべりできないからね」
「儀式中は私語厳禁ってこと?」
「ええ、その通り。『二人っきり』って部分も厳しくて、儀式中の第三者の介入も厳禁。破ると失敗するの。だからモニカとジャスミンにも、『よっぽどの用事がない限り、入ってこないで』って前もって言っておいたよ」
「なるほど。ああ……確かに、嘉兵衛さんも『儀は成功』って書いてたっけ。成功って書いてるってことは、失敗もあるってことだよなぁ」
リクがしみじみと呟く。その言葉にエミリアも小さくうなずいた。リクはふと気になり、テーブル上にある『聖核のかけら』に視線を落とす。胡桃ほどの大きさの結晶体は、まるで呼吸しているかのように、かすかに明滅を繰り返しているように見えた。
「……これ、失敗したらどうなるの?」
「消えるわ」
「え?」
「聖遺物は、成功しても失敗しても消滅するの」
リクは思わず絶句した。苦労して、命がけで手に入れた素材が、失敗すれば跡形もなく消えてしまうのか。その事実がリクの胸に重くのしかかる。
「でも……私は、リク君となら大丈夫だと思ってる」
エミリアの声は驚くほど穏やかだった。その碧眼がまっすぐにリクを見つめている。
「どういうときに失敗するの?」
リクは努めて平静を装いながら尋ねた。エミリアは一度だけ深呼吸をしてから、ゆっくりと説明を始める。
「さっき言った『第三者の介入』と『儀式中の私語』以外に、もう一つ大切な要素があるの。それは『レベル・聖遺物・絆の同調度』の三つの条件よ。この三つで、儀式が成功するかどうかと、成功した場合の等級が決まるの」
「今回の場合は……?」
「まず『レベル』要素。これは魔法を授けられる側……つまり私のレベルが関係しているの。私のレベルは大体22。五級を狙うには充分だし、レベルだけなら一つ上の四級の目安にも届いてるわ」
「なるほど。それで、『聖遺物』要素は?」
「もちろん、ここにある『聖核のかけら』がそれよ。この素材は、ちゃんと条件を満たしているわ。あとは……」
エミリアが一瞬だけ言葉を切った。ランタンの灯りが、彼女の横顔に柔らかな陰影を描いている。
「『絆の同調度』次第。こればっかりは見た目では分からないの」
「絆の同調度って何?」
「心の距離というか……親密さというか……仲の良さというか……。ぴったりの言葉は見つからないけど、そんな感じ」
エミリアは少し照れたように笑った。リクは何となく理解した気になり、小さく首肯する。つまり、自分とエミリアの間に築かれた信頼関係が、そのまま儀式の成否を分けるということなのだろう。
「どういう段取りで行うの?」
リクが儀式の具体的内容について尋ねると、エミリアは居住まいを正して説明を始めた。
「工程としては、まず『相手のことをどう思っているか』についての素直な気持ちを儀式前に伝えあうの。次に女性側が聖遺物の上に手をかざして、目を閉じる。ここから儀式終了まで、二人とも喋ってはいけないわ。続いて聖授師がその手の上に自らの手を重ね、同じく目を閉じる。そしてお互い相手のことについて思い浮かべつつ、お互いの魔力を同調させるの。すると成功でも失敗でも、聖遺物が光と軽い音を放って消える。ここで儀式は実質的に終了だから、以降はしゃべっても問題ないわ。成功の場合、それと同時に女性側の手の甲に光る紋章が出現する。という流れね」
「なるほど……」
リクは一つ一つの手順を頭の中で反芻しながら首を縦に振った。思っていたより複雑ではない。だが、それだけに「絆の同調度」という目に見えない要素が、大きな鍵を握っているように感じられる。
「習うより慣れよ、ってね」
エミリアが茶目っ気たっぷりに言う。リクは内心で「失敗したらどうしよう。せっかく苦労して取ってきた聖遺物が消えるなんて嫌だ」と恐れていたが、口には出さなかった。代わりにただ静かに頷く。
「じゃあ……始めるわね」




