エミリアとの絆の儀式
「じゃあ……始めるわね」
エミリアがそう言って、穏やかで優しい笑顔を見せる。そして、少しだけ間をおいてから、ゆっくりと口を開いた。
「リク君、私はあなたに感謝してる。今日も逃げずに最後まで一緒に戦ってくれたこと、本当に嬉しかった。それから……私が作る料理を、おいしそうに食べてくれること。あの笑顔を見るたびに、私も嬉しくなるの」
リクの頬が熱くなった。こんなにまっすぐ感謝を伝えられた経験が、彼にはほとんどない。戸惑いながらも、リクはなんとか言葉を絞り出す。
「俺も……エミリアに感謝してる。色んなことを優しく教えてくれること。美味しい料理を作ってくれること。それから……蜂に襲われかけたときに、名前を呼んで心配してくれたこと。あの時すごく嬉しかった」
最後の方は声が小さくなってしまったが、エミリアはしっかりと聞き届けてくれたようだった。彼女は深く頷くと、そっと唇の前に一本指を立てて「しー」の仕草をする。
(儀式開始だから、しばらく喋ってはダメなんだな)
そう理解し、一段と身が引き締まる思いのリク。エミリアがテーブルの上の『聖核のかけら』へと右手をかざした。彼女の細く白い指が、ランタンの灯りを受けて逆側に影を伸ばす。そしてゆっくりと目を閉じた。
リクは先ほど言われたとおり、エミリアの手の上に自らの手を重ねる。彼女の手の柔らかさに、少しドキッとした。指先がかすかに触れ合い、互いの体温が混ざり合う。リクもまた、静かに目を閉じた。
頭の中でエミリアを思い浮かべる。初めて出会った日のこと。街を案内してくれたこと。ペンダントを買ってくれたこと。美味しい料理を作ってくれたこと。訓練で優しく指導してくれたこと。そして今日、共に戦い抜いたこと。一つ一つの思い出が、胸の奥から温かな感情を呼び起こす。
(ありがとう、エミリア。俺は信じてるよ)
心の中でそう唱えた瞬間だった。
突然、「エミリアが抱く、リクに対する感謝と信頼」が、まるで自分の頭の中に流れ込んできたような気がして、リクは驚いた。実際にエミリアの「ありがとう」などの言葉は聞こえていない。だが、温かい感情が胸の奥へ流れ込んできたような、そんな感じがしたのだ。それはまるで、誰かにそっと抱きしめられているような、不思議な安心感に包まれる感覚だった。
しかし、目を開けてはいけない。リクはぎゅっと目をつぶったまま、一心にエミリアのことを考え続ける。彼女の笑顔。彼女の声。彼女の優しさ。すべてがリクの中で一つの像を結び、輝きを放つ。
すると、目を閉じていても分かるほど、目の前で何かが強く光っている様子にリクは気づいた。それと同時に、かすかなシューという音が聞こえてくる。聖遺物が消えていくのだろうか。だが今目を開けて失敗に終わるのが怖くて、リクはさらに強く瞼を閉じた。一心に、ただひたすらに、エミリアへの想いを念じ続ける。
どれほどの時間が経っただろうか。数秒にも、数分にも感じられる不思議な時間だった。
「目を開けてもいいわよ」
エミリアの優しい声が聞こえ、リクはようやく目を開けた。テーブルの上には、既に『聖核のかけら』は消え去っている。だが、その空間には、かすかな光の残滓が金色の粒子のようにふわりと漂っていた。
しかし、そんなことよりも、リクの注意は一点に釘付けになった。
エミリアの手の甲に、眩い光を放つ紋章が出現しているのだ。それは純白の輝きを放ち、複雑な幾何学模様を描いていた。円形の縁取りに、丸みを帯びた造形の模様が多くあしらわれている。まるで花びらが幾重にも重なったような、優美で繊細なデザインだ。
「成功よ! やったわ!」
エミリアが嬉しそうに叫ぶ。その声が小屋の中に響き渡り、リクの胸にもじんわりと言い知れぬ喜びが広がっていく。
「その紋章……すごく綺麗だな」
「ありがとう。紋章は人によって異なるらしいの。これが私だけの模様ってことね」
エミリアは眩しそうに自分の手の甲を見つめている。やがて、その光はゆっくりと収まっていき、紋章は消え去った。だが、リクの目には、まだその残像が焼き付いているような気がした。
エミリアはそばに置いていた杖を手に取ると、その先端に白い光を灯らせる。今まで見たことのない純白の輝きだった。
「まだ使ってないけど、分かるわ。五級での成功を狙って、レア素材で儀式に臨んだんだけど……。これ、まさかの……四級で成功したんだと思う」
リクには何のことやら、さっぱりだ。しかし、少なくとも「エミリア的には大成功」ということだけは把握できた。
「なんにせよ、成功なら万々歳だな!」
「うん、リク君、本当にありがとう!」
エミリアが満面の笑みを見せる。その笑顔につられて、リクも自然と顔がほころんだ。
しばらく二人で喜び合っていたが、不意にエミリアが珍しく顔を赤らめた。ランタンの灯りのせいだけではない、はっきりとした朱色が彼女の頬を染めている。
「リク君、私のことを信頼してくれてありがとう」
「え? いや、それはこっちの台詞っていうか……」
「感謝を言うのは、私の方よ。これからも私はリク君を信じてるから」
エミリアはそう言うと、少し恥ずかしそうに俯いた。その仕草がいつもの快活な彼女とは別人のように見えて、リクの胸が高鳴る。照れて顔を真っ赤にしながら、リクは思い切って言った。
「俺もエミリアを信じてる」
その言葉にエミリアは顔を上げ、驚いた様子で目を見開いた。それから、柔和に口角を上げる。
「ありがとう、リク君。こんな時間だけど、国王陛下への報告も済ませておかなくちゃ。伝令を飛ばしておくわ。ちょっと席を外すわね」
そう言ってエミリアは爽やかな笑顔で立ち去った。小屋の扉が静かに閉まり、部屋にはリクだけが残される。
リクは椅子に座ったまま、しばらくぼんやりとテーブルの上の光の名残を見つめていた。ほんの数分前まで、あの結晶体は確かにここにあったのだ。それが今は跡形もなく消え去り、代わりにエミリアの中に新たな力が宿っている。
(楽に、平穏に――そう思ってたはずなのに)
リクは心の中で呟く。痛い思いをすることや、野生の魔物に対する恐怖心はしっかりと残っているものの、いつの間にか自分はエミリアの役に立ちたいと願っている。元の世界では決して感じることのなかった熱が、今は確かに胸の奥で灯っていた。
窓の外の夜空を見上げるリク。無数の星々が、まるでリクたちの成功を祝福するかのように、いつもより一層輝いて見えた。リクは明日からの日々についても思いを馳せる。聖属性攻撃魔法を手に入れたエミリアと共に、次の目標へと進んでいく日々を。
(儀は成功――か――)
しかし、これから先のことを考えると気が遠くなってくる。今はただ、この静かな達成感に浸っていたかった。リクは深く息を吐くと、星明かりの差し込む窓辺に寄りかかり、静かに目を閉じた。




