実戦訓練、総仕上げ
翌日、午前中の座学はこれまでの総復習に当てられた。エミリアは黒板に簡単な図を描きながら魔法の属性相性、各ジョブの役割、回復魔法の種類と使い分けについて、リクが理解できているか一つ一つ確認していく。リクはどの質問にも滞りなく答えられた。エミリアは満足げに頷き、「昼食を挟んだら闘技場へ向かいましょう」と告げる。リクは黙って頷いた。
兵舎の食堂で軽い昼食を済ませた二人は、連れ立って闘技場へと歩を進めた。既に街はすっかり建国記念日の余韻から醒め、日常の穏やかな喧騒を取り戻している。石畳に響く足音だけがやけに大きく感じられるのは、リクの胸の内にわずかな緊張が息づいているせいだろうか。
(実戦形式ってのは、やっぱり緊張するよなぁ――。勉強は好きじゃないけど、魔物との戦いに比べるなら、座学の方がまだマシというか――)
「今日はジャスミンが別の仕事で来られないの。代わりに、ドナっていう神官が協力してくれるわ」
歩きながら言うエミリアの言葉に、リクは小さくうなずく。もちろんドナという名前は初めて聞くが、エミリアが信頼しているなら問題ないだろうと思えた。
「モニカは昨日と同じく来てくれるから、パーティの構成は昨日と似たような感じね。前衛にモニカ、後衛にリク君とドナと私で」
「了解。やっぱ、前衛ってのは、あの大きな盾がないとヤバイってことだな」
「うん、その通りよ。リク君も軽めだけど、その盾を持っているから、臨時で前衛を務めることはできるけどね。でも、余程のことがない限り、魔法剣士がパーティにいるときは魔法剣士に前衛を任せた方がいいわ。そのための、あの大きな盾と丈夫な鎧兜なの」
「そして、魔導士や神官は盾を持たないんだな」
「うん。基本的には、攻撃魔法や回復魔法の発動には、杖を持つ手じゃない方の手の位置も重要なのよ。盾を持ってても、回復魔法を発動できるリク君が例外ってこと」
表情を緩めるエミリアに、リクの口角も思わず上がる。
「俺って特殊な存在なんだな、やっぱ」
「そうなのよ、本当に。あと、普通は攻撃魔法や回復魔法を放つためには、武器として杖を構えていないといけないの。短剣を構えて、盾を片手に回復魔法を放てるリク君が、その意味でも特別な存在だとよく分かるでしょ」
「なるほど」
そうこうしているうちに、二人は闘技場の施設へと到着した。
*
闘技場の控え室に足を踏み入れるとすでにモニカと、もう一人の女性が待機していた。モニカは相変わらず長い黒髪を三つ編みにまとめ、無骨な雰囲気を漂わせている。リクが小さく会釈すると、彼女も無言のまま一度だけ首を縦に振った。
もう一人の女性――ドナは、白い神官のローブをまとい、ミディアムロングの茶色い髪を後ろで一つに束ねて、その上から白い帽子をかぶっていた。彼女はリクと目が合うと、にこりと愛嬌のある笑みを浮かべ深々と礼をする。
「お初にお目にかかります、聖授師様。本日はよろしくお願いいたします」
それだけ言うと、ドナは再び笑顔を見せた。その物腰は柔らかく、好意的な印象をリクに与える。
「リクです。よろしくお願いします」
リクがそう返すと、ドナはもう一度だけ小さく会釈した。それ以上の言葉はない。どうやら彼女もモニカとは違った形ではあるが、寡黙なタイプらしい。
(ジャスミンさんと同じ衣装だな。これが神官の衣装ってことか)
エミリアが軽く手を叩いて、場を引き締める。
「それじゃ、準備はいいわね。今日もまずは小手調べからいきましょう」
*
最初の相手はスライム四体だった。昨日より一回り大きく、色も赤青緑茶と揃っている。モニカがプロヴォークで四体すべての注意を引き付け、大きな盾で次々と体当たりを受け止める。後衛のエミリアがフレイムランスで一体ずつ着実に削り、リクはその動きを注意深く見守った。
「リク君、タイミングは任せるわ」
エミリアの声に、リクは無言で頷く。弱りきったスライムがふらりとモニカの盾から離れた瞬間を見逃さず、短剣を構えて踏み込んだ。切っ先がゼリー状の体を貫き、淡い光が弾ける。スライムは跡形もなく消え去り、小さな欠片だけが床に転がった。
続けざまに二体、三体とリクは同じ動きを繰り返し、最後の一体も滞りなく仕留める。ドナは一度も杖を振るうことなく、ただただ笑顔でリクを見守っていた。
「上出来よ。昨日より動きに迷いがないわ」
エミリアの賞賛の言葉を受け、リクは照れくさそうに短剣をいったん収める。無言で盾の表面を確認するモニカの横顔にも、わずかながら安堵のようなものが見て取れた。
係員が檻を片付け、次の準備に取りかかる。エミリアはリクの方を向き、少しだけ声のトーンを落として言った。
「次はジャイアント・ラットよ。体長一メートルほどのネズミ型の魔物。属性は土だから、本来であれば火属性の魔法で一気に削っていくところなんだけど……。万が一うっかり倒してしまうとリク君の練習にならないから、今日はあえて土属性の魔法で削るわ。倒しきれない微妙な加減が必要だから、少し緊張するけど」
「わ、分かった」
リクは小さく息を吐いて、短剣の握りを確かめる。
鉄格子の向こうで檻の扉が開かれると、ズシリといった感じの足音とともにジャイアント・ラットが姿を現した。灰色の毛並みに覆われた巨体、鋭い前歯がむき出しになった口元、そして不気味に鈍く光る瞳。リクは思わず一歩後ずさりそうになるのをぐっと堪えた。
「プロヴォーク!」
モニカの声が試合場に響く。ネズミ魔物の注意がモニカへと向けられ、巨体が一気に突進してくる。モニカは大きな盾でその突進を受け止め、魔法剣を横薙ぎに振るって反撃した。魔力を帯びた刃が灰色の毛皮を切り裂き、魔物が苦悶の鳴き声を上げる。
「ソイルランス!」
エミリアの杖先から放たれた土の槍が、魔物の脇腹を抉る。見る見るうちにジャイアント・ラットの動きが鈍り、その巨体がふらつき始めた。
(今だ!)
リクは内心でそう叫び、短剣を構えて走り出す。モニカが盾で魔物の最後の突進を受け止めた隙に、リクはその横腹へと切っ先を突き入れた。聖属性を帯びた刃が深々と刺さり、ジャイアント・ラットは大きな断末魔の叫びを残して消滅する。床には拳ほどの大きさの暗赤色をした小さい欠片が残されていた。
「ナイス、リク君!」
エミリアが拍手を送り、ドナも笑顔で小さく手を叩いている。モニカは無言のまま盾を引き、呼吸を整えている様子だったが、その目つきは昨日よりいくらか柔らかいようにリクには思えた。
*
「よし、今日の締めにいきましょう」
エミリアが係員に合図を送る。今度は二つの檻が同時に開かれ、二体のジャイアント・ラットが姿を現した。リクはごくりと唾を飲み込む。二体同時――これまでより格段に難易度が上がるのは明白だった。
「モニカ、無理はしないで。二体同時に引き受けることになるから、反撃に回る余裕はあまりないと思う。私が攻撃に専念するから、ドナとリク君はモニカの回復をしっかりね」
エミリアの指示に全員が頷く。モニカは既にプロヴォークの呪文を唱え始めていた。
二体のネズミ魔物が、同時にモニカへと突進する。モニカは盾を正面に構え、二つの巨体を一度に受け止めた。ドーンという重い衝撃音が試合場に響き渡る。モニカの表情がわずかに歪み、盾を支える腕が僅かに沈んだ。
(今のは結構効いたな)
「ヒール!」
リクは短剣をかざし、白い光の粒子をモニカへと飛ばす。同時にドナも杖を掲げて、回復魔法を発動させる。二人分の回復の光がモニカの全身を包み込み、やや苦しげだった彼女の表情が元の無表情へと戻っていく。
「ソイルランス!」
エミリアが一体に狙いを定め、土の槍を連続で放つ。一発、二発――魔物の動きが目に見えて鈍り、その巨体がよろめき始めた。
「もう少しよ、リク君!」
エミリアの声を合図にリクは短剣を握り直す。モニカが盾をわずかに傾け、弱った個体をリクの方へと誘導してくれた。リクはその隙を逃さず、魔物の首元へと切っ先を突き立てる。聖属性の光が弾け、一体目が跡形もなく消え去った。
残る一体は、モニカが再びプロヴォークでしっかりと引き付けてくれている。エミリアのソイルランスが続けざまに命中し、リクは先ほどと同じ要領でトドメの一撃を加える。二体目のネズミ魔物も断末魔の叫びを上げて消滅し、床には二つの赤っぽい欠片だけが残された。
「……ふう」
リクは大きく息を吐き、短剣を鞘に納めた。緊張の糸が切れ、どっと疲労感が押し寄せてくる。ドナがすかさずマジックポーションの小瓶を差し出してくれた。リクは感謝の言葉を発してからそれを受け取り、一息に飲み干す。冷たい液体が喉を滑り落ちると、例の倦怠感がスッと薄れていった。
「ありがとう、ドナさん」
再度お礼を言うリクに対してドナは何も言わず、ただにこりと笑って小さく会釈した。
「みんな、お疲れさま。今日の訓練はここまでよ」
エミリアが明るい声で締めくくる。モニカは無言のまま盾と剣を片付け、リクに向かって一度だけ小さく会釈すると、控え室の方へと去っていった。その態度は相変わらずそっけないが、リクにはもはやそれが単なる冷淡さだとは感じられなくなっていた。
ドナは、リクとエミリアに向かって深々と礼をし、去り際に「お疲れさまでした」とだけ短く言葉を残した。それ以外の言葉はないが、その笑顔には確かな温かみが宿っている。リクは軽く手を振って彼女を見送った。
*
闘技場を出ると、外はすっかり夕暮れに染まっていた。街のあちこちで夕食の支度をする煙が立ち上り、焼き菓子やスープの香りが通りを満たしている。兵舎へと続く石畳の道を、リクとエミリアは並んで歩いた。
「今日も本当によく頑張ったわ、リク君」
「いや……みんなのおかげだよ。俺一人じゃ何もできなかった」
「謙遜しなくていいのよ。トドメのタイミング、昨日よりずっと鋭かったわ。ちゃんと自分で見極められてた」
エミリアの言葉にリクは小さく笑みを返す。内心ではまだ不安がくすぶっているものの、こうして具体的に褒められると素直に嬉しかった。
兵舎へ戻り、食堂でいつものように差し向かいでの夕食をとる。今日の献立は鶏肉の香草焼きと根菜の煮込み、それに焼きたての黒パンだった。訓練の疲れからか、リクは普段より食が進む。エミリアもどこか満足げな様子で、食事の合間に、今日の訓練の細かい振り返りをしてくれた。
*
夕食が終わりエミリアが食器を片付け終えた頃、窓の外にはいつしか夜の帳が下りていた。リクが自室へ戻ろうと腰を上げかけたその時、エミリアがいつになく真剣な表情で呼び止める。そして、彼の目をまっすぐに見つめて告げた。
「リク君。明日、本番に行きましょう」
「……本番?」
「儀式に使う素材を落とす、レア魔物の討伐よ」
胸の奥がきゅっと縮まるのを感じるリク。エミリアはその反応を見て取ったのか、柔らかな、しかし緊張感のこもった声で続けた。
「今日、兵舎の測定の水晶で確認したリク君のレベル、ちゃんと上がってたでしょ。レベル7にね。体もその短剣の扱いも、及第点に達したから」
「でも、まだ実戦は二日くらいしか……」
「十分よ。リク君は特別なんだから。私、この目で見てきて確信したわ」
エミリアはそこで一旦言葉を切り、リクの目をまっすぐに見据えた。
「全く怖くない、って言ったら嘘になるけど……信じてる。リク君となら、大丈夫だって」
その言葉の一つ一つが、リクの胸の奥にじんわりと染み込んでいく。心の中では恐ろしくてたまらなかった。一瞬――ほんの一瞬ではあるが――命の危険がない元の世界のことが頭をよぎる。退屈で居場所もなく、母とも不仲だったあの世界が、今だけは妙に安全な場所に思えてしまう。だがそんなことはエミリアの手前、おくびにも出せない。それ以上にこの人をがっかりさせたくない、迷惑をかけたくない――そんな思いがリクの中で確かに息づいていた。
「……やってみる」
リクは短くそう答えた。声は自分でも驚くほど落ち着いていた。
エミリアはほんの一瞬だけ目を見開き、それから深く静かに微笑んだ。
「ありがとう、リク君。明日、必ず成功させましょう」
その笑顔にリクは小さくうなずき返す。窓の外の闇が、明日への重圧とともにリクの肩にのしかかっているようだったが、それでも不思議と足がすくむことはなかった。




