初めてのパーティ戦
それから、二人は宿舎へと戻り、リラックスして雑談をすることに。
しばらく歓談した後、ふと気になったことをリクは聞いてみた。
「MPって、魔法を使うための魔力の残量みたいなもの……という理解でいいんだよな?」
「そのとおりよ」
「やっぱりそうか。ああ、もう一つだけ質問いい?」
「一つと言わず、幾つでも聞いてね」
笑顔で言うエミリアに向かって、「ありがとう」と言った後、リクが続ける。
「魔法を使うとMPを消費することは教えてもらったけど、MPを回復する魔法はないの?」
「残念ながら、ないわ。でも、MPは時間経過とともに微量ずつながら回復するわ」
「ああ、そういうことか。で、MPを一気に大きく回復したい場合は、さっきのマジックポーションを飲む、と」
「うん、そうよ」
すると、エミリアが柱時計に目をやってから言葉を継ぐ。
「もうこんな時間なのね。ごめん、そろそろ夕食の買い物へ行かなくちゃ」
「ついていっていい? 街をもう少し見てみたいんだ」
「もちろん。いいわよ」
エミリアは快諾し、二人は連れ立って兵舎を後にした。
*
夕暮れが近づく街は、建国記念日の喧騒から少し落ち着きを取り戻しつつあった。それでも露店はまだ軒を連ね、焼き菓子や香辛料の香りが通りを満たしている。石畳の道を歩きながらリクは、隣を歩くエミリアの横顔をちらりと見やった。
その時だった。道の向こうから、一組の夫婦が歩いてくるのが目に入った。年の頃は三十代半ばだろうか。夫が大きな買い物袋を抱え、妻がその隣で笑いながら何か話している。ごく普通の、どこにでもあるような日常の光景。
だが、それを見た瞬間エミリアの表情がほんの一瞬だけ曇ったのを、リクは見逃さなかった。すぐに彼女はいつもの笑顔を取り戻したが、その一瞬の陰りが、リクの胸に小さな棘のように引っかかる。
(そういえば出会った日の夕方にも、エミリアは寂しげな表情を見せていたな――。何か事情があるんだろうか)
しかし、リクは詮索することを選ばなかった。誰にでも触れられたくない過去の一つや二つはある。自分だってそうだ。だからこそ、必要以上に踏み込むべきではないと思うリク。
「ここよ」
エミリアの声で我に返る。いつの間にか、食料品を扱う小さな店の前に立っていた。木製の看板には野菜や肉の絵が描かれ、軒先には色とりどりの果物が並んでいる。
「今日は奮発して、お祝いのごちそうを作るわ。リク君の初訓練の成功を祝ってね」
エミリアはそう言って、いたずらっぽくウインクした。その笑顔には先ほどの翳りはもう見当たらない。リクもつられて笑みを返し、彼女の後に続いて店内へと足を踏み入れた。
*
買い物袋を片手に提げたエミリアが、宿舎の扉を開ける。
「さあ、着いたわよ」
もう一つの買い物袋を持つリクは、彼女に続いて室内へ足を踏み入れた。昼間の訓練で少し疲れた体に、夕暮れの涼やかな空気が心地よい。エミリアは手早く台所へ向かうと、慣れた手つきで買ってきた食材を広げ始めた。
「今日はね、この辺りで獲れる川魚の香草焼きと、季節の野菜をたっぷり使ったスープを作るわ」
「何か手伝おうか?」
「いいのいいの。今日はお祝いなんだから、リク君は座って待ってて」
そう言ってエミリアは白い歯を見せて笑う。リクは食卓の椅子に腰を下ろし、彼女の後ろ姿をぼんやりと眺めていた。
手際よく魚をさばき香草を刻み、鍋に火をかける。その一連の動作には無駄がなく、時折鼻歌まじりにフライパンを揺する姿は、戦闘訓練の時の凛々しさとはまた違う柔らかな魅力を放っていた。
(エミリアって本当に何でもできるんだな。料理も上手いし、魔法も上手いし、教え方も上手いし――。俺が元の世界にいた時には、こんな人周りにいなかった――)
しばらくして、香ばしい匂いが部屋中に広がり始める。香草とバターの芳醇な香りが食欲をそそり、リクのお腹が小さく鳴った。
「待たせたわね」
大皿に盛られた香草焼きと、湯気の立つスープが並ぶ。エミリアはどこからか取り出した、いかにも高級そうなコーヒーの小瓶を掲げてみせた。
「これ、教主国特産のコーヒー。リク君はコーヒーって好き? 少しだけ飲まない?」
「コーヒーはどちらかといえば好きな方だけど……。そんな高そうなの、いいの?」
「もちろん。私も一杯だけ付き合うわ」
二人はグラスを軽く合わせ、ささやかな祝宴を始めた。魚の皮はパリッと香ばしく、身はふっくらと柔らかい。スープは野菜の甘みがしっかりと出ていて、疲れた体に染み渡るようだった。
「うまい……」
「ふふ、よかった。リク君にそう言ってもらえると、作った甲斐があるわ」
エミリアはグラスを傾けながら目を細める。その仕草があまりに絵になっていて、リクは思わず見とれそうになるのを、慌ててスープをすすることでごまかした。
食事の後も、二人はしばらく食卓でくつろいでいた。エミリアが養成学校時代の失敗談を面白おかしく語り、リクが元の世界の話をぽつぽつと話す。他愛のない会話だったが不思議と心が安らいだ。
(こういう時間悪くないな。いや、むしろ――)
そんなことを考えているうちに、窓の外はすっかり暗くなっていた。エミリアが片付けを始めたのを機に、リクも自室へと引き揚げる。
「おやすみ、リク君。明日も訓練頑張ろうね」
「おやすみ、エミリア。……今日は、本当にありがとう」
エミリアは軽く頷くと、優しく微笑んで手を振った。
*
翌朝、二日目の訓練が始まった。この日は座学中心で、エミリアは黒板に図を描きながら、戦闘時の基本的な陣形や各ジョブの役割について説明した。
「魔法剣士は前衛。盾で敵の攻撃を受け止めて、味方を守るわ。魔導士は主に後衛で、強力な魔法で攻撃。神官は後衛から回復。盗賊は主に前衛で体を張ったり、味方にスピードバフをかけたり、開かない宝箱を解錠したり。踊り子は後衛で、踊りで味方を強化したり、敵を弱体化させたりするの」
リクはいつものように羊皮紙にメモを取りながら聞いていたが、エミリアの説明は明快でするすると頭に入っていく。自身のジョブである聖授師について、リクが予想を言ってみる。
「で、聖授師は基本的に後衛のヒーラー。でも軽い盾を持ってるから前衛の補助もできる……みたいな?」
「そうよ。察しがいいわね。今日はこの後、実際に軽い盾を使った簡単な立ち回りを練習してみましょ」
午後の実技では、エミリアが放つ微弱な火属性魔法を、リクが盾で受け止める練習を繰り返した。最初はタイミングが合わずに空を切ることもあったが、十回も繰り返すうちに、ほぼ確実に盾の面で火の玉を捉えられるようになる。そして何より、「エミリアが放つ、火属性魔法の火の玉」にリクはひそかに興味津々だった。
(すげえ! 本当にエミリアが魔法を打ってる! これ多分、手加減してくれてるはずだから、本気の火属性魔法も早く見てみたい――!)
「上達が早すぎて、教える側としてはちょっと寂しいわね」
エミリアが冗談めかして言うが、リク自身は「チートのおかげだ」と半ば確信していた。それでも、できるようになることと、褒められることは単純に嬉しい。
*
三日目は、短剣と盾の扱い方の復習に終始した。エミリアは木製の訓練用人形を用意し、リクに短剣の突き方を何度も反復練習させる。
「そう、今の感じよ。脇を締めて手首を返さない。聖授師の短剣は、トドメの一撃を入れるためのもの。派手に振り回す必要はないの」
「こうか?」
リクが教わった通りに短剣を突き出すと、刃先が訓練用人形の中央を正確に捉えた。エミリアは満足げにうなずく。
「早くも合格点ね。明日は、いよいよ本物の魔物を相手にしてもらうわ」
「え……本物……」
「大丈夫。ちゃんと安全に配慮された環境だから」
エミリアの言葉に、リクは小さく息を吐いて頷いた。
*
そして四日目。朝の訓練を終えた後、エミリアはリクを連れて兵舎を出た。向かったのは兵舎からほど近い場所にある、石造りの大きなドーム状の建物だ。入口には「教主国中央闘技場」と刻まれた看板が掲げられている。
「ここは?」
「闘技場よ。飼育された魔物と、安全に戦える練習場なの。いきなり野生の個体たちを相手にするより、ここでの模擬戦はずっと段階を踏みやすいから」
エミリアに案内された先には、頑丈な鉄格子で仕切られた小さな試合場がある。周囲には万が一に備えて、待機する魔法剣士や魔導士や神官の姿もちらほらと見えた。
「いわば海に出る前の練習に、まず釣り堀で慣らすようなものよ」
エミリアのその言葉に、リクは思わず苦笑する。
「その釣り堀で、サメが出てきたらどうするんだ」
「大丈夫。今日は小魚レベルだから」
エミリアがお茶目にウインクすると、係員が鉄格子の向こう側にある檻の扉を開けた。ぷるぷると震えながら姿を現したのは、半透明のゼリー状の塊――スライムだ。大きさは子犬ほどで、表面が陽の光を受けてやや赤っぽく煌めいている。
(意外とでかいな――。でも、多分こいつは雑魚なんだろうし、俺でも倒せるはず。ちょっと怖いが、エミリアの見ている手前、情けない所を見せるわけにはいかないな)
「今日の相手は大人しいタイプのスライムよ。攻撃力もほとんどないから、まずは実戦の間合いに慣れることが目的ね」
リクは短剣を構え教わった通りに、切っ先へ意識を集中させる。スライムはぷるぷるとその場で震えているだけで、特に攻撃してくる様子もない。
「行くぞ……!」
リクは小さく気合を入れて踏み込んだ。スライムとの距離を一気に詰め、短剣をまっすぐに突き立てる。手応えは拍子抜けするほど軽かったが、切っ先が触れた瞬間、淡い光が弾けスライムはあっさりと崩れて消えた。跡には、小さな赤い欠片だけが残っている。
「上出来よ。次はもう少し手強いのを用意するわね」
エミリアが満足げに言うと、係員に合図を送った。
「次はスライム三体との模擬戦よ。ここからは、闘技場付きの魔法剣士と神官そして私も加わって、パーティを組んでの練習になるわ」
そう言ってエミリアが手を挙げると、控え室の方から二人の女性が歩いてくるのが見えた。
一人は、長い黒髪を一本の三つ編みにまとめた背の高い女性だ。魔法剣士の鎧兜を身にまとい、大きな盾と魔法剣を背負っている。鋭い目つきと引き締まった口元が印象的で、全体的に無骨な雰囲気を漂わせていた。
もう一人は、ミディアムロングの茶色い髪を白い帽子の下で揺らす小柄な女性。白いローブに身を包み、手には神官の杖を持っている。彼女はリクと目が合うとにこりと控えめな笑みを浮かべた。
「紹介するわ。魔法剣士のモニカ」
エミリアがまず黒髪の女性を示す。モニカは無言のまま、リクに向かって一度だけ小さく会釈した。表情はほとんど動かず口も開かない。
「そして、神官のジャスミン」
続いて示された茶髪の女性が、リクの前に進み出る。
「お初にお目にかかります、聖授師様。神官のジャスミンと申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします」
ジャスミンはそう言うと深々と頭を下げた。その声は穏やかで、物腰も丁寧だ。
「リクです。こちらこそ、よろしくお願いします」
リクがそう返すと、ジャスミンは再び笑顔を見せた。モニカは相変わらず無言のままリクから視線を外し、鉄格子の向こうへと目を向けている。
(モニカさんは無口な人なのかな。それとも、俺のことを警戒してるとか? まあ、いきなり現れた怪しげな異世界人をすぐ信用しろってのも無理な話か)
「それじゃ、準備はいいわね。みんな所定の位置について」
エミリアの指示で四人は試合場の中へと足を踏み入れた。モニカが最前線に立ち、鎧と同色の兜をかぶり、大きな盾を構える。その真後ろにリクが位置し、その左右にエミリアとジャスミンが並ぶ。オーソドックスな二列陣形だ。
係員が三つの檻を同時に開くと、先ほどよりも一回り大きなスライムが三体、ぷるぷると姿を現した。色はそれぞれ薄青、薄緑、薄赤と微妙に異なっている。
「じゃあモニカ、前に出て。リク君は私の隣で、まずは様子を見て」
エミリアの声が飛ぶ。モニカは無言で頷くと、盾を前面に押し出しながらスライムたちとの距離を詰めていった。そして呪文詠唱の後、叫ぶモニカ。
「プロヴォーク!」
エミリアからの授業により、「プロヴォークは敵の注意を引き付ける、挑発の魔法」ということをリクは学んで知っていた。
三体のスライムは、プロヴォークによりモニカという標的を認識したらしく、一斉に彼女へと向かってぷるぷると移動を始める。
「フレイムランス!」
エミリアの杖から放たれた炎の槍が、先頭の薄緑のスライムを貫く。スライムはびくんと震え、その動きを鈍らせた。続けざまにエミリアはもう一発別のスライムへと火炎の槍を放つ。
(出た! エミリアの火属性魔法! とてつもない迫力だぞ!)
しかし、緊張感漂う実戦練習中ということで、一瞬で気を引き締めなおすリク。
「モニカ、右のを削って!」
ジャスミンが声をかけるとモニカは無言で頷き、盾で薄赤のスライムの体当たりを受け止めつつ、魔法剣を横薙ぎに振るった。魔力を帯びた刃がスライムを切り裂き、その体積を目に見えて減らしていく。
リクは後方から、仲間たちの表情や動きを注意深く観察していた。幸いスライムの攻撃は弱く、モニカの盾でほとんど防げている。
(これなら、回復の出番はなさそうだ)
そう判断したリクは、エミリアの魔法で弱った薄緑のスライムへと狙いを定める。
「俺がトドメを刺す!」
短剣を構えて走り出したリクは、ふらふらと動くスライムの目前で足を止め、切っ先を真っ直ぐに突き入れた。淡い光が弾け、スライムは跡形もなく消え去る。その場に、小さな欠片だけを残して。
「ナイス!」
エミリアの賞賛の声が飛ぶ。残る二体も、モニカの魔法剣とエミリアのフレイムランスで弱ったところを、リクが順に短剣で仕留めていった。
「……ふう」
全てのスライムが消え去った試合場で、リクは小さく息を吐く。手応えは最初の一体と変わらず軽いものだったが、パーティ戦ということで緊張感は段違いだった。
「お見事でした、聖授師様」
ジャスミンがにこやかに声をかけてくる。彼女は結局、一度も回復魔法を使う場面がなかった。
「いや、俺はただトドメを刺しただけで……」
「それでいいんです。聖授師様の役割は、それで」
ジャスミンの言葉に、リクは曖昧に笑みを返した。ふと横を見ると、モニカが無言で盾と剣を収めているところだった。リクが軽く会釈すると、モニカもほんの一瞬だけ目を合わせ小さく頷いた。相変わらず表情一つ変えずに、淡々と片づけを進めている。
(まあ、俺はトドメを刺しただけで、大活躍したわけでもないし、モニカさんの中の「俺に対する評価」が変わらないのは仕方ない。モニカさんが単に無口なのか、異世界人に対して警戒しているのか、どちらなのかすらまだ見えてこないけど)
「じゃあ、今日の実戦訓練はここまでにしましょ。モニカ、ジャスミン、ありがとう」
エミリアが二人に礼を言う。ジャスミンは「また何かあればお声がけください」と丁寧に言葉を返し、モニカは無言のまま一礼して去っていった。
「どうだった、リク君? 初めてのパーティ戦は」
「思ってたより、ずっと緊張した。でもみんながしっかりしてたから、安心して動けたよ」
「それはよかった。モニカは無口だけど腕は確かだから。ジャスミンも神官としての技量は折り紙つきよ」
エミリアはそう言うと、リクの肩を軽く叩いた。
「この調子なら、次の段階に進めそうね。明日はもう少し手強い魔物に挑戦してみましょ」




