聖授師の役目
朝食を終えると、リクはエミリアに連れられて大聖堂のすぐ隣の建物内にある小さな講義室へと向かった。壁一面に並ぶ分厚い書物、古びた羊皮紙の巻物、そして異国の言葉が刻まれた石板。部屋全体が長い年月を経てきた知識の重みを感じさせる。
「まずは、この世界の基本的なことから教えるわね。覚えることは多いけど、命に関わることだから、今日中に頭に入れちゃって」
「あ、うん……分かった……」
気圧されながらも、リクは頷いた。「命に関わる」という一言に、ようやく状況の深刻さが実感として追いついてくる。
「さて、まずは基本から」
エミリアは黒板にチョークを走らせる。
「この世界の魔法には、五つの属性があるの。火、水、風、土、そして、聖」
エミリアは指を一本ずつ立てながら説明する。
「火・水・風・土の四属性は、それぞれに弱点属性があってね。火は水に弱くて、水は風に弱くて、風は土に弱くて、土は火に弱くて……という具合に、じゃんけんみたいに一周してる。そして、全ての魔物は弱点属性を持ってるの。その魔物の弱点属性である属性魔法で攻撃すれば、他の属性魔法と比べて一・五倍のダメージを与えることができるの。だから魔物と戦うときは、属性の相性を見極めるのがすごく大事」
「じゃあ、聖属性は?」
リクが尋ねると、エミリアは少しだけ声のトーンを落ち着かせた。
「この世界で、聖属性だけは特別な存在。本来の聖属性魔法は回復魔法のことなの。誰でも然るべき修行を積めば使える、いわゆるヒーラーの力よ。でも……」
エミリアは足を止め、リクへと向き直った。
「聖授師と二人で『絆の儀式』と呼ばれる儀式を行い、それに成功した魔導士だけが、聖属性の“攻撃魔法”を使えるようになるの。これは弱点属性を持たない、唯一の攻撃魔法なの。どんな魔物にだって、二倍のダメージを叩き込める」
「二倍……」
「そう。だから、聖授師がこの世界にとってどれだけ大事な存在か、分かってもらえたかしら」
エミリアの声には、からかうような響きは一切なかった。むしろ、どこか祈るような真剣さがあった。
リクは曖昧に頷きながらも、内心では別のことを考えていた。
(――それって、つまり。俺がいなきゃ、この世界の人たちは、その"チート"を使えないってことだよな)
都合のいい妄想が、頭の隅をよぎる。異世界召喚、チート能力、そして周囲の期待。ライトノベルやゲームで飽きるほど見てきた展開だ。
だが次の瞬間には、冷静な部分がすぐにブレーキをかけた。
(都合よく考えすぎだ。俺には荷が重すぎる。元の世界で陰キャだった人間だぞ)
そんなリクの葛藤など知る由もなく、エミリアは説明を続ける。
「『聖』属性を『授』ける『師』、ということで聖授師。異世界から来た男性だけの特別なジョブよ」
「その異世界から来た人ってのが、昨日言ってたカヘエって人と俺……ってことで合ってる?」
「そうよ。歴史上でその二名だけ」
「まぁ、そんなに次々と、異世界から人が来るはずないか」
「ええ、聖授師召喚の儀式が行われるのは、年2回だけだもの」
そこでエミリアは少しだけ間をおいてから言葉を続けた。
「……話を少し戻すわよ。『絆の儀式』については、詳しくは実際にやってみて覚えるといいわ。かく言う私も、やったことはないんだけど」
「ああ、聖授師が全然いないからか」
「そうなのよ。リク君は貴重な存在なんだから」
少しおどけた口調で言うエミリアは、再びチョークを走らせながら言葉を継ぐ。
「この世界では基本的に、魔物と戦えるのは女性だけ。魔導士も、魔法剣士も、盗賊も、踊り子も……魔物と直接戦う主な戦闘職は女性専用なの」
「……なんで、女性だけなんだ?」
純粋な疑問だった。エミリアは一瞬、言葉を探すように視線を泳がせる。
「正直、はっきりした理由は分かってないの。大昔からそういうものだった、としか。学者の中には、女神信仰と関係があるんじゃないかって言う人もいるけど……まあ、そのあたりは追々ね」
誤魔化すような笑みに、リクはそれ以上追及しないことにした。この世界には、まだ自分の知らない理屈がいくらでもありそうだった。
「それと、これも覚えておいて。魔物と、ただの動物は別物よ。魔物は魔法を使う、動物は魔法を使わない……ここが決定的な違いよ。動物は普通の剣や弓でも倒せるけど、魔物には生半可な武器じゃ傷一つつけられない。魔法か、魔法を纏った武器じゃないと話にならないの」
(やっぱり、そんなに甘くはないよなぁ――。魔物と戦うって段になれば、痛い思いを強いられるかも。まぁ、そりゃそうだよなぁ――)
「なるほど……。で、俺はどういうやり方で魔物を攻撃するの?」
「あなたは基本的に、戦闘で最前線には立たないわ。聖授師は、回復魔法なら最初から全部使える。だから当面は、パーティのヒーラーとして働いてもらうことになると思う。回復魔法のスペシャリストとして、ね」
ヒーラー。前線には立たない。その言葉に、リクは思わずわずかに肩の力を抜いた。
(――なら、そんなに危なくはなさそうだな)
場違いな安堵が、胸の奥にじんわりと広がる。安全に、平穏に――。それがリクにとって、何より大事な基準だった。
だが、エミリアの次の一言が、その安堵に小さな影を落とした。
「ただし、例外があってね」
「例外?」
「聖授師は『絆の儀式』を行うってさっき言ったでしょ。そしてその儀式に必要なアイテムとして、『聖遺物』っていうものがあってね。これは平たく言えば、魔物を倒したときに得られるドロップアイテムのことよ。『素材』と呼んでもいいわ。そして、その『儀式で使う聖遺物』の獲得には条件があるの」
「条件?」
「儀式に必要な素材は、特定のレア魔物からしか手に入らないの。しかも、そのトドメを刺すのは、聖授師自身じゃないといけない」
エミリアは申し訳なさそうに、けれど誤魔化さずにリクの目をまっすぐ見て言った。
「つまり、リク君にも魔物に攻撃してもらう必要がある、ってこと。短剣を使って……トドメを刺すの」
(やっぱり、危険な話じゃないか! 怖すぎる――。何とか今から逃げ出すことはできないかな――)
気が滅入ってきたリクだが、親切に説明してくれているエミリアの手前、態度には出せない。
「……そのレア魔物って、危ないやつなのか?」
エミリアは少し考えるように視線を宙に泳がせてから、あっさりと答えた。
「大丈夫。まずは、教主国の周辺でも比較的よく出るタイプから狙うつもりだから。もちろん油断はできないけど。私と、それから他の腕利きたちで、ちゃんとリク君のことは守るから。心配しないで」
守る、という言葉に、リクは何と返していいか分からず、ただ小さく頷いた。
黒板にチョークで要点を書き記しながらエミリアが言葉を続ける。
「絆の儀式について、詳しい内容は、実際に儀式を行う直前に伝えるわ。そんなに難しい内容でもないけど、今ここで話すと長くなっちゃうからね」
「うん、了解。しかし、それにしても……。エミリアは本当に詳しいんだな。色んなことについて」
素朴な疑問だったのだが、エミリアは少し照れたように笑った。
「聖授師や『絆の儀式』のこと自体は、養成学校でも歴史の授業でちょっとだけ習うのよ。私も魔導士養成学校を卒業して、魔導士になってるから、そのときに受けた授業でね。300年前のカヘエ様っていう実例があるから、授業のカリキュラムに組み込まれてるんだと思うわ。でも、今話している内容のような詳しい話は、さすがに学校では習わないの」
「じゃあ、それは……」
「お世話係の最終候補者に選ばれた時、国から資料をもらったの。それで必死に予習したのよ。付け焼き刃だけど」
愛嬌たっぷりに笑うエミリアに、リクも思わず頬を緩めた。
(努力家だ。エミリアは俺と違って勉強熱心なところもあるんだな――)
だが、今の話の中にも気になる点があったので、すかさずリクが尋ねる。
「ちなみにカヘエさんについては、どんなことを学校の授業で習った?」
「うーん、残念だけど、そこまで詳しいことは習わないの。世間でもよく知られているような内容しか……」
「それでもいいから、教えて」
今のリクにとっては、どんな情報でもありがたいのだ。その「世間でもよく知られているような内容」がどんなものなのかも、リクには興味があった。今のところ、国王からしかカヘエについての情報を得られていない状況なので。
エミリアは真面目な表情で答える。
「国王陛下も仰ってたように、カヘエ様は四天王を2体も撃破なさったわ。そして、時期については何も分かってないようだけど、カヘエ様は『帰りたい』と仰って、忽然と姿を消されたの。以降は誰もカヘエ様のお姿を確認していない……みたいな感じかな」
「やっぱり、国王さんが言ってるくらいのことしか判明してないのか……」
「ごめんね」
「ううん、エミリアが謝ることじゃないよ。教えてくれてありがとう」
そう言いつつ、リクは考え込んでいた。
(マジで一体、カヘエさんに何があったんだろう――。そして、俺も「帰りたい」って言えば、この場から消える? いや、そんなに「すごく帰りたい」とも思ってないし、実際に帰れたとしてもそこまで嬉しいってわけでもないんだけど――)
そこで、不意に湧いた疑問をエミリアにぶつけてみた。
「なあ、エミリア。聖授師って要はヒーラーなんだよな?」
「うん、基本的にはヒーラーよ。さっき説明した通り、儀式に使う素材を得るために、レア魔物にトドメを刺すとき以外は……ね」
「それなら、エミリアや国王さんが言ってる『カヘエさんが四天王を倒した』って表現、少しおかしくないか? 聖授師はトドメを刺すだけの役割なら。魔物を瀕死の状態まで削ったのは、火力の高い他のメンバーじゃないの?」
するとエミリアは言いづらそうな様子で答える。
「その考え方は間違ってはないわ。でもね、リク君。カヘエ様やリク君のおかげで、他の人たちは強力な聖属性攻撃魔法を使えるようになるのよ。『聖授師がいなければ、絶対に勝てなかった』って話よ」
「言いたいことは分かる。それに、別にカヘエさんの業績にケチをつけようというつもりはないよ。まぁ、それはともかくとして……。カヘエさんが『帰りたい』って言いだした理由も気になるな……。元々そう言い続けながら過ごしてきた人なのか、それとも、何かとんでもない目に遭って急に帰りたくなったのか……」
思案顔のリクを見て、エミリアが言った。
「もしかしたら、リク君なら、カヘエ様の書かれた文章を読めるかもしれないし、何か分かるかもしれないわ……」
「え? カヘエさんの書いた文章を、みんなは読めないのか?! もしかして日本語で書いてあるとか?」
「日本語?」
きょとんとするエミリアに対し、リクがすぐに説明する。
「ああ、日本語ってのは、俺が元いた国の言葉ね」
「確証はないけど、もしかしたらリク君の国の言葉なのかもしれないわ。何せカヘエ様は不思議な文字を書かれていて、その文字で書かれた書簡や石碑が世界各地に散らばっているの」
「え?! 国王さんも知らない書簡とか石碑とかが、世界中にあるってこと?」
「世界各地に石碑が建っていることは、歴史の授業でも習ったし、多分本当にあると思う」
リクの心の中に、ほんの少しだけ興味が湧いてきていた。ほんの少しではあったが。
時計を見たエミリアが言った。
「どういう魔物を倒せばいいのか、とか……詳しいことはまた追々しっかり説明するから。今日は色々話しすぎたものね」
「ああ、お気遣いありがとう」
「いえいえ。じゃあ、今日のお勉強はこのくらいにしておこっか。この後はどうする? 昨日言ってたように、カヘエ様の資料を見に、書庫へ行ってみる?」
「うん、そうしたい。とりあえず、この国にある資料を見てみたい」
「分かったわ。じゃあ、ちょっと休憩して、昼食をとってから、書庫へ向かおっか。案内するわ」
「何から何までありがとう。よろしく」
先のことを考えると頭が痛くなってきそうだったが、リクは陽気な態度を取り繕って笑顔を向けた。




