お世話係エミリア
大聖堂を一歩出ると、そこはまるで別世界だった。
石畳の広場には色とりどりの露店が並び、香ばしい焼き串の匂いと甘い菓子の香りが混ざり合っている。通りを埋め尽くす人々は皆色鮮やかな民族衣装に身を包み、笑顔で行き交っていた。
「すごい……」
思わず漏れたリクの感嘆の声に、隣を歩くエミリアがいたずらっぽく笑う。
「ふふ、気に入ってもらえたみたいで何よりです。今日は年に一度の大イベントですから」
「この国って、いつもこんな感じなんですか?」
「さすがにいつもはここまで派手じゃないですよ。でも建国記念日は特別です。聖授師召喚の儀式があるから、皆の期待もひとしおで」
「期待、ね……」
リクは曖昧に笑ってごまかした。世界を救うだの魔王を倒すだの、そんな大それたことを自分ができるとは到底思えないのだ。
「リク君、そんなに気負わなくていいんですよ」
エミリアはリクの複雑な表情を察したのか、優しい声音で言った。
「まずはゆっくり休んで、ここの暮らしに慣れてください。そして落ち着いてから今後について考えればいいんです」
「……そう、ですね」
その言葉に、リクは少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
二人が広場を抜け大聖堂の裏手にある宿舎へと向かう途中、ふとリクは足を止めた。露店の一つで銀細工のアクセサリーが売られている。その中に、淡く青白く光る石をあしらったペンダントが目に留まったのだ。
「気になるんですか?」
「あ、いや……」
「ちょっと待っててくださいね」
そう言うなり、エミリアは露店の店主と二言三言言葉を交わし銀貨を数枚差し出す。そして、件のペンダントを手に取るとリクの手のひらにそっと載せた。
「え、これ……」
「私からの歓迎の印です」
「でも、悪いですよ。俺お金持ってないですし」
「気にしないでください。こういうのは気持ちの問題ですから」
エミリアはにっこりと笑うと、リクの手を押し返すようにしてペンダントを握らせた。
手のひらの上で青白く光る石をじっと見つめながら、リクは小さく息を吐く。
(優しい人だな、この人――)
異世界に来てまだ間もないがこうして親切にされると、少しだけ心が落ち着く。
「ありがとう、エミリアさん」
「どういたしまして、リク君」
エミリアは美しい髪を風になびかせながら笑顔を見せた。
夕暮れが近づき、街はさらに華やぎを増していく。どこかから流れてくる陽気な音楽に酔客たちの楽しげな笑い声が混ざり合う。リクはエミリアと並んで歩きながら、ペンダントをそっとポケットにしまった。
(これから、どうなるんだろうな、俺――)
まだ不安は尽きない。しかし、少なくとも今この瞬間は隣を歩くエミリアの笑顔に支えられて、少しだけ前を向ける気がしていた。
「明日は、この世界のこともっと色々教えますからね」
エミリアの言葉にリクは小さくうなずく。
(こうして、好意的に接してくれる人がいるだけでもありがたいと思わないといけないな――。イジメも勉強もない、この世界で、痛い思いをせず安心安全に生きられれば、それもいいかも――)
華やいだ街を遠い目で見渡しながら、リクは心の中でつぶやく。
「さあ、宿舎に着きましたよ」
そう告げるエミリアの後に続き、リクは宿舎の中へと足を踏み入れた。
*
まず、食堂にてエミリアと差し向かいで食事をとったリク。幸い、食べ物は元の世界のものと大差なく、普通に美味な洋食という感じだった。それからリクは自分の部屋へと案内してもらうことに。
案内された部屋は、リクの想像よりも遥かに豪華だった。天蓋付きのベッド、暖炉、そして磨き上げられた木製の机。窓の外には、教主国の首都の街並みが夕暮れに染まりながら広がっている。
「今日はゆっくり休んで。明日から、少しずつこの世界に慣れていきましょう」
エミリアはそう言って、優しく微笑んだ。しかし、その笑顔の裏に、どこか寂しげな影があるような――そんな気がリクにはした。
「エミリアさん」
「エミリア、でいいわよ。敬語もいらないし。年、いくつ?」
「18歳だけど……」
「私は22歳だから、やっぱり結構年が近いわね」
くすくす笑うエミリアに向かって、リクが恐る恐る尋ねる。
「明日から、とりあえず俺は何をすればいい?」
「リク君にはこの世界について色々と知ってもらわなくちゃいけないから、私が教えていく感じ……かな。大丈夫よ、いきなり難しい話はなるべくしないようにするわ」
「あ、う、うん……」
不安がないと言うと嘘になるが、エミリアの優しい微笑みを見て、少しだけ心が軽くなったリクは首を縦に振る。
「じゃあ、リク君。さっき食堂で説明したように、着替えはそっちの棚に入ってるから。ゆっくり休んでね。また明日」
「うん、ありがとう。また明日」
扉が閉まり、一人になった部屋で、リクはベッドに腰を下ろした。異世界、召喚、聖授師――今日一日で浴びるように聞かされた情報が、頭の中でゆっくりと渦を巻いている。
(元の世界に、帰る方法は――)
そこまで考えて、リクは小さく首を振った。考えたところで、今すぐどうにかなる話でもない。それに――。
(うーん、やっぱり――。何度考えてみても、別に今すぐ帰りたいわけでもないんだよなぁ――)
母の顔を思い浮かべても、胸に浮かぶのは懐かしさよりも、乾いた諦めだった。
窓の外、夕焼けに染まる見知らぬ街を眺めながら、リクはこれから始まる日々に、まだ実感の持てないまま思いを馳せた。
ふと頭の片隅に引っかかっていたことを思い出し、リクは思わず部屋を飛び出して廊下に出てエミリアを探す。
幸い、エミリアはまだすぐそばにいた。
「なあ、エミリア」
「あら、どうしたの?」
「国王さんが言ってた書庫って場所、どこ?」
少しでも情報が欲しかった。同じ境遇の先人がどう生きたのか、そしてその身に何が起きたのか――。カヘエのことを知っておきたいという気持ちは、リクにとって自然なものだった。
エミリアは優しい微笑みを浮かべて答える。
「それなら、ここからそう遠くないところにあるわ。明日にでも案内してあげる。どうしても今すぐ見たいっていうのなら、今からでも連れて行くわよ」
「あ、じゃあ、明日にしよっかな。明日またよろしく」
「了解です。じゃあ、また明日」
リクは小さく頷いて手を振り返す。カヘエの身に何があったのかを知ったところで、何も変わらない可能性があることはリク自身にも重々分かっている。それでも、リクは、自分と同じ境遇だった先人カヘエについて知りたく思っていた。
(――そして、もしこの世界でずっと暮らすことになったとしても、とりあえず俺としては痛い思いだけは絶対したくない)
その一点だけは、リクの中ではっきりしていた。
*
翌朝、窓から差し込む柔らかな日差しでリクは目を覚ました。天蓋付きのベッド、石造りの壁、ほのかに香るハーブの匂い。一瞬自分がどこにいるのか分からずに混乱するも、すぐに昨日の出来事が脳裏に蘇る。
(夢じゃ、なかったんだな――)
ベッドから身を起こし窓の外に視線を向ける。昨日の喧騒が嘘のように、街は穏やかな朝を迎えていた。遠くで小鳥がさえずり石畳の通りを歩く人々の姿もまばらだ。ペンダントを手に取り、青白い石を見つめながらリクは小さくため息をついた。
(異世界――魔王討伐――か。うーん、やっぱり実感が湧かない。そもそも、聖授師って結局何なんだよ。それに、カヘエさんは本当に元の世界へ帰れたのか?)
ノックの音が響き、リクは我に返った。
「リク君、起きてる?」
エミリアの声だ。リクが返事をすると、彼女は朝食を載せたトレイを持って部屋に入ってきた。焼きたてのパンの香ばしい匂いと温かなスープの湯気が部屋に広がる。エミリアの服は、昨日着ていた濃紺に金色の刺繍の入ったローブではなく、落ち着いたダスティピンクの色をしたシンプルなデザインのドレスだ。煌びやかさが昨日より控えめになったことで、より彼女の美貌が引き立っている。
(やっぱ綺麗だなぁ、エミリアは。っていうか、元の世界では女子とまともに会話すらしたことがなかった俺にとっては、今のこの状況が新鮮すぎる――)
エミリアが屈託のない笑顔を向けて声をかけてきた。
「おはよう、よく眠れた?」
「ああ、うん……ありがとう」
「よかった。ではお食事のあと、この世界のことを少し勉強してみましょう。魔法の話とか、色々伝えたいことがたくさんあるから」
エミリアはトレイをテーブルに置き、手際よく食事の準備をしながら、事も無げに言う。
(えええー、異世界に来ても、結局苦手な勉強をしないといけないのかよ――。まぁ、でも美人のエミリア先生の授業なら、我慢してちょっとは頑張ってみるか――)
リクはもちろん表情には出さない。そんなことよりも今の会話の中で興味を持ったことがあったので、それについて突っ込んでみることにした。
「あの……。魔法って……俺も使えるのか?」
「もちろん。聖授師は特別な存在だってこと、国王陛下もおっしゃってたでしょ。魔法の練習もおいおい入れるとして、でもまずはその前に、基礎知識を頭に入れてもらわなくっちゃ」
(魔法、か――ゲームとかアニメの中だけの話だと思ってたけど、本物をこの目で見られるのかもしれない)
「300年ぶりの聖授師さんに、すっごく期待してるんだから」
複雑な表情を見せるリクに、エミリアは茶目っ気たっぷりな笑顔を向けた。




