召喚
「え? 何、これ……?」
リクの声は、自分でも驚くほど、か細かった。
とてつもなく広い部屋のど真ん中で、リクは呆然と立ち尽くしたまま周囲を見回す。豪奢なステンドグラスから差し込む光が、大理石の床に虹色の模様を描いている。周囲を取り囲むのは、豪奢な衣装に身を包んだ大勢の人々。中でもひときわ目立つほど豪奢な衣装に身を包んだ国王らしき壮年の男を筆頭に、皆が固唾を呑んでリクを見つめている。
(俺、学校からの帰り道で――いつもの制服で、いつもの道をいつも通り歩いてて――。じゃあ、夢か、これ?)
混乱する脳を振り絞って、リクは考える。しかし、頭は真っ白だ。
動揺して泣きわめきたいくらいの気持ちのリクとは対照的に、大広間の窓の外からは、遠く賑やかな音楽と歓声が響いていた。
いつの間にか、着ていた学校の制服は、神官を思わせる白い衣装にすり替えられている。裾に施された金糸の刺繍が、やけに重々しく肩にのしかかる。
(――やっぱり夢なのか? でも――いや、この感じは――)
周囲の視線が自分に集中していて、面映ゆくも感じるリク。そもそもこういう注目を浴びることに対して、リクは苦手意識を持っていた。
意識しないようにと、何気なく天井を見上げれば荘厳な宗教画が広がっている。
(青い実をつけた植物の前に、笑顔の可愛い女性がいて、その青い実を一粒手に取ってる――。その上に白いあごひげの神様っぽい人が、仙人みたいな服装で宙に浮いてて、手にした杖の先から出たビームが青い実に――。多分あれってきっと、この国の神話か何かかな。――いや、そんなことはどうでもよくて、ここどこなんだってば!)
狼狽するリクをよそに、国王らしき男が一歩前に進み出た。厳かに、しかし隠しきれない期待に満ちたような、そんな声で告げる。
「まさか300年ぶりに、『召喚の儀』が成功するとは……!」
国王らしき男の言葉が、大広間にこだまする。周囲の人たちの「こんなことあるんだなぁ……」「今回も失敗かと思ってたら……」「生きているうちに召喚成功が見れるなんて……」というひそひそ話がリクの耳にも飛び込んできた。自分を見ながらのひそひそ話に、リクはますます居心地が悪く感じる。リクはこういう状況が大の苦手だった。感極まったように拳を握りしめている国王らしき男に向かって、思わずリクは尋ねる。
「あの、すみません……ここ、どこですか……?」
「おっと、これは失敬」
大仰な仕草で国王らしき男は咳払いをする。
「余はこの国、ヌミタリア教主国の王を務めるピーターソン77世と申す。そして、ここは教主国が誇る、絢爛豪華この上なき大聖堂である。ようこそ、我が国へ!」
「あ……リクです。東雲リクといいます」
頭の中は依然として大混乱だが、「国王」と名乗る人物から挨拶されて、返さないわけにはいかない。
「うむ、リク殿。きっと、そなたこそ、この世界を救う聖授師に違いない。今は右も左も分からぬ状況であろう、相済まない」
「せいじゅし……?」
リクは聞き慣れない単語に首を傾げた。
困惑を隠せないリクの様子に、国王は鷹揚にうなずく。
「うむ。『聖授師』……すなわち聖なる、特別な存在。異世界より召喚されし者だけが持つ、奇跡の力だ……!」
「異世界……それって、つまり俺のいた世界ってことですか?」
「そう。そなたは我々の世界を救うため、この地へと呼び寄せられた。こちらの都合で相済まぬ部分はあるが……」
リクは自分の手を見下ろした。制服から神官服に突然すり替わったのはすごいことだと思ったが、手のひらをじっと見つめても何か特別な力が宿っているようには感じられない。
「あの……魔王を倒せとか、そういう系の話ですか?」
「理解が早くて助かる」
国王は満足げに笑みを深くした。
「ラドリムフィラ島の奥地に居を構える魔王。その配下どもの動きが近年活発になっており、我ら人類に牙を剥き続けておる。世界の均衡が崩れてしまう前に、魔王を討伐し平和をもたらす……この世界に生きる全ての民の夢だ。そして、その夢に……」
国王はいかにも感慨深げな様子で言葉を継ぐ。
「およそ300年前、その夢に最も近づいたといえる聖授師、カヘエ殿ですら果たせなかった……。そんな果てしない夢だ……」
国王の声が僅かに湿り気を帯びた。頭の中はいまだ大混乱のリクではあったが、300年と聞くと、その時の長さの重みを感じずにはいられない。
しかし、そのことよりも、リクの注意を引き付けた言葉があった。リクは思わず尋ねる。
「あの……。その『カヘ』とかいう人も俺と似たような立場だったってことですか? 300年前に、俺のいた世界から、俺と同じようにここに召喚されてきた……とか?」
「うむ、その通り。カヘエ殿はおよそ300年前に、この大聖堂に降り立った聖授師だ。リク殿が今日降臨するまで、唯一の聖授師だったお方だ」
「俺が二人目だということで……。それで、カヘ……エっていう人は、元の世界では俺と同じ国の出身なんですか?」
「そこは余もまだ分からぬ。だが、そうだと信じている。300年も前のことだから、今を生きる人は余も含め、カヘエ殿の姿を実際に自分の目で確認したことはない。だが、カヘエ殿はリク殿と同じような髪色、目の色、肌の色をしていたと、数多くの文献が語っている」
「な、なるほど……」
とりあえず聞きたいことや知りたいことが山ほどあって、リクは目を白黒させる。周囲の人々は、リクと国王の会話を、飽きる様子もなく熱心に傾聴している様子だった。中には涙ぐんでいる人すら見受けられる。「泣きたいのはこっちだ」と内心思いつつも、国王から情報を出来るだけ仕入れたいリクは続けざまに質問した。
「聞くのがものすごく怖いんですが……。カヘエさんって人、魔王にやられちゃったんですか?」
「いや、残念ながらカヘエ殿ほどの傑物をもってしても、ラドリムフィラ島までたどり着けなかったのだ……。だが、そのことでカヘエ殿の偉大なる功績に曇りが生じているわけでは断じてない。何せ、四天王のうちの2体を撃破するという偉業を成し遂げられたのだからな……! 四天王というのは、魔王の下に控えておる強大な魔物だ。歴史上、人類による四天王撃破はカヘエ殿の2例のみなのだ。それどころか、カヘエ殿がたくさん撃破された、俗に『四天王級』と呼ばれる強大な魔物たちについても、カヘエ殿以外で四天王級の魔物を撃破した人間は、ただの一人もおらぬ。まさに、金字塔といえよう」
「じゃあ、その四天王とやらにやられたってことですか?」
「それは……」
滔々と語り続けていた国王が急に言い淀む。リクはとてつもなく嫌な予感がしてきた。
「カヘエさんが四天王にやられたのなら、俺もその二の舞になる可能性が高いじゃないですか……」
「い、いや、カヘエ殿が命を落とされたと決まったわけではない……! 誓って言うが、そのような記録は残ってないのだ……!」
言いづらそうに言葉を切る国王。周囲の人々も心なしかバツが悪そうだった。リクがさらに突っ込んで聞いてみる。
「それじゃ、カヘエさんはどうなったんですか? 元の世界へ帰ったとか?」
「その可能性は……否定できまい」
「え?!」
(帰れるのかよ――?! そんなことってあるのか?!)
心の中でそう叫んだリクだったが、それは「帰りたい」という思いからではない。ただただ、意外過ぎる内容だったので仰天しただけだった。次の瞬間には、自身の境遇を思い返し、リクは冷静に心の中で呟いていた。
(でもなぁ、俺の場合は――。元の世界に帰ったところで――)
母とはもう何年も、挨拶以外の会話を交わしていない。高校でも友達がおらず、リクには居場所と呼べる場所はなかった。だから、この状況を真っ向から嘆く気持ちにはなれないのだ。
(ただ――できることなら、痛い思いはしたくない。安心安全、平穏無事に暮らせるなら、この世界にいてもいいんだけど――。魔王討伐がどうとか、絶対危なそうだしなぁ――)
リクは思い切って国王に言った。
「えっと、では……カヘエさんがどうやって帰ったのかだけ、教えてもらえませんか?」
やはり何といっても「痛い思いはしたくない。平和に暮らしたい」――それがリクの偽らざる本音なのだ。いきなり異世界に呼び出されて、「魔王を倒して世界を救え」と言われても俄かには受け入れがたい。いくら、元の世界に良い思い出が少ないとはいえ。魔王討伐に向かった上で痛い思いをして絶命するよりは、元の世界の方がまだマシな気すらリクにはしてきたのだ。
国王は困っているのが一目瞭然の表情で答えた。
「申し訳ないんだが……何も分かっておらぬ。カヘエ殿が本当に異世界へ帰られたのかどうか、それすらも」
「どういうことですか? 死んだわけでもなく、帰ったのかどうかも分からないだなんて……」
「先ほども少しだけ触れたが、何しろおよそ300年も前のことなのだ。当時のことを知る人は、既にこの世にはおらぬ。そして、あくまでも言い伝えではあるが……」
苦渋の表情で言葉を切った国王は大きく嘆息する。そして、少し間をおいて言葉を継いだ。
「カヘエ殿が残された最後の言葉は『帰りたい』だったと言い伝えられている。その後、カヘエ殿が何処へ行かれたのか、知る者は誰一人としていないのだ……」
「え? ど、どういう……?」
「消息を絶たれた……としか言えん」
「ええ?! 行方不明?!」
リクは心底困惑した。カヘエという人の顛末については、リクにとっては他人事ではない。今度は自分の身に起き得ることなのだから。今聞いている話のように、自分も「神隠し」のような事態に巻き込まれてしまっては冗談じゃない。国王はわざとらしく咳払いをしてから言った。
「もし、そなたが望むのであれば、我が国に現存する文献をお見せしよう。カヘエ殿に関する資料が、そう多くはないが、この国にも幾ばくか残っているのでな」
「そ、それはどうも。ありがとうございます。後で見させてもらいたいです。しかし、そもそもの話ですが……。俺はこれから、どうすれば……?」
「リク殿、相済まぬが……元の世界へ送り返す方法を余は知らぬのだ。余だけでなく、この世界の誰も。だから、この世界で生きていってもらうより他はないと思われる」
「そ、そんな無責任な……」
確かに現状、「良い思い出のない元の世界へ帰りたいと熱望しているわけではない」というスタンスのリクではあったが、こういう「投げっぱなし」の態度にはさすがに閉口する。当惑の極致にいるリクは、半ばヤケクソになって言葉を続けた。
「じゃ、じゃあ、とりあえず『魔王と戦う』という方向性に、もし決めた場合は次にどうするのか教えてください。俺には戦闘の経験なんて、一切ありませんよ」
「それは心配ござらぬ」
急に元気が出たらしく、国王が顔を輝かせて言葉を続けた。
「幸いそなたの世話役として、適任者が控えておりましてな。それに、無理強いは致しませぬぞ。聖授師リク殿。まずはこの世界に慣れ、その上でどうするか決めてくだされば」
「世話役?」
「その通り。ほれ!」
国王が強く両手を叩き合わせると、大広間の脇にある扉がほとんど音も立てずに開いた。現れたのはブロンドの長い髪を揺らす若い女性だ。濃紺のローブを身にまとい、胸元には小さなメダルのようなものが輝いていた。頭にはローブと同色のツバ広帽子をかぶっている。ローブと帽子には金色の刺繍がそこかしこに見られ、大変に煌びやかな印象だ。柔らかな笑みを浮かべ、彼女は小さく会釈をしてきた。歳の頃は二十歳を少し過ぎたあたりだろうか。落ち着いた物腰の中に、どこか頼りがいのある雰囲気を纏っている。
「お初にお目にかかります。魔導士のエミリアと申します」
そう言って、エミリアはにこやかに微笑んだ。
「リク君の専属お世話係を仰せつかりました。何か困ったことがあれば、なんでも言ってくださいね」
「は、はぁ……」
リクは戸惑いながらも、差し出された手を握り返す。エミリアの手は温かく、その笑顔には不思議と警戒心を解かせる何かがあった。
(綺麗な人だなぁ――。あ、俺、母さん以外の女性の手に触ったの、生まれて初めてな気がする。柔らかいな――)
「詳しい話や、身の回りの世話などは、そこのエミリアに聞くといい。では、エミリアよ。聖授師リク殿を任せたぞ」
そう言うと、国王は軽く敬礼のような仕草をリクに見せる。半ば放心状態のリクは、反射的に同じような仕草を返した。
「そうそう、リク殿。先ほど申しておった、書庫の閲覧許可は出しておくゆえ、見たい時には役人の方へ声をかけてもらえれば。今日でも明日でも、いつでもカヘエ殿の書簡等を自由に閲覧してもらえますぞ」
そう言い残すと、国王は大勢の人を連れて退室していった。まるで逃げるように、そそくさと。
エミリアは国王の方向へ一礼した後、リクに向き直る。
「堅苦しい説明はひとまず置いておいて……。とりあえず、この国の首都である、この街を案内しましょうか。今日は建国記念日で、どこもかしこもお祭り騒ぎですから」
エミリアの言葉に窓の外から聞こえる賑やかな音楽と歓声の理由をようやく理解したリクは、小さく頷いた。




