南の森②
「気配を感じる。それも……多い」
ロレッタの鋭い呟きに、一同は即座に武器を構えた。
まもなく、木々の合間から複数の影が現れた。ムカデ型の魔物だ。体長は一メートルを優に超える。黒光りする甲殻に覆われ、無数の脚がざわざわと動いている。その数、五体。だが、ただのムカデ型魔物ではないらしい。彼らは明らかに統率された動きを見せていた。隊列を組み、前衛と後衛に分かれ、まるで訓練された兵士のように整然としている。そして、その群れの中心にはひときわ大きく、赤黒い甲殻を持つ個体がいた。他の四体よりも一回り以上大きいその巨体から発せられる威圧感は、明らかに格が違う。
敵たちは、まだこちらには気づいていない様子だ。リクたちは木々の陰から、じっと様子をうかがうことにした。
「マジック・センティピード……! 火属性の魔物よ!」
エミリアがリクにだけ聞こえるよう、小さく叫ぶ。その声はかすかに震えていた。リクは、エミリアの様子に少しだけ違和感を覚えた。普段の彼女なら、もっと落ち着いて状況を分析するはずだ。だが、今の声には明らかな動揺が混じっている。
(エミリア、何か知ってるのか? それとも、ただ怖いだけか?)
リクはそう思ったが、今は聞くべき時ではない。彼は改めて敵を見据え、エミリアに尋ねた。
「あれが、国王陛下たちが仰ってた奴らか。強敵なのか?」
「数が多くて厄介だが、油断しなければ問題ない」
答えたのは、エミリアではなくロレッタだった。彼女は短杖を構え、既に臨戦態勢に入っている。その目は、群れの中心にいる巨大な個体をまっすぐに睨んでいた。
「中央にデカいのがいるな」
リクのすぐ前にいるモニカが呟く。
「あれが指揮官格だな」
ロレッタが、静かに告げる。その声には確信が感じられた。どうやら彼女は、こうした統率された魔物の群れに、何度か遭遇した経験があるようだ。
「不意打ちをかける。モニカ、前へ出てくれ。エミリアは後衛の左側を頼む。私は右で」
ロレッタの指示は素早く、的確だった。エミリアもそれに従う。
「リク君とブレンダは、適宜、回復をお願い!」
エミリアがリクたちの方を振り返り、そう叫ぶ。リクとブレンダは同時に頷いた。
モニカが、即座に大きな盾を構えて前に出る。そして、呪文を詠唱した後、叫ぶ。
「プロヴォーク!」
その瞬間、魔物たちの注意が一斉にモニカへと向いた。指揮官格を含む五体のムカデが、一糸乱れぬ動きでモニカの方へと殺到する。開戦の火蓋が切られた。
だが、指揮官格は闇雲に突進せず後ろに控え、他の四体のムカデたちが前に出てくる。対するこちらの前衛はモニカだけだ。全ての個体を一人で押さえきることはできず、ムカデが時折モニカの脇をすり抜けて、後衛のリクたちを襲ってくる。リクは軽い盾でそれを押しとどめ、短剣で応戦する。ブレンダはリクのすぐ横で、いつでも回復魔法を発動できるよう備えていた。
「アクアランス!」
ロレッタの水属性魔法が炸裂する。青く輝く光の槍が、モニカの周囲に群がるムカデを貫く。その威力は凄まじく、一発で一体を目に見えて弱らせた。エミリアも、アクアランスを放つ。二人の水属性魔法が、次々とムカデたちを削っていく。
リクは後衛から注意深く戦況を見守っていた。時折、モニカが毒の状態異常になる。そのたびに、リクは間髪入れずに呪文を唱える。
「ガイダンスキュア!」
白い光の粒子がモニカを包み、その体内に回った毒を浄化する。モニカは短く礼を言い、再び盾をしっかり構えた。
エミリアが、ホーリーランスも放ち始めた。純白の光の槍が、ムカデの巨体を貫く。一発でムカデを瀕死にまで追い込むほどの強力さだが、MPの消費は激しい。リクはエミリアのMP残量が気になって仕方がなかった。
だが、それでも。次から次へと、森の奥からムカデの援軍が現れてくる。魔法を放っても放っても、新たな個体が湧き出るように現れるのだ。
「このままじゃ、キリがない……!」
ロレッタが舌打ちする。その声には、明らかな焦りが混じっていた。リクも、同じ思いだった。このままでは、全員のMPが尽きてしまう。
「エミリア、MPは?」
リクが尋ねると、エミリアは悔しそうな表情で答えた。
「もう、半分切ってるわ……!」
その声に、焦りが滲む。ホーリーランスを連発した代償が、確実に彼女のMPを削っていた。リクとブレンダが懸命に回復に励むも、敵の数に対して、パーティの手数が足りていないのは明らかだった。
(このままじゃ押し切られる。何とかならないのか――)
リクは焦燥感に駆られつつも、指揮官格の個体から目を離さない。
(あいつが本当に指揮官なら――あれさえ倒せば、統率が崩れるかもしれない)
だが、指揮官格は巧みに後ろに控え、決して前線に出てこない。まるで、こちらの消耗を待っているかのようだ。
(とても恐ろしいけど――死ぬよりはマシだ。幸い、魔法コーティングのおかげで、今はほとんど痛くない。コーティングが剥がれる前に、何とかするしかない――!)
リクは意を決した。彼は、エミリアとロレッタに向かって、声を張り上げて言う。
「俺も一時的に前衛に出る! その間に、エミリアとロレッタは、あの指揮官格を削ってくれ!」
「ええっ!?」
エミリアが驚きの声を上げるが、リクはもう駆け出していた。モニカの隣へと移動し、軽い盾を前面に構える。ムカデが一体、リクに向かって突進してくる。その姿は、リクにとっては恐怖以外の何ものでもない。だが、彼は歯を食いしばり、左手の盾でその一撃を押さえた。魔法コーティングのおかげで、ダメージは軽微だ。とはいえ、モニカほど大きな盾を持っているわけではないので、HPを削られるペースも若干早い。
「エミリア、あいつを狙おう!」
ロレッタの鋭い声が飛ぶ。エミリアとロレッタが、同時に指揮官格へと魔法を放つ。
「ホーリーランス!」
「アクアランス!」
純白の光の槍と青色の光の槍が、指揮官格の巨体を貫く。外すことも多かったが、確実にダメージを与えている。指揮官格の動きが、目に見えて鈍くなってきた。そして、指揮官格はふらふらと、リクの前方五メートルほど先へと移動してきた。
(――今しかない!)
リクは短剣を握りしめ、地を蹴った。自らを襲うムカデを盾と短剣で押しのけて無視し、奥にいる指揮官格へと無我夢中で突進する。心臓が痛いほど早鐘を打つ。恐怖心は色濃く残っていたが、それでも彼は前に進んだ。
「リク君!?」
エミリアの制止の声を振り切り、リクは配下の隙間を縫うように駆け抜ける。ムカデの脚が、すぐ横をかすめていく。だがリクは構わず前へ。前へ。
(外すな――絶対に――!)
そして、指揮官格の寸前までリクが到達した、その時だった。
「……危ない!」
後ろから飛んだ鋭い声。その瞬間、青く輝く光の槍が、リクの左脇をかすめるように走った。リクに迫っていた別のムカデを、アクアランスで撃ち抜いていたのは、他ならぬロレッタだった。
「今よ、聖授師!」
ロレッタの叫びに、リクは我に返る。彼は指揮官格の側面、鎧の継ぎ目のような薄い部分を見つけると、短剣の切っ先を思い切り突き立てた。淡い白い光が灯り、指揮官格の巨体が、断末魔の叫びとともに崩れ落ちる。その場には、小さな結晶が転がっていた。
リクはすぐさま、モニカの真後ろへと駆け戻る。主を失った群れは、途端に統率を乱し、四散するように逃げ惑い始めていた。
「今のうちに、片付けるぞ!」
ロレッタの号令とともに、モニカとエミリアが残る敵を次々と掃討していく。リクとブレンダも、回復や援護に徹した。残る敵は瞬く間に掃討され、森は静けさを取り戻した。
戦闘が終わると、リクはその場にへたり込みそうになるのを堪え、短剣を鞘に収めた。呼吸は荒く、胸の鼓動は著しく速いままだ。だが、生きている。全員、無事だ。それだけで十分だった。
指揮官格がドロップした結晶のもとへ、エミリアとリクが歩み寄る。エミリアがそれをそっと拾い上げ、まじまじと見つめた。
「これ……聖遺物みたい。マジック・センティピードのレア個体は青い色のはずなのに。まさか、あの指揮官格までレア個体だったなんて……!」
その声には驚きと、そしてほんの少しの困惑が混じっていた。彼女の体はかすかに震えている。エミリアの手のひらの上に乗っている結晶を、リクはじっくりと見つめた。淡い光を放つそれは、確かにこれまで見てきた聖遺物と同レベルの輝きを放っていた。
*
その後の休憩中――。
木陰に座り込んで息を整えるリクの前に、ロレッタがやってきた。彼女はリクを見下ろし、静かに口を開く。
「あまり無茶をするな」
その声には、これまでにない響きが感じられた。叱責のようでいて、どこか案じるような色も混じっている。リクは、面食らって顔を上げた。
「……悪い。でも、あれを倒さないと埒が明かないと思って」
「間違ってはいない。だが、奴らの援軍が来るペースが鈍っていたから、もう少し辛抱した方が安全だった」
ロレッタはそう言うと、リクに向かってそっと手を差し出した。
「立て。まだ周辺の警戒が必要だからな」
差し出された手を、リクは戸惑いながらもつかむ。ロレッタの手は、見た目よりもずっと硬い。長らく杖を握り続けてきたことを感じさせる、そんな手だった。
「街道での一件も、耳にしている。今回の判断も含め……」
ロレッタは僅かに視線を逸らしながら、続ける。
「……足手まといではないようだな。少しは、見直した」
その一言に、リクは思わず目を見開いた。既にロレッタは手を離し、リクの数歩先へ歩き出している。振り返ったロレッタの表情は、既にいつもの澄ました顔に戻っていたが、確かに何かが変わった気がした。リクに向けられた視線は、昨日までの冷たいものとは、明らかに違うものだった。
離れた場所で見守っていたエミリアが、リクに向かって小さく笑みを浮かべ、親指を立ててみせる。それに気づいたリクは、少し照れ臭くなったが、それでも小さく笑みを返した。




