魔物たちの異変
教主国に帰還してから数日後――。
その間、ブレンダは大聖堂の書庫で新たに得た力について調べ、モニカを相手に何度か発動練習も行っていた。リクも約束どおりそれに付き合い、ブレンダ自身も少しずつ新しい力の扱い方を掴み始めていた。
そんなある日、リクとエミリアは再び王宮の謁見の間へと呼び出された。今度は儀式関連での呼び出しではない。国王の表情はこれまでになく固く、広間の空気もどこか張り詰めている。リクはエミリアと並んで玉座の前に進み出ながら、嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
「此度呼び立てたのは他でもない。ここ最近、教主国周辺での魔物の動きが、明らかに不穏になっている」
国王はそう切り出すと、広間に居並ぶ者たちを見渡した。リクたちの他にも、複数の魔導士や魔法剣士の姿がある。その中に、腕を組んで壁際に立つロレッタの姿もあった。彼女はリクと目を合わせようとはせず、国王の方だけを見据えている。その横顔は、以前と同じく冷たく鋭い。
「先日、北の街道にてマジック・センティピードの群れが、これまでにない獰猛さと統率をもって討伐隊を襲った。討伐隊を送ったが……」
国王が言葉を切り、傍らの側近が代わりに続ける。
「討伐隊は撤退を余儀なくされました。死者こそ出ませんでしたが、複数名が重傷を負っております」
広間にざわめきが走った。エミリアが小さく息を呑むのが、リクにも分かる。
「加えて、南の森林地帯でも同様の報告が相次いでおります。魔物の凶暴化、そして多数の魔物が大規模な群れを形成する現象……そうした異変が、教主国の各地で起きているようです」
側近の言葉に、リクは思わず口を開いた。
「それは……」
「原因は不明だ。だが、三百年前、嘉兵衛殿が召喚された折にも、似たような魔物の凶暴化があったと、記録に残っている」
国王のその言葉に、リクの背筋を冷たいものが走った。
(俺の召喚に何か関係あるのか? 分からないけど不気味だ)
国王は険しい表情のまま、まっすぐにリクを見据える。
「リク殿……。エミリアらと共に、南の森林地帯を調査中の隊に加わってもらえないだろうか?」
「俺たちが……ですか」
「腕利きの者たちの多くは、既に北の街道の警備に割いてしまっておる。そしてまた……調査中、どの属性の魔物と遭遇するか分からぬ。そうした状況では、弱点を問わぬ聖属性攻撃魔法が最も頼りになるのだ」
国王の言葉は、静かだが切実だった。リクは唾を飲み込む。断りたい――。正直なところ、得体の知れない現象の調査など、進んで引き受けたい話ではない。
「未知の敵と対峙する上で、最も確実な一手となるのがリク殿たちのパーティなのだ。むろん、無理強いはせぬ。危険と判断すれば、即座に撤退してもらって構わぬ」
そこへ、側近が付け加えるように言った。
「南の森林地帯では昨今、絆の儀式に使用できる聖遺物をドロップする魔物も出没しています」
(レア素材が狙えるってことか。うーん、でもなあ――)
レア素材が手に入るのは確かにありがたい。だが、それ以上に気が進まない。得体の知れない現象に首を突っ込むのは、リクの性分に合わない。痛い思いはしたくないし、危険な目にも遭いたくない。
すると、リクの様子をうかがっていたエミリアが、静かに挙手をした。国王が小さく頷いて、発言を許可する。
「僭越ながら……」
エミリアは前置きした後、落ち着いた口調で続けた。
「私たちの場合、もう少し安全な地域でレベルを向上させてから、南の森林地帯へ向かう方がよろしいかと思うのですが」
その言葉に、国王は明らかに困ったような顔をした。
「戦力的に、リク殿のパーティにも加わってもらえるとありがたいのだが、どうしても無理なら致し方ない」
国王がそう言った時だった。
「……陛下」
静かな、しかしよく通る声が広間に響いた。それまで沈黙を保っていたロレッタが、初めて口を開いたのだ。彼女は腕を組んだまま、一歩前に進み出る。
「やる気のない者を向かわせても、現場の士気が下がってしまい、かえって逆効果になるかと。今は、例えばこの私のように、やる気のある者たちを現場へ向かわせ、目の前の脅威に対処するのが先決でしょう」
その言葉に、リクは内心でほっと息をついた。
(助け舟が出た。エミリアに続いてロレッタさんからもこういう意見が出てくれば、俺が同行を断りやすい空気になったはずだ)
「むろん、ロレッタにもぜひ参加してもらいたい。依然として現場では二組のパーティが現在も調査中だが、これからさらに、少なくとも二組のパーティを追加で送り込みたいと考えているからな。ロレッタが参加してくれるのであれば、片方のパーティの班長に任命するつもりだ」
「ありがとうございます、陛下」
ロレッタが一礼した後、一歩引き下がった。
(じゃあ、俺は断ることにするか――)
だが、側近がそこで何かを国王に耳打ちする。国王は「おお」と小さく声を上げ、ポンと手を打った。そして、リクが口を開くよりも先に、国王が言う。
「ああ、そうであった。南の森林地帯には、確か嘉兵衛殿の石碑があったはずだ」
「石碑……嘉兵衛さんの?」
リクは思わず身を乗り出していた。国王は頷く。
「うむ。詳しい場所までは分からぬが、記録には残っておる。リク殿が嘉兵衛殿の文献に対して強い関心を示しておったので、先だって王宮にある書庫を調べてみたのだ」
「王宮の書庫は、関係者以外は立ち入り禁止なので、いくらリク様たちであっても、入っていただくことは残念ながらできませんが」
側近が申し訳なさそうに補足する。リクは首を軽く縦に振った。
(そりゃ、そうだろうな。しかしそんなことよりも何よりも、石碑のことだ。森林地帯に石碑があるかもしれないのなら、俺にとって行く価値はあるような気がする)
嘉兵衛が何を思い、何を残したのか。それを知る手がかりが、あの森林地帯にあるかもしれない。リクの中で、抗いがたい好奇心がむくむくと膨らんでいた。
「分かりました、行ってみます。しかし陛下も仰ったように、危険を感じたら即時撤退しますんで」
リクがそう答えると、国王と側近の表情が明らかに和らいだ。
「うむ、それで問題はない。そなたらは、この国にとって……いや、この世界にとって、かけがえのない存在なのだからな」
「お気遣い、ありがとうございます」
リクは一礼した。エミリアもそれに続く。
「それでは、私たちはこれにて失礼いたします」
エミリアがそう言って一礼するので、リクもそれにならう。
そして二人は連れ立って扉へと向かった。
謁見の間を出る際、すれ違いざまにリクとロレッタの視線が交差した。彼女は何も言わず、小さく頷いただけでそのまま足早に去っていく。
(――今の、何だったんだ)
リクは不可解に思った。敵意でも、好意でもない。強いて言うなら、何かを見極めようとするような、静かな眼差し――そんな印象をリクは受けた。その意味を測りかねたまま、リクはエミリアに続いて廊下を歩き出す。
廊下の角を曲がった先に、教主国の大臣らしき二人の男が何やら会話を交わしていた。近くを通る際に、エミリアとリクはその二人に軽く会釈をする。二人の男も会釈を返したが、すぐに会話へと戻る。その内容の一部がリクの耳にもとまった。
「しかし、北の街道の件は由々しき事態だな」
「うむ。他国にも協力を要請すべきかもしれん。クルギマトス王国あたりに」
「クルギマトスか。あそこには、あの若き最強の魔法剣士がいるだろう。名は確か……」
「レベッカといったか」
「ああ。協力を仰げれば、心強いのだがな」
リクが聞き取れたのはそこまでだった。リクはその会話の内容を、なんとなく頭の片隅に留めながら、エミリアの背後を歩き続けた。
(レベッカ――クルギマトス王国の魔法剣士――)
まだ見ぬ誰かの名前が、そっとリクの記憶の隅に刻まれた。
*
その夜、リクは自室のベッドに横たわりながら、天井をぼんやりと見つめていた。窓の外では虫の音が規則正しく響き、時折、遠くで犬の遠吠えが混じる。穏やかな夜だ。だが、リクの胸の内は全く穏やかではなかった。
(魔物の凶暴化か。それに、群れをなす現象。嘉兵衛さんの時にも似たようなことが起きていた、って国王陛下は言ってたな――)
リクは枕元に置いた短剣に、そっと手を伸ばす。冷たい柄の感触が、戦闘の場面を生々しく思い出させてきた。
(明日から、また準備だな。南の森林地帯か――。石碑があるなら、行ってみる価値はある。でもそれと同時に――)
リクは目を閉じた。もう一度だけ、あの赤髪の魔導士、ロレッタのことを思い浮かべる。すれ違いざまの、あの小さな頷き。敵意でも好意でもない、あの静かな眼差しの意味が、リクには全く見当もつかなかった。




