ブレンダとの絆の儀式
ポイズン・トードを倒した後、四人は湿地帯を後にし、日が暮れる前に街道沿いの討伐隊用の小屋へと戻った。エミリアが引き上げを決めたのは、リクが思っていたよりも早かった。あのヒキガエルとの戦いで体力を消耗したということもあるだろうが、それ以上にエミリアは「今夜の儀式」のことを考えていたのだろう。
小屋に着いてから、一行は簡単な夕食をとった。エミリアが作った保存食の煮込みと固いパンという質素な献立だったが、戦いの後の空腹には十分すぎるほどありがたかった。モニカはいつも通り無言で食事を済ませ、食器を片付けると「先に休む」と短く告げて隣室へと消えていった。エミリアも食器を洗い終えると、リクに「あとはお願いね」と微笑みかけてから、もう一つの隣室へと入っていった。彼女のその笑顔には、昼間の訓練の時とはまた違うどこか含みのある色が混じっていたようにリクには思えた。
残されたのはリクとブレンダの二人きりだった。テーブルの上には蝋燭が一本、頼りなげな灯りを揺らしている。窓の外からは虫の音がかすかに聞こえ、時折、遠くで野良犬か何かが鳴く声が混じった。
「ブレンダ」
リクが声をかけるとブレンダは椅子に腰かけたまま、小さく肩を震わせた。
「は、はい」
「準備は、できてるんだよな」
「ええ。エミリアさんから、大体の流れは聞いています」
ブレンダは膝の上で両手を組み、まっすぐにリクを見つめていた。栗色のセミロングの髪が、蝋燭の灯りを受けて柔らかな陰影を落としている。その表情はいつもの穏やかな笑顔ではなく、どこか緊張を押し殺したような神妙な面持ちだった。
「何だか、緊張しますね」
ブレンダが小さく笑った。その笑い声は、少しだけ上ずっていた。
「大丈夫。何とかなると思う。一応、俺は経験者ではあるし」
リクはなるべく柔らかい口調で、そう言った。自分自身も、初めての儀式の時のことを思い出して、内心では落ち着かなかった。だが、エミリアの時と同じように、目の前の相手を信じるしかない、という思いもあった。リクは静かに言う。
「じゃあ、始めよう」
ブレンダは小さく頷き、それから静かに口を開いた。
「まだ出会ってから、それほど経っていませんけど……私が個人的な動機でパーティに参加することを伝えても、リクさんは嫌な顔一つせず、受け入れてくださいました。それに今日、一緒に戦ってみて……この方たちとなら、力を合わせて目標に向かっていけるかもしれないと思いました」
その言葉は淀みなく、しかし一言一言を大切に紡ぐような口調だった。ブレンダの誠実さが、まっすぐにリクの胸へと届く。
リクは少しだけ考えてから、正直な気持ちを返した。
「俺も、まだブレンダのことを深く知ってるわけじゃない。でも今日、一緒に戦ってくれて本当に心強かった。この先もブレンダと共に歩んでいけたら、俺たちも、もっと強くなれるような……そんな気がしてるよ」
言い終えてから少しだけ気恥ずかしくなる。こういうことを面と向かって言うのは、やはり慣れない。だがブレンダはその言葉を聞いて、ほんの少しだけ肩の力を抜いたように見えた。
「ありがとうございます」
ブレンダが小さく頭を下げる。それから顔を上げてリクの目を見た。もう、これ以上話してはいけない。儀式の決まりだ。リクは小さくうなずき、テーブルの中央に置かれた『聖核のかけら』へと目を向ける。胡桃ほどの純白の結晶体が、蝋燭の灯りを受けて淡く輝いている。
ブレンダがゆっくりと右手を伸ばし、結晶体の上にかざした。その指先はほんの僅かに震えている。リクはその手をじっと見つめ、それから自分の右手をそっと重ねた。ブレンダの手は、エミリアの時と同じように温かかったが、その温度はほんの少しだけ高いように感じられた。緊張のせいだろうか。
ブレンダが目を閉じる。リクもそれに倣って、静かに瞼を下ろした。
頭の中で、ブレンダのことを思い浮かべる。初めて会ったのは、ほんの数日前の訓練場の木陰だった。控えめな物腰で、しかし真剣な眼差しで「パーティに入れてほしい」と頭を下げた姿。今日の戦いでは、リクとのポジションチェンジを、戦闘中に提案してくれた。そして速やかにメガヒールを唱え、再び元のポジションに戻した。あの時の素早くて無駄のない動き。仲間を思う、真摯な心。
(ブレンダは、家族のためにここまで来たんだよな。その気持ちに、俺はちゃんと応えられているんだろうか。そうありたい。そして、少なくとも今日の戦いで、ブレンダは確かに俺たちの力になってくれた。それだけは間違いない)
心の中でそう唱えた瞬間だった。ふと温かな感情が胸の奥へと流れ込んでくるのを感じた。それはエミリアとの儀式の時と同じ、不思議な感覚だった。はっきりと言葉が聞こえるわけではない。だが、ブレンダの「信じたい」という気持ちと、ほんの少しの「自信」のようなものが、静かな波となってリクの中へと染み込んでくる。
(何かはっきり言葉で伝わってくるわけじゃないけど、やっぱりこれ、びっくりするよな――)
リクは心の中でそう呟きながら、ぎゅっと強く目を閉じ続けた。ブレンダへの信頼。今日の戦いで見せた、その確かな腕前。そして家族を思う優しさ。それらがリクの中で一つの像を結び、温かな光のようになって膨らんでいく。
やがて、かすかなシューという音が聞こえた。聖遺物が消滅する時の音だ。それと同時に、目の前がふっと明るくなったような気配を感じる。
「あ!」
ブレンダの短い声が聞こえ、リクは目を開けた。テーブルの上には、もう『聖核のかけら』の姿はない。代わりに、ブレンダの手の甲に、エミリアの時と同様、眩い光を放つ紋章が出現していた。純白の輝きを放ち、複雑な幾何学模様を描く――そんな紋章が。エミリアの時のような花びらの重なりとは違い、ブレンダの紋章は、円の中に無数の細かな光の粒が渦を巻くような、そんなデザインだった。紋章は人によって異なると聞いていたが、本当にその通りなのだとリクは思った。
「成功、したんですね」
ブレンダが自分の手の甲を見つめながら、震える声で言った。その瞳にはうっすらと涙が滲んでいる。
「ああ。おめでとう、ブレンダ」
リクがそう言うと、ブレンダは何度も何度も小さく頷いた。やがて紋章の光がゆっくりと収まっていき、その模様は消え去った。だがリクの目にはまだその残像が焼き付いているような気がした。
「これで、私も……皆さんの力になれますね」
ブレンダが顔を上げて笑顔を見せた。その笑顔は、これまでリクが見てきたどんな笑顔よりも晴れやかで、そして力強かった。
「もう十分、力になってる。今日も何度も助けられた」
リクの言葉を受け、ブレンダは声を詰まらせたように口元を押さえた。それから、深く、深く頭を下げる。
「ありがとうございます、リクさん」
その声は、まだ震えていた。リクは「こちらこそ」と短く返し、それからブレンダの得た力について尋ねた。
「それで、どんな魔法が使えるようになったんだ?」
ブレンダは顔を上げ、少しだけ考えてから答えた。
「私は司教でヒーラーですから……その延長線上のような力です。回復と同時に、範囲内にいる魔法剣士や盗賊の武器に、一時的に聖属性を宿らせることができるみたいです。無制限にこの回復魔法を使えるわけではないですし、効果時間も限られてはいるようですが。そして、この説明は全て、エミリアさんからの受け売りなんですが」
はにかんだような笑顔を見せるブレンダ。
それを聞いて、リクは目を丸くした。
「それは……すごいな。エミリアは聖属性の攻撃魔法そのものを得たけど、ブレンダは味方の攻撃を聖属性にする力か。前衛のモニカさんの攻撃に、一時的にでも聖属性が加わったらかなり心強い」
「はい。私も、そう思います」
ブレンダはそう言って、今度は照れたように小さく笑った。
その時、扉が静かにノックされ、エミリアがひょっこりと顔を覗かせた。
「お邪魔してもいいかしら」
その声は、どこか温かみを帯びていた。リクがうなずくと、エミリアは静かに部屋へと入ってくる。そして、二人の様子を注意深く見つめ、それから優しく目を細めた。
「その雰囲気……どうやら成功したようね。よかった」
エミリアのその言葉に、ブレンダはまた深く頭を下げて言葉を返す。リクはそんな二人のやり取りを、穏やかな気持ちで眺めていた。パーティにまた一つ、確かな絆が積み重なっていく――その実感を噛みしめながら、リクは静かに笑みを浮かべた。
窓の外では、虫の音が先ほどよりも少しだけ賑やかになっていた。夜風が小屋の隙間を通り抜け、蝋燭の炎をかすかに揺らす。テーブルの上には、もう何も残っていない。だがリクの胸の内には、確かな手ごたえのようなものが静かに灯り続けていた。




