司教ブレンダの願い
闘技場での披露から半月ほど経ったある昼下がり。リクとエミリアは訓練場の脇に設えられた簡素な木陰のベンチに腰掛け、休憩を取っていた。エミリアは手にした水筒をリクに差し出しながら、今日の訓練の振り返りをしている。リクは相槌を打ちながら、額の汗を手の甲で拭った。陽光はすでに真上を過ぎ、傾き始めた日の光が訓練場の砂地に長い影を落としている。
そんな二人のもとへ、一人の女性が遠慮がちに歩み寄ってきた。栗色のセミロングの髪をそよ風に揺らし、丸みを帯びた優しげな顔立ちをしている。身に着けているのは教主国の神官衣装だ。この世界では、戦闘時に白い装備を身につけられるのはヒーラーだけで、神官のローブも階級を問わず白で統一されている。純白のローブの胸元には金の刺繍が施されており、それが司教の証であることをリクは最近になって知った。
「あの……少し、よろしいでしょうか」
女性は二人の前で足を止めると、そう言って控えめに頭を下げた。エミリアが彼女の顔を見て、すぐに柔和な笑みを浮かべる。
「あなたは……ブレンダ、よね?」
「覚えていてくださったんですね。教主国司教のブレンダです」
ブレンダと呼ばれた女性は、ほっとしたように頬を緩めた。それからリクに向き直り、深々と頭を下げる。
「聖授師様、突然のご無礼をお許しください。折り入ってお願いしたいことがあって参りました」
「あ、いや、頭上げてくれ。俺そんな大層な立場じゃ……」
リクが慌ててそう言うと、ブレンダはくすりと笑った。
「噂通り、気さくな方なのですね」
彼女はしばらく躊躇うように視線を落としてから、やがて意を決したように顔を上げ、まっすぐにリクを見つめて切り出した。
「聖授師様のパーティに加えていただけないでしょうか。私は、回復魔法にはそれなりの自信があります。きっと皆様の支えにはなれるはずです」
突然の申し出にリクは戸惑いながらも、エミリアの方を見る。エミリアはリクの視線に気づくと、穏やかな声で言った。
「ブレンダの実力は、私も知ってる。教主国でも指折りの回復魔法の使い手よ。それに……」
エミリアはそこで言葉を切り、ブレンダの表情を窺うように一瞥してから優しく言い添えた。
「すごく家族思いの子なんだから」
ブレンダは困ったような表情で小さく首を振ったが、否定はしなかった。リクは怪訝に思い、努めて柔らかい口調で尋ねる。
「何か事情があるの? 言いたくなけりゃ、話す必要はないけど」
リクの問いかけに、明らかに逡巡した様子を見せるブレンダ。しかし、軽く首を縦に振ると、決意のこもった眼差しをリクに向けて話し始めた。
「私、家族に少しでも楽な暮らしをさせるために、ずっと大司教を目指してきました」
ブレンダはそう言って、はにかむように笑った。リクとエミリアは黙って彼女の言葉の続きを待つ。
「ですが、どうしても、大司教にはなれないらしくて……」
ブレンダは伏し目がちになり、膝の上で組んだ指をぎゅっと握りしめた。その声には、諦めにも似た静かな悔しさが滲んでいる。リクはその悔しさを如実に感じ取りつつ、彼女の次の言葉を待った。
「神官から司教になることは、実力や努力次第で誰にでも可能だけど……大司教はそうじゃないのよ」
エミリアがリクに向かって説明する。その声には、ほんの僅かに苦いものが混じっていた。
「政治力やコネがないと、大司教にはなれない仕組みなの」
「そうなのか……」
リクが思わず呟くと、ブレンダが顔を上げた。
「ですが……」
彼女の表情がそこで少しだけ和らぐ。リクは言葉の続きを待った。
「先日、ある法律のことを知りました。四天王を撃破したパーティに所属していた神官や司教は、無条件で大司教に昇進できると」
「四天王を撃破……」
リクが思わず繰り返す。ブレンダは静かに頷き、再び深々と頭を下げた。
「ええ。ですから……もしよろしければ、パーティに入れてください。お願いいたします」
その柔らかい笑顔の奥にある静かな覚悟のようなものに、リクは胸を打たれた。
(頑張ってる人を放っておけないよな――)
そう内心で呟き、リクはゆっくりと口を開く。
「分かった。一緒に来てほしい」
ブレンダの顔がぱっと輝いた。
「……ありがとうございます!」
リクはそこで少しだけ居住まいを正し、真剣な眼差しでブレンダを見つめた。
「ただ、これだけは伝えておかないと」
ブレンダが真摯な表情で聞いてくれているのを確認し、リクは言葉を継ぐ。
「分かってるかもしれないけど……俺はまだこの世界へ来て日の浅い新参者だ。四天王がどういう奴らなのかということすら、まだよく分かっていない。だから俺のパーティに入ったからといって、即座に四天王撃破へつながるわけではないことをあらかじめ理解しておいてほしい」
リクはなるべく柔らかい口調になるように気を付けながら、正直な気持ちを伝えた。ブレンダは神妙な面持ちで何度か頷き、それから口を開く。
「もちろん、承知しております。問題ございません。私はリク様のお力になりたいのです」
「様はいらないって。リクでいい」
「え、あ……はい、リク、さん」
ブレンダは少し照れたように笑い、それから年相応の屈託のない笑顔を浮かべた。
「これからよろしくお願いします、リクさん」
「ああ。俺なりに無理しない程度に頑張ること……それだけは約束できる。これからよろしく、ブレンダ」
「よろしくね、ブレンダ」
エミリアもにこやかに声をかける。
「こちらこそ、よろしくお願いします……エミリア、さん」
三人はしばらくその場で談笑した。ブレンダは控えめながらも芯の強さを感じさせる話し方で、リクたちとの会話を楽しんでいる様子だった。やがてエミリアが立ち上がり、明るい声で提案する。
「せっかくだし、今夜はブレンダも一緒に夕食をとりましょ。お祝いだし、腕によりをかけて作るわ」
「私もお手伝いします。料理は得意なんです」
ブレンダが嬉しそうに言うと、二人は朗らかに笑い合った。リクはそんな二人の様子をベンチに座ったまま見つめながら、胸の内でそっと呟く。
(ほっとけるはずないから引き受けたけど――大丈夫かな。四天王を倒せるとか無謀な約束してないから、大丈夫か――多分)
訓練場に吹き抜ける午後の風が、リクの前髪を優しく揺らしていった。




