拒絶する魔導士ロレッタ
闘技場での聖属性攻撃魔法披露から数日が過ぎた。街はすっかり日常を取り戻し、リクとエミリアもまた穏やかな日々を過ごし、時折訓練はしつつも、しっかりと体を休ませることを意識して生活していた。とはいえ、あの大観衆の前での披露以降、街を歩けば知らぬ顔から声をかけられたり、時々顔を出す訓練場では若い魔導士見習いたちが遠巻きにリクやエミリアの姿を見つめたり――そんな日々が続いている。特にリクにとっては、正直なところ落ち着かない思いをすることもしばしばだった。
そんなある日の朝、兵舎の門前に王宮からの迎えの馬車が到着した。使者の話によれば、正式な謁見の場にリクとエミリアを招きたいとのこと。しかも今回は、教主国に籍を置く主だった魔導士たちも同席するという、そうそうない規模の場になるらしい。
馬車に揺られながら、リクは隣に座るエミリアに小声で尋ねた。
「主だった魔導士たちって、どれくらい集まるんだ?」
「そうね、教主国で特に実力があると認められている人たちだから……二十人くらいかしら。みんな各地の警護や魔物討伐などで忙しいはずだから、よくこれだけ集められたなって感じ」
エミリアの声はいつも通り快活だが、その澄んだ眼には隠し切れぬ緊張の色が浮かんでいる。リクもまた窓の外へと視線を逃がしながら、胸の内に広がる不安を静かに噛みしめていた。
*
王宮の大広間には独特の緊張感が漂っていた。左右にずらりと並ぶのは、濃紺のローブに身を包んだ女性たち――教主国が誇る技量に優れた魔導士たちだ。年齢も体格も様々だが、注意深い視線をリクに送っていることだけは共通していた。
好奇、期待、羨望、そしてわずかな警戒。様々な色を帯びた視線が一斉にリクへと突き刺さっていた。
(うわ、これはキツいな。元の世界でもこういうの苦手だったんだよな)
リクは内心でそう呟きながら、なんとか平静を装ってエミリアの隣を歩く。彼女はこういう場に慣れているのか背筋を伸ばし、落ち着いた足取りで広間の中央へと進んでいった。
一段高くなった玉座に腰を下ろした国王が、二人の姿を認めて満足げに頷く。側近たちが左右に控え、広間の空気が一層張り詰めたものに変わる。
「聖授師リク殿、そして魔導士エミリア。此度の絆の儀式、まことに大儀であった」
国王の声が広間に響き渡る。リクとエミリアは同時に深く一礼した。
「聖授師リク殿の力により、聖属性攻撃魔法の再現が叶った。この国にとってこれ以上ない朗報である。ついては……」
国王はそこで一拍置き、広間に居並ぶ魔導士たちを見渡した。その顔には明らかな期待が浮かんでいる。リクは思わずごくりと唾を飲み込んだ。
「意欲ある者はリク殿との『絆の儀式』に臨むがよい。むろんこれは強制ではない。あくまで志願する者に限る」
国王の言葉が終わるや否や、広間がざわめきに包まれた。あちこちからひそひそと囁き声が漏れ聞こえる。隣に立つエミリアが、リクにだけ聞こえるよう小声で補足した。
「国からの呼びかけ的なものだけど、法的な拘束力はないの。だから『やりたい人だけがやればいい』という感じ」
「そうなんだ……」
リクは短く返したが、内心では複雑な思いが渦巻いていた。二十人もの魔導士を前にして誰かが名乗り出るのか――あるいは、誰も名乗り出ないのか。どちらに転んでも、気まずい空気が流れることは避けられそうになかった。
その時だった――。
「お断りします」
広間の一角から鋭い声が響いた。凍てつく刃のような、凛とした声。ざわめきが一瞬で静まり返り、全ての視線が声の主へと集中する。
リクは、その声の主に見覚えがあった。燃えるような赤髪をショートカットにしたあの女性――闘技場で冷ややかな視線をリクに向けていた、あの魔導士だ。
近くで見ると、切れ長の目に宿る光は想像していた以上に鋭い。装いこそ他の魔導士と同じ濃紺のローブだが、背筋をピンと伸ばし、まっすぐに前を見据えるその姿には、他の魔導士たちとは一線を画す鋭利な空気が漂っていた。
「ロレッタ……」
周囲の魔導士たちが彼女の名を囁き合う。どうやら、この教主国でも指折りの実力者らしい。ロレッタは国王に向かって一礼すると、淡々とした口調で言葉を続けた。
「陛下のご厚意は理解しております。ですが、私はその儀式とやらに全く興味はございません」
そう言ってロレッタの視線がまっすぐにリクへと向けられる。値踏みするような、それでいてどこか刺々しい視線だった。リクは思わずたじろぎそうになるのを堪え、なんとかその視線を受け止める。
「異世界から来た男の力に頼らねば、まともに戦えぬというのも、些か情けない話ではありませんか」
広間の空気がさらに張り詰めたものに変わる。国王が眉をひそめ、重々しい声で彼女の名を呼んだ。
「ロレッタ……」
だが、法的拘束力がない以上、強く咎めるわけにもいかない。国王は一つ息を吐くと、説得するような口調で言葉を継いだ。
「そなたも見たであろう、聖属性攻撃魔法の威力を。あれが手に入れば、魔物掃討のみならず地域警護の任務も一段と楽になるであろう」
「この国で誰よりも多く、魔物討伐の前線に立ってきた自負が私にはございます。異世界の力を借りずとも、これまで多くの魔物を屠ってまいりました」
ロレッタの声には一片の揺るぎもない。それは単なる強がりではなく、積み重ねてきた実績に裏打ちされた確信の響きだった。
「もちろん、受けるも断るもそなたの自由なり。しかし……」
国王はそこで言葉を切り、わずかに間を置いてから、静かな声で問いかけた。
「純粋な質問だが、嘉兵衛殿以外に四天王や四天王級を倒した人間など、おるのかな?」
その瞬間だった。ロレッタの顔色が一変したのをリクは見逃さなかった。それまでの鉄面皮がほんの一瞬だけ揺らぐ。眉がぴくりと動き、唇がかすかに引き結ばれた。
(今、嘉兵衛さんの名前が出た時、一瞬ではあるけど明らかに動揺してたな。何かあるのか――?)
リクがそう思う間にも、ロレッタはすぐに表情を元通りにし、冷ややかな声で言い放った。
「これから精進して実力を高めれば、異世界人の介入など無くとも、立派に倒すことができると私は信じています」
そう言い終えるとロレッタは深々と一礼し、踵を返す。他の魔導士たちの視線が、気まずそうに彼女の背中を追った。すれ違いざま、ロレッタの視線が一瞬だけリクを捉える。何かを言いかけて、しかし結局何も言わず、ロレッタはそのまま退室していった。
(彼女のあの態度――。俺、完全に嫌われてるよな)
リクは内心でそう呟いた。単なる反発ではない、もっと根の深い何かを感じさせる視線だった。初対面であそこまで明確な敵意を示される理由が、リクにはまるで思い当たらない。
「気にしないで」
隣でエミリアが優しい声音で囁いた。
「ロレッタは昔から、ああいう性格なの。誰に対してもっていうわけじゃないと思うけど……」
「誰に対しても、じゃない?」
リクが聞き返すとエミリアは一瞬だけ言葉を詰まらせ、それから微笑んだ。
「ううん、何でもない」
その笑顔の裏に、何か言い淀んだものがある――リクはそう感じたがあえて追及しないことにした。
国王が呆れたように肩をすくめ、気を取り直した様子で他の魔導士たちに問いかける。
「皆の者は、いかがかな」
魔導士たちは互いに顔を見合わせ、気まずそうに視線を交わす。誰もがはっきりとは口にしないが、ロレッタの拒絶が少なからず他の魔導士たちの心理にも影響を与えていることは明らかだった。
(まあ、そうだよな。よく分からない異世界人と、よく分からない儀式をするんだもんな。しかも、名うての実力者が真っ向から拒絶したんだ。他の人たちも手を上げにくいに違いない)
リクは妙に冷静な自分に気づき、少しだけ苦笑した。結局、その場にいた魔導士たちは全員丁重な態度で――そして一部は申し訳なさそうな様子を隠さずに――深々と一礼してから広間を辞去していった。誰一人として、儀式に臨む意志をこの場で表明することはなかった。
*
広間に残されたのは、国王とその側近たち、そしてリクとエミリアだけだった。国王はしばらく沈黙した後、曖昧な笑みを浮かべて口を開く。
「今は断られたが、きっと翻意して儀式に臨む魔導士もいるはず。リク殿もあまり気を落とさぬよう」
「いえ、俺は別に……」
リクはそう言いかけて、ふと気になったことを国王に尋ねた。
「先ほどのロレッタさんですが、教主国で最強クラスの魔導士なんですか?」
「うむ。単純な攻撃力で言えば、恐らく国内で一、二を争う実力者だ。討伐任務の遂行数も、群を抜いて多い。ただ、いかんせん気難しいところがあってな」
国王は苦々しげに言葉を濁した。リクはそれを聞いて、なんとなく合点がいく。あれだけの自信と気迫は、並大抵の実力では生まれないものだ。
その時、リクは不意に「ロレッタの顔色が明らかに変わった瞬間」のことを思い出し、続けて質問した。
「推測でしかないんですけど……もしかして、ロレッタさんって、嘉兵衛さんと俺のことを嫌ってらっしゃいます? さっき、陛下が嘉兵衛さんのお名前を出された時、明らかにロレッタさんの様子が変でしたよ」
「いや、そんな話は聞いたこともないが……。すまぬ、ロレッタについては、余もあまり詳しくなくてな。しかし、実際にリク殿や嘉兵衛殿を嫌っているとすれば、その理由が分からんな……。同じ魔導士同士ならともかく、聖授師殿に対抗心を燃やす理由もないと思われるしな……」
どうやら本当に、国王には思い当たる節がないらしい。リクはすぐに非礼を詫びた。
「推測でものを言ってしまい、大変失礼いたしました」
「いえ、構わぬぞ。先ほども申したが、リク殿も気を落とさぬよう」
「お気遣い、ありがとうございます」
そこでリクは、ふと湧いた新たな疑問を、今度はエミリアにぶつけてみた。
「なあ、エミリア。みんな、あんなに儀式に対して消極的だったのに、どうしてエミリアはお世話係になってくれたんだ? お世話係になったら、儀式は避けて通れない道になるんだろ?」
国王が気まずそうに視線をそらす。対照的に、エミリアは屈託のない笑顔で答えた。
「さっきまでここにいたのは、国内トップクラスの魔導士たちなの。選りすぐりの精鋭って感じ。だから、その約二十人が儀式に対して慎重なだけであって、魔導士全体で見ると、私のように儀式に対して抵抗がない人も決して少なくないわ」
「なるほど。でも、エミリアだって十二分に強いと思うんだけど……」
「ありがとう。でも私を含めてお世話係への応募者は全員、トップクラスに比べると実力的には一枚落ちるのよ。全員、魔導士養成学校の卒業者ではあるんだけどね」
「そうなのか?」
「うむ。世話役は、必ずしも単純な『魔導士としての能力』だけでは選んでいないからな」
国王がフォローするように口を挟む。
「料理をはじめとする家事全般の能力や、交渉能力、それに実技指導における指導力なども、世話役を選ぶ上での基準だ。エミリアは、その全てにおいて高い評価を得ておった」
「そうだったんだ……」
リクは納得したように頷いたが、すぐにハッとしてエミリアに向き直る。
「そういうつもりじゃ全然なかったんだけど……何だかすごく失礼なことを聞いてしまって、ごめん」
「気にしないで」
エミリアは明るい笑顔のまま、軽く手を振った。その表情には一片の翳りもない。リクは彼女のそういうところに、何度も救われている気がした。
「それでは、我々はこれにて失礼いたします」
エミリアが国王に一礼し、リクもそれに続く。広間を後にする道すがらリクの頭の中では、先ほどのロレッタの鋭い視線と、嘉兵衛の名を聞いた時の彼女の微かな動揺が、繰り返し再生されていた。
(あの人、なぜ俺を嫌ってるんだ――? それだけじゃない。嘉兵衛さんの名前にも何か引っかかってる感じだった。一体、何が――)
リクの中で小さな疑問が、静かに根を張り始めていた。それはまだ明確な形を持たない違和感でしかなかったが、やがて大きな波紋を広げる予感をリクは確かに感じ取っていた。




