第8話
「藤原警部補、容疑者はまだ協力を拒否しています」
一条紗耶が尋問室に留置されて三時間目だった。
彼女は落ち着いており、水を飲み、ぼんやりし、腹が減れば食べ物はないかと尋ねてくる。
時間を稼ぐことだけを決めてかかっているようだった。
藤原詩織が尋問室に入った。
「ただ時間を稼げば、うまくいくと思っているのか?」藤原詩織は平静を装って一条紗耶を見た。
一条紗耶が微笑んだ。
「何のことかわかりません。答えられる質問には答えました」
「私とは何の関係もありません。好きに留置してもらって構いませんが、時間が来れば、釈放していただけるでしょう」
藤原詩織は言った。
「甘く見積もりすぎだ。殺人、バラバラ遺体、誘拐。河口の岸辺で一部の遺体が発見され、DNA鑑定の結果、神崎怜司のものだと判明した」
「すでに刑事部は立案している。『五』は今度こそ逃げられない』
「彼女を引き渡すのが、最後のチャンスだ」
一条紗耶は訝しげに藤原詩織を見た。
彼女は平静に言った。「『五』なんて知りません』
藤原詩織は咆哮した。
「一条紗耶! あなたはこんな事件に巻き込まれる必要などない! あなたは社長令嬢で、人生は光明に満ちている!」
一条紗耶が顔を背け、その瞬間、藤原詩織は彼女が微笑んだのを見た。ひどく静かな笑みだった。
一言も発していないが、藤原詩織は彼女の眼差しを読み取った。そこには一つの事実が示されていた――
彼女の命は、『五』に救われたのだ、ということ。
何をしても、『五』を裏切ることはできない。
藤原詩織は深く息を吸い込んだ。
「空港、駅、新幹線、高速道路の出入り口、すべてに手配を敷いた。『五』はこの街から出られない』
「彼女には戸籍がない。ホテルにも泊まれない。だから今は、あなたのどこかの物件に隠れているはずだ』
「あなたとあなたの父上がこの街に持っている三十八件の不動産。一つ一つ当たっていけば、必ず見つかる』
一条紗耶の笑みは変わらなかった。
彼女はまるでロボットのように、同じ言葉を繰り返した。「何のことかわかりません』
藤原詩織は尋問室のドアを閉め、廊下に立って、疲労困憊していた。
上司からは厳命が下っている。『五』の逮捕を最優先事項とせよ、とのことだ。畢竟、冷静に殺人とバラバラ遺体を処理できる人物は、あまりにも危険だからだ。
山田拓海が前に出て、焦燥感をにじませて言った。
「藤原警部補、どうします? もう捜索令を申請しましょうか?』
藤原詩織は首を振った。「『五』は一条紗耶の物件にはいない』
そうでなければ、彼女の反応はこうはならなかったはずだ。
山田拓海が傍らで頭をかきながら言った。
「ですが、一条紗耶にはこの街に、他に心当たりがあるはずもありません。ここまで手配してきたのに、公然と姿を現わせないとなれば、誰かが彼女を匿っているに違いありません』
藤原詩織は目を閉じた。
いったい誰だ?
警察に通報されている逃走犯を匿うなど、到底思いつかなかった。
その時、一人の実習生がおずおずと口を開いた。
「すみません、藤原警部補」
その実習生は最近赴任してきたばかりで、普段は大したことのない雑用ばかり任されている。
藤原詩織は疲れた声で尋ねた。「経費処理のことか? 夜にでも対応する』
彼女は首を振った。「暇だったので、高橋美咲さんについて少し調べてみたんですが……彼女、高校時代に精神病院に送られたことがあるみたいで……』
藤原詩織が顔を上げ、実習生の次の言葉に全身が震えた。
「その病院、五年前に違反が発覚して、閉鎖されました』
「違反の理由は、患者に対する違法な電気ショック治療でした』
「しかも、それらの患者は実際には病気ではなく、親族によって無理やり入院させられたケースが多かったそうです……』
「同性愛のせいで』
藤原詩織は茫然自失で、実習生の口元を見つめていた。
「高橋美咲さんの高校時代の近所の人たちを訪ねてみたんです。彼らによると、高橋美咲さんは高校生の時に女生徒が好きだったらしく、両親が『病気』だと言って、近所の人たちの目の前で精神病院に連行したのだそうです……』
藤原詩織は全身が震えていた。
「高校時代……」藤原詩織は呟いた。「高橋美咲の高校……なんていう名前?』
「西原高等学校です」実習生が言った。
藤原詩織の頭の中が轟いた。振り返って山田拓海を見た。
山田拓海がコンピューターに向かい、佐藤明日香のデータを開いた。
高校の欄に書かれていたのは、「西原高等学校」!
すべてが繋がった。
高橋美咲が偽一条紗耶に対して言った、自分は神崎怜司を愛していない、という言葉。
それは命を守るための言い訳ではなかった。
本当のことだった。
彼女は本当に、神崎怜司を愛してなどいなかった。
あの夜、神崎怜司と同じ部屋にいた二人の女。
二人とも、彼を殺しに来たのだ。
つまり――




