54 動き出した再生鉄計画
教養課程の運動会が終わり、今は専門課程の春の競技会が開催されている。ほとんど生徒たちが観戦に行く中、僕は次席と園芸サークルにいた。
「クセーラはサクラノーメたちと……競技会の観戦に行ったわ……完成を急ぎましょう……」
競技会が開催されている4日間の内に、鋼を溶かすための炉を造ってしまおうと次席が画策したのだ。人知れずことを運ぶには、競技会が注目を集めている今が絶好の機会であるらしい。クセーラさんに気取られないよう脳筋ズに競技会へと誘わせ、園芸サークルが所有する鍛冶場の半分を潰してこっそりと炉の建設を進めさせた。
「後は魔術で固めれば炉は完成だよ」
僕ひとりで炉を造るのは大変かと思ったけど、シルヒメさんという強力な助っ人が現れた。屋根や壁の修繕から庭の手入れまでやるというメイド精霊は、煉瓦を積んでいくことなどお手の物だそうだ。材料と場所さえあれば、石焼窯くらい自分で造ってしまうという。
材料の耐火煉瓦は園芸サークルが大量に持っていた。工作棟や高等研究棟にある設備に使われていた煉瓦を、まだ使えるからと補修のたびに譲り受けていたらしい。彫刻なんかが彫られた装飾用の煉瓦を除けば、園芸サークルの花壇のほとんどが耐火煉瓦で出来ているというのだから驚きである。
炉が組みあがったら、魔術で煉瓦の隙間に詰めた耐火材を固めて一体化させれば完成だ。教養課程で習う術式ではないし、魔導器も持っていないので、これは工師課程の先輩にお願いする。乳母車の制作を請け負ってくれたという西部派の先輩が魔術で炉を固めると、積んだ煉瓦が押しても引いても叩いても乗っかっても動かなくなった。
特待生ではないものの、腕のいい先輩なのだそうだ。
「サッソクハジメル……」
「まだだよクスリナ。炉は完成したけど、溶けた鋼を加工する準備もしないとね」
気が逸っている発芽の精霊をなだめる。炉は鋼を溶かすだけのものだ。溶けた鋼はいったん鋳造し、ある程度温度が下がったところでハンマーの加工機で鍛造。大型のパーツはそのまま成形し、小型のパーツは棒や板の形にした後、工作棟に持ち込んで仕上げてもらわないといけない。
工師課程の先輩に数人がかりでやってもらう作業になるだろう。金属加工ができるクセーラさんはハブってしまったしね。
「続きは競技会が終わってからね……大丈夫……ちゃんと段取りはつけてあるから……」
手筈は整えてあるからと頭をナデナデしながら次席が発芽の精霊に言い聞かせる。園芸サークルの倉庫は壊れた農具で溢れていた。それも、地面を深く掘り返したり、切り株を除去するのに使うような大物ばっかりだ。牛や馬に牽かせるでかい鉤爪の付いたスキまであった。大きな荷重を分散して全体で支えるように作られている農具だから、強度の異なる部分があるとすぐに壊れてしまう。鍛接や魔術による結合で修理できないのはこのためだ。
全部買い直したら、大金貨10枚では足りないだろう。次席が再生鉄に執着したのも頷ける。
「競技会に行きましょう……まったく顔を出さないと……クセーラに怪しまれる……」
確かにあの宝の山はクセーラさんには見せられないな。全部ゴーレムに使おうとするに決まっている。
競技会が開催されている専門課程の訓練場に行くと、今日は「テンカウント」という競技が行われていた。ダブルダウンの一種なのだけど、1チーム5人で競われる団体戦だ。
5戦して3勝したチームの勝ちという星取り戦ではなく、2回ダウンした人は次の人と交代するという勝ち抜き戦。ただし、相手が交代してもダウンの数はリセットされない。前の相手に1回ダウンさせられていたら、次の相手に1回ダウンを奪われた時点で交代。先に10回ダウンを奪ったチームの勝利となる。
「クセーラはどこかしら……」
訓練場はこういった催し物にも使えるよう、スタジアムのような観客席が設けられている。クセーラさんたちを探して客席の間の通路をウロウロするけど、生徒でない観客も多くなかなか見つからない。
「魔力で探すのだと、何度言ったら下僕は理解するのですか?」
「いや……わかってるけどこの状況じゃ無理……」
タルトが呆れたように魔力で探せと言うけど、僕のロゥリング感覚ではこんな大観衆の中から人ひとりを見つけるなんて不可能だ。そもそもクセーラさんの魔力も識別できてないし。
「タルトにはわかるの?」
「クソビッチの居場所などとっくに知れているのです」
「どこかな?」
「お昼寝の後なら教えてあげなくもないのです」
意地悪な3歳児は交換条件として美味しいご飯と快適なお昼寝を要求してきた。くそぅ……人の足元を見やがって……
「クスリナ……クセーラの居場所がわかって……」
「ムリ……コタエテクレルクサガイナイ……」
発芽の精霊は自分のテリトリーに侵入してきた相手を感知することができたはずだけど、どうやら植物の有無に左右される能力だったようだ。お昼ご飯にするにはちょっと早いので、ウロウロしながら試合を観戦することにした。
専門課程の試合になると使える術式も増えて、小型の使い魔であれば同伴させることも許される。相手の体を貫いて致命傷を与えるような術式こそ使えないものの、魔術で作られた土や水の塊が飛び交い、相手を束縛しようと氷が纏わりついていく。
今、試合をしている先輩は小さな雪だるまを連れていた。生き物ではないな。精霊だろうか?
試合は雪だるまがド派手な雪煙を起こして試合場を覆い、雪煙が薄れた時にはボコボコにされた対戦相手が地面に転がっていた。視界を奪って滅多打ちか……
雪だるまの使役者は専門課程の競技には初出場となる4年生の女子生徒らしい。雪だるま無双で次々と相手を降していく。
「雪だるま強いね……」
「魔力を感じ取れる下僕がなにを言っているのです」
「霧の中で……ジラントを相手にする方がよっぽど危険……アーレイの感覚はおかしい……」
つい感想を口にしたらタルトと次席の両方からツッコまれた。ごめんよ。僕はどうしても視覚に頼ってしまうんだ。
快勝を続けた雪だるま先輩だけど、サンダース先輩の雷鳴の精霊に敗れた。雷鳴の精霊なんて呼ばれているけど、アレは音を発する精霊ではない。雷によって生じる衝撃波を放つ精霊で、雷鳴はそれが音として周囲に伝わった結果だ。
近くで喰らえば本当に吹っ飛ばされるし、そうでなくとも体にビリビリ響いてきて動きを止められてしまう。雪煙を吹き飛ばされ体が硬直したところに一撃を喰らい、雪だるま先輩は気を失って倒れた。観客席からもの凄いブーイングが巻き起こる。
雪だるま先輩は確かに美人なのだけど、ブーイングは前触れもなくバカみたいな雷鳴を轟かせたせいだ。観客席で見ていた僕の体に響いてくるほどの大音量。ちっちゃな子供たちはビックリしてギャン泣きしている。
勝ったはずなのに、「バッカヤロー」、「負けちまえ」と罵声を浴びせかけられて、サンダース先輩はへこんでしまって……あ、クゲナンデス先輩の投げた座布団が頭にあたった。
致命傷を負ったサンダース先輩が診察室に運ばれていく。あれはもうダメかもわからんね……
「あの男は……南部派の女なんかに誑かされて……」
試合はチームの大黒柱を失ったチームサンダースの敗北となった。西部派の本命と目されていたチームのまさかの敗退に次席はおかんむりである。
「後でお見舞いに行ってみようか……」
食堂が混みだす前にお昼ご飯を済ませて診察室へ足を運んでみると、相変わらずドクロワルさんが診察させられていた。働かせ過ぎなのではとプロセルピーネ先生に言ってみたけど、なんでも正式に治療士としての資格を得るには実務に従事した経験が必要とされるらしい。
「弟子には今年中に一人前の治療士になってもらうわ。それには治療の実績が必要なの」
今はあくまでも治療士並みの実力を備えた生徒でしかなく、取り扱いに資格が必要とされる薬剤を用いた治療行為は監督者である先生の元でしか許されていない。資格がないままでは今後の指導に支障をきたすと先生は判断したそうだ。
「もうそんなところまで……特待生ですら……資格を得るのは卒業後なのに……」
治療に関する知識は充分でも、実務に疎いのでは資格は与えられない。たとえ特待生であっても実務に慣れてから治療士となるのが普通だ。それに、資格がなければ支障をきたすということは、治療士になったその先、軍医となるための教育を始めるという宣言に他ならない。
前例のないハイペース指導に、さすがの次席も唖然としていた。
「ちょうどいいから、あんたも手伝いなさいよ」
診察室が患者から不評なのだという。教養課程の運動会では体操服姿の治療士。赤いワンピースの幼女。チアリーダーが手当てしてくれたという情報が先輩たちに流れている。それなのに、診察室には制服に白衣を引っ掛けた人しかいない。
約束が違うとバカなことを言いだす患者が多くて始末に負えないそうだ。
「そんな人の相手なんてしていられません。毒でも盛っておいてください」
わざわざ診察室に足を運んだのはサンダース先輩の様子を伺うためだ。先輩がどこにいるのか尋ねたら、部屋の片隅で座布団を被り座ったまま壁に向かってブツブツ呟いているのがそうだと先生が教えてくれた。頭の上には所在なさげな雷鳴の精霊が浮かんでいる。
こいつは重傷だ。このままでは再生鉄計画に遅れが生じる。
僕が手を借りたいと思っていた西部派の先輩というのがサンダース先輩だ。雷鳴の精霊と契約しているだけあって、雷の属性との相性は抜群。数少ない雷を使った術式の使い手で、雷を撃ちこむ魔導器も持っていたはずだ。
鋼を溶かすほどの雷を撃ちこむ魔導器を自作するとなると、素材の選別から取り掛からないといけない。先輩の魔力と魔導器がなければ計画が後ろ倒しになることは確実。なんとしても復活してもらわないと……
「ハァハァ……クゲナンデスの使っていた座布団……クンカクンカ……」
…………よし、放置……イヤイヤ、今はそっとしておくことにしよう。
「先輩の様子はどう……」
次席が心配そうな声で計画に支障はないかと尋ねてくる。
「ここにいるのはただの変態だ。僕たちの知ってるサンダース先輩は死んだ……」
「とどめを刺しておいた方がいいわ……変態は2か月で……60匹に増えるのよ……」
それは危険だ。放っておいたら魔導院中に変態が蔓延してしまう。
「先生、防疫処置が必要です。すぐに隔離を……」
「私にも変態は治療できないわ。他に感染する前に処分しなさい」
「アーレイ……かわいそうだけど……殺るしかないの……」
変態に効く特効薬はないそうだ。次席も沈鬱な表情で瞳をキラキラさせながら楽にしてあげろと首絞め紐を手渡してくる。
もはや、手段は残されていない。先輩がこれ以上罪を重ねる前に、せめて苦しまないように僕の手で……
「先輩……クゲナンデス先輩のことは僕たちに任せて安らかに……」
「全部聞こえていたよ。僕を亡き者にしてクゲナンデスをどうしようというんだい。アーレイ?」
「……苦しいです。先輩……」
サンダース先輩に顔面をアイアンクローで鷲掴みにされ吊り上げられた。僕の体重なんて20キロしかないから、騎士課程で鍛えている先輩には片手で持ち上げられてしまう。
「カリューアまで……ずいぶんと物騒じゃないか。サンダースはカリューアに敵対したことなんてなかったはずだが?」
先輩は西部派サンダース伯爵家の嫡子だ。同じ派閥で家格も同格の嫡子同士、学年は離れているけど次席とも知らない仲ではない。
「手を借りたい……あなたが使えないままでは困る……」
「僕のことは放っておいてくれ……」
僕から手を離したサンダース先輩が、「もうこれがあれば何もいらないんだ……」と呟きながら座布団を抱えて座り込む。完全にダメ人間になってしまった。
「なんですか? この男はクゲビッチと仲良くなりたかったのですか?」
タルトが雷鳴の精霊と話している。シルヒメさんの立てる衣擦れの音と同じく、デンデンと鳴らす太鼓の音が雷鳴の精霊の言葉のようで、タルトとは会話が成り立つようだ。
「いい方法があるの?」
「クゲビッチと仲良くなりたければペトペトに気に入られれば良いのです」
座り込んでいたサンダース先輩がピクリと反応した。ブツブツ呟くのをやめて、こちらの会話に耳を澄ませている。
「まあ僕たちには関係ないね……」
あっさりと会話を打ち切る。雷鳴の精霊が愕然とした表情をしていたけど、何もタダで教えてあげることもない。背を向けてその場を離れようとしたら、サンダース先輩が五体投地の姿勢で僕の足首にしがみついてきた。
「アーレイ。僕を見捨てないでくれ……」
「乳母車を作るのに協力してくれれば、タルトが教えてくれると思いますけど……」
タルトに視線を向けながら話を振る。もちろん僕の意図に気付かない3歳児ではなかった。
「わたくしのために働いてくれた者にご褒美をケチるほど、わたくしは狭量ではないのです」
「僕にできることがあったら何でも言ってくれ」
「サンダース……あなた……チョロすぎるわ……」
次席と雷鳴の精霊が呆れたような表情を浮かべていた。
「用が済んだのならお昼寝をするのです」
診察室のベッドを占拠したタルトが布団をポンポンと叩いて添い寝をねだる。患者用のベッドなのだけどプロセルピーネ先生のお許しがいただけた。シルヒメさんがドクロワルさんのお手伝いを始めたおかげで、患者たちが「メイドウヒョー」などと舞い上がって文句を言わなくなったからだ。シルキーは乳母として子供の世話もするので、看護兵がするくらいの看病や手当てはできるらしい。
メイド精霊マジ万能……
「ここの布団は下僕の部屋の布団より柔らかくてご機嫌なのです」
3歳児を抱っこして布団をかけてあげると、満足したらしくあっという間にスゥスゥと寝息をたて始めた。次席と発芽の精霊は手当てこそできないものの、ガーゼやタオルといったものを運んだり、順番待ちの患者を整理したりと働かされている。
なんだか悪い気もしたけど、クセーラさんの居場所を教えてもらうためだ。我慢してもらおう……