467 虚ろなる神
ひとまず危機は去った……わけではない。魔獣はもう1体いるからだ。転がり落ちてきた場所から動かずにこちらの様子をうかがっていたグリフォンへ油断せず注意を向ける。どうやら、かなりの深手を負わされている模様。動かなかったのではなく、動けなかったというのが実情だろうか。恐れを知らない3歳児が無警戒にトコトコ近づいていく。
「お前が下僕の手を煩わせるのは2度目なのです。前は軛から解き放ってあげましたけど、助けがほしいなら軛を受け入れるのですよ」
「2度目……軛からって……もしかして魔性レディのヴィロード?」
僕には見分けがつかなかったけど、こいつはリコリウスが使役していたナマケグリフォンのヴィロードであったようだ。受けた傷は深く、今すぐ治療しなければ長くは持たないと判断したのだろう。野生のまま治療なんてできるはずないので、命が惜しければ再び使い魔となるようタルトが契約を迫る。
「それが望みならおやすみするのです。もう痛くないのですよ」
だけど、ヴィロードは契約を拒絶した模様。魔性レディに育てられ、ヤーブドゥク氏に譲られ、リコリウスに奪われてこき使われることとなった過程で何があったのかは知る由もない。ただ、もう誰かに使役されるのはこりごりだと考えているのだろう。3歳児に頭を撫でられると痛みを感じなくなったのか、安心したように大きく息を吐き出して地面に首を横たえる。そして、そのまま眠るように息を引き取った。
「お前の初仕事なのですよ。この者たちの魂をイグドラシルへ送り届けてあげるのです」
ヴィロードの最期を看取ったタルトがローブの袖口をゴソゴソ漁り、灰色の衣に虫取り網を手にした精霊を取り出した。魂を運び去る精霊となって聖女様の下にいるはずの仔豚死神だ。問答無用でさらわれてきたせいか落ち着かない様子でキョロキョロしていたものの、ヴィロードの亡骸を見つけると己の責務を思い出したらしい。フヨフヨと近づいて、エイエイと虫取り網を2度、3度と振るう。まだ力の扱いに慣れていないのか、ワルキューのように1発で決めることができないようだ。
「へったくそなのです」
「経験が浅いんだから仕方ないよ」
このド下手くそとしかめっ面になる3歳児。精霊となって半年ちょっとしか経ってないのだから、自我が芽生えるほど長くキャリアを積んできたワルキューと一緒にしないようたしなめておく。
「コレハナニ?」
「シネシネっていう、死んだ生き物の魂を還るべき場所へ連れて行ってくれる精霊だよ。魂が残ったままだとアンデッドになってしまうんだ」
木立の中から出てきたクッコロちゃんが、灰色衣の見習いシネシネを指差してこの妙なのは何だと尋ねてきた。アンデッドになるのを防いでくれるありがた~い精霊なのだと教えてあげる。ようやくヴィロードの魂を捕獲できたようで、虫取り網の中に宝石のようなものが転がり込んだ。捕まえた魂を仔豚死神がゴックンと飲み下す。
「食ベタッ?」
「シネシネの胃袋は魂が還る場所につながっているんだ」
やはり魂が食べられるというのはショッキングであるらしく、ビックリしたクッコロちゃんが僕の背後に身を隠す。僕を盾にしようとする連中が、はみ出てしまってまったく隠れられていないという事実にどうして気づかないのか不思議でならない。オソロシヤとブルブル震えているゴブリンの勇者様に、あれでよいのだと教えてあげる。同じようにワイバーンの魂も回収すると、聖女様の下へ帰るのか仔豚死神はゴソゴソとタルトの袖口へもぐり込んでいった。
「抜け殻が残っているのです。ソコツ女に渡してあげるとよいのです」
魂をイグドラシルへ還したところで、抜け殻が残っているとタルトがヴィロードの亡骸を指差した。抜け殻というのは魂の抜け殻、すなわち魔力結晶のことだ。大切に育てたグリフォンが亡くなったことを告げるのは気が重いけど、それはヴィロードが唯ひとつこの世界に遺していったもの。こいつが確かに存在していたことの証でもある。黙っていたいから持ち帰らないなどという選択肢はない。亡骸を切り裂いて心臓からパチンコ玉くらいの魔力結晶を採り出す。イワオオカミより小さいものの、グリフォンでも瀕死の状態まで追い込まれるとこうなってしまうのだろう。
ワイバーンの方はうつ伏せ状態のまま動かしようがないので、片側の翼にロープを引っかけてクマネストに引っ張らせる。翼が持ち上がったところで胸を切り裂いて、プロセルピーネ先生に見られたらド下手くそと叱責されそうなやり方でどうにか心臓を取り出した。こちらは元気いっぱいだったせいか、サソリゴーレムを動かしているラトルジラントの魔力結晶よりひと回り大きいドデカサイズだ。
「しばらくは使い道もなさそうだし、タルトが持っててよ」
「わたくしにど~んと預けるのです」
採れた魔力結晶をタルトに預けたら、残るは亡骸の処理だ。そのままにしておくと魔物が寄ってくるので『ヴィヴィアナピット』で底なし沼を作り出し、『アースバインドカスタム』でヴィロードを引き摺り込む。墓標代わりに食べ終えた桃の種を撒いておいた。芽吹くことがあれば、いつの日か実をつけるかもしれない。ワイバーンの方はいったん【思い出のがらくた箱】に保管して、明日の朝ここを発つときに捨てていくことにする。
「冷や汗で全身ビショビショだ。もう一度、水浴びしてくるよ……」
これでひと段落と肩の力を抜く。気がつけば、着け直したばかりだというのにオムツの中までグッショグショになっていた。接近してくる魔力がないことを確認し、汗を流しに滝へ向かう。
「下僕、それは本当に冷や汗なのですか?」
「アナタハ勇敢ダッタ。大丈夫、誰モ笑ッタリシナイ……」
「失礼な勘繰りするんじゃないよっ!」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、わざわざ冷や汗と口にするところが言い訳じみていると疑いのまなざしを向けてくる3歳児。わかってるから心配しなくていいと、クッコロちゃんまで両手サムズアップを決めてくる。なんて失礼極まりない連中だろう。誰がなんて言おうと、これは冷や汗だ。異論は認めない。絶対に認めてなるものか……
夜が明けたらワイバーンの亡骸を捨て、尾根目指して斜面をエッホエッホと登っていく。二足歩行で腕のないコケトリスは登坂力こそ劣るものの、その代わり跳躍力に優れている。僕の方で足場を見つけ指示してやれば、羽ばたき大ジャンプで一気に5メートルくらい登ってしまえるのだ。丁度いい足場が見つからない時は『ヴィヴィアナロック』で空中に足場を作ってしまえばいい。急峻な斜面を登っているのに汗ひとつかいてない僕を見て、クマネストとクッコロちゃんが恨めし気なまなざしを向けてきた。
朝イチで登り始めたため、お昼ごろには目指していた尾根に到達する。ここでランチ休憩だ。後は尾根に沿って上り下りするけど、足を踏み外して斜面を転げ落ちない限りここまでのようなきつい登りはないはず。谷底にいる魔物たちに悩まされることもなく、サクサクと厄介な地帯をすり抜けられるだろう。
「ビックリスルクライ虫ガ寄ッテコナクナッタ……」
ローストウシコーンをモグモグしながら、髪の毛を垂らしているのに全然虫がつかない。むしろ、逃げていくようになったとクッコロちゃんがしきりに感心していた。防虫成分の出どころを尋ねられたので、ヴィヴィアナ湖に棲息している固有種のナマコだから人族しか生産できないと伝えておく。どうして世界は不公平でいっぱいなのだと頬を膨らませるものの、そんなこと僕に言われてもどうしようもない。
「ゴブリンだってバナナを好きなだけ得られるぢゃないか」
「アナタナラ谷ニキテモ歓迎サレル。私ハ人族ノ街ニハイレナイ」
「もうヴィヴィアナの街に戻ることないのです。約束の谷でバナナと赤ちゃんに囲まれて楽しく暮らすのです」
持つ者と持たざる者が存在するのではなく、手にしている物が違うだけだと言い含めようとしたものの、バナナを引き合いに出したのは失敗だったようだ。ホブゴブリンたちは僕を大喜びで迎え入れるけど、自分は人族から追われる身。世界はどこまでも不公平だとクッコロちゃんがしかめっ面を作る。未だ僕をゴブリン谷へ突き落とすことを諦めていないのか、タルトの奴が人族社会を捨てて移住しようと勧めてきやがった。冗談ではない。僕が目指すのはドクロ山の頂だけだ。
「そのゴブリン谷も安全と言い切れないからロゥリング族の領域に向かってるんでしょ」
行き先をゴブリン谷に変更されては困るので、目的を見失うなと告げて腰を上げる。ランチ休憩はここまでだ。今日中に魔物が集まっているあたりを通過してしまいたい。
「ゴブリン谷ジャナクテ、約束ノ谷……」
残っていたローストウシコーンをゴックンしたクッコロちゃんが些細な違いを指摘してきたけど、そんなのはどっちでもいい。先を急ぐぞとバナナンテに跨り出発を促す。山頂まで登りきる必要はなく、7合目くらいで魔物が集まっている谷をパスできるだろう。魔物の気配に気を配りながらトコトコと尾根道を進んでいく。
しばらくして、件の魔物で埋まっている谷を見下ろす尾根に到達する。予想していたとおり、魔物どもは谷底から裾野にかけて分布しているようだ。この分なら万一見つかったとしても追いつかれることはないだろうと谷底をのぞき込んでみたところ、体長が70メートルを超えてそうなバカでかいキメラ魔獣がいやがった。長い首とサソリの尻尾を持っていてどことなくティコアに似ているのだけど、翼の代わりにグリフォンとオオカミの上半身が背中から生えている。どうやら、魔物たちはこのキメラ魔獣を包囲しているようだ。
「もしかして、ティコアの父親とか?」
ドラゴンとはちょっと違いそうだなぁと思いながらタルトに尋ねてみる。母親の遺体は素材として王国軍に回収されてしまったし、そもそも殺されたのもこんな奥地ではない。父親が残っているならティコアを連れてくる必要はなかったはずだけど、もしかしたら子供を虐待するドメスティックバイオレンス野郎だったのだろうか。
「あれは虚ろなる神といって生き物ではないのです」
「なにそれ? そんな神様がいたの?」
「いないのです」
「どっちなのさ?」
こんなところで見かけるとは珍しいと口にする3歳児。虚ろなる神なんて、以前にヴィヴィアナ様が教えてくれた神様の分類にはなかったはずだ。そんな神様もいたのかと確認してみたところ、タルトは当たり前のようにいないと言い切りやがった。ジャイアントスイングで谷底に投げ落としてやりたい衝動を懸命に抑える。
「せっかちな下僕なのです。虚ろなる神というのは、存在しない神に捧げられた信仰が溜まりにたまって形をとったものなのです。ちゃんと魔力を感じ取るのですよ」
「あぁ……なるほど、ヴィヴィアナ様の分体と一緒なんだね」
タルトの話によれば、存在しない神様に対して捧げられた信仰が誰にも受け取ってもらえないまま溜まり過ぎると、ああいった形をとって現実に影響を及ぼすようになるらしい。形状はだいたい信仰を捧げた者たちのイメージがごっちゃになっていて、魂を持たないため意思も意図もなく、ただ外部から与えられた刺激に対して反応するだけの存在だそうな。言われたとおり魔力に注意を向けてみれば、うっすらとした魔力が均一に広がっていることが感じられた。
「放っておけば何もしてこないのです。突っつくから飲み込まれてしまうのです」
よくよく目を凝らして観察してみれば、虚ろなる神の足元はブヨブヨした肉塊のようなもので形は決まっていないようだった。オークの一団が先端の尖った丸太をぶち込んだものの、ダメージを受けているようには見えず、逆に先頭にいた数匹が肉塊に飲み込まれてしまう。3歳児曰く、虚ろなる神には相手を飲み込もうという考えすらなく、あれは互いに引き寄せ合う力が作用した結果。つまり、支えを失った物が落っこちるのと同じ物理現象にすぎないそうだ。
「キット、アレハコノ谷ヲ縄張リニシテイタオークタチ……」
「ドラゴンがいなくなってようやく得た拠点を手放したくないんだろうね……」
虚ろなる神を取り囲んでいるオーク軍団を見て、この谷はオークたちのものだったのだろうとクッコロちゃんが口にする。魔導騎士も竜騎士もこんな奥地まではやってこないから、ここは人族に脅かされることなく繁殖と子育てができる安住の地だったに違いない。突然わけのわからない大怪獣の襲来を受けたからといって、大切な土地を捨てられない気持ちはわかる。田西宿実の世界の人々も全力で国土防衛を試みるのが常だった。
少なくとも映画の中では……
「オークにはご愁傷様と言うほかないけど、これなら気づかれずに通り抜けられそうだね」
僕はもちろん光の国からオークのためにやってきた宇宙人ではないので、この場面でデュワッてわけにはいかない。タルトの話を僕なりに理解したところ、虚ろなる神は地滑りや竜巻なんかと同じく現象に類するものだ。甚大な被害が予想されるからといって、台風をやっつけるなんてできるはずもない。被害を最小限に抑えてやり過ごすしかない相手である。
「あれだけの信仰、放っておくのはもったいないのです。下僕、拾ってくるのですよ」
オークには同情するものの、僕にできることなんてない。今のうちだと先へ進もうとしたところ、回収してこいと3歳児が虚ろなる大怪獣を指差した。こいつは自分が何を言っているのか理解できているのだろうか。
「君、なに言っちゃってるの? 頭大丈夫?」




