466 予期せぬ遭遇戦
まだ2キロくらい距離があるので大雑把にしか捉えられないものの、大集団が蠢いているような気配が伝わってくる。魔導騎士や竜騎士が飛来することはあっても、遠征軍の地上部隊がこんな奥地に展開しているはずがない。魔物が集まっているものと考えて間違いないだろう。
「迂回するのは当然として、北と南のどっちに回り込むか……」
魔力を感じるのはティコアの母親が根城にしていた山の北側斜面。そのさらに北側は裾野にあたるため、地形が平坦で移動が容易という利点がある。ただし、それは魔物たちも同じなため、迂回するのであればかなり大回りするハメになるだろう。南回りは山頂目指しての山登りコースで、道は険しいものの移動距離は短くて済む。早い話が開いた扇の弧に沿って大きく回り込むか、要の側をすり抜けるかのどっちかである。
「相手ヲ避ケタイトキハ、高イトコロヲ通リ抜ケルノガ定石トイウモノ……」
「やっぱそうなるよね」
迷うことはないとクッコロちゃんが山登りコースを支持してきた。僕も同意見だ。尾根を登っていくところを発見されたとしても、谷底にいる魔物にできることはない。南回りで行くことに決め、地形を観察して最初に目指す尾根を探す。間違った尾根を選択してしまうと狙った場所に出られないし、ルートを修正するにはいったん谷底まで下りて別の尾根に登り直さなければいけなくなる。山登りは最初が肝心なのだ。
「まずは、あの尾根を目指そう」
「コッチノ方ガ近クナイ?」
「途中で合流するからどっちでも同じなんだけど、そっちは傾斜がきつくて危なそうだよ」
あれにしようと尾根のひとつを指差す。遠回りではないかとクッコロちゃんから物言いがついたものの、登りやすそうな方を選んだと説明したら納得してくれた。
「山ニハ詳シイノ?」
「僕は北に見える山脈で育ったからね。慣れてるんだ」
人族に紛れて暮らしているオールドゴブリンが、どうして山歩きに長けているのかとクッコロちゃんは不思議そうに首を傾げている。人族の国にいるのは魔術を学ぶためで、僕はドワーフ国の出身。洞窟と山に囲まれて育ったのだと伝えておく。
「チョット安心シタ。人族ガ皆アナタノヨウナラ、約束ノ谷マデ攻メ落トサレテシマウ」
平地を切り開く種族だから森林や山岳地帯での活動は苦手というのが人族に対するゴブリンの評価だそうな。勇者として仲間を率いてきた自分より山歩きに長けた連中がゴロゴロいたら、ゴブリンの住処がなくなってしまうとクッコロちゃんは不安に感じていたらしい。
「人族には僕が野人に見えるそうだよ」
「ソレハ否定シナイ」
僕が野人に思えるくらい連中はサバイバルに適性がないのだと伝えたところ、それは間違いないとクッコロちゃんまで僕を野人認定しやがった。ロゥリング族の領域まで傷ひとつ負わせることなく送り届けると決意していたのに、蓋を開けてみれば主導権を握られっぱなし。これでは自分が護送されているようではないかとふて腐れたように頬を膨らませる。
「下僕はよくできた下僕なのですからと~うぜんなのです。お前に劣るようならとっくにバナナと交換しているのです」
「君ね……」
使えない下僕ならとうの昔にゴブリン谷へ放り込んでいたとタルトが明かす。こいつはバナナのためなら人身売買にすら手を染める3歳児だ。倫理はどこへ置いてきたとパンチくれてやりたいものの、食べるために生き物を殺している僕に言えたことではないのかもしれない。同じ種族でなければ殺しても罪にならないなんて理屈、精霊に説明したところで鼻で笑われるだけ。売り飛ばすのは殺すことより悪いのかと問われれば、やっぱり答えはノーだと思う。
精霊は人族の規範に縛られない存在だから食いしん坊3歳児の罪を議論しても仕方がない。今は先を急ぐことにして、魔物と思われる魔力の反応を慎重に避けながら目的の尾根を目指す。
「なんかこの山、魔力が湧き出てない?」
「ここにはウロボロスの鱗が埋めてあるのです」
「なにそれ?」
「世界に魔力を循環させるための仕掛けをウロボロスと呼ぶのです」
尾根に近づいていくと、山の中からブシュー、ブシューと間欠泉のように噴き出してくる魔力が感じられた。生き物の持つ魔力に比べると薄いうえ、すぐに拡散していくのでロゥリングレーダーが妨害されるというほどでもないのだけど、うっすらと霞がかかったような印象をうける。どうして地中から魔力が湧きだしてくるのかとタルトに尋ねてみたところ、ウロボロスなるものが仕掛けてあるそうな。
「放っておくと一カ所に溜まってしまうのでグルグル巡らせているのです。生き物の血と同じなのです」
どうやら、イグドラシルと同じく神様の作った仕組みらしい。魔力には集まりやすい場所とそうでない場所があって、魔力が枯渇した土地では精霊たちが仕事をしてくれないそうだ。世界の魔力を平準化するために、血流のように循環させているという。世界を巡る大きな魔力の流れを構成しているのがウロボロスの瞳というお宝で、流れが合流・分岐する中継点となっている。ウロボロスの鱗は弁の役割を持っていて、魔力の豊富な土地からは吸い上げて大きな流れに戻し、魔力に乏しい土地では逆に放出するのだとタルトが教えてくれた。
「じゃあ、この辺りはもともと魔力が少ない土地なんだ」
「なにもしないでいると、だいたい北か南へ集まってしまうのです」
3歳児の話から察するに、魔力は自然と極に向かって流れていくのだろう。それを吸い上げて世界の各地にばら撒いているのがウロボロスという魔力循環の仕組みのようだ。
「ドラゴンがいれば掘り返されることはないと安心していたのに、相変わらず人族は余計なことばかりしてくれるのです」
図らずもティコアの母親は神々の仕掛けを守る番人の役割をはたしていたらしい。人族はロクなことをしないとタルトが顔をしかめていた。相変わらずということは、つまり前科があるということだろうか。執念深い3歳児ことだから、きっと何千年も昔の事件だって憶えているに違いない。さっさといくぞと、思い出し怒りでプンスカしながらクマネストを進ませていく。
「滝があるね。今日はここでひと休みして、身体をきれいにしておこうか」
目的の尾根を見上げる位置に、滝と呼ぶには落差が小さいものの水量が豊富な沢を見つけた。ここから尾根道に出るまでは急峻な登り坂が続く。ひと晩休んで疲れをとり、夜が明けたら一気に登り切ってしまおうと提案する。水場近くでキイチゴなんかもそこそこ生っているのでバナナンテとクマネストは大喜び。クッコロちゃんも汚れが気になっていたようで、口には出さないものの上機嫌になっていた。
「僕はバナナンテたちに食事をさせているから、クッコロちゃんは先に水浴びしてくるといいよ」
「アナタニハドウシテ虫ガ寄ッテコナイ?」
沢は流れているので、もちろん女子の浸かった残り湯をゴクゴクなんて変態的なマネは不可能である。安心してお先にどうぞと水浴びしてくるよう勧めたところ、長い髪を収めていた帽子をとりながらクッコロちゃんが尋ねてきた。山歩きに慣れているにしては虫対策が甘いように感じられたけど、どうしてか虫の方が避けていく。甘いのではなく、自分が想像もつかない対策をとっているのだなと頬を膨らませる。サバイバル実習ではロミーオさんが殺気立っていたし、女の子にとっては無視できない問題なのだろう。虫だけに……
「虫の嫌がる成分があるんだ。毒じゃないんだけど、口に入ると意識が飛ぶくらい苦い」
イボナマコはヴィヴィアナ様が水質改善のために生み出した眷族なので、世界広しといえどもヴィヴィアナ湖にしか生息していない。ゴブリンが知っているわけないので、虫よけ成分を含んだヘアコンディショナーを使っているのだと教えてあげたところ、まなじりを吊り上げたクッコロちゃんにグワシと腕をつかまれた。
「ワタシニモ使ウ」
「そのためには一緒に水浴びしないと……」
「下僕、髪を洗ってくれるのですよ」
クッコロちゃんは自分にもイボリンスを使ってほしいそうだ。すっぽんぽんが見えちゃっても構わないらしい。どうせ目に映るのはブタさんだし、本人がそういうならと心を決めたところでお風呂セットを抱えたタルトに髪を洗えと告げられた。仕方ない。ほんっと~に仕方ないので3人一緒に水浴びすることにする。
ガシガシと汚れひとつない3歳児の髪を洗ってやり、この世界のシャンプーはすべて天然成分だから構うまいと滝でジャバジャバ流す。クッコロちゃんも垂らすと結構長い髪をしているので、年齢不詳見た目は12歳のうなじを堪能しながら丁寧に洗ってさしあげる。シャンプーで2回洗った後にイボリンスを満遍なく馴染ませ、しばらく待ってから水で流せば完了。これで虫が寄ってこなくなるのかとクッコロちゃんは上機嫌だ。
「空デナニカガ戦ッテル……」
水浴びを終えてオムツを着け直していたところ、こっちに近づいてくるふたつの魔力をローリングレーダーが捉えた。まだ尾根の向こう側なので見えないけど、クッコロちゃんも感じ取ったらしい。どうやら飛行魔獣が空中戦をしている模様。急いでジラント革のエプロンを身に着け、見つかった時に備えて魔導器をぶっ込んである腰袋を手元に引き寄せておく。バナナンテとクマネストを呼び寄せて繁みの裏に隠れさせようとしたものの、その前に劣勢である方が空から叩き落とされたようでゴロゴロと斜面を転がり落ちてきた。
――グリフォン? こいつが襲われてるってことは……
転がり落ちてきたのはナマケグリフォンのようだ。となれば、襲っている側は当然グリフォンより強力な魔獣ってことになる。そんな奴に心当たりはひとつしかないと考えた次の瞬間、モモベェよりデカいと思える影が空から舞い降りてきて、盛大に水しぶきを上げながら沢に着地した。隠れる間もなく、僕たちを牽制するように睨みつけてきた縦長の瞳孔と目が合ってしまう。
――やっぱり、ワイバーンかよっ! これじゃもう、やるしかないじゃないかっ!
ロゥリングレーダーを頼りに魔物は避ければいいと考えていたので、たまたま片方が落っこちてきての遭遇戦なんて想定外もいいところだ。こんなのロゥリング族のするこっちゃないと思いながら、左手に持った魔導器で『ヴィヴィアナロック』を目の前に展開。突進してきたワイバーンの頭を弾き飛ばす。
「木立の中に隠れていてっ!」
僕は動かない水の壁で防御できるけどクッコロちゃんたちはそうもいかない。障害物の多い森の中に隠れているよう指示しておく。弓矢で仕留められるような相手ではなく、有効な攻撃手段はあるものの、どうしてもカウンター狙いにならざるを得ないため僕を狙ってくれなければ困るのだ。他の獲物を追っかけられたら打つ手がなくなるので、自分自身を囮にして注意を引きつける。
僕の持つ魔導器の中でワイバーンを倒せそうなのは『タルトドリル』のみ。それでも鋼のように頑丈な鱗を貫いて致命傷を与えられるとは限らないので、口腔内からぶっ込んで頭をふっ飛ばすしかないだろう。手の内がバレて警戒されたら厄介だ。確実に一撃で仕留めるため、水の壁で攻撃を防ぎながら首に枷をはめられるタイミングを見計らう。
――怖えぇぇぇ……。もっと引きつけてからなんて、わかっていても無理ゲー過ぎる……
僕を喰いちぎろうと迫ってくるバカデカい咢を前に、牙が届く寸前のところを『ヴィヴィアナロック』で捕らえる。ラトルジラントの時は運よく重なっただけで、そんなの狙ってできるはずもなかった。相手がデカ過ぎて距離感がつかみ難いこともあり、かなり手前で魔術を発動させてしまう。そして、忌々しい水の壁は壊せないとワイバーンの奴が学習したようだ。勢い任せではなく、ジリジリと僕を追い詰めるように首を伸ばしてくる。マジでヤバイ状況になってきた。
「下僕~。クソビッチのおならを使うのですよ~」
そこに横からトコトコとタルトが駆け寄ってきた。こいつを使えと手にイボ汁玉を握りしめている。マヌケとしか思えない恰好の獲物を見つけて、そいつが鋼の塊より硬いことを知らないワイバーンが3歳児に噛みついた。木立の陰から様子をうかがっていたクッコロちゃんの悲鳴が響き渡る。
「ゴギョエェェェ――――ッ?」
柔らかい生き物だと勘違いしたままフルパワーで噛んでしまったのだろう。自慢の牙を粉々に砕かれたワイバーンが目を回してぶっ倒れた。この噛み砕けないほど硬いものを思いがけずガリッとやってしまった時の反動は、目の前がチカチカして平衡感覚を失うくらい脳にくるのだ。ぶっとい牙が砕けるほどの力で噛みついたなら、あいつはもう前後不覚になっているに違いない。このチャンスを逃したら後がないと、呆然と地面に転がっているワイバーンの首を『ヴィヴィアナロック』で固定する。恨むなら、確かめもせずに噛みついた己の迂闊を恨んでほしい。
ガッチリと首枷をはめられたワイバーンが拘束から抜け出そうと全身を震わせたものの、もちろん『ヴィヴィアナロック』は微動だにしなかった。今すぐこいつを外せと、僕に向かって大きな顎を開き怒りの咆哮を轟かせる。
それが弱点をさらけ出す行為だとも知らずに……
ガバリと開かれた咢に向かって刀身に『タルトドリル』が刻まれている護り刀を構える。身動きの取れない相手を殺すのは気が引けるものの、今この機会を逃したら殺されるのはこちらなのだ。敗北すなわち死が大自然の掟。情けは無用と覚悟を決めて魔法陣へ魔力を流し込む。
切っ先から薄い霧がかかったような円錐が伸びていき、超高密度に圧縮された竜巻が一切の抵抗を封じられた憐れな亜竜の頭を形も残さず削り飛ばした。




