177 叛逆のクセーラ
精霊たちが目を覚ましたところでバンガローへ戻れば、大漁の噂がすでに流れていたのか生徒たちが集まってきた。男どもは収獲より首席とモチカさんの水着姿に興味津々な様子だけど、あのふたりをナンパできる剛の者はいない模様。遠巻きに眺めるのがせいぜいだ。
「なにこの釣果、また野人が何かやらかしたの?」
ロゥリング族を野人と言ってはばからないロミーオさんが呆れていた。南部派に釣り好きの生徒がいるのだけど、多くても一日に10匹がせいぜい。タライから溢れるような数を獲ってくるなんて、また僕が非常識なことを始めたのかと眉間にしわを寄せる。
「いや、カワウソ漁をしただけなんだけど……」
「なによそれ?」
どうもカワウソ漁は一般的ではないらしく、そう伝えてもロミーオさんは首を傾げるだけだ。水の壁であらかじめ逃げ道を制限しておき、カワウソに追われて魚が一か所に集まったところをクセーラさんの投網で一網打尽にしたのだと説明し、ようやくご理解いただけた。
「それで首席とクセーラなのね。派閥に関係なく相手を誘えるなんて羨ましい限りだわ」
「別に誰を誘ったっていいんじゃないの?」
「そんな台詞を当然のように口にできるのは、相手が納得せざるを得ないほどの成果を上げられると確信している者だけよ。自分を疑うことがないの?」
あのふたりの手を借りるなら、自分との間だけでなく北部派と西部派の間にも禍根を残してはならない。あっちの魚の方が大きいなんて考えるのもバカバカしくなるくらいふたりを満足させなければ、両方の派閥から恨まれることになりかねないそうだ。そんな高いハードルを自分に課すなんて罰ゲームもいいところ。野人にはしくじった時のことを考えるだけの想像力が備わっていないのかと、ロミーオさんにほっぺをツンツンされる。
「西部派はもちろん文句なんてないよっ。というか、今度また行こうよっ」
「これだけの漁獲、北部派では望むべくもありません。モロリーヌさんに感謝しないような恩知らずは磔にしなければいけませんわね」
西部派も北部派も文句はない。いいや、自分が言わせないとクセーラさんと首席が請け負ってくれた。こう言ってもらえるだけの成果を上げるのは並大抵のことではないのだぞとため息を吐くロミーオさん。とてもマネする気にはならないという。
「そうはイカの金隠し……西部派が黙っていると思ったら……大間違いよ……」
「姉さんっ。どうしてっ?」
だけど、そこに次席が割り込んできた。何やら言いたいことがあるらしく、クセーラさんが止めるのも聞かずに僕を睨み付ける。
「よくもクスリナを仲間外れにしてくれたわね……そこのナマズを食べない限り……この恨みが晴れることはない……」
「ないよっ。いくらなんでもそれはないよっ」
タルトと蜜の精霊を連れて行ったのに発芽の精霊に声をかけないとはけしからん。許してほしくばナマズを寄越せと要求してくる次席。ナマズが欲しくて言いがかりをつけてるだけではないかとクセーラさんが声を上げたものの、おすまし顔で聞こえないふりをしてやがる。
だけど、これは次席の依頼を遂行するためでもあるのだ。文句は言わせない。
「次席。魚を食べたムジヒダネ班のメンバーは、きっとクセーラさんを班長に推すよ」
「…………そう思っていた時期が私にもあったけど……今では泥を吐かせるのが面倒になってしまったわ……」
「ないよっ。その掌返しはあり得ないよっ」
これは反乱を起こさせるための下準備だと本人だけに聞こえるようこそっと耳打ちしたところ、次席はあっさりと態度を翻した。だったら何しに来たのだとクセーラさんがツッコミを入れたものの、両耳をふさいで聞こえな~い、何も聞こえな~いとすっとぼける。ごまかすにしても酷いやり方だ。
「よくやったわねクセーラ……あなたならひとりでもこの実習を乗り越えられるって……姉さんは信じてるわ…………サクラノーメを追い詰め過ぎないようにね……」
「ちょっ、妹を見放すのっ?」
唐突にやって来てわけのわからんことを口走ったと思ったら、今度はムジヒダネ班を見放すのかとお姉さんにすがるクセーラさん。だけど、自分が手を貸す必要はないだろうと次席は逃げるように立ち去ってしまった。いったい何がしたかったのだとクセーラさんがプンスカ怒っている。
「ムジヒダネさんを追い詰め過ぎないように……ですか。クサンサさんは妹思いですわね」
「どういうこと?」
「モロリーヌさんが気になさることではございませんわ」
次席が最後に言い残した言葉の意味に首席は思い当たったようだ。相変わらず妹には甘いとクスクス笑っている。どういうことかと尋ねてみたものの、僕が知る必要はないと顔を綻ばせるだけで教えてくんなかった。
形がいいものだけでも40匹を超えるマスはムジヒダネ班とエロスロード班が山分けし、アンドレーア班は4匹いるナマズをいただいた。すっぽんも2匹獲れたのだけど、誰も捌き方を知らなかったのでリアリィ先生たちにとシルヒメさんに渡してしまう。きっと美味しく調理して、おっぱいを肥えさせてくれるに違いない。
ナマズは泥を吐かせるのに数日かかるのですぐには食べられないけど、ここ2日ほどシカ肉が続いたせいか女子たちはウエストを気にし始めた模様。隣でムジヒダネ班が香ばしい煙を立ち昇らせながらマスを焼いているにもかかわらず、パンと野菜だけの夕食に文句を言うものはいなかった。お腹が満たされているようでなによりだ。
「久しぶりに食事らしい食事が摂れるな」
肉が食べたいけど、この際だから贅沢は言わんとヘルネストの奴がこぼしている。クセーラさんの言っていたとおり、イノシシを獲ることに固執しているムジヒダネさんは家畜の肉を買ってこなかった様子。獲物が捕まらなければ、本当にパンとキャベツだけで20日間を乗り切るつもりだろう。
「そうは問屋が卸さないんだよっ」
だけど、その覚悟は万人に備わっているものではない。班長の負けず嫌いにつき合わされるのはまっぴらだと、革命を起こすべくひとりのビッチが立ち上がった。ムジヒダネ班に下剋上の火の手が上がる。
「クセーラさんの魚が食べたければ、おとなしく班長の座を譲り渡すか、オムツを穿いてタルちゃんに懇願するんだよっ」
「なにっ?」
「クセーラ……それは叛逆よ……」
裏切り者には地獄の折檻を。ムジヒダネの掟を知らないわけではあるまいなと【ヴァイオレンス公爵】が殺気を立ち昇らせる。だけど、脅されたくらいで引き下がるクセーラさんではなかった。その程度の覚悟しかないなら、最初から反旗を翻したりはしなかっただろう。
「公爵こそ私たちの期待を裏切ったんだよっ。裏切り者がいつまでも班長でいられるなんて思わないことだねっ」
大口を叩いて燻製小屋まで用意させておきながら、いつまでも獲物を持ち帰らないのはどこのどいつだ。配下の者が上役に逆らうことだけでなく、上役が約束を果たさないのもれっきとした裏切り行為。先に裏切ったお前に他人を折檻する資格はないときっぱり言い渡す。
「いつもいつも、都合よく獲物が見つかるとは限らない。当たり前のことだわ……」
「だったらオムツを穿けばよかったじゃないっ。意地張ったところで伯爵には敵わないんだからっ」
家畜ではないのだから、欲しい時にいつでも手に入るというわけにはいかない。その程度の常識もわきまえていないのかとムジヒダネさんが鼻を鳴らしたものの、だったら素直にオムツを穿いておけば良かったのだとクセーラさんに言い返される。魔力で獲物を探し当てられるロゥリング族にはどう頑張ったところで敵いっこないのだから、身勝手な独り相撲に班員をつき合わせるなと痛烈に批判され【ヴァイオレンス公爵】が顔を強張らせた。
「まだ実習は終わってないわ。ムジヒダネは勝負を途中で放り出したりしない」
「伯爵はクスリナやヌトリエッタを手懐けるために石窯やパン種まで用意してたんだからっ。意気込みだけで覆せはしないよっ」
まだ決着がついたわけではないと言い張るムジヒダネさん。だけど、準備の段階で決定的な差をつけられてしまった。最後まで諦めないと言えば聞こえはいいものの、無策なまま勝ち目のない戦いに仲間をつき合わせるのはただの玉砕主義。巻き返しの策が用意してあるのかとクセーラさんに問い詰められ反論できずにいる。
「せめてもの情けだよっ。班長の座を明け渡すか、オムツを穿いて伯爵の手を借りるか、好きな方を選ばせてあげるっ」
頑張ってどうにかするなんて精神論は認めない。権力の移譲かオムツ、どちらかを選ばない限り魚は誰にも食べさせんとクセーラさんが選択を迫った。
「なぁ、サクラ。いつまでも意地張ってないでチミッ子にお願いすればいいだろう。俺も一緒にオムツを穿くから……」
「ヘル君までっ、何を言い出すのっ!」
オムツを穿いてタルトにお願いしようと、ムジヒダネさんの許嫁であるはずのヘルネストがたしなめる側に回った。他の班員たちも口々に、飢えては身体の動きが鈍り集中力も続かなくなる。万が一、イノシシを相手に不覚を取ってドクロ診療所に担ぎ込まれた日には、とんでもない治療費を請求されてしまうだろう。それでは本末転倒だと班長を説得しようとする。
なるほど。次席が追い詰め過ぎるなと言ったのは、こうなると見越してのことか……
ムジヒダネ班は総勢9名。ムジヒダネさんとクセーラさんを除いて7名だけど、ヘルネストが許嫁に味方することは確実。どちらが班長に相応しいかと残りの6票を取り合えば、結果は予測不能なギャンブルに委ねられる。可能性として一番ありそうなのは、狩猟に出かけていた2名はムジヒダネさんに、残りの4名はクセーラさんに投票するという結果だけど、4対5の僅差となればどちらも引くに引けず内部分裂は避けられない。そこで、オムツを穿けば班長の座に居座れるという選択肢が役に立つ。
ムジヒダネさんを班長の座から引き摺り下ろすことに抵抗のある班員も、オムツを穿けば万事解決となれば話は別。抵抗は薄れ、魚を食べたいという欲求の方が強くなる。僕のやったカワウソ漁と同じやり口。結果を確実なものとするため、クセーラさんはあらかじめ用意しておいた逃げ道に班員たちをひとり残らず誘導するつもりだ。
「はなまるビッチの意を察するとは、クソビッチもなかなか鋭いではありませんか」
僕の膝の上からムジヒダネ班の様子をうかがっていたタルトが、面白くなってきたと意地悪そうな笑みを浮かべていた。こいつも次席の意図に気付いていたらしい。結果を偶然に委ねるのは三流のいたずら。逃れられない状況に相手を陥れるのが一流のやり方だと、むっちゃ偉そうに足を組んでふんぞり返る。
「安心してください。班長だけにオムツを穿かせたりはしませんから……」
「実は前々から、オムツも背徳的でいいなって感じてました」
「あ……あなたたち……」
目を戻せば、脳筋ズと共に狩猟に出かけていたふたりが一緒にオムツを穿きましょうとムジヒダネさんを説得していた。怪しげな性癖をカミングアウトしているだけに聞こえなくもないものの、聞き分けのない班長にオムツを受け入れさせるためだと信じよう。
それにしても、これがもうすぐ13歳っていう女の子のやり口かね……
せめてもの情けなんて真っ赤な嘘。オムツ班長という選択肢を与えたのは、相手を孤立無援に追い込むために他ならない。いきなり選択を迫られればムジヒダネさんを選ぶであろう生徒も、班長が説得に応じないとなればクセーラさんを支持するのもやむなしと考えるだろう。オムツを受け入れるならそれでよし。拒絶すれば自分に支持が集まる。選択を突きつけた時点でクセーラさんの目的は達成されていて、ムジヒダネさんがどちらを選ぼうとも悪い結果にはならない。これは成り行きを偶然に委ねない策略家の手口だ。
「ヘル君たちにはプライドというものがないの?」
「しかしだな、燻製小屋まで用意したのに収獲なしってのもやっぱ恥ずかしいだろ……」
オムツを穿いて頭を下げるなんて、武人の誇りはどこに行ったと自分を説得しようとする班員をなじるムジヒダネさん。だけど、このまま丸ボウズが続けば僕に使わせるために燻製小屋を用意したのかと笑われてしまう。いい歳してオムツかよと後ろ指をさされるより、口先だけで実力が伴わないと思われることの方がよっぽど悔しいだろうとヘルネストが口にすれば、他の班員たちも揃って同意した。クセーラさんの思惑どおり、味方であるはずのヘルネストたちによって【ヴァイオレンス公爵】が追い詰められていく。
「ヘル君はっ、私よりもクセーラを取るって言うのねっ!」
「待てサクラ。そういうことではなくってだな……」
自分という許嫁がありながらよその女を選ぶのか、この浮気者めとムジヒダネさんが激情を露わにした。浮気とかそういうことじゃないだろうというヘルネストの言葉にも耳を貸すことなく、折檻を加えるべく掴みかかる。
「あ~、サクラちゃん。ひとつ教えておくけど――」
修羅場になりかけたムジヒダネ班の食卓を収めたのは、判断は生徒に任せようと口出しせずに見守っていた魔性レディのひと言だった。




