173 僕たちは人じゃない
合図の口笛を「ピーッ」と吹けば、ロリボーデさんと仔オオカミを連れてイリーガルピッチがやってくる。ここまでは前哨戦。狩猟はここからが本当の勝負だ。獲物を仰向けにし、サクッと首の動脈を切断。グイグイと心臓を圧迫し、ロリボーデさんには順番に脚を絞ってもらう。
「すごいいっぱい血が出てきたのね……」
「そりゃ、そのために絞ってもらってるんだし……」
ドクロワルさんのように心臓を魔術で動かすなんてマネはできないので、ギュウギュウと外から力を加えて血を搾り取る。これ以上出てきそうになくなったら手早く腹わたを抜き、沢に落っことして水で肉を冷やす。狩猟でもっとも大切なのが仕留めた後のこの処理。仕留め損なう分には次があるけど、ここで手間取るようではせっかくの獲物が残らず台無しだ。
「ドクロビッチには及びませんが、これならシルヒメも満足するのです」
なかなか手際がよろしいと、クマネストに跨ったタルトが及第点をくれた。獲物を流水にさらして冷やしている間は暇になるので、拾ってきた焚き木で火をおこし薄切りにしたシカの肝臓を炙る。仔オオカミたちにはちょうどいいおやつになるだろう。心臓は狩人の守護者である【月の女神】様の好む部分だから火に投じて捧げておく。
「きっと下僕にも赤ちゃんができる加護をくれるのです」
「やめてよ、そういうのっ!」
ニヤニヤ笑いを浮かべたタルトに身籠ることになるぞと言われ背筋が凍りつく。【月の女神】様の弓は死の象徴。すべての生き物が死を免れ得ないのは、この神様が決して狙いを外さないためと伝えられているのだけど、どうやらアッチの方も一発必中であるらしい。精射必中は生命の理と、子宝を授けてくださるそうな。微美穴先生の作品が現実になっては堪ったものではないので、獲物の心臓を捧げるのはこれっきりにしようと固く心に誓った。
獲物が水温くらいまで冷えたところで、ロリボーデさんにアンドレーアたちが待っているところまで運んでもらう。腹わたを抜いた状態でも50キロくらいの重さはあると思うのだけど、力自慢の【ジャイアント侯爵】は軽々と担いで息ひとつ切らさなかった。非力な僕にしてみれば、ヘルネストより彼女の方が100倍ありがたい。
「あっさりとこんな獲物を仕留めてきましたか。まだお昼をまわったばかりですよ……」
こんな上物、狙っても必ず手に入るとは限らないだろうにとモチカさんが呆れていた。すでに腹わたが抜かれているところから逆算すれば、沢を登って行って1刻も経たないうちに仕留めたことになる。お前みたいな奴がいては実習にならないではないかとすっかりご機嫌斜めだ。
「狩猟が得意って、フカシじゃなかったのね」
「ムジヒダネのふたりとは違うのだよ。オムツレーア」
「誰がオムツレーアよっ!」
オムツとか言ったらコロスと、何もしてない班長が僕の頭を小脇に抱えヘッドロックで締めつけてくる。それならばとお尻にパンチをバシバシくれてやったのだけど、タルトから渡されたクッション入りオムツに阻まれてしまった。モチカさんとロリボーデさんは放っておいてお昼にしようとサンドウィッチをパクつき始め、助けてくれる気配すらない。ただ、それを見てお腹が空いていたことを思い出したのか、アンドレーアも僕を解放してランチに手を伸ばす。
「これでもう下僕のすることはなくなったのです。後はわたくしと遊んでいるのです」
「まだ獲物の解体が残っているよ。だけど、明日はピクニックにしようか」
タルトはちゃんと、アンドレーア班における僕の役割を理解していたらしい。もう僕でなければいけないことは残っていないのだから、残りの期間は自分の相手をしていろと抱っこを要求してきた。まだバンガローに戻って獲物を枝肉にする作業が残っているのだけど、それも今日中に終わるだろう。天気が良かったら明日はピクニックに出かけようと約束し、膝の上に抱き上げた3歳児にサンドウィッチを食べさせてあげる。
「サバイバル実習中にピクニックですか……。ロゥリング族というのはどこまで……」
自分の在学中は班の資金を温存するため、粗食に耐えながら毎日焚き木や食材を探し回ったものだ。他の生徒たちは皆そうしているのに、ひとりだけピクニック気分でいやがるのかとモチカさんは不機嫌そうにギリギリ歯を鳴らしていた。
荷車に獲物を載せてバンガローに凱旋すれば、これで食べ物の心配はなくなったとイモクセイさんは大喜び。ヴィヴィアナ湖で泳ぐイボナマコの如く、身体をクネクネさせながら激しく踊り狂う。さっそく皮を剥いで解体だと、調理台に獲物を運ぶようロリボーデさんに指示を出す。
「――――」
食べられる部分が減らないよう注意深く皮を剥いで枝肉にしたところ、隣のバンガローからシルヒメさんがやってきた。厳しい目で獲物を検分すると、何やら衣擦れの音で話しかけてくる。また首を絞められてはかなわないのでタルトに通訳してもらう。
「切り分けるのを手伝うから、骨にくっついて残った余りが欲しいと言っているのです」
「ほう……。つまり、中落ちの部分が欲しいと?」
骨と肉を切り分けた際、骨と骨の間に残った部分を中落ちという。ヘラで骨から丁寧にこそぎ落とすのに手間がかかるわりに、大きなブロックでは取れないので商品価値は低い。採算が合わないため流通することは少ないのだけど、実は美味しい部分なのだ。余りなんて言ってるものの、シルキーが要求しているのは希少部位だった。
「――――!」
シルヒメさんが驚いたような衣擦れの音を立てた。どうやら、僕が中落ちの価値を知らないと思っていたようだ。余った部分でいいからとすっとぼけてご馳走をゲットしようとしたメイド精霊が不安そうな顔を見せる。
「残念ですが――」
中落ちはくれないのかと、見開かれた目をウルウルさせるシルヒメさん。
「――お譲りいたしましょうっ!」
こっそり独り占めしてやろうと楽しみにしていたのに残念だ。しかしながら、シルヒメさんの料理を口にするのはドクロワルさん。おっぱいが大きく育つためには充分な栄養の摂取が必要不可欠で、未来のおっぱいを一時のお楽しみと引き換えにする僕ではない。
「――――♪」
ふおっ……。感激したシルヒメさんがギュッしてくれた。柔らかくてあったかくていい匂いがして、霊峰シルヒメの頂が舌を伸ばせば届きそうなところにある。チュパチュパしたいけど、そんなことをしたら変態の烙印を押されてしまうのでここは我慢だ。
ドワーフ並みのパワーがあって手先も器用なシルキーが手伝ってくれたので、シカの枝肉はロース、肩、モモ、スネとあっという間にバラバラにされた。今晩は厚切りロースステーキ。明日はスネの部分を使った煮込み料理がいいだろう。肩やモモは燻製にするので香辛料を混ぜた塩をこすっておき、中落ち部分は約束どおりシルヒメさんに引き渡す。
「なんだ、あの量の肉? 獲ってきたのか?」
「女子しかいないアンドレーアの班が、薪も肉も大量に手に入れてるっておかしくね?」
いつの間にか、他班の生徒たちが遠巻きに解体作業を眺めていた。底辺班の連中は相も変わらず「おかしい、おかしい」と口にしている。自分にできないことをやってる奴はチート。そう言いがかりをつけたがる能無しはどこの世界にもいるのだろう。なお、スネイル班と下位班は街まで買い出しに出かけていて不在らしい。
「わかっては……、わかってはいましたけど……」
「首席、切り落とし肉を挟んだサンド食べる?」
「いりませんっ。どうせ小銀貨1枚とか言うのでしょうっ」
アンドレーア班、というか僕が獲物を捕らえてくるのは覚悟していたものの、こうも簡単に大物を仕留めてくるのかと拳を震わせる首席。解体の際に端肉が発生したので、焼いてパンに挟んだから食べないかと誘ったところ、どうせまたボッタくるつもりなのだろうと断られてしまう。これもエロスロード班に売りつけられると期待したのだけど、そうそう思いどおりにはさせぬと宣告されてしまった。
本日の夕飯は厚切りにしたシカロースに塩、コショウを振り、焼き網で豪快に焼き上げるアメリカンなステーキ。燃え盛る炎に落ちた脂が香ばしい煙を立ち登らせ、今ここで肉を焼いていますと辺り一帯に主張する。
「伯爵のっ。伯爵の人でなしぃぃぃ――――っ!」
クセーラさんが声の限りに咆哮を上げていた。案の定、脳筋ズは今日も手ぶら。槍での狩りなんてどうやるのかさっぱりだけど、殺気をムンムンと発している【ヴァイオレンス公爵】に気付かない間抜けなイノシシなんているはずがない。そんなニブイ奴は幼獣のうちに他の動物に狩られてしまうので、大きく育った獲物は気配に敏感と相場が決まっているのだ。
「確かに僕はロゥリング族だからね」
「そういう意味で言ってんじゃないよっ。こんちくしょうっ」
お前みたいな奴は人族ではないと言うからそのとおりだと肯定してあげたのに、クセーラさんはお気に召さなかったご様子。すっとぼけたことを抜かしてんじゃねぇと、足をドンドン踏み鳴らして不満を表す。
「ぐぬぬ……、シカですって……」
「お前、大物は狙わないって……」
自分たちを騙したのかとムジヒダネさんとヘルネストが恨めしそうな視線を向けてくる。約束どおりイノシシは見逃しておいたぞと言ったところ、どうして僕ばっかりターゲットに出会うのだと地面に拳を叩きつけ始めた。足跡の見つかったところで待ち伏せしているのに、さっぱり姿を現さないという。
「それ、バレてんじゃない?」
イノシシは警戒心が強いので、どんなにお気に入りの場所でも怪しい奴らを見かけたら二度と近づいてこない。持つだけ時間の無駄だと教えてあげる。
「なにそれっ? 獲物の来ないところで2日間もボケッとしてたっていうのっ?」
「いや、狩猟ってのはそういうもんだから……」
それでは収獲がないのも当然ではないかと脳筋ズを問い詰めるクセーラさん。突然矛先を向けられた迂闊なる男は、いつもいつも都合よく獲物に出会えるわけではないのだとこれまた迂闊なことを口にした。それは事実であったものの、狩猟の成果は運任せで不確実なものだと認めたに等しい。だったら、収獲がないことに備えてハムやベーコンを用意しておくべきではなかったかとクセーラさんは納得できないご様子。まったくもってそのとおりだと思う。
「あぁ、そうそう。明後日くらいに燻製小屋を使いたいから、一緒にスモークするならそれまでに獲ってきておいてよ」
塩漬け中の肩とモモの肉を見せびらかしながら、こちらで用意するスモークチップを使えるのは一緒に燻製する時だけ。自分たちだけでやるなら自前で用意するよう伝えたところ、ムジヒダネさんの額に青筋が浮かんだ。
「なぁ、そのイノシシを見かけたってところに……」
「明日はわたくしとピクニックに出かける約束なのです」
「ピクニックって……、おま……」
ヘルネストが再び一緒にと誘ってきたものの、そういう訳だから諦めてくれたまへと断る。3歳児との約束を反故にしたら何をされるかわからないし、シカが獲れた今、痩せ細ったイノシシを狩る理由が僕にはない。
「タルちゃん先生。ピクニックなら私が……」
「抱っこの下手くそなクソビッチなんかに用はないのです」
ピクニックには自分が一緒に行くからというクセーラさんの提案を、話にならんと一刀両断にするタルト。下僕には自分の相手をさせるのだと、一切の妥協案を拒絶する構えである。
「ムジヒダネさんがオムツを穿いて自力では獲物を捕らえられませんから何卒とお願いすれば、タルトも考え直してくれるかもしれないよ」
「むむぅ……そこまでされたらわたくしも無碍にはできないのです」
君もオムツ教に改宗して、一緒にオムチングを楽しもうぜと誘う。もちろん断られることは目に見えているけど、それでいいのだ。狩猟に協力しないのは僕やタルトが意地悪だからではなく、ムジヒダネさんがオムツを穿かなかったせいという理由ができる。班長は食料よりプライドを優先したのだとクセーラさんには感じられるだろう。
「冗談じゃないわっ。ロゥリング族の手なんか絶対に借りるものですかっ!」
「公爵ぅぅぅ……」
思ったとおり、シカを獲ったくらいで大きな顔をするなと改宗を拒否するムジヒダネさん。オムツでイノシシが獲れるのなら易いものだろうというクセーラさんの説得にも耳を貸さない。これでよし。もう僕やタルトが悪者にされる心配はなくなった。
「焼けたわよ。ロゥリング族は肉を食べなきゃいけないんだから、いっぱい食べなさい」
そこに、イモクセイさんが焼きあがったばかりのステーキを持ってきてくれた。すでにひと口大にカットされ、切り口を見れば中心部分は生のシカ肉のように赤い。上手くミディアムレアに焼き上げてくれたようだ。どれどれと、フォークに突き刺してひと切れ口に運ぶ。
「臭みがないから塩とコショウだけでいいね。これならソースはいらないや」
「わたくしにも食べさせるのです」
ドクロワルさんには及ばないと言われていたのでちゃんと血抜きできていたか心配だったけど、口にした肉から生臭さは感じられなかった。自分にも食べさせろというタルトと、僕のすねをガブガブ甘噛みしておねだりしてくる仔オオカミにも食べさせてあげる。
「むぐむぐ……噛みしめるたびに肉の旨みが口いっぱいに広がるのです」
今日も堅パンとキャベツスープという3人の前で、まったく遠慮することなくモッチャモッチャと咀嚼する3歳児。仔オオカミたちも人族の事情など知ったことかと言わんばかりにハグハグとご馳走を喰らう。クセーラさんも脳筋ズも、いっちゃん美味しいリブロースの部分がオオカミの胃袋に消えていくのを指をくわえて眺めているしかない。
「これがっ……。これが人のする所業だなんてっ。あんまりだよぉぉぉ――――っ!」
「わたくしは人族でないのです」
人がここまで冷酷になれるのかと天にも届かんばかりに叫ぶクセーラさん。だけど、タルトもオオカミも僕も、誰ひとりとして人族ではなかった。




