163 サバイバル実習
「ちょっと、なにすんの――ひゃぁぁぁっ」
放り投げられた仔オオカミをとっさに受け止めたアンドレーア。落っこちまいとしがみつく水玉一号からしみ出した水が薄手の長袖シャツを濡らしていく。メルエラが騒いだことで目を覚ましてしまったらしいカワウソも好奇心に導かれてやってきた。
クックック……こいつは好都合だ。
「カソリエッタもアンドレーアと遊びたいってさ」
仔オオカミを落っことすまいと前屈みになったアンドレーアの肩に水玉二号を乗っけてあげた。人懐っこいカワウソが身体を首に巻きつかせる。
「ひいっ」
背中を流れ落ちていく水の感覚にアンドレーアが背筋を伸ばすように反り返り、その手から濡れて透けてしまった部分を隠していた仔オオカミが滑り落ちた。
「ひ……ひも……」
マジかっ? メルエラはこんなものどこで手に入れたんだ?
「きゃあぁぁぁ――――っ!」
アンドレーアがシャツの下に着けていたのは、もはや赤い紐と呼ぶしかないようなトンデモ水着だった。上も下も1センチずれただけで見せてはいけない部分がコンニチワしてしまいそうな際どさで、布地部分なんて無きに等しい。
くっ……くい込みが……
「ああっ。アンドレーアが紐水着で伯爵を誘惑してるよっ」
「ちちちっ、違いますっ。誘惑だなんてっ」
「なっ、なんて破廉恥なっ」
けしからん水着を目にしたクセーラさんが指さして大声をあげたため、周囲の視線がアンドレーアに集中する。公共の場になんて恰好をしてくるのだと首席がまなじりを吊り上げた。
「見ないでっ。見ないでくださいっ」
「みんな、ごめん……。僕は先に逝かせてもらうよ……」
顔を真っ赤に染めたアンドレーアが紐の部分を必死に手で隠す。だけどそれは、完全に逆効果だった。シャツの下に何も身に着けていないかのように見えてしまい、刺激に耐えられなくなった僕は水面にひっくり返る。
「――モロリーヌちゃんっ、気を確かにっ」
どこか遠くで、焦ったようなドクロワルさんの声とタルトの笑い声がこだましていた。
僕が目を覚ましたのは、すっかりお昼も過ぎたころ。隣でタルトたち精霊が美味しそうな焼きトウモロコシをモシャモシャしていた。発芽の精霊によれば今朝収穫したばかりのもので、そのまま生で食べられるくらい甘いらしい。その言葉を証明するかのように、タルトと蜜の精霊は一心不乱にパクついている。
「はい、モロリーヌちゃんはこっちですよ」
それでは僕もトウモロコシをいただこうかと思った矢先に、ドクロワルさんから脂身の塊としか形容のできない肉を渡される。確かにトウモロコシではお腹は膨れても栄養にはならない。それはわかっているのだけど、栄養分の摂取だけが食事の目的ではないだろう。時には味を楽しむことも必要だ。
「たまには肉以外のものも……」
「いっつもお菓子ばっかり食べてるモロリーヌちゃんが何を言ってるんですか?」
ドクロお姉さんは許してくれなかった。毎日シルヒメさんのお菓子を食べていると思われているせいか、たわ言を抜かしてないでたまには肉を喰えと一蹴される。この脂身の塊を完食するまでは、他のものは口にさせてもらえそうにない。チラリと背後に目を向ければ、やっぱり大量の肉を食べさせられたらしきプッピーが寝転がってお腹をさすっていた。
「このトウモロコシは蜜のように甘いのです。下僕にもわけてあげるのです」
「う゛うぅ……遅いよタルト……」
太らない種族許すまじと呪いのような魔力を放ち続けるドクロワルさんに見張られていたせいで、僕は誤魔化すこともできずひとりで脂身を食べきるしかなかった。もうお腹いっぱいで粒ひとつ入りそうにないと、3歳児の突き出してきた食べかけの焼きトウモロコシを遠慮させてもらう。
「お腹が膨れたらお昼寝の時間なのです」
トウモロコシを食べ尽したタルトが添い寝しろと身体を寄りかからせてきた。抱っこして寝るつもりなのか腕には仔オオカミを抱えている。
「この仔、アンドレーアの?」
そういや、アンドレーアの姿が見えないな。使い魔を置き去りにしたまま、どっかへ逃げてしまったか?
「お姉様なら、先輩がヘタレている間に姿を隠してしまわれました」
これからという時に気を失なわれては、せっかくのお膳立てが水の泡。あの水着を着せるのにどれだけ苦労したと思っているのだとメルエラがプリプリ怒っていた。
「サバイバル実習ではお姉様の班だと聞きました。山小屋にふたりっきりとは好都合です」
「いや、ふたりっきりじゃないから。他の班員もいっしょだから」
サバイバル実習は8人から10人を1班とし、最低限の設備しかないバンガローで共同生活を送るというもの。歩いて半日くらいのところに街があって、食糧なんかは買ってくることもできるので、スーパーが近くにあるキャンプ場に宿泊するようなものと考えていい。ただし、使った金額に応じて減点され、限度額をオーバーしてしまった場合はリタイヤ。できる限りお金を使わずに実習を終えると高評価がいただける。
班分けに関してはリアリィ先生からいくつかオーダーが申し渡されていて、嫡子とされている3人は必ず班長を務めること。看護師の資格を持つ3人は別々の班に分かれること。治療師であるドクロワルさんは班に加わらず、帯同する看護教員として扱うこととされた。人数的に南部派3班、東部派3班、西部派2班、北部派1班に混成班という名の底辺班が1班で、計10班に分かれたのだけど、無所属の僕は当然あぶれ者だ。
西部派の2班にはそれぞれ次席とクセーラさんがいるので、看護師の資格を持っている僕を加える余地はない。南部派はよそ者に排他的なので除外し、残ったのが【禁書王】が班長を務めるエロスロード班とアンドレーア班のふたつ。僕が選んだのはもちろんアンドレーア班だ。班長が超インドア派なうえ、参謀の首席も野外活動では案外役立たずだから、エロスロード班は最初から終わっていると言っていい。一方、アンドレーア班には学年一の力自慢【ジャイアント侯爵】がいた。サバイバビリティは絶対にこちらの方が高いと判断して、従姉殿にお願いして加えてもらったのである。
「先輩の能力を使えば、ふたりっきりになるのも容易なはずです。この機会を逃さずインサイドリリースしちゃってください」
出来ちゃっても構わない。むしろ望むところだと夜這いを勧めてくるメルエラ。まだ僕は実包を装填できないのだと言っても、とにかくヤッてしまえばこっちのもんよと聞く耳を持たない。彼女を育てたという僕の祖父は、きっと超絶的に教育者としての能力が欠如していたのだろう。
「白昼堂々、いったい何を企んでいるのですか?」
真昼間からナイトアタックの相談とはいい度胸だと、白ビキニのリアリィ先生がやってきた。サバイバル実習で不埒なマネに及べばどうなるかわかっているだろうなと僕の頭をグワシと鷲掴みにする。
「先生、企んでいるのは僕じゃありません」
「問題となるのは実行犯です」
真犯人はメルエラだと言ってみたものの、実行犯がいなければ事件は起こりようがない。実習はリタイヤ扱いにして、期間中ずっと反省室につないでおいてもいいのだぞと先生が睨み付けてきた。
「今度は何をやらかしてくれるのかと、先生は心配でなりません。コケトリスを連れていくことも禁止したいくらいです」
「コケトリスのいないロゥリング族なんて、ただの幼児ですよ」
「わかっています。ですが、問題を起こしたら即リタイヤにして柱に縛り付けますからね」
魔法薬の新製法を狙うスパイどもにゾロゾロとついてこられては迷惑なので、ドクロワルさんは例の鉄仮面を被ってベリノーチ先生のフリをすることになっている。本物の鉄仮面は魔導院に居残りだ。それならばと、イリーガルピッチは僕が使わせてもらうことにしていた。食料や燃料の調達をいかに自分たちの手で行うかがサバイバル実習のキモ。狩猟民族から機動力を奪っては学習目的を果たせないから、コケトリス禁止は勘弁してやるとリアリィ先生が仔オオカミの横に寝そべった。柔らかい毛並みをしているとモフモフの感触を楽しみ始める。
「僕もオオカミになりたい……」
「是非オオカミになって、迸る野生を姉様に叩きつけてくださいっ」
その意気やよし。野獣の本能を目覚めさせるのだと、メルエラが実の姉を襲うよう再び僕を唆し始めた。
そういう意味で言ったんじゃないから……
出発の日の朝、獣舎から一頭だけいるデカ馬を引っ張り出す僕を、首席が口惜しそうに眺めていた。各班には荷運び用に馬と荷車が貸与される。もちろん首席はこのデカ馬をエロスロード班で使おうと企んでいたのだけど、僕が先回りしてリアリィ先生を説得してしまったのだ。
騎獣を持っていない生徒たちは借り上げた乗合馬車で移動するのだけど、5歳児のシルエットのまま180センチもの身長に達した謎生物、【ジャイアント侯爵】は椅子のサイズが合わない。こいつならロリボーデさんを乗せられるから特注の馬車を用意する費用が浮きますよと言って、アンドレーア班で予約させてもらったのである。
「ぐぬぬ……卑劣なマネを……」
「その分、不利な条件を押し付けられてもいるからね」
上手いこと一番デカい馬と荷馬車を手に入れることができたけど、コケトリスの使用許可と併せてアンドレーア班が有利になり過ぎないよう、リアリィ先生はとんでもないハンデを負わせてくれた。そのため、くっそ重い余計な荷物を積んでいかなければならない。せっかく一番大きい荷馬車を確保したというのに、積載量の有利はそれでパァだ。
「よしよし、いい子にしててね」
「そいつはおとなしい気性をしているから、心配はいらないよ」
すでに荷が積んである荷車に馬をつなぎロリボーデさんに引き渡す。デカいけど飼育サークルにいる馬の中では一番のノンビリ屋なので、扱うのは難しくないと説明しておいた。続いてイリーガルピッチを連れ出し小型の荷車を牽かせ、生徒たちが集合している校門前へ向かう。首席のヒポリエッタはそのままだ。愛馬に荷車を牽かせたくないらしい。
「なにあれっ? サソリ? サソリがいるわよっ?」
「ゴーレムなんだけど、やっぱりサソリに見えるよね」
班のメンバーと合流したところで、我らが班長アンドレーアがクセーラさんのゴーレムを指さしてサソリがいると騒いでいた。魔導院から貸与される馬と荷車は各班1台ずつ。だけど、自分たちで別途用意する分には構わない。多くの荷物を積んでいければ何度も街まで買い出しに行かなくて済むので、次席はサソリゴーレムで積載量を補うつもりなのだろう。
「なんなのよ、この大荷物は?」
デカ馬に牽かせた荷車に積んである大量の石材を目にしたアンドレーアが、なんでこんなものを運んでいくのだと問い質してきた。
「紐ドレーア。これがなければ、僕たちは確実にリタイヤだよ」
「誰が紐ドレーアよっ。忘れなさいっ」
グワシとアイアンクローを決めて、ガクガクと僕の頭を揺さぶってくるアンドレーア。残念だけどそれは無理だ。脳裏に焼き付けられて、もう忘れたくても忘れられない。
「アンドレーア。僕たちの担当教員が誰かは聞いているね」
「あんたの精霊でしょ」
わかっているようで、彼女は何もわかっていない。サバイバル実習で各班が使うお金は、それぞれに割り当てられた担当教員が預かっている。何をいくらで購入したかチェックするためで、生徒が自費で支払うことは許されていない。
リアリィ先生はよりにもよって、あの3歳児にお金の管理を任せたのである。
「君は精霊というものがわかってない。美味しいものを食べさせておかないと、タルトは班のお金を全部お菓子につぎ込んでしまうに決まってる。それを防ぐために、お菓子が焼ける石窯キットを先輩に用意してもらった」
「まさか、教師が使い込みだなんて……」
「ヤツは絶対にやる。実習の間、僕たちはタルトを満足させ続けなければいけないんだ」
これがアンドレーア班に与えられたハンデ。キャンプ地での宿泊期間は20日間にも及ぶため、あの3歳児がお菓子なしで耐えられるはずもない。3日と我慢できずに班のお金に手を付けるだろう。幸いなことに、上流階級も数多く訪れるモウヴィヴィアーナと違って近くにある街は観光地でも何でもない。高級なお菓子なんて売ってないだろうから、材料さえケチらなければ買い食いしようとは思わないはずだ。
「クックック……下僕にしては察しが良いではありませんか」
そこに、クマネストに牽かせた乳母車に乗ってタルトがやってきた。自分が満足できるものを提供している限り、街でお菓子を買い漁ることは勘弁してやろうと偉そうに宣う。
「いえ、そのお金は班で使うものとして……」
「わたくしに託されたお金をどう使おうと、わたくしの自由なのです」
使って欲しくなければ、使いたいと思わせなければいいことだと言い切る3歳児。アンドレーアの抗議にも耳を貸さない。こうなることを見越して決めたのだから、使い込みもリアリィ先生公認なのだ。何を言ったところで無駄である。
出発を告げる花火が鳴らされ、アンドレーアは慌てて乗合馬車に乗り込んでいった。




