129 もうひとつの鍵
ロミーオさんが加わって3人で補習を受けることになった。リアリィ先生もモチカさんもなんでもござれなのだけど、ふたりとも術師課程の卒業生。せっかくなので術式構築の手ほどきをお願いする。
春学期の工作の授業で示される課題は幻の像を作り出すイリュージョンの魔導器なのだけど、もちろんカスタマイズもアリ。幻惑術式であれば評価対象になるので、エルフお嬢様の使っていた霧の術式なら間違いなく高評価だ。
タルトによると、エルフの秘術は水の精霊が霧を発生させて、風の精霊がそれを運び、光の精霊が景色を歪ませるという術式らしい。エルフお嬢様の短杖に仕込まれていたのは球形の魔法陣。立体魔法陣かと思いきや、球の表面しか使っていない平面魔法陣だと3歳児が教えてくれた。上下のお椀とそれを繋ぐリング型魔法陣の3つで構成されていて、3層の積層型魔法陣に置き換えることができるという。
「ちょっと、私にも見せなさいよ」
ロミーオさんが僕の隣にくっついてきた。さっそく舞台演出に応用することを考えたようで、この霧の術式を使えば、霧に赤い光を当てて血しぶきを表現したり、青い光を点滅させて雷に見せることができるのではないかと興味津々なご様子。今度こそ演劇の歴史を塗り替えるのだと息巻いている。
「お待ちなさい。私も興味があります」
反対側に主席がくっついてきた。全身を隠すほどの霧ではこちらの視界も塞がれてしまうから、地面近くに濃い霧を発生させて足元を見えなくできないかとタルトに尋ねている。おそらくは、そこにヌルヌルの蜜を撒いておこうという考えだろう。対【ヴァイオレンス公爵】用の術式に違いない。
両側から女の子に挟まれてもみくちゃにされるという田西宿実の夢は叶えられた。だけど、僕の心は満足していない。許しがたいのはタルトである。テーブルを挟んだ向こうでは、3歳児がリアリィ先生とモチカさんのおっぱいに挟まれていやがった。
……羨ましいじゃねぇか、こんちくしょうっ!
僕とタルトの左右に陣取った4人が見ているのは、テーブルの真ん中に浮かんでいる幻影。そこには僕が記述した術式を魔法陣にした場合にどうなるかをタルトが映し出してくれていた。術式を修正するとすぐに魔法陣が組み替えられる。つまりは、魔法陣シュミレーターだ。
「魔法陣用に術式を最適化するのは、特待生ですら荷が重いというのに……」
僕たちはまず術式を構築してからそれを魔法陣に変換していくけど、今やっているのはその逆。魔法陣にした時にぴったり合うように術式を修正する作業だ。術式を最適化することで魔法陣をシンプルなものにできれば、必要な魔力を減らし発動までにかかる時間を短縮できる。
もっとも、コンピューターのないこの世界でこれを行うには、膨大な数の試行を手作業で繰り返すしかない。術式を修正すれば即座に反映され、やり直し機能までついた3歳児に、在学中にひと月かけて最適化した自分は何だったのだとリアリィ先生は煤けていた。
「この部分はもっと簡略化できるのではありませんか?」
「それは下僕の教本に載っていないのです」
モチカさんがより適した魔法陣があるのではないかと言ったところ、それは僕の学ぶ範囲にないとタルトが一蹴した。この3歳児の恐るべきは、自分の知識にある完全な魔法陣を映すのではなく、手段が制限されている中でリアルタイムに魔法陣を組み上げるところにある。
「ご飯がやって来たのです」
欠点は電池……じゃなくて、集中力が長続きしないところ。食事がコテージに運ばれてきたと知るや、すぐさま幻影を消してしまった。ご飯とお昼寝の時間は使えないのだ。
「公爵様の元には南部派貴族からのお招きが次から次へと届けられているようです」
食事を摂りながらリアリィ先生がドクロワルさんの状況を教えてくれた。ホンマニ公爵様の別邸に引きこもっている彼女を引きずり出そうと、ゼネリクたちが躍起になっているらしい。
「お父様がどうにか連れ出せないかって私のところにも来たわよ。あんな話に乗せられるなって断っておいたけど……」
「生徒を使っておびき出そうということは、先に身柄を押さえて後は力尽くというわけですか」
ロミーオさんが自分も協力を要請されたと打ち明けたところ、誘拐同然に連れ去る気だろうとモチカさんが口にした。ドクロワル家が捜索依頼を出さない限り事件性はないので、ホンマニ公爵様も返せとは要求できない。王都にいるドクロワル家の支配人も、アキマヘン家やゼネリクを支持している領主たちと真っ向から対立することは避ける公算が強いという。
「彼女も自分の置かれている状況は理解していますから、別邸から出ることはありません。打つ手に困って、おそらくは最終日のパーティーに大挙して押しかけてくるでしょう」
僕たちが魔導院に向けて出発する前の日には、再びここの広間でパーティーが催される。ドクロワルさんは公爵様にガッチリとガードされているので、危険を冒さずに接触するチャンスはそこしかない。自分を支持する領主たちを引き連れて来て、権威を盾に身柄を確保するつもりだろうとリアリィ先生が口にする。
「彼女ひとりを手に入れたところで研究の完成はないと知れれば、ゼネリクとやらは支持を失うでしょうね。そうなった時にどうでるか見ものです」
クックック……主君の前で丸裸にしてやろうとリアリィ先生が笑いを漏らす。自分の家が巻き込まれては堪らんと、ロミーオさんが手の内を明かしてくれるようお願いするものの、もちろん秘密を漏らす先生ではない。楽しみにしていろと言われたロミーオさんは、頭を抱えてお兄さんを罵倒し始めた。
最終日のパーティー。王様は出席を控えられたらしく、代わりに寄らば斬るとでも言いたげな雰囲気を纏った王太子がアキマヘン嬢を伴って現れた。自分が目をつけたおっぱいを臣下が横揉みしようというのだから気持ちは理解できる。能面の様な表情からは感情が読み取れないけど、ロゥリング族でなくても感じ取れるほどの殺気を放っているので察しのいい人は近寄っていかない。
スイーツ伯母さんも特別ゲストとして招かれている。精霊から授かった魔導器というのは国内にいくつか知られていたものの、いつどの精霊から授かったのかという来歴がはっきりしているものは唯ひとつ。ヴィヴィアナ様から賜った王位の象徴である盟約の剣だけだった。残りのものは、精霊と契約していた人の遺品から見つかったとされるものばかりである。
調理にしか役に立たない魔導竹べらとはいえ、精霊から授かったことがはっきりしているふたつ目の魔導器。スイーツ伯母さんはすっかり時の人となっていた。
「お菓子と引き換えに魔導器とは、まるでおとぎ話のようだ……」
「精霊のすることですもの。人の常識で計ることはできませんわよ……」
お菓子に目がない精霊がいるのでご馳走してくれないかと姪から頼まれ、自慢の一品を振る舞ったところお礼に魔導器をもらった。その場にいた僕ですらおとぎ話かと思うような内容だ。話を聞いた人たちが目を丸くするのもわかる。
僕はひとりでフラフラすることを禁じられ、腰に巻きついた精霊でモチカさんと繋がれている状態のままリアリィ先生の後をついて会場を回る。モチカさんに宣言されたとおり、まるっきり犬扱いだ。一緒にお風呂に入れて洗ってくれるならこのままでも構わない。
「メル、来たようです」
ご婦人のひとりと世間話をしていたリアリィ先生にモチカさんが声をかけた。視線で指し示された方向には、ホンマニ公爵様ご一行とゼネリクたちの姿が見える。ドクロワルさんを連れ去りに来たようだ。
「彼女は我が家で引き取ることが決まりました。魔導院に戻す必要はありません」
どうやら、ドクロワルさんを置いて行けと公爵様に迫っているようだ。婚約はドクロワル家とゼネリク家の問題。南部派同士の取り決めに、北部派の首領が異論を申し立てるのはおかしな話だと公爵様の口を封じ込めにかかる。
「はて、ドクロワル男爵からは何の報せも受けていないが?」
「ドクロワル家もすでに承知の上です。そうだな……?」
「お、お嬢様……」
ゼネリクの後ろにいる領主らしいパリッとした集団の中に、ひとりだけ場にそぐわない使用人の格好をした男性がいた。ドクロワルさんをお嬢様と呼ぶってことは、王都にいたドクロワル家の支配人だろう。
「このとおり、実家も異存はないようです」
ゼネリクを支持しているのは子爵や男爵といった比較的小さな領の領主が多いという話だったけど、腐っても貴族は貴族。あんな人たちに囲まれた状態で反抗するなんて男爵本人でないと厳しい。決定権がないから答えが出せないのをいいことに、沈黙を了承と一方的に解釈したゼネリクが話を進めようとする。
「ドワーフの血が混じった君を公爵家の士族が迎えてやろうというのだ。なにを躊躇する必要がある?」
魔法薬の知識なら魔導院でなくても自分が教えてやると抜かすゼネリク。魔導院を卒業すればドクロワルさんは自分の意思で仕官先を選べるようになるから、逃げられないよう彼女をずっと平民のままにしておくつもりだろう。
「お断りします。わたしの研究が魔導院以外の場所で完成することはありません」
「図に乗るなっ。お前の意見など聞いていないっ。これは命令だっ!」
ドクロワルさんにお断りされたゼネリクは、未成人の生徒が士族である自分に口答えするなど許されると思っているのかと一喝した。それはまぁそうなのだけど、仮にも教師が口にする台詞かよと思う。こいつは学習院でもこの調子で授業やってんのか?
「あの程度の研究でっ。自分以外では完成させられないとでも思っているのか? 思い上がりもいい加減に――」
「少なくとも君には無理だと思うがね……」
堂々と生徒の研究を我が物にしようとするゼネリクに横から声をかけたのは、カリューア伯爵こと次席パパだった。
「すまないが、君の研究を薬師に解析させてもらったよ。彼の出した結論は、材料に含まれる成分を余さず使い切ることができれば可能だが、それを実現する手段はない。実際に調合を行ったことのない者が考えそうな机上の空論……だそうだ」
「魔法薬を研究されている方であれば、そうお考えになって然るべきと存じます」
机上の空論と言われてもドクロワルさんは臆することなく当然の答えだと口にした。いったいどういうことだと周囲がざわつき始め、ゼネリクを支持していた領主たちも怪訝そうな顔を浮かべている。
「ゼネリク殿、貴殿は研究を完成させられるとおっしゃっていたが……」
これでは自分たちはデマカセに踊らされたピエロではないか。成算があってのことではなかったのかと領主たちがゼネリクに迫った。
「だっ、騙したのかっ?」
「これは異なことを言う。研究の完成を約束したのは貴様であって彼女ではなかろう」
ドクロワルさんに詰め寄ろうとしたゼネリクの前にホンマニ公爵様が立ち塞がり、期待はさせたが約束をした覚えはない。自分がしたことの責任を他人に擦り付けるなと突っぱねる。
「意図して虚報を流布したと……いったい何のためにっ?」
「バカが釣れるかと思って……」
ホンマニ公爵様のあんまりな返答にカリューア伯爵がプッと噴き出した。それにつられたのか、周囲に笑いが拡がっていく。さっきまで自分を支持していた領主たちに詰め寄られ、ゼネリクはとうとう自分は騙されていたのだと口にした。
そのひと言こそ、ホンマニ公爵様が引き出そうとしていた言葉なのだとも知らずに……
ドクロワルさんは研究者がそう推測するのは当然と言っただけ。期待はさせたが約束はしていないという公爵様の言葉も、単に事実を述べているだけで研究が完成することを否定してはいない。魔法薬の研究がデマだったというのは勝手な思い込みである。
だけど、騙されたと口にすることは、自分には研究を完成させられる見込みがないと白状したも同然。ゼネリクを支持していた領主たちは、騙されたのはこちらだと彼を詐欺師扱いし始めた。
「我が領の薬師の結論には続きがあってね。ただし、自分の想像が及ばない秘匿術式や新技術をもって素材から成分を抽出したという可能性は否定できない……だそうだ」
「秘匿……術式……」
とても信じられないけど、娘が信憑性は極めて高いと報せてきた。それを伝えたところ、新たな技術が開発されたのであれば自分に真偽は判別できない。あまりにも情報が不足しているとカリューア領の薬師は匙を投げたらしい。
「そっ、それでは……」
「彼女の言葉を聞いていなかったのかね。魔導院以外では完成しない。つまり、秘匿術式を握っているのは魔導院ということだよ」
愕然とするゼネリクに向かって、ニブイ男はこれだからダメだとカリューア伯爵が鼻で笑う。魔導院は虚報を流したのではない。ただ、半分しか伝えなかっただけだと口にしながら、主席の膝の上でカニをモグモグしている3歳児に視線を向けた。
「その術式の出所は、やはりかの精霊ですかな?」




