121 イリーガルピッチ疾走
宣伝してくれそうなご婦人のひとりも引っかけてきてくれとアキマヘン嬢を送り出したところ、予想外の大物が釣れてしまった。プロセルピーネ先生やリアリィ先生を引き連れたホンマニ公爵様がコケトリスに乗せろとやって来たのである。
「私はプッピーの黒い雄鶏でドナイデッカの奴を冷やかしてやりたいのだが……」
「プッピー言うな。仕方がないわ、我が姪よ……」
「わかってます。わかってます」
公爵様では黒スケが言うことを聞いてくれないので、僕が轡をとって曳いていくしかない。先頭を行くのはリアリィ先生を乗せたイナホリプルで曳き役はシルヒメさん。その後ろに僕の曳く黒スケ、プロセルピーネ先生を乗せたイリーガルピッチの順で続く。プッピーには必要ないのだけど、従者を務めるのは弟子の役目だとドクロワルさんが引き綱を握っていた。
この国では唯ひとりの女公爵がドレスのまま騎乗しているとあって注目度は抜群だ。興味をそそられたらしいご婦人方が少し距離をあけてソロソロと後をつけてくる。
「ごきげんよう、ドナイデッカ公爵。騎乗したままで失礼するよ」
「これはマイツタワ殿。わざわざの配慮、痛み入る」
馬術競技を観戦していたドナイデッカ公爵にコケトリスの背から挨拶するホンマニ公爵様。ドナイデッカ公爵は無礼と咎めたりせず、口元にニヤリと笑いを浮かべたままそれを配慮だと口にした。
「ふむ、アキマヘン家の大ニワトリか……、そのドレスと漆黒の羽は世俗のものとは思えぬ趣と気品を感じさせるな。まるで、精霊か女神であるかのようだ」
「お褒めいただいたところ恐縮だが、さすがに女神に例えるのは不敬というものだろう」
「口が過ぎたな。だが、ヴィヴィアナ様だと言われれば信じてしまいそうではある」
袖のある鮮やかなブルーのドレスに身を包んだホンマニ公爵様は、人族にはあり得ない容姿と相まって超自然的な存在であるかのような雰囲気を醸し出している。生のヴィヴィアナ様を知ってしまう前の僕が想像していたイメージそのままと言ってもいい。ドナイデッカ公爵も似た様な心象を抱いていたのだろう。
顔が離れていては話しにくかろうと僕が黒スケを座らせると、イナホリプルとイリーガルピッチがその左右に座りこむ。ホンマニ公爵様は黒スケに腰かけたまま歓談するつもりなのか、シルキーがお茶の用意を始めたにもかかわらず降りようとしない。いくら何でも不作法ではあるまいかと思ったけど、リアリィ先生もプロセルピーネ先生も、やっぱりコケトリスに腰かけたまま声をかけてきた紳士淑女たちに受け答えしていた。
なるほど。周囲がそれを期待しているから、ドナイデッカ公爵も配慮と言ったわけか……
礼法の授業ではこういうことは教えてくれない。社交の場を幾度も経験しているからこそ、あえて作法から外れた振る舞いができるのだろう。空気を読み違えればただの傾奇者である。
「準爵様、これは契約した使い魔ではなく騎獣ですの?」
「もちろん3羽とも契約いたしておりません。あちらの2羽は訓練を施されてから国内に持ち込まれた鶏ですけれど、私を乗せているこの子はアキマヘン家が孵して魔導院で訓練されております。今年の秋には魔導院でも雛が孵りましたわ」
ふたりの公爵様のお話を邪魔するわけにはいかないので、自然と他のふたりのところに人が集まってくる。ご婦人方に質問攻めにされているリアリィ先生は、しれっと魔導院にはコケトリスの生産と訓練をする技術があるのだと匂わせていた。プロセルピーネ先生のところにはすでに卒業した方々が挨拶に来ているようだ。
「あの【絶叫王】の奴が教養課程の看護教員になりやがったのよ」
「またまたご冗談を……」
「わたくしを担ごうったってそうはいきませんわ」
誰ひとりとして信じてくれないとは、在学中の魔性レディはよっぽど素行不良だったらしい。ヤレヤレと競技の行われている馬場に目を向ければ、サンダース先輩とヒッポグリフが減点なしで486グラムという好タイムを出したところだった。500グラムを割ってきたのは今のところ先輩ひとりだというのに、コケトリスに興味を引かれている人たちは誰も気が付かない。
「騎獣なら走る姿も披露してはいかがだろう」
「モロリーヌ、出場できる乗り手はいないかい?」
ドナイデッカ公爵のリクエストを受けたホンマニ公爵様が、誰か出場しないのかと僕に尋ねてきた。とはいえ、アキマヘン嬢は夜会服、僕はお出かけ用ワンピース、プロセルピーネ先生もドレスである。
騎乗用の衣装を着ている主席が乗れれば良かったのだけど、ヒッポグリフを持っている彼女はコケトリスで障害飛越なんて練習すらしていない。タルトはコースもルールも覚えちゃいないだろうし、クマで参加すると言い出しかねないから除外。残った候補者はひとりだけだ。
「ドクロワルさんなら参加できるかと……」
「ふええっ、わたしですかっ?」
「ちょうどいいわ。練習した成果を見せてちょうだい」
まだ競技に出場するようなレベルではないとドクロワルさんが声をあげたものの、師匠から出場を命じられてしまっては断ることなどできはしない。さっそくエントリーさせるから期待してくれとホンマニ公爵様がお暇を告げた。
「ううぅ……わたしじゃなきゃいけないんですか……」
「そんなこと言っても、騎乗できる服装をしているのはドクロワルさんだけだし……」
プロセルピーネ先生に尻を叩かれて無理やりエントリーさせられてしまったドクロワルさんは、もうすぐ自分の順番だというのに悲嘆に暮れていた。
「次に向かう障害だけ指示して、後はイリーガルピッチに任せてしまえばいいから」
この程度の障害にあれこれ指示を出す必要はない。誘導さえちゃんとしてやれば勝手に飛び越えてくれるので、落っこちないことと手綱を引いて止めてしまわないことだけ気を付けていればいいと助言したのだけど、サークル内で開催される馬術競技にすら出場経験のないドクロワルさんはガッチガチに緊張したままである。
今は主席とヒポリエッタが走行しているところ。エルフお嬢様の後だと勝とうとして無理をさせかねないので、まだ冷静さが残っているうちに出場させてしまった。これでもうユニコーンがとんでもないタイムを叩きだしたとしても再エントリーは受け付けてもらえない。狙ったとおりヒポリエッタをいたわった走りで、タイムは600グラム前後になるだろう。
「優勝を狙っているわけでもなし。そんなに固くなることはないさ」
暫定首位のサンダース先輩が、主席みたいにリラックスして走って来ればいいと声をかけてきた。タイムで先輩を上回る士官学校の候補生はいたものの、急ぎ過ぎたのかバーを落としてしまったので、今のところは先輩がトップである。腕自慢の大人たちはお昼を過ぎたあたりからエントリーしてくるので、午前中は生徒同士で競うことになるそうな。
「さっ、次はドクロワルさんの番だよ」
「ふえぇぇぇ……」
主席がゴールしたのでイリーガルピッチの轡をとってスタート位置まで引いていく。馬場に入るゲートがスタート兼ゴールラインになっていて、ゴールしたばかりの主席が士官学校の候補生たちに取り囲まれていた。ケチをつけられているのかと思ったらそうではなく、騎獣をいたわった丁寧な乗り方だと褒めたたえられている。
「心配しなくても、ルートさえ間違えなければトップだよ」
「なっ、なんですかそ……ひやぁぁぁ――――っ?」
スタートを切る直前に、騎手が邪魔さえしなければ優勝も狙えるからと声をかけておく。イリーガルピッチが一気に加速し、ドクロワルさんの悲鳴を残して馬場へと駆けだしていった。
「きゃあぁぁぁ――――っ!」
情けない声を響かせながらも、ドクロワルさんは言われたとおり手綱を引かずにイリーガルピッチを誘導していく。それでいい。この狭い馬場での障害物競走で馬に負けるようなコケトリスではないのだ。
「ひいぃぃぃ――――っ!」
「同士モロリーヌ。アレはイーナのコケトリスより数段速くないか?」
競技を見に来ていたらしい王太子殿下が、ドクロワル家の至宝に傷がつかないかと心配そうに声をかけてきた。
「心配は無用です。訓練中のイナホリプルとは違いますから」
斜面を駆け降りながら弓で的を射貫いてゆく競技のために訓練されているから、ちゃんと騎手のバランスを取ることも教え込んである。本来は弓を射る瞬間に姿勢を安定させるための技術なのだけど、今日はドクロワルさんが落っこちないよう座り直させるのに使っていた。
「あれがコケトリス本来の動きなのかい?」
「イリーガルピッチは競技用に訓練されていますから特殊な部類です。イナホリプルの方が標準だと考えてください」
プロセルピーネ先生に教えられるまでは僕も黒スケやイリーガルピッチが普通だと思っていたのだけど、それはロリオカンの普通であってロゥリング族の普通とは異なるらしい。あれが当たり前だと思われては困るので、おっぱい王太子には一流の競技馬のようなものと答えておく。
「きょえぇぇぇ――――っ!」
そんな話をしていたところ、なんともはしたない悲鳴を上げながらドクロワルさんとイリーガルピッチがゴールに飛び込んできた。減点なしでこれは速い。タイムに期待できそうだと周囲がザワついている。
「これは素晴らしいおっぱ……いや、タイムが期待できるのではないかな」
「まあ、そもそも競技自体がコケトリス向きですから……」
四足の馬は曲がる方向によって先に突く前脚を入れ替えるといった操作が生じるし、一歩が大きいから踏み切り位置を合わせるために歩幅の調整も必要になる。この限られた馬場の中で何度もターンを強いられるのではスピードなんて出せっこない。
「魔導院所属、ドクロワル選手。減点なしで時計は440グラムです」
一気に400グラム代前半まで押し上げられた優勝ラインに、審判の判定を見守っていた人たちが一斉にどよめく。走行の順番を待っていた士官学校の候補生たちは揃ったように顔を強張らせた。なお、後輩に軽くぶち抜かれたサンダース先輩は地面に両腕をついて落ち込んでいる。
「ぶえぇぇぇ……怖かったですぅぅぅ……」
「ちょっ、ドクロワルさんなにをっ?」
イリーガルピッチから降りたドクロワルさんは震える脚でヨタヨタとこちらに近づいてくると、なにを思ったのか僕のスカートの中に頭を突っ込んできた。
なにっ? こんなところで何を始めようって言うのっ?
「なびだが……ばなびずが……」
いったいどんなプレイを要求されるのかと思ったら、どうやらお面を外して顔を拭きたかっただけらしい。この辺りには暗室なんてないから、僕のスカートで代用しようということのようだ。脳みそが壊れてしまったのでなくてなによりである。
「あんな勢いで駆け回るなんて酷いです……」
スカートから頭を上げたドクロワルさんが、お面の位置を直しながら酷い酷いとこぼす。ジラントに追われて急斜面を駆け下りた時に比べればなんてことはないと言ってみたところ、嫌なことを思い出させるなとプンスカ怒り出してしまった。
「初心者のドクロワルさんにまで無謀なマネをさせないでくださいまし」
ヒポリエッタとイリーガルピッチを曳いてきた主席が、サークルに入って間もない初心者になにをさせるのだと僕を睨みつけてくる。
「いや、かなり余裕あったと思うんだけど……」
「どうやら、『余裕』と『綱渡り』の意味を間違えて憶えているようですわね……」
「モロリーヌちゃんの『まだ余裕』は一歩間違えれば大参事じゃないですかっ」
余裕というのは3歩間違えても大丈夫なくらいを言うのだと頬を膨らませるドクロワルさん。イリーガルピッチの方には3歩分の余裕があったと言っても信じてくれない。悪い事をした子にはお仕置きだと両頬をグニグニ引っ張られた。
「話題になっへるあひだがヒャンスあよ。あやくほどって曳きホヘトリスを……」
「そうでしたわね。他に興味が移ってしまわないうちに票を稼ぎましょう」
真打ちは最後に登場するものとでも考えているのか、エルフお嬢様はもったいぶって未だエントリーしていない。向こうが最後に追い上げてまくる腹なら、こっちはそれまでに大差をつけて逃げ切るまで。ドクロワルさんとイリーガルピッチが暫定首位である今が好機だ。
急いでアキマヘン嬢たちのところへ戻ったところ、学習院の研究発表会で会ったヨウクーシャさんが遊びに来ていた。タルトと一緒にクマネストのお腹をモフモフして遊んでいる。
「先輩……なんですか、あれは?」
そして、アキマヘン嬢が目を三角にして頬を膨らませていた。




