111 ワイバーンの翼
ドクロワルさんの研究は、独占することができればこの国の魔法薬市場を牛耳ることも夢ではないらしい。もちろん、かなりの額を投資しなければならないものの、数年もあれば回収できる。その後は濡れ手に粟の大儲けだと公爵様は肩をすくめた。
「それは君の持つ秘匿術式の価値でもある。正直なところ、生徒の手には余る代物だと思っているよ。君には不本意かもしれないが、在学中は存在自体を秘匿して欲しい」
教育者としては嬉しい反面、学校経営者としては頭が痛いと顔をしかめる公爵様。ドクロワルさんの研究や使われている術式を手に入れるために、在学中の生徒に産業スパイじみたことを唆す領主が現れることは間違いないそうだ。
「まあ、それは構いませんけど……。バラしたらザリガニ怪人ですし……」
「助かるよ。ところで話は変わるんだが、魔術書なんてどこに転がっていたのだ?」
魔導院の蔵書であれば自分が知らないわけはなく、この地に伝わっていた古文書なんかはホンマニ家が収集し尽くした。生徒がコロリと手に入れられる魔術書が残っていたなんて、どこに見落としがあったのかと公爵様は首を傾げている。
「もしかして、この子が持っていたのかい?」
「いえ、ヴィヴィアナ様がその昔に書いたものだそうです」
この国の守護精霊とBL本の即売会で会いましたなんて言っても信じちゃくれないだろうから、街を歩いていたらヴィヴィアナ様が子供に苛められていたので助けてあげたところお礼にくれたということにした。
3歳児に作品を焼かれるところだったのだから、嘘ではないと思う。
「アーレイ君、公爵様に対する偽証は重罪に問われますよ」
「そうでもなかろう。ヴィヴィアナ様がモウヴィヴィアーナの街を出歩いていることは薄々感じていた」
リアリィ先生がたわ言を抜かすなと睨んできたものの、心当たりがあると公爵様が笑みを漏らす。ヴィヴィアナ様祭りにはお供え物を精霊殿に納める儀式があって、ヴィヴィアナ様もお姿を現してくれるのだけど、妙に街のことに詳しいなと不思議に感じたことが幾度もあるそうだ。開店したばかりのお店のことを口にされたこともあるという。
「古くからある言い伝えにも、湖の周辺で不思議な女性を目にしたという話は多い。いかに荒唐無稽に思えても、生徒の話を頭から疑うものではないよ」
「申し訳ございません……」
おおう……。リアリィ先生が叱られてシュンとしているところなんて初めて見た。子供に苛められていたという状況はいまいち想像できないものの、術式も水に関するものだしヴィヴィアナ様という線を否定する材料は手元にないと公爵様が諭す。かつて魔導院で教鞭を取っていただけあって、まるで教師の様な口調だ。
「建国王にも渡さなかった魔術書を譲られるとは、君は精霊と縁があるのかもな」
「突っ返されたって言ってましたけど……」
「なん……だと……」
浄水器にするしか思いつかなかった建国王は、水が美味しくないので気に入らなかったようだと教えてあげたところ、愕然とした表情を張り付けたまま公爵様が椅子から立ち上がった。そのままフラフラとした足取りで天井から吊るされているプッピー抱き枕へと向かう。
やっぱり、イラストに慰めを求めるアヤシイ人だったのだろうか……
「あんの、クソボケがぁぁぁ――――っ!」
突如として怒りの咆哮を上げた公爵様は、抱き枕に描かれているプロセルピーネ先生の顔めがけて渾身のコークスクリューブローを叩き込んだ。抱き枕ではなく、サンドバッグだったみたいだ。きっと、公爵様の目には建国王の顔が浮かんでは消えているのだろう。
「精霊から渡された魔術書を突っ返すバカがどこにおるかぁぁぁ――――っ!」
プッピーのボディに強烈なフックを放つ公爵様。建国王の持っていた魔術書や古文書といった文献は、すべてホンマニ家が受け継いでいるのだとリアリィ先生がこっそり教えてくれた。建国王が突っ返したりしなければ僕の魔術書は公爵様の手元にあり、数百年もの間その存在を知られずに眠り続けるなんてことにはならなかったという。
「貴様のせいで、どれだけ魔法薬の発展が遅れたと思っとるんじゃぁぁぁ――――っ!」
公爵様がひねりを加えた跳び膝蹴りを決めると、天井から吊っていた留め金が壊れてしまったのかプッピーが床に転がった。ゼィゼィと肩で息をしている公爵様は、乙女ソウルを遥かに凌駕する怒りに満ちた魔力を放っている。憤怒の炎が目に見えるかのようだ。
「あの……なんでしたら、格安でお譲りしても……」
「それは許さない。許されないのだよ少年……」
こんな人に狙われては堪らない。魔術書を持っていることが恐ろしくなった僕がお渡ししようかと言ったところ、公爵様は怒りの形相のまま、それだけは絶対に許されないのだと口にした。
「今は学習院に吸収されてしまったが、かつて国立高等魔法学院という学府が存在していたことを君は知っているかね?」
聞いたこともないと僕が答えると、再び椅子に腰を下ろした公爵様が説明してくれた。若かりし頃の公爵様はそこで教員をしていたのだけど、採用や昇進はすべて領主たちに握られ社交の場で決められる。生徒の研究成果を召し上げて、自分を贔屓してくれる領主に横流しすることで教員たちは出世を約束された。それは生徒にも伝搬し、地道な研究を続けるよりも他人から成果を奪った方が効率的だと考えだす者が後を絶たなかったという。
ここはもはや学府ではない。ぶっ潰してしまおう。そう決意して、爵位を継ぐと同時に魔導院の設立を宣言したそうだ。
「奴らと同じことはできない。そんなことをしては私に賛同して魔導院を盛り立ててくれた、今は亡き教え子たちに申し訳がたたないじゃないか……」
たとえ喉から手が出るほど欲しくても、生徒の研究も秘匿術式も手に入れることはしない。もう魔導院は自分ひとりのものではなくなった。教え子たちの想いを踏みにじるようなマネがどうしてできようかと、まるで涙を堪えるかのように公爵様は天井を仰ぐ。
主席がダエコさんを許せないと言ったのは、公爵様のお考えに気付いていたからか……
「私の中に、これは千載一遇のチャンスだと囁く私がいる。少年、あまり誘惑してくれるな」
そう言って、どこか寂しそうな微笑みを浮かべた公爵様に思わずドキッとしてしまう。外見ではリアリィ先生より年下に見えるのに、潤んだようなエメラルドの瞳と紅の引かれた唇は抗いがたいほどの色香を醸し出していた。魔性レディの100倍増しくらいの魔性を感じる。
これ以上僕と話をしていたら我慢できなくなってしまうからと、下がるように申し付けられた。
用意された部屋で休んだ後、夜も明けきらぬうちに宿へと戻る。あの後も公爵様といろいろ話をしていたリアリィ先生はお疲れのご様子。ウトウトしているおっぱいを支えてあげたい。
逆にご機嫌なのはタルト。公爵様のシルキーが日持ちのする焼き菓子なんかをたらふくお土産に持たせてくれたからだ。食べきるまではイグドラシルに還すのを勘弁してやるなどと、無茶苦茶偉そうなことを口にしていた。
イグドラシルというのがなにかはわからないけど、亡くなったティコアの母親が還ったと言っていたから、いわゆるあの世的なものだと思う。この3歳児は公爵様を亡き者にしようと考えていたみたいだ。300年も生きるなんて、なにかしら不自然なことをしているに違いないので、それが精霊には気に入らないのかもしれない。
宿に戻ってすぐ朝食の時間。間をおかずに出発だ。ここから先は公爵様のご一行が先行し、魔導院の生徒たちがその後に続く。リアリィ先生の竜車と造りは同じだけど、ひと回り大きくて装飾も豪華な竜車がお付きの人たちを従えて進んでいくのが見えた。竜車のすぐ後ろにはドクロワルさんとクゲナンデス先輩を左右に従えたプッピーの姿がある。
「モモベェがいるのです」
3歳児が空に向かって手を振っている。見上げてみると、バグジードから取り上げたヒハキワイバーンが空を舞っていた。騎乗しているのはコナカケイル氏だろう。先行偵察に出かけるらしく、ゆったりと翼を羽ばたかせながら隊列を追い越していく。モモベェというのは、もちろんブンザイモンさんのセンス。ちなみにメスだそうだ。
「わたくしたちも行くのですよ。さっさとヒッポグリフを出すのです」
「ううぅ……ヒポリエッタは馬車馬ではありませんのに……」
イリーガルピッチの代わりに乳母車を牽くのは主席のヒッポグリフ。蜜の精霊が乳母車をすっかり気に入ってしまったので、主席に断るという選択肢は残されていなかった。タルトの膝の上で美味しそうにクッキーを齧る自分の精霊を恨めしそうな目で眺めながら、ヒポリエッタに進むよう指示を出す。
「ヘビなのですっ」
動き出した乳母車の中でタルトがヘビのおもちゃを取り出して遊び始めた。いつの間に練習したのか、前よりも上手に動かせているようだ。蜜の精霊はクネクネと動くおもちゃが珍しいのか手を叩いて大喜び。こちらの様子をうかがっていた主席の瞳に怒りが宿る。
そのうちコトコトと揺れる乳母車に眠気を誘われたのか、蜜の精霊はコテリと僕の太ももに頭を乗っけて横になった。寒くないようにと掛け布団を掛けてあげたところ、僕の指をギュッと掴んで体を丸める。なにこの精霊、無茶苦茶かわいい。主席の怒りが憎悪へと変わった。
「あ゛ぁぁぁれぇぇい゛くぅぅぅん……」
お昼の休憩で隊列が足を止めた時、主席は般若を通り越し、明王様の如き憤怒の形相を浮かべていた。他人の精霊をたぶらかす不埒者め。ヌトリエッタを返せと僕を非難してくる。
「そんなこと言われても、蜜の精霊が指を離してくれないことには……」
「きいぃぃぃ――――っ!」
こいつぁヤバイ。普段は凛とした態度を崩すことのない主席が壊れてしまった。ヌトリエッタを甘えさせていいのは自分だけだと、髪を振り乱しながらハンカチをムシャムシャと噛みしめて足をドンドン踏み鳴らす。どうやら、精霊を取り上げられるとダメな人になってしまうようだ。
「まったく仕方のないビッチなのです」
タルトがどこからともなく取り出したビスケットを手でパタパタ扇ぐと、精霊というものは皆食いしん坊なのか、それとも誰かさんに似てしまったのか、匂いを嗅ぎつけたらしい蜜の精霊が目を覚ました。ホワホワと宙を舞って、3歳児からビスケットを受け取った主席におねだりを始める。とても愛らしいので、主席がダメな人になってしまうのもわからなくはない。
「モモベェに乗っけてもらうのですよ」
3歳児が指さした方に目をやると、リアリィ先生の竜車の隣にコナカケイル氏のヒハキワイバーンが佇んでいた。妹のモチカさんのところに挨拶に訪れたようで、リアリィ先生を交えて3人でお喋りしている。コナカケイル氏に同乗させるようタルトが要求したところ、コケトリスに乗れなくなったらワイバーンかとリアリィ先生が目を剥く。
「リアルビッチはいちいちやかましいのです。黙らないというのなら、ここにある術式をあの公爵とやらに放つのですよ」
「そんなっ、留め金には鍵がっ?」
スリ対策を施していたらしいけど無駄だったようだ。先生が精霊を持ち歩くのに使っているホルスターはいつの間にか留め金が外され、収めてあったはずの本はすでに3歳児の手の中にあった。オムツでもなんでも穿くから、それだけは勘弁してくれとリアリィ先生が泣いて謝る。
「この子は人族の身分制度を理解しているね。焦らなくっても、そんなことはしないよ」
ヨッコイショとタルトを抱っこしたコナカケイル氏が、それを脅しに使ってくるということは公爵様が人族にとって大事なお方だということを理解している証拠。本気で怒らせない限り、そんな無体はしないさと3歳児を高~い高~いしてご機嫌を取る。次から次へと妙なことばかりしたがりおってとリアリィ先生はブツクサ呟いていたけど、上空は寒いからと防寒着を着せてくれた。
「助走の最中はかなり揺れるから、しっかり掴まっているんだよ」
モチカさんから巻きつく精霊を借りて、落っこちないよう僕とタルトの身体を鞍に固定する。助走をつけて離陸するので、かなりの振動があるらしい。鳥のようにその場から飛び立つことができないわけではないのだけど、かなりの勢いで羽ばたかなくてはいけないので体力の消耗が激しく、緊急時以外は使わないそうだ。
羨ましそうな顔をした生徒たちに見守られる中、モモベェがズシズシと駆け始めた。スピードが乗ってくると身体を前傾させ、翼で姿勢を支え脚力をすべて推進力へと回す。コナカケイル氏の言っていたとおり、視界がユサユサと揺れてわけがわからなくなるほどの凄まじい振動だ。
「飛ぶのですっ」
タルトが命じた瞬間、モモベェがひときわ大きく羽ばたき揺れが収まった。これまでの振動とは違う、重力に逆らうような感覚と浮遊感が交互に伝わってくる。
おおっ、これが空を飛ぶ感覚なのか……
ワイバーンで空に向かって上昇していく感覚は、コケトリスでの空中散歩やがけ下りとは全く違うものだった。まるで、世界が急に広がったみたいだ。心が高揚するのを抑えきれない。
「今なら、僕は人類の新たなる革新に至れるような気がするよ」
「下僕はとっくに新たなるゴブリンなのです」
つい独りごちた僕に、お前は【ニューゴブリン】だろうとタルトがツッコミを入れてきた。
せっかくいい気分でいるのに、嫌なこと思い出させるんじゃないよ……




