110 魔導院の創立者
ふひゃひゃひゃ……今晩はリアリィ先生と一緒だ。あのおっぱいに顔をうずめても、ポロリしちゃった先っちょをペロリしちゃっても寝ぼけていたのなら仕方がない。
そう、すべては仕方がないで済むのだ。
夜も更けないうちから生徒たちは一斉に寝静まった。ずっと行軍してきて疲れているのだから当然といえよう。乳母車でゴロゴロしていた僕は元気いっぱい漲っている。
今夜は寝ている暇なんてないぜ。
「先生もお疲れでしょう。明日も行軍ですから、早めに休んでおくに越したことはないですよ」
さあさあとベッドの掛け布団をペロリとめくる。めくるめくおっぱいワンダーランドの始まりだ。
「モロリーヌさんはもう充分休んだでしょう。今夜は寝ている暇なんてありません」
ふおぉぉぉ……大胆にも今夜は寝かせないときた。
いいのっ? 期待しちゃっていいのっ?
リアリィ先生と大人の階段を……
「これから城に向かいます。裏に馬車を用意してありますから、モロリーヌさんとタルトさんも同行してください」
へっ……今から外出? タルトも一緒?
「お城って……ご休憩どころじゃありませんよね?」
「公爵様の居城に決まっているでしょう」
お城というのはもしや……という、僕の淡い期待は打ち砕かれた。公爵様に報告しなければいけないことが山積みで、モウホンマーニを訪れた機会を逃したくないらしい。リアリィ先生の乗る竜車には司令官用の個室が設えられていて、さほど広くはないもののベッドもある。休むのは明日出発してからでいいそうだ。
さっさと準備しなさいと口にしながら外套に袖を通す。
「おやすみとお昼寝は別なのです」
先生の精霊を頭に乗っけたタルトがブーブーと文句を垂れ始めた。
「公爵様のところにもシルキーがいます。お茶とお菓子を用意しておくよう言づけておきました」
「グズグズしてないで急ぐのです」
お菓子があると耳にした途端、3歳児はあっさりと掌を返しやがった。すぐにシルヒメさんがローブと布靴を持ってきて身に着けさせる。すっかり元気のなくなってしまった僕はベッドでふて寝していたかったのだけど、目を離したら絶対に問題を起こすからとリアリィ先生に無理やり上着を着せられてしまう。
宿の裏口から外に出ると、先生の言っていたとおり馬車が待っていた。
「お待ちしておりました。準爵殿」
執事のような黒服に身を包んだ初老の紳士が深々と腰を折って出迎える。普段は気にすることもなかったのだけれど、リアリィ先生は準爵位を持った貴族。ホンマニ公爵様に仕える士族たちより身分は上なのだ。
「こちらの方々は?」
「件の生徒とその精霊たちです。失礼があってはなりませんよ」
承知いたしましたと答えた紳士は馬車の扉を開けると、僕たちが乗るのに手を貸してくれた。タルトにはステップが高すぎると思ったのか、ヒョイと持ち上げて乗っけてくれる。
「件ので通じるってことは、僕やタルトのことはもう……?」
「当然、公爵様はご存知です。競技会で不正を見破ったのがタルトさんだということも、安価な再生薬の鍵を握っているのがあなただということも、すべてお耳にされています」
生徒のひとりを指名して呼びつけたりすれば注目を集めてしまうので、人知れず顔を会わせる機会を作るよう言われていたのだと、お城へと向かう馬車の中でリアリィ先生が明かしてくれた。タルトにコケトリスにヴィヴィアナ様の術式と僕への興味は尽きないものの、自分がそれを欲していると勘違いされた日には魔導院の教員や研究員ですらバカなことを考えかねない。
大っぴらに機会を設けることはできなかったそうだ。
「あれ? じゃあ、ドクロワルさんは?」
「彼女にはもうプロセルピーネ先生がいます。ですが、アーレイ君には決まった指導者がいません」
ドクロワルさんは大っぴらに連れ歩いていいのかと尋ねたところ、彼女の師匠はすでに決まっている。そして、プロセルピーネ先生以外に彼女を指導できる教員もいない。僕の場合は別。秘匿術式目当てで指導する気もないのに自分の特待生にしようとする教員が現れないとも限らない。
すでに、そういう申し出がリアリィ先生のところにあったそうだ。
「いったい誰なんです?」
秘匿術式目当てで特待生にしようなんて教員に捉まったら、ロクな指導もせず術式だけ奪おうとするに違いない。教えてくれないかもしれないけど、いちおう聞くだけ聞いてみる。
「プロセルピーネ先生です」
「ぶふぅ――――っ」
特待生は教員ひとりにつき、専門課程の各学年から1名までという制限がある。特待生を抱え込み過ぎて、それ以外の生徒への授業がおざなりにならないようにという配慮なのだけど、自分には弟子がひとりだけなので同じ学年からもうひとり採ってもいいよねと、思わずオッケーと答えたくなるような軽い口調で尋ねられたという。
「危うく引っかかるところでした。製法はともかく、術式まであの先生に握られたら、また倍々料金とやらを請求されてしまいます」
構いませんの「かま……」の部分まで口から出てしまったらしい。ラトルジラント用の解毒薬で通常の24倍という金額を請求されてしまったリアリィ先生は、二度とぼったくられるものかと拳を震わせている。裏技を使わなければ人並みな魔法薬しか作れない僕をプロセルピーネ先生が弟子に欲しがるなんて、間違いなく濾し布独占が目当てだろう。
今でも独占状態だというのに、まったく欲深い伯母さんである。
「秘匿する価値のある術式を個人で所持している生徒なんてアーレイ君だけです。それだけに、公爵様も慎重にならざるを得ないのですよ」
その人オリジナルの術式はすべて秘匿術式ではあるものの、秘匿するだけの価値があるかどうかはまた別の話。例えば、次席が秋学期に作った『田んぼトラップ』の術式はかなり実戦的だと教員たちからの評価も高かったけど、アイデアさえ借りられれば術式は自分で組めるという先輩も少なくない。
一方、『ヴィヴィアナロック』のように類似の術式がなく、どうすれば実現できるのかわからないという術式は秘匿価値が高くなる。亜竜を相手に防御壁としても枷としても申し分ないとあってはなおさらだ。ゆえに、公爵様は僕に注目を集めたくないのだとリアリィ先生は笑った。
そうこう話しているうちに馬車はお城へと到着し、夜だというのに開け放たれている門をくぐる。松明の光に照らされて、領紋デザインにも使われているホンマニ家の紋章、「本を携えた貴婦人」が夜の闇に浮かび上がっていた。貴婦人はヴィヴィアナ様、本は叡智を意味しているのだとリアリィ先生が教えてくれたけど、真実を知ってしまった僕には「BL本を携えた微美穴先生」にしか見えない。
「こちらで公爵様がお待ちです」
リアリィ先生を迎えに来た紳士に大きな扉の前に案内された。この向こうにホンマニ公爵様がいらっしゃるという。遠目に顔を拝見したこともないから、どんな人物なのか想像もつかない。話を聞く限りでは生徒のことを大切にしてくれているみたいだけど、王太子を怒鳴りつけるような人でもある。
「さっそくお菓子をいただくのです」
僕が扉の前で躊躇していたところ、タルトはノックもせずに扉を開けると許しも得ずに部屋へと入り込んでしまった。遠慮することを知らない3歳児を追って部屋に入ったところ、中には少女がふたり。公爵様のお姿は見えない。
ひとりはシルキーのようだ。15歳くらいの少女のような外見で、シルヒメさんと同じ真っ白な髪と肌に灰色の眼。白いメイド服に身を包み、おっぱいが残念なところ以外は雰囲気もよく似ている。
もうひとりも精霊だろうか。透明感のある薄い水色の髪は、まるで透き通ったガラスを束ねたかのような不思議な光沢を帯び、瞳はエメラルドのような緑色をしている。シルキーよりもやや年上の17歳くらいで、メイド服ではなくゆったりとした青いドレスをまとっていた。
この部屋は執務室のようで、いちおう応接セットもあるのだけど奥に大きな執務机がど~んと居座っている。広さは倍以上あって植物なんかも飾られているけど、雰囲気は魔導院にある学長室にそっくりだ。なぜか部屋の片隅には天井からイラスト入り抱き枕が吊るされている。描かれているのは黒髪ツインテールの幼女だけど、あれプロセルピーネ先生じゃないか?
「公爵様はあやしい趣味の持ち主ですか?」
「誰が倒錯趣味のど変態だ小僧……」
うおっ。リアリィ先生に小声で尋ねたところ、水色の髪をした精霊にギロリと睨まれた。
こいつは人族の言葉を話すのか?
「アーレイ君。その方がホンマニ領の領主、マイツタワ・ホンマニ公爵様です」
「うえぇぇぇっ? 精霊じゃないのっ?」
いくらファンタジー世界とはいえ、こんな髪色に瞳をした人族がいるなんて知らなかった。まるで、アニメやイラストで見る分には違和感ないけど実際に染めてみると不自然さばかりが目立つコスプレをしたお姉さんみたいだ。
公爵様ってこんなに若かったの?
ヤバイ……なんとかフォローしないと……
本当に若い女性に「若いですねっ」て言うのは褒め言葉ではないと聞くし……
「死に損ないがいつまでも生にしがみ付くものではないのです。ど~せそのうち嫌になるのですから、零れ落ちてしまわないうちにイグドラシルに還るのですよ」
「ちょっ、タルトッ!」
不機嫌そうな顔になったタルトが食べてやるからさっさとお菓子を出せと、勧められてもいないのに応接セットの長椅子にドサリと腰を下ろす。
いくら精霊が人族の身分に無頓着とはいえ、なんて態度取りやがるんだこいつは……
「構わんよ。精霊の目には、私のしていることがさぞかし滑稽に映っているだろう。シルビア……」
それくらいの自覚はあるさと笑った公爵様が、僕にも腰かけるよう勧めながら自分のシルキーにおもてなしせよと命じる。
見た目どおりの歳ではないということか……
「使われている術式はおろか、未完成の魔法陣の所在すら見抜く精霊か。メルクリアから報告のあったとおりだな。よくもまぁ、これほどの精霊と契約できたものだと感心するよ少年」
2体のシルキーによってお茶とお菓子が運ばれてきた。お茶に口をつけた公爵様が建国王、すなわちヴィヴィアナ様以来ではないかと首を傾げる。
「僕の方が従僕ですけど……」
「さしたる問題ではない。人族の側を主と勘違いしている者も多いが、精霊との契約に主従はないのだ。契約してくれたということは、君がそれに値する相手だということさ」
タルトにその意思がなければそもそも契約など成立しない。僕を騙して下僕にしたことは、ちょっとしたいたずらでしかないだろうと公爵様が肩をすくめた。
「あの、公爵様のしていることって……?」
「君は私が魔導院を設立したと言ったら驚くかな? 私の先祖ではなく、今君の前にいる私自身がだ」
へっ……魔導院は200年を超える歴史があるのでは……
「アーレイ君。ホンマニ家の公爵位は、もう300年近く襲爵されていないのですよ」
「ええっ、じゃあ300歳ってことっ?」
リアリィ先生が横から耳打ちしてくれた。それが本当なら長命なロゥリング族の倍は生きていることになる。この世界には不老長寿の秘薬なんてものが本当に存在するのだろうか?
「年齢に関してはそのとおりだが、女性の歳を軽々しく口にするものではないよ」
公爵様のエメラルド色の瞳にギロリと睨まれる。ビックリしてつい口が滑ってしまった。そんな人並み外れた期間公爵位にあって他の貴族たちが何も言ってこないのかと不思議に思ったけど、延命のカラクリは他のふたりの公爵に明かしてあるらしい。つまり、知っていてもマネしたいと思わないような方法ということだ。
タルトが不機嫌なのもその辺りに原因があるのかもしれない。
「まあ余計なお喋りはこれくらいにして本題を済ませよう。プッピー……いや、プロセルピーネから君が上級再生薬の新製法に欠かせない術式を所持していることは聞いている」
プッピーとか呼ばれてんのかあの先生……
「それを譲れと?」
「侮ってもらっては困る。そのようなことを許さないための魔導院だ」
自分をそこらの欲にまみれた凡俗どもと一緒にするなと公爵様が氷のような殺気を放つ。
「ドクロワルの研究はほとんどの魔法薬へ応用が利く。調合革命と言ってもいい。私としては彼女に注目を集める一方、君の存在を隠しておきたいのだ」
ある日いきなり完成した研究が発表されたりしたら市場は大混乱に陥る。研究の進捗状況を適宜リークして、ドクロショックに備えさせておく必要があるそうだ。だから、ドクロワルさんの研究を隠すわけにはいかないけど、彼女ひとりを手に入れられれば研究成果を独占できるという状況も好ましくないという。
「宝箱には鍵をふたつかけておきたい。一本は飾っておくにしても、もう一本は……」
公爵様は僕に、秘匿術式を握る正体不明の協力者であれと要求してきた。




