72頁 みんなみんな、嘘をついて生きている。
2月14日に夕凪台中学で上演する小演劇『未来の君へ』の本番まで、俺は慌ただしい日々を送っている。
学校が終わるといつものように村神さんの車に乗って七色座へ直行し、到着するや否やすぐに舞台練習に合流する。
合流して最初にする事は、お芝居の変更点を確認。
毎日毎日、七色座に行く度に演出に細かい修正とかセリフの追加や変更が掛かっているから、ついていくのも中々大変で、早くも台本はボロボロで、どのページをめくってもページの余白には訂正の走り書きだらけ。
こうして俺が学校で授業を受けている間も、七色座の練習スタジオでは、セリフや立ち振る舞いの1つ1つに細かな修正が入ってるに違いない。
まぁ俺自身はナレーションだけだから、舞台に立って身体を動かすような事はしないのだけど、それでも段取りを覚えるのに必死だし、みんなとヘトヘトになるまで練習して、片付けして、晩御飯食べて、七色座のシャワールームで一人汗を流して、夜遅くに再び村神さんの車に乗せてもらって家に帰る。そんな日々を繰り返す。
何せ開演までの時間も人手も足りないから、みんなと一緒に雑務もこなすことも多い。
芸能人がマネージャーをアゴでコキ使って「これ、〇〇の天然水じゃないじゃない!」と女王様気分でペットボトル投げつける……なんてお高くとまったイメージとは真逆だ。そもそもマネージャーなんていない。
ぶっちゃけ、お金にもならないボランティアのような舞台を興行するのは、ひとえに奈良屋さんの方針だ。
役者というのは年がら年中ひっきりなしに仕事がある訳じゃなく、むしろ聞くところによると、世の中にはバイトを掛け持ちしながら頑張っている役者の方が多い。
生活がかかっているとは言え、不毛なバイトをしながら中途半端に役者を続けるよりも、しっかりとお給料を払って役者を育てよう、というのが奈良屋さんの考えだ。
最も、その話になる度に「それが簡単にできたら苦労しないって」と七色座の面々はぼやくように言うのだけど、実際、それを呼吸よりも簡単そうにしている奈良屋さんが目の前にいるから、それはただの愚痴にしか聞こえくて。
ちなみに七色座の経営状況とか、資金源とかについてはみんなよく分からないらしい。
スポンサーがバックについていたとしても、劇団というのはそれだけで回るほど甘くはないらしく、ましてや片手間でボランティア興行回せられるほどの余裕のある劇団なんて数えるほどしかないらしい。
まぁ、七色座の資金についてはなんとなく察しがつくんだけど、それみんなの前で言う勇気は俺にはない。
いや、だってさ、奈良屋さんの正体が、かつて国民的アイドル『剣雪斗』で、そのアイドル時代に稼いだ億単位のお金が資金源だなんて、どう言えばいいんだよ。
七色座内でもそんな話が自然と持ち上がるものだから、やっぱり奈良屋さんの正体は庶務のひかりさんとか一部の人を除いて七色座の人も知らないみたいで、ヒゲゴジラの村神さんですら奈良屋さんの正体を知っているか怪しい感じだし。
……ん? 待てよ?
剣雪斗の正体が奈良屋義春って言った方が正しいのか。
でも奈良屋さんの素顔はアイドルの剣雪斗で、本名である奈良屋義春という男の演じている時は、逆に年相応の中年男に変装している。
性格面では、中年に変装した奈良屋さんが素の性格で、逆に変装してない素の顔だと剣雪斗なんだけど、猫かぶりまくって、性格と声(作り声)は全くの別人だ。
ていうか、これってどっちが本当の奈良屋さんになるんだろう……?
それよりも、あの人はいつまで、こんな仮面を被った人生を続けるつもりなんだろう……。
………
……
…
学校が終わって、七色座で稽古が終わって、夜も更けて。
村神さんの運転する車で家に帰る途中、俺は後部座席で全身を巡る疲労感をじっくりと堪能していた。ああ、もう死ぬ。
そんな俺のことなんか気にすることもなく、運転席の村神さんは、流れる洋楽に合わせてフンフンと鼻歌を歌いながら車を流す。
いつも感心するのだけど、このヒゲゴジラ、鼻歌なのに妙に上手いんだよなぁ。ハミングだけででジャズとか演奏しそうだ。男のダンディズム全開で格好いいけどなんかムカつく。嫉妬かな?
俺は後部座席のシートでゴロンと横になりながら、いつもと同じ事を考える。
そろそろ結論を出さなきゃいけない。
夕凪台中学へ、舞台のためとはいえ、もう一度行くべきなのだろうか……と。
女子更衣室で北条に詰め寄られたあの日。
俺には恋人がいるという大嘘をついたことが、未だに心に引っかかっていた。
仕方が無かったとはいえ「男だった頃の自分自身」が、女の私の恋人だなんて、こんなに滑稽でひどい嘘は他に無いよな……。
北条の恋心も、彼女が吐いた強がりな嘘も、何もかも全部知ってる上で、俺は北条を傷つけてしまった。
けれど、私は、男だった頃の宮川瑠伊じゃない。
全くの別人である宮川瑠璃として生きると決めたんだ。
もう、何度も、決めたんだ……。
しつこいくらいに頭の中でリピートする決意。
「ははっ……」
それでもこうして、今も俺は後悔と迷いを繰り返している訳で、少なくともこの決意が頭に駆け巡ってる間は、俺は宮川瑠璃という女の子には成れてないのだと、吐き捨てるように心の中で自嘲する。
だけど、この後悔も、迷いも、全部抱え込んだ上で、とにかく新しい自分を、宮川瑠璃という女の人生を、ゼロから歩んで行かないといけないんだ。
ギャグ漫画みたく、たかが女になっただけだと笑って済ませればいいのだけど、やっぱり今の俺……じゃなかった、私には、まだちょっと難しいよ……。
「ん? どした瑠璃子、本番どうするか決めたのか?」
「行きます」
半身寝ころびながら即答する。
「おぅそうか。ま、そっちの方がいい経験になるだろうしな」
村神さんが聞いたのは、俺が本番に夕凪台中学に直接出向いて生でナレーションをするか? あるいはナレーションは事前に収録だけして夕凪台中学には行かないのか? という問い。
別人として生きると決めてもなお、漠然と迷い続けていた俺には、これ以上時間をかけてもスッキリした答えなんて見つかりそうになかったから、咄嗟の判断というか、拍子というか、もう直感で「行きます」と、つい拍子で答えてしまった。
「しっかし、奈良屋の馬鹿はどうしようもねぇよな。たかが1カ月やそこらのヒヨッ子共にいきなり脚本やらナレーションやら全部押し付けやがってよ。おめぇに至っては本番2週間前だ。ありえねぇだろ普通」
「あはは、奈良屋さんはいつも無茶苦茶だから……。でもきっと、奈良屋さんの事だから、みんなが助け合うところまでちゃんと計算してたんじゃないかって思うんです」
「ねぇよ!」
即否定する村神さん。
いったい、奈良屋さんとは、いつ頃からの付き合いなんだろう……。
「でも村神さん」
「なんだ?」
「実際村神さんも、部外者の蓮人くんも水無瀬さんも、みんな練習大変なはずなのに、わざわざこっちに来てくれて、助けてくれるじゃないですか」
「へっ、見てられなかっただけよ!」
「そうかなぁ?」
あしらうように言った村神さんだったが、ツンデレが照れ隠しするかのようでなんだか少し可愛かった。
「まぁ、あの2人は単純におめぇに気があるだけだろ」
「う……。そっちの話は一旦パスで」
俺が即答すると、村神さんは「がははは!」と豪快に笑った。
「おいおいパスしちゃ可哀そうじゃねーか! それにウチに入って早々、いきなり二人も手玉に獲るとか、なかなかできるもんじゃねーぞ?」
「だって、蓮人君はおこちゃまだし、水瀬さんはボッチで変態でロリコンじゃないですかー」
「あ、ひっでぇなぁお前。今の言葉、何なら俺様から二人に伝えてやろうか?」
「いいですよ別に。でもショックで二人が降板したら、村神さんが勝手に言ってたって白を切りますんで」
「おめぇ、妙なところで小賢しいな。けど真面目な話、俺はおめぇらの上達の速さには正直かなり驚いてんだぜ? たぶんあの二人もそうだ。特に瑠璃子、おめぇ少し目を離した瞬間、大層上手くなってやがったじゃねーか」
「本当ですか!?」
その一言に、俺はがばっと身体を起こす。
「いや、まぁ細けぇトコ言やぁキリがねーぐらいあるんだけどな……」
「それでも嬉しいですよ! 村神さん」
「っつ……たく、むず痒いったらありゃしねぇ。おめぇは時々ドキッとさせる言い方しやがる」
思わずかぶりつくように嬉しいと言うと、村神さんは少し照れたように言った。
「あはは、嬉しかったから、つい……」
「そうか、嬉しいか! がははははっ! そりゃ良かった! 芝居は楽くなきゃいけねぇ!」
今回はナレーションだけだけどすごく楽しいんだ。
それに村神さんって、中々褒めない人だと思ってたから、意外というかちょっと自信付いた気もする。
これも黄塚さんを始めとする共演者のみんなのおかげかな?
あと、部外者なのにやたらと顔見せに来る蓮人君と水無瀬さんのおかげかも。
ていうかあの二人は、やたらとこっちに顔見せに来て大丈夫なの? ヒマなの? まぁいいけどさ。
………
……
…
「ほいじゃ、おつかれさんっ! じゃ、また明日な」
「ありがとうございました」
村神さんの運転する車がりさちん先生の家の前に止まると、ドアをあけて外に出る。
目に映る街並みは薄暗く、片道2車線の車道は頻繁に車が走り抜けるけれど、歩道に人の気配は無い。
「おぅ! 体調管理だけはしっかりしろよ!」
「村神さんもお酒は程々にね!」
私が車の外からのぞき込むように声をかけると、村上さんは
「そいつぁ無理な相談だな! ガハハハハハ!」
と、豪快に笑うと、すぐに車を急加速させて行ってしまった。
「ったく……大丈夫かよ。そのうち飲酒運転で捕まっても知らねーからな!」
俺は独りそう言うと、まっすぐ家には入らずに隣の公園に入って暗い夜の並木道を歩く。
人気の無い夜の公園は、あのクリスマス・イヴの夜を思い出す。
この前よりも膝が肌寒く感じるのは、学校の制服のまま歩いているからだろうか。
あのクリスマス・イヴの日は、ひかりさんが用意した車椅子に乗せてもらってたんだっけ。
日に日に遠くなる思い出を頭に浮かべて暗い公園の並木道を歩く。
都会とは思えない静かな雰囲気を全身で感じながら暗い並木道を抜けると、奈良屋さんと初めて会った例の噴水広場へとたどり着く。
広場ですぐに目についたのは、中央の噴水を囲むように配置されたベンチの一角にちょこんと座っている女の子の姿。ぼんやりと瞬く街頭が、白色に近いプラチナブロンドの髪を照らし続けている。
結構な時間そこに居たのだろうか、丸く縮こまっているその姿勢が、とても寒そうなに見えた。
俺は、そんな白い息を吐いて寒そうにしている儚げな女の子に近づき、声をかける。
「や! おまたせ」
「あ、こんばんわ、瑠璃ちゃん」
俺の姿を認めると、百枝さんは安心したのか、ほんの少し微笑みを浮かべた。
何かとこの噴水広場には縁があるよな。
奈良屋さんと初めて会った場所もここで、百枝さんと初めて会ったときも、一緒にここまで来たんだよな。
「瑠璃って呼び捨てでいいって、昨日言ったのに」
公園といえば、男だった頃は悪いヤツの溜まり場のイメージしかなかったな。
いつだったか大人が公園で遊ぶな遊ぶな、って口うるさく言うもんだから、清く正しく派手に遊んでやろうと喧嘩ごっこやってたら、話に尾びれが付いたのか、喧嘩ガチ勢が乗り込んで来たんだっけ。まぁ、あのときは偶然にも原田がいたから、一瞬で片がついたんだけどさ。
まぁなんていうか、公園一つでさえも、女になったせいで存在意義が変わってしまったんだと思うと、少し寂しく思ったり。
「あ、そうでした。ごめんなさい、瑠璃ちゃん」
「直ってないよ」
百枝さんは何も言わず、少し恥ずかしそうに俯くと、とても小さな声で
「瑠璃…………ちゃん」
と呟く。
呼び捨てで良いと言っても、やっぱり最後に「ちゃん」がついてしまうらしい。
「ま、いいや、ちゃん付けで」
と百枝さん言いながら、彼女の隣に座る。
七色座で猛特訓の日々が始まってから俺は、練習帰りにまっすぐ家には戻らずに、毎晩百枝さんの家に通っていた。
奈良屋さんが百枝さんの事を「自分で立ちあがることができる子」だと言ったから、俺はそのきっかけみたいな存在になれたらなって思って……。
いや、嘘だ。
もっと単純に、プラチナブロンドに輝く髪が印象的な百枝さんの繕わない笑顔が見たかっただけだ。
色々小難しい理由を並べ立てようにも、単におっさんみたいなスケベ心が、俺を突き動かしただけの話だ。
結局、人間が行動するに当たっての動機なんてものは、底を攫えばギトギトした油みたいな欲望や本能が根源にあって、それを隠すために取り繕った綺麗な言葉を並べ立てるのだけど、もう全部嘘なんだよな。
人間っていうのはさ、醜い嘘をついてでも綺麗でありたい生き物なんだよ。
ともあれ、最初は百枝さんの家にいくら通い詰めても、絶対に居留守を決められる覚悟はしてたんだけど、意外にも家のインターホンを鳴らすと百枝さんはすぐに俺の前に姿を見せてくれたんだ。
クラスのみんなの話だと、誰が行っても出てこないって聞いてたのにさ……。
たぶんだけど、俺だったから……とか?
でも最初は何を話したらいいか全然分かんなかった。
とにかく俺は一方的に七色座であった事を面白おかしく好き勝手に話すことにした。初めて会ったときみたく「どうして学校に来ないの」と、彼女の領域に土足で詰め寄るような真似だけはしないよう気をつけた。
いやほら、大して親しくもないヤツにいきなり『宮川君ってどうして身長がちっこいの? もしかして小学生かな?』なんて言われたら、もう『お前顔面崩壊して墓に埋まりたいのか?』って言いながら股関節が粉々になるぐらいの蹴りブチかましたくなっちゃうだろ?
まぁなんだ。とにかく俺は俺なりに色々気遣いながらも、百枝さんの家の前に毎日通い詰めて1週間が経ち、そろそろいい感じになってきたかなって思ってた矢先、今度は百枝さんから唐突に「この前の公園の広場に来てほしい」と言われたので、こうしてやって来た訳だけど……。
「百枝さん、寒くない?」
「はい、大丈夫です」
2月の外の空気は突き刺すように冷たい。
けれど百枝さんは白の薄手のフロントジップパーカーに、パステルブルーのチェックのスカート姿。
そのスカートからは日本人離れした雪のように白い太腿がニョッキリと覗いて、健康的というよりは、まるで凍結しかかっているようにも見える。
「大丈夫? 寒くない?」
心配になって問いかけると
「寒いです……。けど、慣れてますから」
と、気丈な答えが返ってきた。よく分かんないけど慣れてるんだ……。
ちなみに俺は夏も冬も嫌いだ。ちなみに春はリア充が発情してそうで別の意味で嫌いだ。
という訳で消去法で秋が好きなんだが、よくよく考えると秋もリア中がそこら中にいる気がしたので、結局、1.瑠璃はリア充が嫌い。2.リア充は春夏秋冬どこにでも現れる。3.瑠璃は春夏秋冬どの季節も嫌い。という三段論法が成立してしまったので、俺がこの先生き残るには、もう宇宙で暮らす以外に選択肢が無いことに気づいてしまった。
「あの、瑠璃さん、これを……」
しょーもない妄想を中断して、「こんなところに呼び出して何の用?」と聞こうか迷っていると、百枝さんはそう言いながら、手に持っていた小さな箱を俺に差し出した。
可愛らしいパステルピンクに包装されたその箱は、縦横1列のリボンで結わえられていて、包装紙にはあからさまにハートマークが描かれていた。
「これは?」
「あの。少し、早いのですが、その、ば、バレンタインの、チョコレートを……」
「私……に?」
「はい」
百枝さんはそう言うと優しい微笑みを浮かべる。
本物の天使の笑顔だ。
女になった俺が毎日学校中で振りまいている堕天使の作り笑顔とは雲泥の差だ。
にしてもバレンタインかぁ。いわゆる友チョコ。俺もお返ししなきゃな。
「や、やっぱり、変でしょうか……」
「ううん、そんなことないよ? ありがとう!」
俺は照れ隠しに人差し指で鼻の下をこする。
「そっか、もうすぐバレンタインかー。……百枝さん、これ見てもいい?」
受け取った小さに箱の上面に小さなカードが挟み込まれていたので、俺はそのカードを手に取って百枝さんに聞いた。
「は、はい……」
緊張した面持ちで返事をする百枝さん。少し強張った彼女の可愛らしい顔を確認すると、俺はカード開いて中身に目を通した。
瑠璃さん、いつもありがとうございます。
私、本当は学校に行ってみたいです。
けれど、まだ怖いです。
自分だけが、他の人とはまるで違うから。
そのことが原因で、私は前の学校で
ずっと否定され続けてきました。
瑠璃さんはそんな私に優しくしてくれて、とても嬉しかったです。
似合わないかも知れないけれど、このチョコレートはそのお礼です。
気持ち悪かったら捨ててください。
百枝 ミカ
気持ち悪かったら捨ててください?
まさかまさか、それをすてるなんてとんでもない!
百枝さんがくれたチョコレートだもの、食べずに生涯大切に保管するに決まってるじゃないか。
っていう定番のボケは置いておいて。
「あの……ぶっちゃけ、訊いてもいい?」
「………………はい」
百枝さんは、覚悟を決めたかのように頷く。
「否定され続けてきたってあるけど、どういうこと?」
「それは……」
………
……
…
「嘘……だろ?」
百枝さんのその告白に、俺は言葉を失った……。




