50頁 道楽の舞台(ステージ)
正月が明け、女性となって退院した宮川瑠璃。
彼、いや彼女の姿は入院前とは全くの別人になっていた。
その姿に未だに戸惑いを隠し切れない瑠璃。
病院の玄関。大勢の人に祝福されて退院の日を迎えた瑠璃は、新たな我が家を目指す。
だが、瑠璃の心中は複雑だ。
かつて男だったということを誰にも知られたくないという想いと恐怖、そして、ある日突如として同級生達の前から姿を消してしまった事への後悔が、瑠璃の心を絶え間なく揺さぶり続ける。
そんな瑠璃は、今もかつての友人達を密かに想うのであった。
劇作家の奈良屋という男は、そんな瑠璃のために一計を案じた。
それは、かつて男だった宮川瑠伊のいとことして、再びあの中学へ、それも女として舞い戻らせるというものであった。
瑠璃が生まれ育った地元の町。瑠璃の実家からはそう遠くない場所にあるアパート。
深夜。辺りには街灯もなく外は暗い。その暗闇に蠢く怪しげな影が3つ。
3人の人影がアパートの一室に音もたてずに次々と荷物を運び込んでゆく。
使い古した大きな家具も、真新しい小さな机も、アパートの一室に丁寧に配置されていく。
「これで終わりかな? ママ」
「ええ、そうね、パパ」
オレンジ色の常夜灯の小さな明かりが灯る。
すると生活感のある室内がわずかに照らされた。
部屋の中には汚れたオーバーオール姿の瑠璃と、見知らぬ大人の男女一組が立っている。
この大人達は奈良屋に紹介された劇団員。
そして、この2人が瑠璃の新しい両親となる。
それは偽物の父と母。
父はなんでもござれの木工大工に、母は近所のスーパーで働くパートタイマー。
今日からここで瑠璃の新たな生活が始まるのだ……。
場面転換。
女になって初めての学校。懐かしさが蘇る。
かつて男だった瑠璃は、ここでおよそ3年の日々を過ごした。
慣れ親しんだ馴染みある校舎の廊下。
担任の黒田先生の後ろを、慣れない女子の制服を着た瑠璃が気恥ずかしそうに歩く。
始業のチャイムは既に鳴り終わり、廊下に生徒の姿は見当たらない。
別のクラスの教室横を通り過ぎるたびに、教室と廊下を隔てる窓の向こうからジロジロと物珍しそうな視線を感じる。
そして懐かしい教室の前に着く。
先に黒田先生が1人、教室へと入った。
いつものように教壇に立つ黒田。瑠璃は死角に隠れるように廊下に立つ。
朝のホームルームが始まる。
「さて今日は新しい転校生を紹介しよう、入って来なさい」
黒田先生がそういうと、教室の生徒達が突然のことに騒めき始めた。
廊下で待機していた瑠璃は、高鳴る鼓動を抑えようと胸に手を当てる。
そして一度大きく息を吸い込んで深呼吸。
「よし、いくわよ」
意を決し、ひとり呟く瑠璃。
瑠璃はゆっくりと教室へと入る。
これが新たな人生の始まり。新たな1歩。
ざわついていた教室は、瑠璃が入ると空気が一変した。
瑠璃の容姿に男子達は言葉を失った。
しかしその静寂もつかの間。やがて生徒達は小声で瑠璃の感想を交わしあう。
「誰あの娘?」
「すげぇ可愛い」
「やばい、付き合いたい」
小鳥の寝息のような囁きも、瑠璃にははっきりと聞こえた。
「どうしよう、みんな私の事を噂しているわ」
かつて男だった事が見破られないかとドキドキする瑠璃。
瑠璃の煽情的な表情や髪、華奢な身体つき、そして、胸、腰、尻、足すべてに、かつて共に遊びまわり、共に学んできた男子達の目線が集中する。
男子達のあらぬ視線に戸惑う瑠璃。
「何よ男子ったら」
「いやらしいわね」
「ていうかさー、3年の3学期に転校とか、おかしくない?」
女子達は瑠璃の美貌を認めつつも、こんな時期にわざわざ転校してきた事をみな訝しがる。中にはじっと睨みつけて、敵対的な視線を投げつける生徒もいる。
「じゃ、みんなに挨拶をしてくれないかな?」
担任の黒田先生は優しく言った。
緊張で落ち着かない瑠璃。
だが、ここからは女性らしい女性を演じなくてはいけないのだ。
いや、誰にも好かれる女性にならなければならない。
それが、奈良屋に出された『宿題』であった。
中学卒業までに立派な淑女になれなければ、瑠璃は七色座から追放されてしまうのだ。
瑠璃はその事を思い出すと恐怖した。
みんながこちらを見ている。
緊張で張り裂けそうな心臓の鼓動。瑠璃は決心し息を吸い込む。
「は、はじめまして、み、も、森田瑠璃です。よろしくおねがいします」
可愛らしいソプラノボイスが教室に震えた。
苗字を間違えそうになった瑠璃。
だがそれも無理はない。
『いとこ』という設定で転校してきたので、以前の瑠璃とは苗字が違うのだから。
「はい、みなさん拍手を」
担任の黒田先生が生徒たちに拍手を促すと、教室にパチパチとまばらな拍手が響き渡る。
「森田さんは入院中の宮川君をいとこだ。宮川君をお見舞いするためにわざわざ地方から引っ越してきたので、みんな仲良くしてあげてくださいね」
黒田先生は、かつて宮川瑠伊が座っていた席へと瑠璃を案内する。
懐かしい座席。自分の座席。
瑠璃が着席すると、早速、隣の席の男子が馴れ馴れしく話しかけてきた。
「ねぇ、森田さんってどこから来たの?」
その男子は、かつて男たった頃にふざけ合った仲。瑠璃の親友。
趣味も特技も性格だってよく知っている。
「えっ?」
「どこからきたの、って聞いたんだけど」
「えと、ど、どてら中学……」
「へーそうなんだ。じゃあ彼氏はいるの? 居なかったら俺と付き合わない?」
「い、いえ……彼氏はいません」
瑠璃の返事に、クラス中の男子が沸き立った。
男子達は次々と瑠璃の元へ駆け寄る。
「彼氏はいません」は失言だったのだろうか……?
女らしさとはなんだろうかと戸惑う瑠璃。
彼氏の有無なんて、軽率に答えるべきではなかったと後悔する。
「おい待てよ、瑠璃ちゃんと付き合うのは俺だ!」
「なんだとコノヤロウ!?」
「まてまてまてまて! ここは力くらべで勝負だ!」
「なんだと!」
「馬鹿に付き合う必要はないよ。君は校内成績1のボクにこそ相応しい!」
「なんだと!」
「無粋だな、やはり一番美しい僕こそが、君の彼氏になるべき男なのだよ!」
「なんだと!」
瑠璃の周りをクラスの男子が囲む。
早くも男子同士で喧嘩が始まりそうな予感。
美形の男子が瑠璃の前に出て跪き、瑠璃の手を取り片膝をついた。
騎士の誓いのポーズ。手の甲にキスする振り。
抜け駆けに憤る男子達。だが瑠璃の周りの他の男子達は次々と跪いた。
それからもクラス中の男子達は、次々と自分の特技をアピールし始める。
瑠璃の人気ぶりに、女子達は嫉妬の嵐。
ハンカチを噛みしめて悔しがるものばかり。
「なによあの子、見てらっしゃい!」
瑠璃の気付かないところで、不穏な空気が漂い始める……。
場面転換。
自宅のアパート。小さな間取り。小さな部屋。
その部屋に不釣り合いな大きな鏡。
父も母も仕事で外出中。
そこへ制服姿の瑠璃が1人、自宅に戻って来る。
「ああ、なんということなの? みんな私に夢中だわ!」
今日の出来事はいったいどうしたことかと嘆く瑠璃。
かつての友人達が狼のような目で見てくる戸惑いを、歌で表現する。
「乙女になれといわれども、心までは変われない。ああ、どうしてこんなことになったのですか?」
鏡を見つめて、めいいっぱい嘆く瑠璃。
「こんな姿に、なりたくはなかった!」
その場で崩れ落ち、涙を流す瑠璃。
そのとき、鏡の中からかつての男だったときの宮川瑠伊が出てくる。
瑠璃と宮川瑠伊はもはや別人。似ても似つかない。
「だけどそれは仕方がないよ。君はもう元には戻れないのだから」
座り込む瑠璃。
今にも倒れそうな瑠璃を抱き支える男の瑠伊。
その時、玄関の戸が開く音。父と母が帰って来たのだ。
「ごめんね瑠璃、僕はもう行かなくちゃ……」
瑠伊は再び鏡へと消えた。
「まぁ、なんという事でしょう! いじめられたの? 私の可愛い娘」
室内へとやってくる父と母。そして、床に手をついて嘆く瑠璃に寄り添う。
「違うわママ。私は自分の姿に嘆いていたのよ」
「何を嘆くことがあるの?」
「そうともさ! こんなに美しい娘は世界中にどこにもいないというのに、なぜそんなに悲しむのかい? 私の瑠璃よ」
「だってそれは……」
本当の事を言おうとする瑠璃。
しかし偽の親といえども、自分の秘密は隠し通さなくてはならない。
………
……
…
◇ ◇ ◇
「あのー、それっていつまで続くんですか? 奈良屋さん」
「おいおいこれからだってのにひどいなぁ。せっかく瑠璃ちゃんが主役の台本を考えてあげてるのに」
「そんな舞台、絶対に嫌ですから! まったく、いきなり何をブツブツ言い出すのかと思ったら……」
年の瀬が近づく頃。
庶務のひかりさんが運転するミニクーパーの助手席で、奈良屋さんは舞台の脚本のような語りを続けていた。
高速道路を走る車の後部座席で俺とりさちん先生は、その出来の悪い台本みたいな独り言を、長々と聞かされていた。
今日の奈良屋さんは例の変装マスクをつけて中年男の姿になっている。俺が初めて奈良屋さんに出会ったときと同じ姿だ。
奈良屋さんの声は素のままだけど、声色を少し変えてしまえば、もう誰にも剣雪人だとは見抜けない。それぐらい完成度の高い変装だ。
ちなみに俺の正式な退院はいよいよ明日。今日はまだ入院患者の扱い。
りさちん先生の歯切れの悪い説明から察するに、今日の突然の遠出はたぶん奈良屋さんのせいだろう。
本当はいつもと同じセンター周辺の散歩コースを歩くだけだったはずなのに、どういうわけか突然の遠出。しかもなぜか、医師でもない奈良屋さんがセンターの所長さんから許可まで貰ってるってんだから訳が分からない。
そしてあろう事か、俺達が今向かっている目的地は俺の地元の夕凪台中学。
何を思ったのか、奈良屋さんは「舞台のセットの参考のため」という適当な理由を託けて俺の中学校の校舎見学を申し込んだらしい。
だけど奈良屋さんの様子を見る限りだと、今回の中学校訪問はただの好奇心と道楽でしかないみたいだ。
──もう2度と戻ることも無いだろうから、後悔しないようしっかり見ておけよ?
奈良屋さんが出発前に俺に言った言葉だ。
けれど、そんな事を言われる前から夕凪台中学には2度と戻ることはないって思っていたから、逆にぶり返されて迷惑しているというか、それ以前に奈良屋さんの言葉は、どこまでが本気で、どこからが冗談なのかさえよく分からなくて困る。
「でもさ瑠璃ちゃん、実際『いとこ』として地元の中学で3学期を過ごすってのは悪くないアイデアだっただろ?」
「嫌ですよそんな恐ろしい事。俺……じゃなかった、私、猛反対ですから! もしも正体がバレたらどうするんですか!?」
「やれやれ、それが楽しいんじゃないか」
「楽しくなんかないですっ! 堪ったもんじゃないですよ」
「あーあ、どうしてくれるんだよひかりさん。ひかりさんが俺に敬意を払わないから、瑠璃ちゃんまで俺につっかかるようになったじゃないか。瑠璃ちゃんはもっと大人しくて可愛い子だったのに」
「先生は女性に幻想持ちすぎです」
ひかりさんが運転しながら冷たく言った。
「ほらこれだ。この貴女、いつも口先一つで男の夢を壊すんだぜ?」
「で、でも、ひかりさんのいう事は最もだと思いますけど……男は女に幻想持ちすぎってよく言われるじゃないですか」
「ついこの前まで男だったキミが言うかい? 童貞くん」
「ど、童貞じゃないですから!」
思わず勢いで処女だって言いそうになったが、寸でのところで止めた。
「……まぁでも、瑠璃ちゃんの話を聞いたら、一度実際に見て回りたくなってね。これは本当」
「別に何にもないトコてすよ? それよりも知り合いにバレたらどうするんですか?」
「思った以上に心配症だね。大丈夫、バレないバレない、見向きもしないって。だいたいこんなおっさんに興味もつのは瑠璃ちゃんぐらいだぜ?」
「おれ……、私のことを言ってるんです! 同級生に会ったらどうしようって!」
「ははははっ! そんなの他人のフリして無視すりゃいいじゃないか。それに近頃の若者はみんなスマホに夢中で家から一歩も出てこないだろうから、誰かと会うなんて事は絶対に無いって」
「あの、一応私も若者なんですけど。……りさちん先生は違うけど」
「ちょっとるーちゃん! どうしてそこでいきなりわたくしを絡めるのよ!」
「な、なんとなく」
りさちん先生は俺の首に腕を絡めてきて、プロレス技のスリーパーホールドように俺を軽く締め付けた。
俺の後頭部に、りさちん先生のまな板みたいな胸の感触がした。
「瑠璃さん、この男の言う事にいちいち反応しないでくださいね。この男は悪い大人の見本みたいなものですから」
「あ、ひどい。俺すっごい良い大人なのに」
◇ ◇ ◇
夕凪駅近くの有料駐車場に車を停めると、そこから全員そろって駅前を歩く。
今日の俺の服装はこの前、浅草寺に行ったときと全く同じ。
大きなボルドーカラーのベレー帽に白のセーター、その上に黒のポンチョを羽織る。ボトムは控えめなチェック模様が入ったミニスカートに黒のタイツと黒のショートブーツ。
今日はそれほど寒くはないから、機能面では問題ない感じ。
ちなみに前回の外出歩行の後、母さんにはスタジャン(スタジアムジャンパー)とかデニムパンツとか、もっとカジュアルな服がいいって言ったんだけどさ、そしたら母さん、今度はレースフリルがついた白のワンピースなんか買ってきて頭を抱えてしまった。
やっぱり服は自分で選ばないとダメだ。退院したら真っ先に私服をどうにかしないと。
駐車場から少し歩くと、小学校の頃によく通った駅前広場の前に差し掛かった。
駅前広場は駐輪場と化していて、今日も沢山の自転車で埋め尽くされていた。
「子供の頃、ここでストリートミュージシャンの人達と遊んでたんです」
「へぇー。瑠璃ちゃん勝手にサドル盗んだら駄目だぞ?」
「し、しませんよ!」
なんでそんな話振るかなこの人は。
まぁ小学校の頃、知らない人の自転車のサドルを抜いて自転車カゴに入れたことはあるけどさ……。
「こんなとこよりも、瑠璃ちゃんはもっと立派な舞台に立たないと」
「は、はい……」
「あー、いや、別に瑠璃ちゃんの過去を否定してるわけじゃないよ、だけど常に前を見続けないといけない。振り返るのはいいけど、過去の栄光にすがるようになったら終わりだ」
そう言うと奈良屋さんは駅前広場なんかに足を止めることなく、興味なさそうに通り抜けた。
年末のせいか、はたまた曇って不安定な天候のせいかは分からないけど、今日の夕凪駅前はいつもよりも人通りが少く感じた。わずかに見える通行人がみんな居なくなってしまうと、すぐにでもゴーストタウンになりそうな雰囲気だ。
「瑠璃ちゃん、同級生に会ったら教えてよ」
「い、いやですよ」
「つまんないなぁ。しょうがない、これ見ながら確かめるか」
そういうと奈良屋さんはカバンから1枚の写真を取り出した。
「な、何ですか、その写真……」
「ん? これ? 瑠璃ちゃんのクラス写真。たぶん後ろの建物は稲荷大社かな」
「ちょっ!? 何で奈良屋さんが持ってるんですか!?」
「瑠璃ちゃんのお母さんにお願いして貰ってきた」
あのババァ、ちょろすぎだろ!?
てかなんなの!? この人……。
俺の背が低くて奈良屋さんが持ってる写真がよく見えないけど、たぶん修学旅行のときにクラス全員で撮った写真だ。
「お、そうだ! 瑠璃ちゃんの同級生ぽい子が通ったら声かけてみようか?」
「や、やめてくださいよ、恐ろしい」
「だったら俺に見破られないよう他人のフリして頑張らないと。これも演技の練習だ」
もう無茶苦茶だ。しかもこの人の場合、実際にやりそうなのが怖い。
もしかして、わざわざ中学校からそこそこ離れた駅前近くに車を停めた理由はこれか?
俺の反応を楽しむためにとか?
か、考えたくないな。
………
……
…
駅から離れ、閑散とした住宅街に入ってしばらく歩いていると、遠くからどこかで見た事のある男2人組がこちらに向かってやってくるのが見えた。
片方はひょろっとした体形で、もう片方はブヨッとした体形。そして2人して頭の悪そうな顔。
生倉と登呂杉だ……。
2人とも両手をポケットに突っ込みながら、ややうつむいた状態で並んで歩いている。
まだこちらには気づいていないっぽい。
「瑠璃ちゃんさ、あそこにいる2人を瑠璃ちゃんのファンだと思って接してみて」
「は、はぁ?」
「あー別に話しかける必要はないから、目が合ったら笑顔でね。ただそれだけでいいから」
な、なんであんな奴らに……。
奈良屋さんは上から目線で「絶対にやれ」と言わんばかりに俺を見下ろしてきた。
「瑠璃ちゃん、役者ってのはね、舞台の上よりも日常の態度の方が大切なんだ。何気ない仕草1つ1つが積み重なって人としての評価されるんだよ」
「はぁ……」
「あー、それは役者でなくともすべての人に言えることですよねぇー」
りさちん先生も同意する。
「だね。ただ役者の場合は自分を売ってナンボの世界だし、それに一度有名になってしまうと実態よりもとにかくイメージが先行しがちになるもんなんだよ。だから日頃の態度や気の使い方とかは早いうちから意識しておいた方がいい。名前が売れてしまってからじゃイメージを塗り変えるはかなり大変だぜ?」
俺の考えていることをまるで見透かすように、奈良屋さんは言った。
そっか、そういうことか……。
俺の考えが浅かった。
確かに日頃から気を付けていたら、ボロは出にくくなるもんな。
きっと奈良屋さんは、そういう意識を常に持って『剣雪人』をやってきたのだろう。
生倉と登呂杉がどんどんこちらへ近づいてくる。
俺の方はあの馬鹿2人についてよく知ってるつもりだけど、向こうからすれば今の俺のことは全然知らないただの女の子なんだよな。真っ新って感じだろうか?
ややうつむきながら歩いていた2人は、俺達の存在に気づいたのか少しだけ道路の右側へと寄った。俺も何気なく左側へと避ける。
「君達、ちょっとよろしいですかな?」
「何? おっさん」
あーあ。やっぱり話しかけたよこの人……。
しかもいつもと全然違って、思いっきりジェントルマン気取ってるし。
「夕凪台中学は何処かご存じですかな?」
「この道をまっすぐ行って突き当りを右に曲がってすぐ。んで、道から運動場が見えるからそこがそう」
「なるほど、突き当りを右ですか……。わかりました。どうもありがとう」
奈良屋さんはお辞儀をしながら一瞬だけ俺を見つめた。
その眼は「やれ」と言っているよう見えた気がした。
「あ、あの、ありがとうございますっ」
俺は生倉と登呂杉にお礼を言いながらペコリとお辞儀をすると、1人ずつ目線を合わせ笑顔を振りまく。そしてすぐにりさちん先生の隣へと駆け寄ると、その腕にしがみついた。
はぁー、なんだこりゃ?
いい子ちゃん演じればいいのかな? って意識はあったけど、俺的にはすっごい事してしまった感でいっぱいだ。
てか、なに緊張してんだよ俺は……。
たかがお礼の一言言っただけだろ? しかも演技だし。なのに何で俺の身体から変な汗がダラダラ出てんだよ? しかも例のすっごいいい匂いがプンプンしてるのが分かるし、本当になんだこりゃ? って感じだ。
俺の前を奈良屋さんとひかりさんが振り返りもせず黙々と歩く。
「いまの子すっげぇ可愛いかったな」
「この辺じゃ見たことねーよな。てかうちの学校に何の用だ?」
「さぁ? 転校生とか?」
「だったら、しくったな……」
後ろから生倉と登呂杉の話し声が聞こえてきたが、2人の話し声はだんだん遠ざかって小さくなっていった……。
「上出来じゃないか瑠璃ちゃん。あの子達きっと瑠璃ちゃんのストーカーにでもなるんじゃないかな?」
後ろに振り向きもせず、歩きながら奈良屋さんが言った。
「こ、怖いこと言わないでくださいよっ!」
「はははっ、そうか。瑠璃ちゃん男慣れしてそうなのに怖いか」
「いや、ストーカーとか男女関係ないでしょ?」
「奈良屋先生、男慣れなどと誤解を招きかねない発言はおやめくださいね」
ひかりさんが落ち着いたな口ぶりで奈良屋さんに注意した。
後ろからだとひかりさんの顔が見えないけど、なんかすごいオーラとか出てそうで怖い。
ていうか、俺はこの間まで男だったから当たり前のように普通に男には慣れてるわけだけど、今は女になってしまったから男慣れした女って訳だ。だけど他の人達はそんな事全然知らないから「男慣れしてそう」なんて言われたら、それはつまりビ○チって事だな。
……最低すぎるぜ。
「でもるーちゃん、すっごい可愛かったよ? あんな声掛けられたら男の子は瞬殺よね」
「そう? じゃあさ、りさちん先生もやってみたら?」
「あー。わたくしがるーちゃんと同じことしたら、絶対男の人から『必死だな』って冷たい目で見られて、そして若い後輩の子達からは憐れむような励ましの言葉を……ってこらっ! 何言わせるのよ!?」
「へへっ。い、いや……、でもなんか、りさちん先生……その、ごめんなさい。マジで」
「ちょっとるーちゃん! 話聞いてた? その本気で憐れむような言い方は止めなさいってば!」
「ごめん……」
「ちょっと!」
………
……
…
少し歩くとT字路に差し掛かった。
「さっきの子たちの話では、ここを右みたいですね」
「いや、ここは左だよひかりさん。あの少年達は明らかに嘘を言っていた」
奈良屋さんが自信ありげに言い切った。
「えっ? そうなんですか瑠璃さん?」
「あ、はい。ここを左に行けば学校です。右に曲がればかなり遠回りになります。でも奈良屋さん、どうしてあいつらが嘘言ってたって分かったんですか?」
「なに、彼らの目が不安そうに泳いでたからね。だけど決定的だったのは瑠璃ちゃんが話しかけた途端に態度がおかしくなったことかな」
す、すげぇこの人……。なんでそんなので分かるんだよ。
奈良屋さんの観察眼に驚いていると、後ろからドタバタと誰かが走ってくる足音がした。
何かと思って思わず振り返ると、その足音は生倉と登呂杉だった。
「ご、ごめんなさい! さっきは言い間違えましたっ!」
「違うだろっ! わざと間違えたんだろっ!」
「そうだけど、それ今言わなくてもいいだろ!」
2人は俺達の前で止まると頭を下げて謝ったが、すぐに言い争いを始めた。
なんだなんだ? こいつらが言い争いするなんて見たことねーぞ?
「ま、まぁ……落ち着いて。ね?」
俺は女らしく優しく声をかけた。
ありがたく思え。
「あ……、すいません、怪しい人に見えたから嘘言いました、本当にすいません!」
嘘つけ!
「学校はここを左に曲がってすぐです。ほら、あそこに見える建物が校舎です」
「ああ、あれですか。なるほど、分かりました。まぁ僕も怪しく見えるし仕方ないですね。わざわざ知らせてくれてありがとう」
「い、いえっ……」
中年紳士を演じる奈良屋さんにどう答えていいか戸惑い、唖然とする生倉と登呂杉。
こいつらがこんな顔するなんてなぁ。あー言いふらしてぇ!
げっ……。
じっと2人を見てたもんだから、生倉と目が合っちまったじゃねーか!
ん……?
もしかしてこいつ、照れてやがるのか?
「では急ぎますので僕らはこれで。行きますよ、瑠璃ちゃん」
「あっ、はいっ!」
奈良屋さん達がT字路を左に曲がる。
「じゃあね!」
俺は生倉と登呂杉にそう言うと、手を軽く振ってからその場を離れた。
馬鹿2人は俺に向かって手を振って佇んでいた。
少し歩くと懐かしい光景が見えた。
いつもの通学路。道からフェンス越しにグラウンドが見える。
グラウンドでは冬休みにも関わらず陸上部が必死に練習していた。
2組の岡田が2年に混じってトップスピードで走り抜けていた。
やっぱアイツ早えぇな……。




