40頁 穢れた鎮魂歌(レクイエム)
「無くなってる…………?」
男である最後の証が、痕跡一つ残さず完全に消滅していた。
何度見ても俺の股間に突起物は無い。
代わりに、これまで何度もお世話になったエロマンガと同じアレがそこにはあった……。
男なら誰もが一度は生で見たいと思う秘密の花園。
でもこれからは毎日好きなだけ見る事ができる。しかも陰毛すらない無修正でだ。
それなのに、ちっとも嬉しくない……。
見てはいけないものをやっとの思いで見たのに達成感も恍惚感もない。
あ、よく考えると男でも自分のアレを見て毎日大喜びするヤツなんていないか。
そんなド変態がいたら人生四六時中発情天使だよな。全然意味わかんないけど。
でも不思議と女の身体だって意識し始めると、なんかドキドキしてくる……。
こ、これって、ほ、本物なんだよな……。
確か、生理がどうとか、りさちん先生が言ってた気がするし、本当に、こ、子供も産めるのかよ……。
あっははは、こりゃもう赤飯炊かれてお祝いされるかもな。
俺は自分の身体が他人からはどう見えるのか再度確認するため、湯気で曇った鏡にシャワーを浴びせると、鏡には小さな少女の裸体が映った。
洗いたての長い髪が顔や身体中に張り付いてよく見えなかったので、前髪を両手で掻き上げて背中へ流す。
「…………」
鏡に映った自分の姿を見て、俺は言葉を失った。
穢れのない白い素肌、華奢な体つき、少し不釣り合いなおわん型の胸、跡形もなく消滅し生まれ変わった局部。
一方平凡としか言いようのなかった俺の間抜け面は、これまで何本も歯が抜け落ちたせいか、はたまた灰汁のような垢が流れ落ちたせいかは分からないけど、どこか雰囲気が変わったように見えた。
この微妙な顔の変化は、先生の言う頭部収縮の影響なんだろうか……?
その答えは俺には分からないけど、もしもこのまま頭部収縮が止まらなかったら、俺の脳はどんどん圧迫されて、縮小した頭蓋骨にでも押し潰されてしまうのだろうか?
結局このまま何もできずに、死んでしまうのだろうか……?
◇ ◇ ◇
「やっぱり……」
りさちん先生は脱衣所でずっと待っていたらしく、浴室から出てきた俺の無防備な全裸姿を見るなり、ため息交じりにそう呟いた。
「ちょっ! 先生何でここにいるんだよっ! 男湯はあっちだろ!」
「そうね……」
ひどく落胆した様子のりさちん先生に、俺の冗談交じりの文句は届かなかった。
「……瑠伊くんさ、この後お話しましょうか。とても大切な話」
「え? う、うん……」
「じゃあ後で診察室でね。身体を冷やさないようしっかり拭いて、髪もちゃんと乾すんだよ?」
先生は俺にそう告げると、およそ脱衣所には似合わない白衣姿を翻して静かに出て行った。
「てか、『やっぱり』ってなんだよ……」
身体に不釣り合いな俺の男声が、脱衣所に響いた。
………
……
…
昨日と同じ診察室で対面する俺とりさちん先生。
大切な話って、一体なんだろう?
入浴前に俺が着ていた衣服は、俺が風呂からあがったときには全て回収されていた。
今はりさちん先生が用意したと思われる女性用の白い下着に、パステルピンクの可愛らしいチェック柄のパジャマを着ている。
脱衣所の鏡で改めて自分の姿を確認したけど、長くなった髪のせいもあってか、外見はもう完全に中学1年生くらいの女の子って感じだった。
……まぁでも、女の子というには顔が男っぽいし、声もオカマみたいでキモいんだけどさ。
ちなみに脱衣所にはパジャマと一緒に生理用品が置かれていたので、それもおむつ代わりに着けている。
さすがに生理用品が置かれているのを見たときはドキッとしたけど、「これを着けておきなさい」という、りさちん先生の心遣いが込められているようにも思えたから着けることにした。使い方が合ってるかは分かんないけどさ。
ちなみにブラジャーだけはあの脱衣所で放置した。
あれを着けるのはさすがに無理だった。
なんか小太りの変態男がハァハァと興奮しながら着けてるイメージがどうしても頭に焼き付いて離れなかったし、そもそも俺の精神は立派な日本男児のままだからさ、変態野郎と同類にはなりたくないというか……。
「さてと瑠伊くん。昨日わたくしがここで言った話は覚えてるかな?」
「覚えてるって何を?」
「全部」
「全部は無理だろ、さすがに」
「まぁそうだよねぇ。じゃあ昨日と同じ事をもう一度言うから、しっかりと思い出してみてね」
「う、うん」
なんなんだ?
てっきり女になったことで下腹部辺りを徹底的調べられると思ってたのに、なんか拍子抜けだな。
『ほら、診察してあげるから足をM字に開いて診せて……、そう、いいわ。良い感じよ……ほら、もっといっぱい広げて……』
『だ、だめだよぅ~ せんせぇ~恥ずかしいよぅ~』
みたいな感じでさ。……えっちなマンガの読みすぎだな。
「自己紹介をさせていただきます。わたくし、医療術士の妻木莉沙と申します」
「あ、これはどうもご丁寧に……」
ぺこりとお辞儀をする俺。
淫らな妄想をして話を碌に聞いてなかった俺は、誤魔化しついでについお辞儀してしまった。
「いやいやいや、違うんだよ瑠伊くん」
「はぁ?」
「わたくしは、医療術士と言ったのよ?」
「う、うん。なんか言ってたね」
「あー分かんないかな? ってあぁそっか。瑠伊くんまだ中学生だもんねー」
「もう少しで卒業だけど……」
「いやいやいや、そうじゃなくてだねー、えーっと……どこから話そうかな……」
少し困った顔をするりさちん先生。
天井のどこかを見つめながら、何か言葉を探しているように見える。
「『医療術士』ってのはね、普通のお医者さんって事じゃなくて、あくまでわたくしの自称なのよ。つまり医療術士は正式な資格とか職業じゃないんだ。そうね……、言うなれば、超能力者や、占い師、霊媒師みたいに、世間的には胡散臭い霊感商法やってる人達と同類なのよ」
「つまり、りさちん先生もインチキって事?」
「まぁそう思われても仕方がないけど、わたくし自身は決して金やインチキでやっているつもりなんてないんだよ? ちゃんと医師免許だって持ってるし」
「ふぅん。じゃあさ、その医療術士ってのは何なの? 何するの? 除霊とか?」
「イメージはそんな感じかな。正確には≪生命の根源たる魂の浄化≫だけどね」
「…………は?」
さすがの俺も、口を開けて呆れた。
もし手元に鏡があれば、今きっとすっごい間抜け面なんだろうなと、自分で思えるぐらいに。
「ま、まぁそういう、わたくしにとっては嫌な反応されるのが普通よねー。だから昨日は普通に医者っぽい感じで診察してたのだけど」
お、おう……。
「初対面のご両親に対して、突然「超能力で治療します」なんて言っても、そんなの絶対信じてもらえないでしょ? それどころか「他の病院を当たります」って言われるに決まってるもの」
「まぁ、そうだね……」
「真面目な話よ? あのね瑠伊くん、月並みだけど医者と患者の関係ってのはね、お互いに信用し合えない事にはベストが尽くせないんだ。だからね、わたくしがおかしな話をしてるのは承知の上で、それでも信じて欲しいんだ。わたくしの話を」
『魂の浄化……』
あれっ?
つい最近どこかで似たような話を聞いた気がするんだけど……。
ちくしょう、いつだったかな、ちっとも思い出せないや。
「こんなオカルト話を信じろなんて、言うほうだっておかしいって十分に分かってるわよ……」
小さな声でぽつりと漏らした先生の声から、これまで何度も患者に理解されずあしらわれてきた事を感じさせた。
「俺、信じるよ。先生の話」
「え?」
「先生は俺を治そうと必死にがんばってるんでしょ? 初対面の俺にいきなり本気で『このままじゃキミ、死ぬよ?』なんて、俺の事がどうでもいいならきっと言えないよ」
それに俺には不思議な確信があった。
男が女に変わるの体験を身をもってしたからとか、≪魂の浄化≫とかいう中二病をくすぐる言葉が心にひっかかるからとか、そんな事じゃなくて、ただ単純に、りさちん先生が俺に嘘をつくなんてとても思えなかったから……年齢以外は。
「そ、そう……。ありがとうね、瑠伊くん」
俺の返事を聞くと、先生は微笑んで俺の頭をやさしく撫でた。
「だけどさ、『魂の浄化』って、いったい何なのかさっぱりでさ」
「魂の浄化っていうのはね、そのまま文字通り穢れた魂を術を以て祓い清めること」
「けがれた……たましい?」
「うん。まずここでいう魂っていうのはね、何らかの形でリボソームに働きかけて……、あぁ、ごめんなさい、難しい話だったね。えっと……簡単に言うとね、魂はもう一つの『生命の設計図』みたいなものかな。要は観測不能な見えない裏DNAって感じなの」
「な、なるほど……」
「だからね、もしも魂が何らかの原因で穢れてしまうと、その影響は身体にも如実に反映されてしまうってワケ。現代医学で原因不明な病気の多くは、魂の穢れと関連が深いのよ」
てことは……。
「もしかしてさ、俺の魂も穢れたからこんな事になったの?」
「いやいやそれがねー、瑠伊くんに限って言えばまるで逆」
「え?」
「無くなった性転換症の人達はね、わたくしが診た限りでは、呪術的な力で魂がぐちゃぐちゃに破壊されたような感じだったんだ。……それはもう穢れたなんて生ぬるいレベルじゃなかったのよ。だけど瑠伊くんの魂は全然違って、何ていうか、強引に整えられたって感じなんだ」
「えーと、よくわかんないけど、つまり俺は整形した芸能人みたいなものなの?」
「そうだね、今の瑠伊くんはまさにそんな感じ」
りさちん先生にそう言われると、なんだか俺の身体は整形した芸人というよりも、精巧な人形みたいだなって思えてきた。
とにかく、まだよく分からないけど、俺の場合は性転換症で収縮して死んだ人達のケースとは似ているようでまるで違うって事らしい……。
「それだったらさ、俺は死なないかもしれないんだよね? だって、他の人達とは違うんでしょ?」
「ごめんなさい、そこは正直どうなるか分からないんだ。……それに実は既にね、瑠伊くんには思い当たる浄化術を全て施した後なんだ」
「えっ?」
「隠していて申し訳ないのだけど、瑠伊くんに術の事を知られると効果が出にくくなるから、昨日の検査中とか食事中にも浄化をしていたのよ。……でも情けないけど、瑠伊にはわたくしの浄化術なんて全く通用しなかった。まるで指先ひとつで弾き飛ばされたようなものだったわ……」
申し訳なさそうに、りさちん先生の目線が床へと下りた。
「浄化術の効果を高めるために、このフロア全体を使った大掛かりな風水まで導入してるのにね。ほら、豪華なロビーとか、赤いお風呂場とか変なのがいっぱいあるでしょ?」
「うん」
ああ。そういう事なのか。
風水って確か、部屋の南側に植物を置けとかそういうのだっけ?
「なんか普通の病院じゃないって思ってたけど、全部風水のため風水だったんだ……」
「ええ。これでも有名な政治家の息子さんや大企業の社長さんを初め、数々の魂を浄化し、難病の治療に成功した由緒ある風水なのよ? 効果はかなり強烈なはずなんだけど、瑠伊くんにはそれが全く効かなくて、穢れを祓うどころか、むしろ逆に性転換を促進させるような結果になってしまって……本当、なんて謝ればいいのかな……」
「あ、そんな謝らなくていいからさ。俺、気にしてなんかないから」
「う、うん……。瑠伊くんは優しい男の子なんだね」
先生、俺もう女になったんだぜ? 今更惚れられても困るって……。




