38頁 サヨナラ英雄(ヒーロー)
「じゃあ、そろそろきちんと診察しましょうか。瑠伊くん、もう脱げる?」
ちくしょう……。
いとも簡単に脱げと言ってくれるものだな。
ああ、そりゃ脱ぐだけなら簡単だよ? 何せ俺は小学生の頃にパンツ一枚で学校中を走り回った事だってあるんだ。たかが上半身素っ裸になるぐらい余裕だっての!
そう、余裕なはずなのにさ……。
この期に及んで、この姿を他人に晒すことが嫌で嫌で仕方がないんだ。
「あっ、ごめんなさい! わたくしったら肝心な事を言い忘れてました!」
なかなか脱ごうとしない俺を見て、りさちん先生は言った。
こ、今度はなんなんだよ?
「えとですね、これまでの瑠伊くんの症状と、37人の事例を重ね合わせると瑠伊くんは身体収縮でもう死んでるはずなんですよ」
えっ……?
「これからきちんと検査しないと断言はできないのですけど、現時点でのわたくしの推測では、おそらく瑠伊くんは2次性徴が遅かったおかげで、急激な身体収縮に身体が対応しきれたんじゃないかなー? って思うんです」
「それってつまり……」
「ええ、上手くいけば瑠伊くんは奇跡的に生き延びられるかもしれないってことです」
「ほ、本当ですか!?」
俺よりも先に父さんがりさちん先生の話に飛びついた。
「いやいやいやいや、これはまだ仮定の話ですから……。でも困った事にですね、しっかり検査をしないことにはこの仮定が正しいかどうかも分からないし、検査ができなかったら手の施しようがないんですよねぇ……」
だから脱げ、という目で俺を見るりさちん先生。
ちくしょう……! 外堀から埋めにきやがったな!
「とにかくですね、詳しい病状がどうなっているか分からないと、どの道治療なんて出来っこないですから」
けっ! 結局はそれかよ!
理屈を並べ立てて、俺の服をひっぺがすのが目的なんだな。
そんな餌に釣られ──
「るーちゃん!」
「な、なんだよ母さん……」
「ほらほらっ、ちゃんと脱ぎましょうね!」
クソがっ! 母さんのくせにまんまと甘言に釣られやがって!
「う、うるせぇBBA! 家に帰ってチャーハンでも作ってろ!」
「瑠伊っ! 母さんになんて口の利き方するんだ!」
「まぁまぁまぁお父様、瑠伊くんったら照れちゃってるんですよ! 可愛い息子さんじゃないですかー」
「ええ、そうなんです先生、いつもいつも手のかかる子なんですよ」
うぐぐぐ……。
「て、照れてるとか、そんなんじゃねぇから! あっ、おい馬鹿! やめろっ! ちょっ! や、やめてよっ父さん!」
………
……
…
必死の抵抗空しく、俺は乱暴に服をひっぺがされてしまった。
まさか現代で追い剥ぎみたいな目に遭うなんて……ひどいや。
床には父さんと母さんの手によって強引に脱がされた俺の服が散乱している。
りさちん先生は俺がさらし代わりに胸に巻いていた母さんの腰用サポーターを拾い上げると呟いた。
「なるほどねー。これを胸に巻いてバレないようにしてたんだね」
「わ、悪かったな!」
「悪くはないけどね、瑠伊くんその小さな身体に不釣り合いな胸だと隠すの大変だったでしょ?」
「今までの痛みと比べたら大したことないって」
「いやいやいや、これからはやせ我慢なんかしないでちゃんとブラしないといけないよ?」
「は? ぶ…ぶら? じょ、冗談じゃねーぞ!」
続けて「そんなの着けるぐらいなら死んだ方がマシだ!」と言いそうになったけど、そこまで言うと母さんが悲しむと思ったのでやめた。
「まぁ男の子だもんねー、やっぱ嫌だよねーブラ着けるのは」
「あったり前だっ!」
「うんうん、わかる。よーくわかるよー瑠伊くん」
わ、わかってねーくせに適当な相づち打ってんじゃねーよ、ちくしょうが!
上半身を裸にされた俺は、両腕をクロスする形で必死に胸を隠していた。
その様子をりさちん先生がじっとガン見し続けている……。
「な、な、なんだよっ……」
「瑠伊くんの身体ってすっごいなーって。ほら、見た感じはもう完璧に女の子の身体じゃない? 腕だって細いし、肌も白くてスベスベで信じられないぐらい綺麗だし、今まで見てきた性転換症の患者さんとは全然違うし、思わず見惚れちゃったぐらいよ?」
「えっ? 他の方とは全然違うのですか?」
父さんが真面目な声で言った。
「ええ。一口に性転換症と言っても色々ありましてですね、わたくしが直接見てきた患者さんの場合、生きてる段階はみんな男性の体格のままでしたからね。例えるなら下の生殖器がなくなったお相撲さんとでもいいましょうか……」
「ああなるほど、力士みたいな感じなんですね」
「ええ、その状態から身体収縮が始まって、あっという間に死んでしまうんです。それで死後遺体を検証するとですね、一応瑠伊くんみたいな女性的な体型に変化してはいるのですけど……。その大半は血や脂肪や消化液などが皮膚を突き破って噴出してたりで……」
「血……ですか。あ、も、もしかしてそれって! ……こんな感じでしょうか?」
父さんはスマホをいじると、りさちん先生にとある画像を見せた。
それは血が凝固し、少し黄ばんだ液体が付着した俺の部屋のベッドの写真だった。
「ああそうそう! まさにこんな感じですねー! ……ってあれ? ベッドの血、これ少し日が経ってますよね?」
「ええおそらく1日ほど。瑠伊は修学旅行から帰ってきた翌日から意識を失っていたようでして……」
「ああなるほど、お伺いした通りという事ですね。…………ふむふむ、なるほどなるほど、わかりました。じゃあちょっと聴診しますね」
りさちん先生はカルテに何か書き込み終えると、聴診器を取り出し両耳に着けた。
「はいじゃあ瑠伊くん、ちょっとその可愛い腕をどけてくれるかな?」
「い、嫌だっ!」
「るーちゃん! お願いだからいう事を聞いて!」
「うるせ……あっ!」
母さんに反抗しようとしたら、父さんが俺の真後ろから両手首をガシッと掴むと、俺は肘の曲がったバンザイのような、ガッツポーズのような、あるいは『コロンビア』のようなポーズにさせられた。
「おい、離せって!」
「じっとしてろ! 瑠伊!」
必死の抵抗を試みるものの、筋力が落ちて非力になった俺に成す術はなかった。
その隙に先生は聴診器を俺の胸に直接当て、冷たい円盤が俺の胸にぺたりとひっついた。
「ひゃうっ!」
さ、最低だ……。
恥ずかしくてたまらないのに、オカマのようなキモい声が出てしまった。
しかも女とはいえ、他人に無理やり胸を触られるなんて屈辱だ……。
この状況、ただでさえ屈辱なのにそれ以上に屈辱的だったのは、こうして自分以外の誰かに触られる事によって、俺の胸がガッチリとした男の胸板でなく、やわらかな女性の胸だという事を嫌が応にも認識させられた事だった。
「ちくしょう……変態女……」
「はいはい、じゃあ後ろ向いてねー」
ガキの全裸なんかどうでもいいといった感じで、りさちん先生が俺の暴言をさらりと流すと、先生の言葉を聞いた父さんと母さんが椅子ごと俺をくるりと180度回転させた。
俺は父さんに掴まれていた手首を振り解くと、再び両腕で胸を隠す。
「ホント最低だ……ぐすっ……」
父さんに強引に服を脱がされ恐怖を感じていた俺は、今になって涙声になっていた。
それに、こんな些細な事で泣いてしまった自分が情けなて仕方が無かった……。
「瑠伊くん、キミはね、幸せな方だよ? わたくしこれまで泣きながら死んでいった人達を何人も見てきたけど、みんなどんなに姿が醜く変わろうとも、最後まで生きたいって想いでいっぱいだったんだよ?」
「……」
「キミは女の子になってしまったとはいえ、こんなに信じられないぐらい綺麗な身体になったんだもの。それこそ、女のわたくしが羨ましく思うぐらいにね」
「……」
「女の子に変わってしまって辛いのは分かるけどさ、生きられなかった人達の分までちゃんと生きなきゃ」
「……うん」
ぺたぺたと何度か背中に円盤がひっつくと、また半回転させられて先生と対面した。
「ほら、そんな顔しない。可愛い顔が台無しだよ?」
「ぐすっ……。どこにでもありそうな普通の顔だって……」
「無い無い。どこにもないって、そんな泣き虫な顔はさ」
先生は聴診器を外してカルテに書き込んでいる。
……。
『生きられなかった人たちの分まで生きなきゃ』か……。
だけどさ、そんな難しい事言われても、俺、わかんねーよ。
「んーと、念のため後でレントゲンで胸部、腹部と撮影して、採血と心電図、エコーも……あ、それから瑠伊くん、ちょっと上向いてくれるかな? 顎を上げて天井見る感じで」
上? なんなんだろう?
「ちょっと触るね」
そう言うと、先生は俺の首にそっと触れた。
りさちん先生のやわらかい指が、すこし出っ張った俺の喉仏に軽く触れたその瞬間、とんでもない激痛が走った。
「がっ……! 痛っ!!」
「あっ! ……ご、ごめんなさい!」
「ケホッ! ケホッ!」
「大丈夫!?」
椅子に座ったまま前かがみになって咳込むと、歯が2~3本、ポロポロと床に落ちた。
「えっ!? 嘘っ……。そんな、それじゃまだ収縮は……」
◇ ◇ ◇
あの後、不思議とすぐに喉仏の痛みは治まったけど、その後、俺は徹底的に検査される事となった。
幸い、裸にされる事はもうなかったけど、最新式っぽい装置でしつこく何度も全身をスキャンされたり、血液や便を採取されたり、目や耳や口の中まで徹底的に調べられた。
抜けてしまった歯が回収されてしまったのは仕方がないけど、半日着けていたおむつまで取り上げられたのにはさすがにちょっと引いた。大はともかく小は垂れ流しだったもんな……。
目まぐるしい検査地獄は夜の8時前に終わり、疲れきった俺は地下4階のどこにでもありそうな普通の4人部屋の病室に案内されると、ベッドの上でぐったりと横なっていた。
4人部屋といっても患者は俺しかいないけど……。
ちなみに父さんと母さんは、検査が一通り終わると俺をここに残して一旦家に帰ってしまった。
父さんは仕事があるのでしばらくは来ないみたいだけど、母さんは着替えを取りにまた明日来ることになっている。
そういえば藤倉のやつ、話したい事があるとか言ってたっけ……。
俺はかばんから携帯を取り出すとメールのチェックをしようとした。
──圏外
そっか。ここって地下4階だもんな。流石に電波は通じないか……。
窓も無い殺風景な部屋には、テレビも電話もパソコンもラジオも新聞も何も無く、外界とは完全に遮断されていた。
だけどいったい何が理由で、このセンターはこんなにも厳重な管理がされているんだろう?
鉄格子こそ無いけど、これじゃまるで監獄じゃないか……。
『おはよう宮川君。藤倉です。おそらく察しはついてると思うけど、ペン型カメラを拾ったのは私です。その事で話したいので放課後時間をください。てか絶対作れ』
ガラケーの液晶に映る文面をじっと見つめる。
やはり引っかかる文面だよなぁこれ……。
うーん……藤倉か。
あ……。
そういえば修学旅行で藤倉と話したとき、あれは何だったんだ?
──宮川ってさ、佐田とどういう関係なの?
──その割には2人って、あんまり仲良くなさそうだよね
──宮川と佐田って何かあったの? 避けられてるみたいだし
あの時、藤倉は佑馬に告白されたから俺に根掘り葉掘り聞いて来たのかと思った。
だけど話を聞いていると、どうも俺と佑馬の関係を仲違いさせたいようにも聞こえてきて……。
……!
そ、そうだ! どうして思い出せなかった!?
──あんたさ、…組の……
──じゃあ、…組の……
──同じく…組の…………は?」
──じゃあうちのクラスの永田遥は?
ちくしょう! 永田さん以外の名前が思い出せない。
てかなんで、あそこで永田さんや、名前も顔も知らないの女子の話が出てきた?
もしかして彼女達は全員佑馬の事が好きだったのか?
てかそんな馬鹿な話、ある……のか?
──あー今の話忘れて。知らないならいいんだ
──仮に知ってたらどうなるんだ?
──知ってたら……どうなるんだろう。どうすればいいんだろうね?
……やっぱり藤倉のヤツ、あの時すでに盗撮犯の犯人を知っていたんじゃないかな。だから俺に接触してき──
「やぁやぁ、今日は大変だったねー瑠伊くん。ホントよくがんばったねー! ぱちぱちぱちー!」
書類を手にりさちん先生がそう言いながら俺一人だけの病室に入ってきた。
りさちん先生の呑気そうな声を聞いた瞬間、俺が必死になって考えて込んでいた事が真っ白になってしまった。
「……」
「あれれ? 瑠伊くんどうかした? 気分悪い?」
「ううん、疲れただけ……」
「そかそか」
「りさちん先生、まだ何か検査あるの?」
「ん? 今日はもう検査は無いよー。でね、単刀直入だけど検査の結果が出たんだ。聞きたい?」
「聞きたい」
「おー即答だねぇー。よしよし、じゃあ言うね」
俺はベッドで横になりながら、こくりとうなずいた。
「えーと、レントゲンにMRIにエコー検査、いずれの結果も身体の中は完全に女の子だったよ。男性器でまだ残ってる部分はただの肉の塊になってる。つまり股間のソレは、言うなればイボみたいなものね」
りさちん先生は、はっきりと俺の身体は女の子だと言い切ってしまった……。
胸が膨らもうが、小さくなったアレが使い物にならなくなろうが、それでも俺は一縷の望みを賭けて男に戻れる希望を持ち続けていた。
だから、りさちん先生の報告は俺にとって、とてもショッキングなものだった。
だが同時に、ずっと前から俺は女になるんじゃないかというファンタジックな心配が医学的に認定されたことによって、何故か妙な安心感で心が満たされていった。
少なくとも得体の知れない化物に変わるようなことにはならないと思えたから。
「そ、そうなんだ……あそこはもう感覚なくなってたから……」
実際、小さくなった棒や玉を直接触ってみても、神経が溶けてしまったのか、他人のモノを触ってる感じしかしないし、普通に過ごしている時も股に大きな出来物か何かがくっついている感覚しかなくて違和感しかなかった。
「そっか。それからね、瑠伊君が朝から着けていたおむつと、午後に着け替えてもらったおむつの両方を調べてもらったところ、尿の排泄はきちんと出来てたから命に関わるような問題は無かったのだけど……その……生理が確認されたわ」
「せ、生理……!?」
「うん、保険の授業で言うところの月経ってやつね。女性特有の自然現象。学校で習ったっしょ?」
「は、ははは……。へ、変だと思ってたんだ……。最近のお腹の痛みってなんか前と違うなって思って。これも、そうなのか……」
「瑠伊くんの身体はね、もうちゃんと子供が産める身体になってるんだよ。と言っても股間をちょっと手術する必要はあるんだけど」
は?
子供が産める……?
俺が?
ちょっ!?
そ、そ、そ、それってさ、俺が突っ込まれる側になる事なんだよな。
「うぎゃーーーーー!!!」
「ど、どうしたの?」
確信が持てず、ずっと頑なに否定し続けていた「性転換」という単語。
これまで長く続いた身体的苦痛の中で、死への恐怖よりも女になる恐怖の方がずっと勝っていた根源的な原因。
その原因となる単語が今、脳裏に深く焼き付けられた。
「お、お、俺はな!! ホモになんかならねーからな! 野郎のち○○にむしゃぶりつくとかあり得ねぇぞ! お、おぇぇええええ!!」
「あー。瑠伊くん男の子だったもんねー。中学生の男子同士があんな事とか……」
「他人事みたいに言いやがって……ちくしょうが! もう頭にち○○生えちまえよ! りさち○こ先生!」
りさちん先生は俺の罵倒なんて気にすることなく、優しく頭を撫でる。
「おーよしよし。いい子いい子。……でもね瑠伊くん」
「な、なんだよ……」
「実は今のキミにとって、子供が産めるとか股間の出来物を切除するとかは大した話しじゃないんだ。それよりも今瑠伊くんにとって一番問題なのは、検査の最中に頭部の収縮が観測された事なんだよ」
「えっ?」
「最初は機械の誤差か故障かと思ったのだけど、ほら、何度かやり直したでしょ?」
「う、うん」
あのナントカとかいう輪っかみたいな機械。
轟音がすごくて気持ち悪いし、あんな機械の中に長時間何度も何度もくぐらされたから、頭がおかしくなったのかも知れない。
「後で機械の方を調べてもらったのだけど異常は一切無かったんだって。つまりね、検査中に瑠伊くんの頭部が現在進行形で収縮してた、ってことになるんだ」
……えっ?
「診察中に歯が抜けたのも、頭部収縮の影響によるものと見てまず間違いないとわたくしは思ってる」
「そんな……。ということは、まだ完全体じゃないって事?」
「完全体って面白い言い方するねー瑠伊くん。でもそうだねぇ、おそらく現状はそんな感じじゃないかなぁ」
「そ、そうなんだ……」
「それとね、喉頭……、あ、喉仏も変化し始めてるから、声も変わっちゃうかも知れないんだ。まぁでも収縮の影響でこれからどうなるかは分からないけど、もし無事生き延びられたとしても、最悪声は出なくなるかも知れないから、そこは覚悟しておいてね」
覚悟しておいてね、とさらりと言われてもさ、それって……。
「先生、生き延びられたらって……その言い方だとさ、結局どうにもならないってことなの? やっぱり俺は死んでしまうって事? 声どころじゃないんじゃ……」
りさちん先生は、俺の言葉にハッとした。
やっぱり、俺の寿命はもう長くはないというのが先生の見解なんだろうか……。
「あっ……。ご、ごめんなさい」
「いいよ別に。俺、本当の事が知りたいから」
「そう……。わかった。じゃあ言うね。……恥ずかしながら、わたくしでは瑠伊くんを死なないようにするのが精いっぱいってとこなんだ。収縮って言っても、実際これからどうなるか本当に分からないから……」
りさちん先生は、そう言うと深々と頭を下げる。
俺は、何も言えなかった……。
「でもさ、結局死ぬんだって分ってたのなら、その前にもう1回カラオケにでも行って、おもいっきり歌いたかったかな」
「歌、好きなの?」
「うん、歌うのも好きだし、踊るのも好きだけど、アルグロが一番好きなんだ」
「あるぐろ?」
「《アルティメット・グロウ》ってロックバンド」
「ごめん、全然知らない。でも歌いたいならここで歌ってもいいんだよ? 今はこの階の患者さんは瑠伊くん以外に誰もいないし」
「じゃあ歌っていいの?」
「うん。だけど収縮に影響すると大変だから、なるべく小声で、少しの間だけならね」
「やった!」
叫びたかった。
小声でなんか歌う気がしなかった。
──Slash! 闇を切り裂け! しびれる腕を振り続けろ!
──心の鞘が折れぬ限り 未来は君に微笑むだろう!
──Dash! 闇を振りぬけ! 千切れる足を回し続けろ!
──鋼の歩み止めぬ限り 世界は君を迎えるだろう!
俺の歌は遅くまで人気の無い病室に響いた。
それはまるで、観客もスタッフもいないワンマンライブのようだった。




