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月桂樹の唄  作者: 松山 京平
転変編
37/73

37頁 朝起きたら女の子になれるんだ!

 父さんの運転する車が、どこにでもありそうな普通の病院の自動車用ゲートを通過して、地下駐車場のスロープを下って奥へと進む。そして父さんは車を地下の奥へとゆっくり進める。

 すると駐車場の奥には20代後半か、30代ぐらいのスーツ姿の女性が立っていて、こちらに向かっておじぎをしながらジェスチャーで停車する場所を誘導する。

 車を停めて一家そろって車から降りると、スーツ姿の女性が親し気に話しかけてきた。


「いやーお待ちしてましたよー、宮川(たける)さんと、その息子さんの瑠伊くんで間違いありませんかー?」


 ビシッと決まったキャリアウーマンのような服装からは予想外のアニメキャラのような可愛らしい声で話しかけてきた。


「あ、はい、宮川ですが……」


 父さんが答える。


「あぁ、よかったですー。ではでは、早速ご案内しますので、どぞどぞ、わたくしについて来てくださいねー! あ、ちなみに現地に着くまで私語は一切禁止でお願いしますねー」

「わ、わかりました」


 なんなんだ、この(ひと)は……。

 天然ぽいというか何というか、つかみ所がないというか、しぐさがちょっとわざとらしいというか、誰にでも愛敬を振りまくアイドルみたいだ。

 なんか、バッチリ決まったスーツ姿には不釣り合いな声と仕草のせいで、無理して若作りしている婚期を逃したおばさんみたいに見える。

 中学生(ガキ)の俺から見てもちょっとイタい……。


 まぁそれはともかく、こうしてわざわざ駐車場にまで出迎えに来てくれたことから察するに、どうやら俺は普通の病人と扱いが違うのかも知れない。いわゆるVIPってやつ? よくわかんないけど。

 でも、前に行った地元の病院みたいに、受付で簡単な症状についてのアンケートを書き込んで、それから嫌になるほど長い時間待たされて、そしてようやく診察へ……って流れかと思っていたんだけど、どうも違うみたいだ。

 とはいえ、もしも俺が危険な状態だったら、もっともっと大人数で待ち構えてて、4脚の動くベッドとか点滴みたいのとか色々と用意してたりしそうだから、やっぱり俺の病気って、実はそんなに深刻な訳でもないのかな。


 その辺はっきりしないせいか、この妙な「お出迎え」は、女性のスーツ姿と声のギャップ諸々含めて、色々と胡散臭さがにじみ出てる気がする。


「瑠伊くん大丈夫ですか? 行きますよー!」

「あっ、はい……」


 ぼーっと考え事をしていた俺に、茶髪のポニーテールのその女性が声をかけた。

 ていうか、俺の名前知ってるのかよ……。


 その一言を最後に女性は、自己紹介もこれからどこに行くのかといった説明も一切しようともせず、ずっと沈黙を保ったまま俺達一家を引き連れて、地下駐車場のさらに奥へと進む。そして、人や車の動線から明らかに外れた見通しの悪い行き止まりへと到着する。

 しかし、よく見ると目の前には隠し扉っぽい扉があった。


 頑丈そうな扉は周りの武骨なコンクリートカラーと同じねずみ色の塗装がなされ、遠目には分かりにくいようにカムフラージュされていて、天井には監視カメラが数台設置されている。




 『国立超難病特殊医療研究センター』

 現代の医療技術では治療不可能とされている難病を専門に研究している機関で、世間的には無名ではあるものの、その業界筋ではわりと有名な施設らしい。


 このセンターの存在は、父さんが昨日ネットで必死に探しまわってようやく見つけたものだ。

 ここのホームページはなぜか検索サイトには引っかからなくて、医療系の情報サイトのリンクを辿(たど)ってようやく見つけたものだった。

 あくまで『研究センター』であって、『病院』を名乗っていない辺りも、どうも意図的にこのセンターの存在を目立たなくしている節があるんじゃないか、って父さんが疑心暗鬼にぼやいていた。

 だけど、俺の症状に酷似している病状を扱っている医療機関は他には1つも見つからなくて、父さんは(わら)にも(すが)る思いでこのセンターに電話で問い合わせをしたのだった。



 茶髪ポニーテールのアニメ声の女性が、ねずみ色にカムフラージュされた分厚い扉を開けてると、俺たち一家は研究センターの建物内へと入った。

 中に入ると、通路の左右の壁際には、セキュリティセンサーぽい怪しげな装置がずらりと並んでいる。まるでここから侵入者が入ってくるのを予測しているみたいな感じだ。

 その通路をRPGロールプレイングゲームみたいに1列になってぞろぞろと奥へ進む。


「ここってさ、なんで≪超≫が付くんだろう?」


 つい小声で呟いてしまったが、女の人は口に人差し指を当てて「シッーッ!」というジェスチャーを返しただけだった。


 いったいなんなんだよここは……。

 天井からいきなり侵入者を蜂の巣にする機関銃でも出てきそうな雰囲気だ。

 それともこの廊下の奥には、キメラの研究でもあるのだろうか?


 女性に案内されてエレベーターの乗降口前に付いた俺達一行は、一般的なエレベーターよりも大きな業務用エレベーターに乗るように(うなが)される。

 俺達一家がエレベーターに乗り込むと、女性は地下4階のボタンを押した。

 すると、巨大なエレベーターは音も立てずにゆっくりと静かに地下へと降りる。


 現在階を表示するランプが地下4階を示すと、業務用エレベーターの大きな扉は「チーン」という音も立てずに静かに開いた。

 大きなエレベーターの扉が開くと、眼前には黄色い光がキラキラ輝く噴水広場が見えた。

 その光景は、まるで都会のオシャレな地下街にありそうな噴水広場のようで、噴水の周りの壁も天井も豪華な高級ホテルみたいな上品さがある。

 高い天井にはキラキラと黄金色に輝く大きなシャンデリア、中央の大きな噴水はライトアップされて、噴水を囲む水辺には、色とりどりのドライフラワーが丁寧に飾られている。

 どこかに立体音響設備でもあるのか、フロア中から落ち着いたクラシック音楽が流れている。

 だけどおかしな事に、都心の地下街や高級ホテルのロビーとは違って、人の気配がまるで無い……。


 生ぬるくて乾いた空気が身体にまとわりつく。

 新鮮な空気とは真逆の、少し暑くて、重苦しくて、息苦しい空気。


「大変失礼しましたー! もう喋っていただいて構いませんからねー」

「ふぅ……」


 普通の病院とは雰囲気が違い過ぎたせいか、緊張しっぱなっしだった俺は大きなため息を吐いた。


「いやいやいや、どうもすいませんねぇ。うちの所長がすっごい神経質でしてね、セキュリティ馬鹿みたいにガチガチにしたもので……。上の通路にあったのあの装置も作動すると色々と面倒なんですよねー」

「はぁ……そうですか」



 少し呆れるように言う父さん。


「すごいところね……」

「ああ、ですよねー。初めて訪れた方は皆さんこの広場に驚かれますねー。そんでもって『おいコラ、税金で何贅沢してんだ!』なんてよく言われるんですが、ここではとりわけ精神面の安定が重視されますので、このような造りとなっているんです」

「ほう……」


 感心したように父さんが声を漏らす。


「でも、こんな地下にこんなもの作るぐらいなら、もっと自然豊かな場所にサナトリウムでも建てたほうがいいとは思うのですけどね、ただ生憎(あいにく)、患者さんの安全とかセキュリティとか防疫とか、それはそれで、まぁ色々面倒な事が沢山がありまして……」


 なるほど、まったくわからん。

 こんな成金趣味な空間にいて精神面が安定するのだろうか。


 後ろで静かにエレベーターの扉が静かに閉じる音がしたので、俺はなんとなく振り返って確認してみた。

 エレベーターの扉は普通に閉じていたが、よく見るとここにはエレベーター横にある「開」とか「△」「▽」といったボタン類が全く見当たらず、代わりにあるのは鍵穴1つのみ。

 もしかしてこれは、無許可でエレベーターが使えないという事……なのだろうか?

 要するに隔離病棟というか、監禁されてるってやつ?

 思ったよりなんかヤバそうだ。

 

「まぁまぁまぁまぁ、わたくしの愚痴はともかくですね、では早速診察いたしますので、あちらの診察室へとお願いしますねー」

「わかりました」


 女性に案内されて、廊下を進む。


 豪華なのはあのキラキラの噴水広場だけたった。

 病院みたいな廊下を進むと、俺達一行は診察室へ案内された。



「ちょっとそこに掛けて待っててくださいねー」


 スーツ姿のポニーテールの女性は萌えボイスで俺たち一家に椅子に座るよう勧めると、診察室の奥へと行ってしまった。

 俺は前にある丸椅子に、父さんと母さんは後ろにある長椅子に腰掛けた。そしてそのまま、消毒液っぽい薬品の匂いがする診察室の椅子に座ったまま、じっと待ち続ける。


 退屈だ……。


「すごいところねー」


 さっきから同じセリフばかり言う母さん。


「ああ……」

「治療費っていくらかかるのかしら……」

「わからん……俺に聞くな」


 後ろの椅子に座っている父さんと母さんがボソボソと話す。

 俺がいるせいかどうかは分からないけど、お金の話はそれ以上続かず、それから沈黙が続いた。




「いやいやいやいや、お待たせしましたー」

「いえいえ……」


 スーツ姿から白衣に着替えた茶髪のポニーテールの女性が診察室の奥から出てきて、俺の前に対面する形で座った。


「えーっと、では再確認しますね。名前は……宮川瑠伊(るい)くん、12月24日生まれの14歳。性別は男の子と……。身長、体重は……ふむふむ、なるほど、なるほど。……じゃあ瑠伊くん、ちょっと上半身脱いでくれるかな?」


 げっ……。いきなりかよっ!


「あの、それはちょっと……。いきなりすぎて……」

「あー、そかそか、恥ずかしいかぁ。うんうん分かる分かる。思春期だもんねぇ」

「はい……」


 ニコニコと笑顔で話す女性。だけど


「でもね瑠伊くん」


 萌え萌えボイスだった白衣の女性の声が変わった。

 ドスの効いたような殺気が混じったような脅迫的な一言。


「恥ずかしがってる暇なんて無いよ? このままだとキミ、死ぬかもしれないんだよ?」


 たった一言で、これまでふわふわしていた女性の雰囲気が一変した。

 女性は本気で俺を見つめている。いや、睨み付けているみたいだ……。

 いつもニコニコして、物腰柔らかで優しくて、何をしても怒りそうにない人が怒るときの、独特の怖さが目の前の女性にはあった。



「……あっ!! っとと、ごめんなさーい!」


 かと思っていると、また普通のゆるふわな雰囲気に戻った。


「わたくしったら自己紹介忘れていましたねー! ではでは突然ですが、改めて自己紹介をさせていただきますねー」


 てっきりキツい言い方した事を謝るのかと思ったら、自己紹介(そっち)かよ……。


「わたくし、医療術士の妻木(つまき)莉沙(りさ)と申します。「りさちん♪」って呼んでもらっていいですからね!」


 り、りさちん……。


 思わず心の中で呼んでしまった。

 それにしても本当に医者だったのかよ……。 事務員か何かだと思ってた。

 ていうかこの人、本当に医者なのか?


「あー、瑠伊くんのお父様お母様、これ、わたくしの名刺です。どうぞどうぞー」

「あ、これはこれはどうも……」


 りさちん先生のペースに圧倒されっぱなしの宮川家一家。

 父さんとりさちん先生の名刺交換が終わると、りさちん先生は話を続ける。


「でもまぁ、そですねー。いきなり脱げってのも症状が症状だけに、確かに抵抗ありますよねー。じゃあ診察の前に先にお話から始めましょうかー?」

「は、はい」

「お願いします」


 でも脱がす気は満々なんだな……。


「えーと、以前お父様からお伺いした話を聞く限りですと、瑠伊くんは《性転換症》という病気の可能性が高いです。とは言ってもですね、最近確認された珍しい病気で、病名の正式名称は医学的にはまだ無いんですけどね」

「そうですか……」

「それでですね、この病気なんですけれど、わたくしは《性転換症》という仮名はちょっとどうなんだ? って思ってるんです。というのも、結論から話すとですね、現時点での性転換症の致死率が、その……」


 ……その?


 りさちん先生は飄々(ひょうひょう)とした口調で説明したが、りさちん先生の目は全く笑っていなかった。



「……100%なんですよね」

「えっ!?」

「そんなっ!!」


 俺が驚いた以上に、後ろに座っている母さんが大声を出して驚いた。


 致死率100%。

 なんとなく覚悟はしてたけどやっぱりか……。


 わずかな沈黙の間、後ろにいる父さんと母さんの少し荒れた呼吸が聞こえた。


「これまでの性転換症の患者さんは、瑠伊くんを除けばこれまで37名、そしてその殆どが30歳から50歳の男性のみで女性は1人もいないです。それで37名の中で1人だけ25歳の方がいまして、その方が一番若いケースです。ですので、もしも瑠伊くんが性転換症だと確定したら、他に事例のない10代初の、性徴途上のケースということになります。ですから、もしかしたらこれまでの症例とは違う、予測不能な事態になる事も考えられます」


 10代初のケースとか、予測不能とか言われてもなぁ……。

 ていうかさ、よく分かんないけどこういう病気ってさ、若いほど死にやすいとかじゃないの?

 ちっとも喜べないんだけど。


「で、ここからの話なんですが、37名の死に至るまでの経緯についてなんですけど、……瑠伊くんはその、……知っておきたい、ですか?」


 な、なんだよ、その()は……。な、何かあるのかよ?


 もしかして、おっさんの外見のまま身体だけ女になって、ブラジャー買いにデパートに行ったら袋叩きに遭って自殺しちゃったとか、なんかそういった話なんだろうか?

 それともいきなり内臓が爆発して飛び散ったとか、グロ系の話とか……。


「ど、どうしよう? 父さん」

「……」


 振り向いて父さんに頼ろうとしたけど、父さんは狼狽している母さんを気遣いつつも、俺を見るなり無言で目を()らした。


 答えられない質問だったのだろうか。

 いや、たぶん父さんは、俺の身体がこの先どうなるかもう知ってるんじゃないかな。

 だからこそ何も答えられなんだ。

 それでも聞くか聞かないかはお前が決めろ、と。

 ただの直観でしかないけど、なんかそんな事を言いたかったんじゃないかって気がする。


 でも、ほんの少しだけ、少しだけ時間がほしい。

 聞く覚悟っていうか、心の準備っていうか。


 りさちん先生は俺の左手をそっと持ち上げると、両手でギュっと握った。

 握られた俺の手が、無意識に震えていた。


「聞きたくないなら、無理しなくてもいいからね」


 父さんの冴えない反応と、りさちん先生の台詞と仕草で俺は確信した。

 先に亡くなった37人は、目も当てられないような悲惨な最期を遂げたのだろう。


 交通事故のニュースで誰かが死んでも、アナウンサーは「頭がぐちゃぐちゃに潰れて即死でした」なんて言い方は絶対しない。

 けれど、現場では、本当に頭がぐちゃぐちゃになって、見るも無残な状況で、誰かが無残に死んだのだろう。


 つまり、先に死んだ37人に続いて、俺も同じように、言葉にするのを(はばか)られるような死に方をする……。


 となれば、もはや誤魔化しは要らない。いかなる言葉も何の慰みにもならないから。

 ただ何も知らずに誤魔化され続けて、訳も分からずに死ぬよりも、きちんと知っておいた方がいいに決まってる。

 少なくとも、この身体がいつまで持つのかぐらいは先に知っておきたいから。

 死ぬ前に、やれるだけの事はしておいた方がいい気がするから。


「聞きたいです」


 小さな声で、それでもはっきりと言った。


「そっか……。けど、本当にいい?」


 先生は震える俺の手を握りしめたまま念を押した。

 「偉いね」と、子供を褒めるような優しい眼差しで俺を見つめる先生。


「はい」


 小さな声で、俺は返事をする。


「分かった……。じゃあ過去の性転換した人達の死因について言うね。っと言っても、これがまた色々あってねぇー」


 りさちん先生は握っていた俺の手を放すと、タブレットを操作しながら何かデータらしきものを確認している。


「まず死因を順に読み上げていくと、臓器圧迫もしくは破裂、器官損壊、脳損傷、全身内出血に気道閉塞……」


 げっ……

 な、な、なんだその物騒な死因は……。

 なんか指先一つで倒された世紀末のモヒカン達みたいのばっかりじゃないか。


「性転換病ってね、肉体が女性化していくのだけど、その過程で肉体はどんどん収縮していくのよ」

「う、うん……」

「だけど、臓器や血管類は殆ど収縮しないから、肉体の収縮が進行すると、どんどん圧迫されて臓器が破裂したり、骨に刺さって破れたりして死に至るってわけ。収縮現象に備えて先に臓器の一部を切り取っても、残った臓器が膨張して逆に肥大化するケースまであるから、正直、手の施しようがないのよ」

「マ、マジか……」

「ええ。他にも血管が収縮に耐えられずねじり切れて内出血起こしたりもする。でもね……」

「で、でも?」

「そんな状況でもね、女性器だけはしっかりと作られるの」

「……」

「そして、女性器が完成した頃にはみんなもう死んでる……」


 女になったら死ぬ病……って事か。


「患者さんの中にはね、本気で女性になりたいって中年のオジサマもいたけど、その人の最期は『やだやだっ! アタシ死にたくないっ! 朝起きたら可愛い女の子になれるはずなのにっ!』ってね、痛みに耐えながら絶叫して死んだわ……」


 冗談みたいな笑い話に聞こえるのに、全く笑えない。

 俺の顔からサッと血の気が引いていくのが分かる。


「死後、解剖前に掃除した遺体が、まるで本物の若い女の子みたいにとても綺麗だったのを今でもはっきりと覚えてる……。体内は酷い有様だったけどね」

「そ、それって、冗談だよね」

「こんな事、冗談で言ってると思う?」

「……」


 知ってた。それでも冗談であって欲しかった……。


 免れぬ死への恐怖。絶望。心が押し潰される……。

 全身の気力という気力が、地球の重力に引きずり落とされていくような感覚がする。

 人間という生き物は言葉だけで人が殺せるんだと思った。

 いや、違う。言葉だけで死んでしまう。

 食物連鎖の頂点に君臨しておきながら、どれだけ脆い生き物なんのだろう。

 今の俺は、まるで電池の切れたおもちゃのぬいぐるみみたいだ。


「でもね、これが、瑠伊くんがこれから命を懸けで戦う『敵』の話なんだよ」

「……」

「その、うちの息子はもう助からないのでしょうか?」


 母さんが震えた声を振り絞るように言った。


「あ……、落ち着いてくださいお母様。まだ話は終わってませんから」


 俺以上に母さんを気遣うりさちん先生。

 後ろにいるから見えないけど、たぶん俺以上にヤバそうな顔してたのかな?


「そうなんですか……」

「え、ええ……。と、ところでね瑠伊くん。瑠伊くんに聞きたい事があるのだけど、以前に身長が縮んだとか、身体が変わったなーって感じた事はあった?」

「それは……」


 「ありすぎるぐらいだ!」って言おうとしたけど、先に俺はノートをかばんから取り出した。

 このノートには、身体に異常を感じてから毎日欠かさず記録を付けている。

 口で答えるよりも、これを見せながら説明した方がいいと思ったから。



………

……



 最初は8月だった。

 秋葉原に行った日から、日焼けした後の薄皮が毎日のように()がれ続けた。


 9月の体育祭が終わった頃から、身体が熱っぽくなる日が増えた。


 10月、俺の股間のアレ(・・)がまるごと脱皮(・・)して小さくなった。

 怖くなってきたのでこの頃から筋トレを始めたんだっけ。

 すると筋トレの効果があったのか、皮はだんだん剥がれなくなったけど、代わりに体毛が薄くなって、肌もどんどん綺麗になっていったんだよな。

 このノートに記録をつけ始めたのはこの頃からだ。


 11月。ずっと続く熱っぽさに加えて、体の内側がドロドロで気持ち悪くなった。

 修学旅行の前日、たまらず風呂に入ると湯船はドロドロの垢で泡立ち、血まみれに。春に(背伸びして)測定した身長からは5cmも縮んでて、体重も3キロ減って41キロになってた。


 そして修学旅行1日目。

 朝起きたら服のサイズがおかしくて、胸とお尻がなんか腫れた感じだったよな。

 それから、俺の身体からは女みたいな甘いいい匂いがしていた。

 いろいろあったけど、1日目の夜、ついに俺の下腹部に激痛が走って、冗談抜きで死ぬかと思った。

 深夜にこっそり入った風呂で、俺の身体はもう誤魔化しきれない状態まで変わっていたんだ……。

 修学旅行は1日がとても長く感じたけど、こうして読み返してみると、俺の身体って急激に変わったんだな。もしかしたらあの時の下腹部の痛みは……。


 2日目には奥歯が抜けて、そして、倒れた……。

 身体の事も、何人かにバレた……。


 3日目の事は記憶が曖昧すぎて、正直今でもよくわかんない。

 ただ、クラスメイトの反応が察するに、特別おかしな事はなかったみたいだけど。


 修学旅行から帰ってきて目が覚めると、血まみれで髪の毛が腰まで伸びてた。

 胸はもう完全に女みたいになって、今もチクチク痛む。

 下の方は今も感覚がない。なんかくっついてる感じがするだけだ。



………

……



 りさちん先生が俺のノートを見ながら、当時の事を質問する。

 俺がその質問に答えると、先生はキーボードをカチャカチャと打って色々と入力している。


「かなり進行してるわね……」

「そ、そうなんだ」

「うん、性転換病の症状は、進行すると一気に加速するから……」

「そ、それってさ、もう長くないって事?」

「それは詳しく検査してみない事には何とも……ところで瑠伊くん、ここのトレーニングメニューのとこ、体重は書いてるけど身長はこれの事でいいのかな?」

「どれ?」

「ほら、ノートの隅っこに書いてあるこの数字」


 あ、それは……。


「えーっと、10月のページは8って書いてるけど、日が進むにつれてどんどん小さくなってるわね。で、修学旅行前には4か……。あぁ、これって身長の1桁目なんでしょう?」

「……」

「ん? 違った?」

「…………」


 クッ……。


「ど、どうしたの? 顔真っ赤だよ?」


 クッ……クソがっ!


「あー分かった。ごめんごめん瑠伊くん。身長の事気にしてたんだよね?」

「あ、いや……身長の事は気にしてるけどさ、でもそいつは身長じゃなくて、その……」

「ん? 何々? じゃあわたくしにだけ、こっそりと教えてくれない? ほら、大丈夫だから……。ね?」


 そういうと、りさちん先生は俺の口元に耳を近づけてきた。

 ちえっ。子ども扱いかよ……。


 だけど、どんな些細な事でも、もしかしたらこれが切っ掛けで、治療につながるようなものすごい突破口が見つかるかも知れない。

 そう思った俺は、りさちん先生の耳元で数字の意味についてゴニョゴニョと教えた。




「あっ……」


 答えを聞いたりさちん先生は、色っぽい声を漏らすとあたふたと慌てた様子で俺から離れた。


「な、ななな、なるほどー! ち、中学生ってそれぐらいなのね……そかそか! ……そかそかぁ」


 ノートの隅に書いてあった怪しげな数値。

 あれは身長じゃなくてチ○長だ。つまり俺のエレファントのサイズだ。


「はぁー……。し、失礼しました。そ、その、そういう統計データはわたくし、一度も見た事がなかったし。ここに運ばれてきた人のは既に取れちゃってたから……。え? あ、ああ、ごご、ごめんなさい。何言ってるんだろう、わたくしったら……」


 だ、大丈夫か、この人……。


「あの、先生? 俺の身長なら修学旅行の前日に5cm一気に縮みましたけど……」

「えっ!? えっ!? 本当に!?」

「はい……って言うか、さっきも言ったよね?」

「あ、うん。そ、そうだったわね。その時は何ともなかった!?」

「お風呂に入っているときに、身体中からいっぱい変なものが出ました」

「え? それって末期症状よ?」

「えっ?」

「殆どの人はその身体収縮に耐えられず、(うみ)だらけになって死ぬのよ?」

「マジで……?」


 りさちん先生は机のパソコンに何か打ち込む。

 画面には縦線と横線のマス目の中に、沢山の数字やデータで埋め尽くされていた。


「……えーと、ちょっと気になったのでデータを調べなおしてみたのだけどね、性転換症でここに運び込まれてきた皆さんは、いずれも立派な体格をしていたわ。えーと、最小でも身長は170cm以上、190cmの患者さんもいるわね。だけど亡くなる際には、みんな身長が140cmから145cmほどにまで収縮してる」


 恐ろしい……。

 まるで人間が圧縮されるみたいじゃないか……


「瑠伊くん、縮む前の身長はどれぐらいあったのかな?」

「春の健康診断で158cmあって……。あ、でもこれは背伸びとかして誤魔化した数字だからもう少し短いかも。一応、この前の修学旅行の前日に測ったら153cmでした」

「153cmかぁ。そかそか、大目に見ても5cm程度の収縮で済んでだのね……。その身長なら120cmぐらいまで収縮してもおかしくはないハズなんだけど、とにかく手始めに身長測ってみようか?」

「はい……」


 すぐ横に備え付けられている身長計で簡単に測ってみた。


「ふむふむ、148cmか……」

「ええっ!?」

「修学旅行前からさらに5cm縮んで、春の健康診断から合わせてトータルで10cmか……。それでもかなり収縮したのね。身長が低くなったって自覚は無かった?」

「ずっと変な感じがしてました。だけど身体の事が気になって身長までは……」

「ご両親はいかがでしたか? 瑠伊くんが縮んだって気づきました?」

「その、恥ずかしながら……。それに修学旅行から戻ってきたときは大変でしたから」

「そかそか、なるほどなるほど……。大体はわかりました。ここから本格的に収縮するとしたら120cm台を切る可能性も……」


 りさちん先生が独り言のように(つぶや)いた。

 何が「なるほど」だよ。丸聞こえなんだけど……。ていうか最後まで言ってくれよ。


「じゃあ、そろそろきちんと診察しましょうか。瑠伊くん、もう脱げる?」


 てか、結局脱がないといけないのかよ……。



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