33頁 侵入バスターズ
「ただいまー」
クソ重いかばんを引っさげながらようやく懐かしの我が家に到着すると、俺は玄関横にかばんを置き、玄関の鍵をガチャリと開ける。
しかし、俺の声は家の中に空しく響くだけで、家の奥からは何の反応もなく、人の気配が全くしない。
おそらく母さんはどこかに出かけているのだろう。
まぁ宮川家ではよくある事だし、俺は気にも留めずに重いかばんを家の中に放り込む。
「あーもう、マジしんどいわー」
靴を脱ぎ捨て、くたびれたおっさんみたいに言うと、俺は放り込んだかばんを手に取って脱衣所に行く。
そしてかばんのファスナーをジジジッー! と豪快に開けると、洗濯機の横に置いてある洗濯かごに修学旅行で着た服をドサッと放り込んだ。
かごに投げ出した服から、ほんのりと甘い匂いが漂う。逆に、これまで毎日嗅いでいたはずの独特の男臭さが一切ない。
「こりゃ母さんにバレるな……」
うーん……。
もしも何か問い詰められたらどうしようか? 思い切って女子を抱いてきたとか言ってやろうか?
でも母さんの事だから、きっと真に受けていきなり学校に駆け込みそうな気もしなくもない。そしてその後、なんかものすごくややこしい事態になりそうな気がする……。
もういいや。
今の俺は頭がガンガンして疲れきってるんだ。面倒ごとは明日から考えよう。
俺は軽くなったかばんを持って、2階の自分の部屋へ戻ると、ブレザーを脱ぎ捨てベッドに潜り込んですぐに眠りについた。
体がだるくて、熱くて、すこし痛くて、冗談抜きで疲れてたから……。
◇ ◇ ◇
『おい坊主、迷子か? どうした?』
駅前近くの交差点の前で信号待ちをしていると、変な髪形をした胡散臭い男が俺に声をかけてきた。
『迷子じゃねーし! 家近くにあるし! てゆーか、いきなり話しかけてくんなよおっさん! 声かけ事案だろ! 警察に通報すんぞ!』
『おっさんじゃねーよ! つか声かけ事案って何だよ、最近のガキはどういう教育受けてんだ?』
『おっさんそれ何? ライフル? 新兵器?』
『これか? これはアコギだよ』
『あー知ってる知ってる! あれだよね、なんか良い感じのやつ。敵の大群とかモンスター倒すときに使うやつ』
『お前全然分ってねーだろ! アコースティック・ギターだよっ! 楽器』
『そうそう、それ! で、おっさん弾けんの?』
『ああ。暇ならすぐそこの駅前の広場で聴かせてやるよ』
『げ……。や、やだよ、どうせ金取るんでしょ?』
『取らねぇよ! むしろ演奏許可取るのに手数料取られたっての!』
歩行者の信号が青色になり、視覚障碍者用向けのメロディが流れる。
俺とおっさんは並んで横断歩道を渡る。
『ふぅん。そういえば最近おっさんみたいな変な恰好の人、よく見かけるよね』
『ああ。ストリートライブの許可出してくれる街はどんどん少なくなってきたからな、こうやって許可してくれるのはこの辺りじゃ夕凪市ぐらいだから、最近はどんどん集まって来やがる』
『なるほど、ね……。そういう事だったのか』
『お前全然分かってねーだろ!』
『うん』
……なんだか懐かしいな。
小6の頃、俺が音楽やダンスに本格的にハマった切っ掛けだ。
思い返せば、あの頃は背伸びしたい年頃だったんだろう。
何にでも首を突っ込んでいた俺は、非日常的な珍しい出来事に日々わくわくしていた。
「おっさん」の演奏は今思い出しても笑えるほど下手クソで、歌の方も何言ってるか分かんないし、声も気の抜けたソーダみたいだった。
だけどその日見た路上ライブの光景は、とてもキラキラと輝いて見えた。
おっさんの演奏はダメダメだったけど、他の人の音楽はどれも上手くて、格好良くて……。
それから俺は、暇を見つけては夕凪市の駅前に足を運び、誰かが演奏しているであろう路上ライブを見るようになった。
佑馬も連れて行った事があるけど、俺と違って佑馬はつまらなさそうに1回見ただけだった。後日つまらなさそうにしていた理由を聞くと「素人の路上ライブなんかには興味はない」という、なんとも乾いた答えが返ってきた。
おっさんも時々駅前で演奏してた。
でもおっさんは他の人達と違ってあまりにも下手クソ過ぎて、広場を囲む聴衆から酷い暴言を吐かれることも珍しくも無くて、その様子を横で見ていた俺は、無邪気にゲラゲラと笑っていた。
『おっさん面白いな! 下手過ぎなのにこんなとこで演奏とか、いひひひひっ!』
『あのな、そうやって笑っていられるのはガキのうちだけたからな坊主。お前もいつか何かにチャレンジする時がくれば、今の俺みたいに嘲笑を受ける日が来るからな! 自分1人じゃ何もできない、クソみたいなくっだらない奴らによ!』
『上手けりゃ嗤われないって!』
『んなもん、言われなくても分ってるよ!』
その言葉を最後に、「おっさん」は駅前に現れる事はなかった。
だけど俺はそんな『小者』の事などすぐに忘れてしまって、その後も色々な演奏が聴ける駅前に通い続けた。
あの頃、もしネットが自由に使えていたのなら、俺はわざわざ駅にまで出向かなくても家の中で思う存分動画を見ていたのだろうけど、当時の俺はネットすらやらせてもらえなくて、家の中じゃそういう刺激的なコンテンツに触れ合う機会なんてなかなか無かったんだ。
それはともかく、連日駅前の広場へと通い続けたおかげで、俺は路上ライブ常連の人達の間じゃ、ちょっとした有名人みたいになっていた。
やがて俺は、路上ライブの開始時間前に歌い方のコツを教えてもらったり、実物の楽器にも触らせてもらったり、コスプレした踊り手のお姉さんにダンスを教えてもらったりもした。中にはCDを売りつけてくる奴もいたけど、当時の俺は缶ジュース1本すら買えなかったんだよな。
だけどそんな日々は長くは続かなかった。
俺が中学1年になった頃、苦情が殺到したのかは知らないけど、夕凪市は駅前の演奏許可を出さなくなったそうだ。
路上ライブが禁止された後も、道の隅っこで演奏する人とかもいたけど、警察がすぐにやってきて追い払わる光景を何度か見た。
やがて、多くのアマチュアミュージシャンで賑わった駅前広場には誰もいなくなり、そして今、駅前広場は沢山の自転車で埋め尽くされている。
………
……
…
「その話」は、駅前で久しぶりに出会った路上ライブの常連のお姉さんが教えてくれた。
夕凪市の町外れにある森山公園という寂れた公園で、駅前で演奏していた人の一部が、今でもそこで活動を続けているという話を聞いたのは、駅前広場が使用禁止になってから随分と後の事だった。
俺はその話に興味をもって調べてみたものの、困ったことに肝心の森山公園という場所へはどうやって行けばいいのかさっぱり分からない。
地図には名前だけしっかりと載ってるくせに、そこへ行く道が全然記載されていなかった。
森山公園は文字通り、木々が生い茂った小さな山の中にある公園だった。
後日、佑馬と一緒に公園へと続く道らしき道を見つけた時は本当にびっくりした。
まさか、昔起きた大規模な土砂崩れで、道も階段も完全に埋もれたままだなんて思いもしなかったから。
佑馬と一緒に未だ整備もされずに埋もれた坂を上ると、階段が見えた。
その長い階段をひたすら登って山頂に着くと、そこには小さく荒んだ古い野外ホールがあった。
階段状の観客席は、ねずみ色のコンクリートでできた簡素な椅子、いや椅子というよりかは四角い直方体のポリゴンみたいな椅子が中央のステージを囲むように半円状に配置されている。そして、コンクリートの床を突き破った雑草が我が物顔でその椅子を占領していた。
だけどこれほど荒廃しているというのに、中央のステージ付近は誰かに手入れされているのか、周りと比べると随分と綺麗なままだった。
ステージ後ろのコンクリートの壁なんかは、ペンキで塗り直された形跡も無いのに、スプレーで落書きされた痕跡が全くなくて、長い間、この野外ホールは不良の溜まり場としてすら機能していなかったと感じさせる。
結局、あの野外ホールを見つけたときは俺と佑馬以外は誰もいなくて、それからちょっと探検してすぐに帰ったんだよな。
………
……
…
『あー、あの野外ホールまだあったんだな。高度成長期には海外の有名な音楽家を招聘してあそこで音楽フェスティバルをやろうとかいう景気のいい話があったらしいんだ。でもあの場所に公園や野外ホールがあるなんて、今の夕凪市民は誰も知らないんじゃないか?』
いつだったか、父さんが言ってた。
『なんで誰も知らないの?』
『なんでだろうなぁー』
いかにもな棒読みで、父さんが白々しく言う。
もしかして実は当事者じゃないのか?
『ま、大人ってのは何時の時代も都合の悪い事は隠したくなる生き物だからな。どいつもこいつも自分を守る事だけに必死だから、野外ホールの建設に関わった奴らにとって、きっとあそこは掘り返したくない忌まわしい場所なんだろう』
『要するに腐りきってるんだ』
『それはちょっと違うぞ。ああいうの中途半端な仕事ってのは、馬鹿正直な善人とクソ真面目なヤツから消えて崩壊するんだよ』
『はぁ?』
『瑠伊、3本の矢って話知ってるか?』
『うん、あれでしょ? 1本1本の矢は簡単に折れてしまうけど、みんなで力を合わせれば折れないって話』
『違う』
『え?』
『クソ真面目なヤツが1人奮闘して、仕事をしない2人の分の仕事までさせられて、ある日ボッキリと折れる。そして今までろくに仕事をしなかったヤツが急に慌てふためくものの、時すでに遅し、何ら対応できずに粉々に粉砕されるんだ』
『……』
『そこで問題。さて矢が折れてしまったのは誰の責任でしょう?』
『わかんないよっ!』
『そう正解! 答えは「分からない」だ』
『な、なんだよ、それ……』
『つまりあの森山公園も、なんでああなったのかは、もう誰も分からないってことさ』
最低だ。
大人の世界ってのはいつも汚い。自分さえよければそれでいいんだ。
子供には仲良くしなさいとか、綺麗ごとばかり押し付けるくせに……。
あの時の俺は今よりも純粋で、与えられた正義と倫理観に囚われて、単純にそう思う以上の事は考えられなかった。
大人の世界がどうにもならない不条理の塊であると受け止められるようになったのは、たぶん最近になってからだと思う。なんとなく。
とある休日。
俺はあの野外ホールで誰か演奏してないかと思って、1人て森山公園の野外ホールにやってきた。
誰が言い出しっぺで、誰が作ったのかも分からない野外ホール。
多くの大人たちが途中で仕事を投げ出し、何十年も役にも立っていない野外ホール。
だけどこの日、ステージ上には4人の冴えない若い男達がいて、その中の1人は、以前俺を駅前に連れて行ってくれたあの「おっさん」だった。
ただの高校生3年だったおっさん。
──それが後のアルティメット・グロウのメンバーのギターの《瞬》の若き日の姿だった。
瞬と一緒にいた他の高校生メンバーが、その後どうなったか俺は知らないけど、その日俺は相変わらず下手くそな瞬達の演奏を聴いて大いに楽しんだんだ。
◇ ◇ ◇
懐かしい思い出は、寒さと痛みであっと言う間にかき消された。
身体がスライムみたいになったのだろうか? ぐちゃぐちゃでぬるぬるに濡れていて気持ち悪い……。
窓から差し込む日差しから察するに、おそらく朝だろう。
俺は自分の部屋のベッドの上で目を覚まして上半身を起こす。
眼前の布団やベッドは、ドロドロの血のようなもので塗れていてた……。
失禁したのだろうか、尿のひどい匂いが部屋中に立ち込めている。
俺は驚いてベッドに手をついて立ち上がろうとしたが、今度は髪の毛をおもいっきり引っ張られた感触がした。
「痛ってぇ……!!」
手の下には黒い糸束。
その糸束が俺の身体に沿って垂れている事に気づくと、それが俺の髪だとすぐに察した。
「髪が……伸びてる」
恐ろしいことに、俺の髪は腰辺りまで伸びていた。
頭が重く感じられたのは、このボリューム感がある髪のせいだったのだろうか。
それでも鈍い頭痛はまだ続いている。
同時に、まるで頭にゼリーでも注入されような感覚がする。
そのゼリーの一部が頭から漏れたのか、俺の枕はじっとりと湿っていて、その表面にはぬるっとしたゲロのような汚物がまき散らされていた。
眠っていたというよりも、また意識を失っていたのだろうか。
寝ゲロまでしてしまうなんて……。
ありったけのゲロをぶちまけて口元が汚れていると思った俺は、手の甲で口まわりを拭ってみたものの、その感触はいつもと同じで、汚れている感じがしなかった」
「あれ?」
鏡を見ると、ホラー映画に出てくるような血まみれで乱れ髪の化物が映っていた。
無論その制服のシャツとズボン姿のゾンビは俺だった。
顔は思ったよりも汚れてなくて、切り捨てた相手の返り血を少し浴びたような雰囲気ではあるものの、よく見れば普通に俺の顔だわかる程度なので、ゾンビを自称するにはやや迫力不足だ。
「この姿で下に降りたら父さん達ショック死するだろうな……」
今が朝の何時頃なのか確認しようと携帯を手に取る。
だけど俺の携帯はバッテリーがなくなって力尽きたのか、電源が切れていた。
充電ケーブルを携帯に差し込んで電源を入れると、携帯の画面は見慣れない番号の着信履歴が2~3件ほど残っていた。
ボタンを押して待ち受け画面に戻すと、携帯の液晶には
『現在時刻 11月xx日(日曜日) 9時37分』
と表示されていた。
確か帰ってきたのが金曜日の夕方ぐらいだから、まる1日寝ていたというか、意識を失ってたのかな……。
部屋の中を見回すと、俺の部屋は修学旅行から帰ってきたままの状態だ。
母さん片づけてくれなかったのかな?
それに父さんも母さんも、俺の身体の事、まだ気付いてないのかな……。
もしもまだ気づいてなかったら、もう自分で言うしかないか。
これ以上誤魔化しても意味も無いし……。
部屋から出て階段を下りる。
どうせ父さん、この時間だといつものわけの分からないネトゲでもやってるんだろうな。
あんなものの何が楽しいのかさっぱり分からない。
血まみれになった制服のシャツとズボン姿のまま俺はリビングに出る。
だけど人の気配が全く無い。
もしかして、父さんと母さんはゾンビ映画みたいにどこかに避難でもしてしまったのだろうか……。
俺はゾンビウィルスに感染してしまって、手遅れにでもなってしまったのだろうか……?
それにしても今までこんな事は一度も無かった。
いったい何があったんだ?
いつもの家にいるはずのに、だんだん俺はパニックになってきた。
父さんの和室や押入れや冷蔵庫の中など、色々怪しそうな場所を次々と調べるが異常は全くない。だがそれがかえって不気味に拍車をかけた。
脱衣所へ向かうと、洗濯機の横にあるかごには、俺が修学旅行で着た服がそのままの状態で置いてあった。
「えっ!?」
ちょっと待て。
俺は父さんと母さんが遠出するなんて話は聞いてないぞ?
父さんも母さんも、な、何でいないんだよっ!?
もしかして車で出かけて事故にでも遭ったのか?
……パタッ!
玄関の方から何かが閉じるような、とても小さな音がした。
今度はなんだよ……。
お、おかしいぞ? ……なんか様子が変だ。
あの小さな音は、玄関の扉が閉まる音なのは間違いないはずだけど、音から察するに、その閉め方はかなりの慎重さが窺えた……。
まるでこの家の異常を察しているかのような……。
少なくとも父さんや母さんだったら、もっとガサツに家に入って来るはずだ。
とすると、もしかして佑馬か?
いやあり得ない。
いくらなんでも佑馬はそんな事はしない。普通にインターホンを鳴らすはずだ。
じゃ、じゃあ洋子ちゃんか誰かがストーカーみたいにいなって、こっそり入ってきたとか?
そ、それこそありえないって。
でも可能性は0とは言えないけど……。
となると泥棒か? こんな古臭い一軒家に?
近所には金持ってそうな家がいっぱいありそうなのに?
複数の足音がヒタヒタと気配を殺してやってくる。
ゾンビみたいになった俺を殺しにやってくる。
必死だった。
いつの間にか俺は風呂場の空の浴槽の中に身を隠していた。
無論、すぐには見つからないよう、浴槽のフタもしっかり乗せている。
よほどパニックになっていたのか、俺は脱ぎ捨てた服が入った洗濯かごをまるごと浴槽へと持ち込んでいた。
相変わらず使用済み制服からは魅惑的な甘い匂いが漂う。
密閉された浴槽の中だと余計にたまらない……。
しかし、事態はどんどん最悪な方へと向かう。
かすかに感じるおかしな気配が、足音が、どんどんこちらへと近づいてくる。
ドクン、ドクンと高鳴る俺の鼓動。
つ、ついに俺の異変を嗅ぎつけた《機関》が俺を滅殺しに来たのだろうか?
こんな異常事態でも沸き上がる中二病的思考。やはり重症だ。
だがしかし、もはやこれ以上の逃げ道は無い。
こうなったら一か八かだ。
侵入者がここまでやってきたら、こちらから奇襲を仕掛けて仕留めるしかない。
ガラガラガラと浴槽の折り畳み式扉が開く。
つ、つ、ついにここまで来やがったか……。
だがまだだ。
まだ引き付けろ。
そしてついに、何者かの手によって浴槽のフタが引きはがされた……。




