第8話「嘆きの森の異常事態」
第8話「嘆きの森の異常事態」
「……アリア。足元に気をつけろ。腐葉土の層に『毒胞子茸』が隠れている」
「う、うむ。了解した」
昼なお暗い、原生林の奥深く――『嘆きの森』。
太陽の光を遮る巨大な樹木が立ち並び、湿った空気と泥土の匂いが立ち込める中、レオンとアリアは慎重に歩みを進めていた。
騎士団からの依頼――という名目で押し付けられた『森の魔物集結に関する先行調査』である。
「お前の剣の試験運用に丁度いいだろう」と騎士団の上司に言いくるめられ、アリアがホイホイと引き受けてきてしまったのだ。
「……なんで俺までこんな湿苦しい森の奥を歩かされているんだ」
「す、すまない……。だが、調査手当として金貨20枚が出るぞ! 経費はもちろん全額負担だ!」
「その手当で、お前の飯代と修繕費の天引きをチャラにしてやる」
「ひどいっ!?」
軽口を叩き合いながらも、二人の表情は険しかった。
森に入って数時間。
普段ならこの森の浅い層にいるはずのゴブリンやコボルトといった下級魔物の姿が、全く見当たらないのだ。
まるで、森の奥深くから放たれる「何か」に怯え、逃げ出しているかのように。
「……レオン殿。なんだか、空気が重いな」
アリアが特注の魔剣の柄に手をかけながら、周囲を警戒する。
「ああ。魔力溜まりの濃度が異常だ。……何か巨大なものが、この森の生態系を歪めている」
レオンは腰のポーチから、採取用の空のガラス小瓶を取り出した。
瓶の口を開け、空気を少しだけ入れてから蓋をする。
すると、瓶の中の空気が青白く発光し始めた。
「魔力濃度の簡易測定だ。……やはりな。通常値の10倍近い。スタンピードの前兆という噂は、どうやら本当らしい」
その時だった。
『ドスゥゥゥンッ……』
地響きのような重低音が、森の奥から響き渡った。
「な、なんだ今の音は!?」
「……伏せろ!」
レオンがアリアの腕を引いて倒れ込んだ直後、彼らの頭上の巨大な樹木の幹が、内側から爆発したように弾け飛んだ。
バキィィィィンッ!!!
大量の木っ端が雨のように降り注ぐ。
もし立ったままだったら、上半身が吹き飛んでいたかもしれない威力だ。
「……『樹木ミサイル』か。厄介な奴のお出ましだな」
レオンが土埃を払いながら視線を向けると、なぎ倒された木々の向こうから、巨大な影が姿を現した。
「な、なんだあれは……!」
アリアが驚愕に目を見開く。
それは、全長10メートルはあろうかという巨大な植物の魔物――『暴食の樹人』だった。
全身が太いツルと苔で覆われ、顔に当たる部分には、鋭い牙が並んだ巨大な口がパカァッと開いている。
先ほどの攻撃は、奴が周囲の木を引っこ抜き、凄まじい膂力で投げつけてきたものだった。
「……あれが魔物たちを怯えさせていた元凶か。上位個体だな」
「私が、斬るっ!」
アリアが魔剣を抜き放ち、飛び出そうとする。
だが、レオンは彼女の肩を強く掴んで止めた。
「待て。あのクラスの樹木型魔物は、お前の剣でも一筋縄ではいかない。樹皮の装甲が厚すぎる上に、切断してもすぐに再生する」
「では、どうするのだ!?」
「……燃やす。それも、中からな」
レオンは無表情のまま、ポーチから赤と黒の液体が入った二つの小瓶を取り出した。
「アリア。お前の推進力で、あのトレントの真正面まで突っ込め。そして、奴が『口を開けた瞬間』に、俺が作った隙間へ飛び退け」
「……わかった! 指示通りに動く!」
アリアは深く頷くと、魔剣の刃に魔力を流し込んだ。
『シュゴォォォォォッ!!』
青白い炎が噴き出し、推進力が彼女をロケットのように前へと射出する。
「グルァァァァッ!!」
迫り来るアリアに対し、グラトニー・トレントは巨大な腕(太い木の幹)を振り下ろしてきた。
「甘いっ!!」
アリアは魔剣の噴射を足元へ向け、急制動と横へのスライド移動を同時に行う。
ドスンッ!と地面をえぐる巨腕を紙一重でかわし、トレントの真正面へと潜り込んだ。
獲物が目の前に来たことで、トレントは巨大な口をガバァッと開け、アリアを丸呑みにしようとする。
「今だっ!!」
レオンの叫びと同時に、アリアは全速力で後方へ飛び退いた。
そして、彼女と入れ替わるように、二つの小瓶がトレントの開かれた大口の中へと正確に吸い込まれていった。
「錬成――『内部爆裂炎』」
レオンが指を鳴らした瞬間。
ドォォォンッ!!!
トレントの巨大な体躯が、内側から真っ赤に膨れ上がり、そして次の瞬間、木端微塵に爆発して四散した。
◆
「……ふぅ。お前の誘導が完璧だったおかげで、触媒の消費は最小限で済んだ」
くすぶるトレントの残骸を前に、レオンは満足げに手帳にメモを取る。
「はぁ、はぁ……。レオン殿、あの『中から燃やす』作戦、最初から考えていたのか?」
「ああ。奴の弱点は口腔内だ。外からチマチマ削るより、内側に爆発物を放り込むのが一番早くて安上がりだからな」
「さすがだ……。だが、これで調査は完了だな! 原因の魔物も倒したし!」
アリアが安堵の笑みを浮かべた、その時。
『ゴゴゴゴゴゴゴ……!』
再び、先ほどよりもさらに大きく、地響きのような音が森の奥深くから響いてきた。
「……レオン殿。これは……」
「……チッ」
レオンの顔が、この日一番の険しい表情に変わった。
「あのトレントは『原因』じゃない。何かに怯えて森の奥から『逃げてきた』だけだ」
レオンの言葉を証明するかのように、森の奥の暗闇から、無数の赤い光――魔物の眼光が、彼らを取り囲むように現れ始めた。
スタンピードの前兆。
それは、彼らの予想をはるかに超える規模の「何か」が、この森の最深部で目覚めたことを意味していた。
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